紫鏡の選択
「なんてこと……」
井戸底の光景を見ていたクロは、呆然とつぶやく。
消えゆく老女の魂が醸し出したのは、有り得たけれども、実現されなかった家族模様だ。
見てはいけない――けれど、とても見たかったものを見せられたような、葛藤する思いがクロの中に湧く。
そんなクロの様子に気づかぬかのように、紫鏡は恍惚とした思いを伝えてくる。
(綺麗な、家族でしょう?)
「……ああ、座敷童が大好きな、理想的な家族だったな……」
多世代の家族が一つの家で一緒に暮らし、思い合い、たまにぶつかって、互いに相手を認めて成長していく――。
『家』というものにつく座敷童の大好物。
ああいう家につけたとしたら、その家についた座敷童は大きな力を得ることができ、よりその家を発展させるべく機嫌よく幸運を運び続けるだろう。
「でも……ホントは無かった家族だ……」
(……)
時を遡ってやり直すことは誰にもできない。
玲の魂は紫鏡に背を押され、過去をやり直したように感じただろうが、実際には時を遡ってなどおらず、看取るものなくただ一人で、あの玉石の家で息を引き取っている。
「あの女は魂だけで過去に戻り、悔いていたことをやり直して、幸せな景色を作り出した……。そう、思い込まされただけだ」
クロは紫鏡に視線を向ける。
「過去を変えることはできない。あれは、妄想だ。妄想の中の景色――家族だ。あの女が…いや、紫鏡か?が、見た夢の家族だ。……て、紫鏡?」
力のない軽い身体の紫鏡が、うっかり井戸に落ちてはいけないからと、クロはずっと紫鏡を支えていたのだけれど……。
その紫鏡が不意にぐっと力を体に込め、クロからその身を離した。
それほどの力が紫鏡にあったとは思ってもいなくて、クロは驚く。
「紫鏡?」
「……でも私は、アレに惹かれて座敷童になった……。玲の中にあった家族を見つけて、それを見たいと――。彼女に見せたいと……そう思ったとき、私は座敷童になっていた……」
俯いた姿勢でクロから後ずさるように対峙し、語る声――。
でも、クロに向けて語りながら、それは紫鏡が自身に確認しているような……。
「それは……えと、紫鏡、実声出せるように……?」
ついこの前まで、自室から井戸に自力でたどり着けず、這うようにしか進めなかったのに――。
ほんのさっきまで、音として声を出す力すら足らず、思念でやり取りしていたはずなのに――。
人ではないが、クロはどこか老人介護のような感覚になっていたのかもしれない。
いきなり自分の足で立ち、声すらしっかりしだした紫鏡に戸惑った。
そして、すぐ息を飲むことになる……。
――クロの目の前で、紫鏡が色を纏いだしたのだ。
真っ白でまばらだった髪がたっぷりとした黒髪に変わり、長さは腰のあたりほどまでのび、軽くウェーブもかかる。
俯いていた顔が上げられ、その背で髪が緩やかに美しく揺れる――。
肌は透けるように白く、艶も張りもあるものとなり、切れ長な一重の目にはしっかりした濃い紫の瞳。
身体に肉がつき、厚みが生まれ、枯れ枝のようだった腕や足にも身がついて、しなやかに伸びる。
背はクロと同じくらいになり、深く湾曲していた首や背中がすっきりと伸びる。
身に纏うのは黒に近い紫色のノースリーブのタイトワンピース。
膝より少し長い丈のデザインで、膝上までのスリットが入っている。
足元は黒のハイヒール。チラリと見えた靴裏は深紅だ――。
ほんの数度の瞬きの間に、紫鏡は四〇半ばくらいに見える妖艶な女の姿となった。
「な、なにが……」
「そちらの姿を選んだか、紫鏡――」
ポカンとなったクロの頬を、ふぁさっと羽音ともに風が撫で、声が耳元でした。
いつの間にか現れたスズメがクロの肩に止まる。
「スズメ…!…紫鏡が……」
「うむ、座敷童はやめたようだ」
「……っ!」
ショックを受けるクロにスズメが言う。
「クロ、今一度井戸を見てみよ」
「え、なんで……?」
クロは軽く目をそらして逡巡する。
このところ、紫鏡の付き合いで見ているうちに慣れてきた気でいたが、今の紫鏡のあれこれで、やはり恐ろしいものなのではないかと思う。
(……座敷童が、あっという間にほかのモノになってしまった……)
今の紫鏡が何になったのか、まだクロには感知できないが、座敷童以外のモノになってしまったことだけはわかった。
「見なければ、今のこの紫鏡の理由はわからんぞ?」
「……」
その身の見た目がどう変わろうと、基本的には童の好奇心を常に持っている座敷童。
知りたい気持ちを抑えきるのは難しい。
不本意であることを表すために、少し頬を膨らませてスズメに視線を向けた後、クロは井戸底へと視線を向けた――。
そこに見えたのは、広い庭のある大きな屋敷――。
だが、その屋敷はとても古びていて、人の手入れがほとんどされていないことが見てわかる。
「あれって……」
クロはその屋敷を見た記憶があった。
ただしもっと新しく、手入れもちゃんとされている状態のときのだ――。
「紫鏡がいた、玉石の家……」
「そうだ、これが今の様子だ」
屋敷の庭にはユンボやショベルカーが入り、ヘルメットをかぶり作業服を着た人間が何人も動き回っていた。
その様子は、クロが人界にいたころ何度か見たことのある光景だった。
ただし、クロの係わった家ではなく、テレビ画面の中などの他家のことではあったが……。
「…もしかして、あの家取り壊し?」
「ああ、古くなりすぎてあの屋敷は人にとっては危険となる。土地の上に屋敷があると、売却するのに不利になるそうだぞ」
「売却……」
「相続税と言うものを払うためのようだ」
「……」
スズメの答えを聞き、クロはもう一度井戸に目を向ける。
そういえば、いつぞや紫鏡が馬や犬に放り込まれた門は、重機を入れる際に壊されたのかすでに形が見当たらない。
「スズメ、紫鏡が……」
座敷童であるクロは、今にも取り壊されようとしているその屋敷に、紫鏡の力が纏わっていることに気がついた。
「うむ、あの屋敷の中に紫鏡の本体が残されておるな」
「そんな!」
ぎょっと目を見開くクロ。
ユンボがキャタピラーの音をガラガラ立てて、屋敷の近くへ寄って行くのが見えた。
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