周囲の環境はとても良い。
八真名華子は捨てられてしまった――。
周囲の意見としては色々あるだろうが、華子自身としては「捨てられた」と思っている。
風光明媚な山里―――といえば聞こえはいいが、はっきりきっぱりわかりやすく言えば『ど田舎』。
そこに建つリハビリを目的とした療養所に、華子は一人預けられたのだった。
「ふん……」
預けられた療養所の庭からは、桜に彩られる山々が見える。
華子は車椅子で、その庭の端へ一人やってきていた。
療養所は少し高台に立っていて、坂道の下の方に川が見える。
川の向こうは畑と果樹園が広がり、その向こうには山脈が連なっている。
あまり高い山々では無く、一番高い山でも900メートルほどだと、大樹が言っているのを華子は聞いていた。
下の川には川魚だけではなく、沢蟹やエビも豊富に生息していて、たまに山椒魚が出たりもするらしい。
初夏には蛍の乱舞も見られるのだとか……。
今は桜がちょうど見ごろで、人の手で植えられたのではない山桜が、淡いピンク色で山を彩っている。
山桜はよくあるソメイヨシノより色が薄めだ。
白く光るような淡い春色の山は、美しく神々しい……。
心洗われる景色――と、人によっては口にするだろう……。
が、華子は目を向けてはいるが、そんな景色を見てはいなかった。
「なーにが、しっかりリハビリして、元気になって家に帰ってきて……よ!嘘ばっかしっ!スマホの電波もまともに届きゃしないじゃないの!ありえない!」
山に向かって、華子は憎々し気に言い放つ。
ここに一人預けられてから数日が経っていた。
預けられた日のこと――。
「ふーん……。なかなかいい所じゃない?風が涼しくて気持ちいいわ。それにあなた、あちらのリハビリセンターでスパにやたらこだわってたけど、ここなら温泉が入り放題だそうよ。よかったわね」
華子をここに送り届けに来た時、母の真理はそう言った。
この辺りは、冬場は膝より上に雪が積もってなかなか苦労させられるらしいが、春から夏は涼しくて非常に快適な気候だ。
そして近辺にはいくつか温泉が湧き出ていて、華子が預けられた療養所にも温泉が引かれていた。
温泉は源泉かけ流し式で、常にお湯は新しい。
療養に来ている足の不自由な人間でも気軽に入れるように、夜中以外は常にヘルパーが数人いて、風呂場はバリアフリー設計になっていた。
洗い場から湯船に入るのに大きな段差はなく、スロープ部分と階段になっているところがあり、使用者の状況に合わせて使い分けるようになっているのだ。
(洗い場には排水溝に向け軽い傾斜があり、かけ湯が湯船に戻ることはない)
また壁際やスロープ、階段だけでなく、湯船の中にも手すりが設置されていた。
お湯に入れば浮力で体が浮くので、地面を歩くのは無理な人でも、手すりを使えば湯船の中で動くことができた。
ど田舎(地価が安い・人件費が安い)&源泉(お湯が安い)ゆえに出来る贅沢なバリアフリー温泉だ。
が……。
「スパと温泉は違うわよっ!」
この贅沢は、華子の思う贅沢とは違う。
華子が望むのは、多くの人が「あら素敵♪」「お洒落だわ~」と言ってもらえる贅沢だ。
「ええ、そんなことぐらい知ってるわよ。でも、どちらも身体の不具合を調整する助けになるもの…と、いうことでは一緒じゃない?」
華子に必要なのは、他者に羨まれる贅沢ではなく、歩けるようになるための贅沢でなくてはならない――。
真理は華子にそう言うが……。
華子には真理がいかにも厄介払い出来て清々しているように見えて腹立たしい。
あのリハビリセンター出禁後、一週間ほど家に居たのだが、その間中なんだかんだと真理と華子は毎日諍いを起こしていた。
父や大樹は、いったいそんなにどうして喧嘩のネタがあるのかと呆れていたが、母娘の諍いのネタなんて本当に些細なものだ。
車椅子を動かす音がうるさいとか。
窓を開けて欲しいって頼んだら、ちょっと開けて欲しかっただけなのに全開にしたとか。
テレビの音が大きすぎるとか。
ご飯の支度が遅いとか。
自分は外に出れないのに、お母さんはすぐに外に出ていくとか……。
その他色々、エトセトラ……。
いちいち取り上げるにも、細かすぎて面倒くさいし、めっちゃくちゃ怒っているくせに、なんで怒っていたのか忘れてしまっていた……なんてのもあった。
根底にあるのは、華子にしたら、自分は歩けない可哀そうな子なんだから、もっと大事に労わって!という気持ちだし。
真理にしたら、勝手にヒステリー起こして事故を起こし障害を負った(歩けなくなった)のは自分のせいなんだから、もっとちゃんとリハビリをしなさい!という気持ちだ。
基本的に悪いのは華子だが、真理も母親としての許容力が若干足りないかもしれない……。
真理にしたら、
「母親だって、人間だ!」
と、怒鳴りたいだろうが……。
ちなみに華子をここに送ってきたのは、両親と大樹の三人だ。
祖母のカナはついてこなかった……。
このところずっと具合が悪く……というか、大樹から八真名家から座敷童が居なくなったと聞いてからほとんど自室に籠りきりで、華子が家を出る際、見送りのために部屋から出てすらこなかった。
座敷童が八真名家から居なくなったのは、華子のせい!と思い込んでいて(実際そうなのだが……)、たまに家の中で華子と顔を合わすことがあっても、露骨に顔を背けられていた。
(勝手にあたしのこと恨んじゃってさー。ほんと、縁起担ぎの年寄ってうっとしいわー!座敷童なんて本当にいたかどうかすらわかんないのに、ふざけんなっての!)
恐らくカナは、真理以上に華子が家を離れることを喜んでいる。
この先他の家族が、ここへ華子に会いに来ることがあったとしても、それについてくることもないだろう。
思い出し怒りしていた華子は、がん!と車椅子の手すりをこぶしで叩く。
「車椅子までしょぼくなっちゃってさー。ほんと、むかつく!」
ここに来る前の華子の車椅子は特注品だった。
背もたれやレッグサポート、座面シートはフェラーリレッドと呼ばれる鮮やかで美しい赤色。
シートは長時間座っていても疲れないように、低反発クッションが入っていたし、背もたれも微調整可能な優れもの。
車輪はカーボン製で軽くて綺麗な黒色。
とっても軽いので、華子の力でもハンドリムを楽々回して進むことが出来た。
あまりに軽々操作できるので、先のセンターで面白がって廊下でジグザグ走行させて遊んでいたとき、うっかり他所の人にぶつかって、少々怪我をさせてしまったのだが――。
「わざとじゃないのに、心狭いのが多いんだから!」
過失傷害の判定を受けてもおかしくない行為だったが、センター内での事故で警察を入れたら大事になり、センターの評価にもかかわると言うので示談で済ませられた。
この時点で、赤寄りのイエローカードだったのだが、センター肝いりの船山千早に絡んだことで速攻で「出てってください!!!」になってしまったのだった。
この後、真理がセンターの方から、華子が全く真面目にリハビリをしないと言われたことを聞いた冬也は、
「華子は歩けなくても困らないって、思っているんじゃないか?」
と言い出した。
華子はさすがにそれは無いと否定したが、実際問題として歩くための努力をしない華子は、歩く気が無いとしか周囲には見えない。
で、その原因が困らないからではないのか?
もしかして、歩けない事の方が良いと思っているんではないのか?
という疑惑が持ち上がってしまった。
そして、まず取り上げられたのがお気に入りの車椅子だ。
代わりに与えられたのは、ごくごく普通の車椅子。
ステンレス製のフレーム、車輪、安っぽい青色の背もたれやレッグサポート、座面シート。
当然のように快適なクッションなどなく、小学生が良く使っているような小ぶりの座布団が用意された。
移動に普通に使えるが、ちっともお洒落じゃないし、快適さも先の車椅子に比べて格段に下がる――。
で次は、甘えられる家族から距離を取らせる……。
「真理に文句を言ったり、大樹を呼び出すのは甘えているからだろう。訓練をさぼるのも然り……」
なので、物理的に甘えられないようにしよう――。
そうすれば、自分でなんとかしなくちゃいけないという気になるかもしれない。
そう決めた父により、華子はこのど田舎に来ることになったのだった。
「ふーんだ……。自分たちが、あたしの世話すんの面倒くさいだけじゃないの!」
山に向かって文句を言う華子。
きっと、その言葉に真実もあるにはあったろう。
が……一番の問題は、リハビリに真面目に取り組まない華子――。
そんなあまり褒められる存在ではない華子にも、春の風は優しく穏やかに流れるのだった……。
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