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揺蕩う魂

なんかホラーな気配になってしまった……。

 玲は優しい暖かさを背に感じた。


 背に添えられた手の暖かさは、身の芯から感じることが出来た。


 身の内につかえるように固まっていた何かを、ふぅ…と吐き出す。

 そうしたら、心がふわふわと揺蕩っていくような、そんな感じがした。


 心が――いや、魂が、硬くなった身を離れていく気配がする。


 ――体が動かない。


 でも……。


(ああ……。どこにでも行ける……)


 ふわりふわりと揺蕩(たゆた)うのは、玲の魂。

 

(どこに行こう?どこに行けばいい?)


 突然に自由を得て惑う玲を、背に添えられた手がぽん!と押す。

 ただ揺蕩っていただけのものが、方向性を与えられて進みだす――。


(どこへ――?あ……?)


 ふと、玲は泣き声を聞きつける。

 無視もできたが、なんとなく聞き覚えがある気がして惹きつけられる。

 

(わ、私だわ……)


 近くに行って、自分自身の声だと知る。

 そして……。


(…旦、那様……)


 さめざめと泣く玲に夫が寄り添い慰めてくれていた。


(ああ…思い出したわ……。覚えているわ………)


 母が亡くなった日のことだ。

 前年に父を失くしたばかりだったのに、その次の年早々に母を失くした――。

 相次いで寄る辺を失くした玲は、ただ泣くことしかできなかった。

 そんな玲を夫は慰め、支えてくれた……。


 あの時の夫に他心なんてなかった――と玲は思う。

 親を亡くして悲しむ妻を、ただ慈しみ大切にしてくれる夫の姿があった。


(私は……)


 あの頃は只々大変だった。

 相次いで親を亡くしたことで、まだまだ若く、結婚したばかりの玲が名家玉石を継ぐことになったからだ。

 玲の夫は玉石の血を引いていなかったので、家長とは認められなかった。

 

 玉石の名を継ぎ、その財を得て、護る唯一――。

 玲はそんな立場になっていた。


 そして玉石の財産を狙う名の無い親戚筋は少なくなく、正規の血筋の玲であっても、家長として玉石を護る為には必死にならざるを得なかった。


 必死になりすぎて、自分を支える夫を当たり前のように思うようになっていた。

 家のことに一生懸命で、夫に対して何か思いやるような行動や言葉――そう言ったものに気を配った記憶が一切無い――。


(――驕っていた?)


 ゆらりと、また玲は揺蕩う。

 ゆらりゆらり……そしてまた、泣き声を聞きつける。


(ああ……今度も、私だわ……)


 二回目ともなればすぐにわかる自分の泣き声。

 でも、今度の玲は一人――。

 誰にも泣き声を聞きつけられないように自室に籠り、頭から布団も被って、声を押し殺して泣いていた。

 支えてくれる人は誰もおらず、ただ一人で泣いていた。


(これは……)


 家に長く務める住込みの女中に、夫の浮気を知らされたときのことだとすぐに気づいた。


 女中に知らされたその時はフン!とした表情を作って、なんでもないような態度をとったが、なんでもないわけなんかない。


 家を護るために、自分は必死になっているのに、夫は他の女にかまけている……。

 そう思うと悲しくて、悔しくて、辛くて……。不実な夫に腹が立ったし、相手の女にも何とか思い知らせたかった。

 そうして、思いついたのが相手を妾に堕とすこと。


 女としての格の違いを見せつけてやる!

 そんな心づもりの提案――。

 実際、恐らく世間的には、玲のほうが妾より格上であることを、知らしめる結果にはなっただろう。


 だが実情は?

 本妻の玲との格の差を屈辱をもって思い知るかと思いきや、妾となった女はその立場をあっさり受け入れて、幸せそうな家庭を築いていった……。

 相手の大切に思うことが、玲とはまったく違っていたのだ。

 建前や世間体なんかより、夫を引き留めることに相手は重点を置いた――。


 玲は――。


(私は幸せではなかった……)


 格の違いを相手にも、周囲にも見せつけることが出来たが、それで得たのは玲の望む幸せではなかった。


 玲が望んだ幸せは、むしろ妾宅に――。


 ふっと、それまでただ漫然と揺蕩っていただけの玲は顔を上げると、布団をかぶって泣いている玲のそばに寄る。


(やめてと言いなさい……)


 そう囁く。


 魂の声など、人に聞こえるものではない――。

 聞こえている様子が無いことがわかる。

 それでも玲は言い続ける。


(夫に浮気なんてやめてと言いなさい。自分だけを見て欲しいと言いに行きなさい!)

(恰好をつけて、意地を張るのはやめなさい)

(この家にいて欲しいと伝えなさい!)


 魂の玲は、布団をかぶって泣き続ける玲を布団ごと抱きしめ叫ぶ。


(愛してるって伝えるのよっ!言わなきゃわからないわっ!)


 ビクリ!…と布団が震え、涙で瞼を腫らした玲が布団から顔をのぞかせ、キョロキョロ辺りを見回す。


「何……?」


(愛してるって、伝えて――)


「何も、いない……わよね?」


(伝えられなかった私の分も伝えて――。お願い。あなたは、私なのでしょう?)


「……」


(お願いよ……)


 魂となった玲が拝むように頼むのは、()()()()

 ()()()()()()()――のはず……。


 だが――。


 やにわに玲は布団をはねのけると、立ち上がって部屋を出た。

 泣いて腫れた瞼を水で冷やすこともせず、バタバタとはしたなく走って夫の元へと向かう――。

 そして丁度玄関を開け、帰宅してきたばかりの夫に、浮気をしないでくれと声高に訴えた。

 泣きながら、愛しているのだと伝えた。

 そうしたら、夫からも「愛している」との言葉を引き出せた……。


 すれ違いだったのだ……。

 確かに、他の女の存在が無かったわけではない。

 でもそれは、いわゆる‟ちょっとした気の迷い”。

 玲に対しての愛情が無くなったわけでは無かった。

 迷いを正し、夫婦互いに思いを告げあって――――。

 


 そして、玲が辿ってきた過去の景色が変わり出す。



 妾宅に入り浸っていた夫は、妾を囲うことが無くなり。

 家長として頑張る玲を夫が支え、二人で玉石家を盛り立て、護って行くようになった。


 やがて第二子として玲は女の子を産み、晶子と名付けられた。


 長男の忠は、連れ子の居る英子を妻にとった。

 嫁姑のいざこざは皆無――とまではいかないが、すれ違いは互いに口に出し話し合うことで解決できた。

 玲の夫、そして忠も協力したからの結果だろう。


 英子は玲にとって初孫となる女の子を産み、紫と名付けられた。 

 紫の世話は母の英子だけでなく、祖母の玲、叔母の晶子も参加した。


「子育ての練習が出来て楽しいわ」 


 そう言って晶子は笑った。

 玉石家の中は女四人でなかなかに姦し……いや、華やかだった。


 英子の連れ子である通は、多感な年頃に母親が再婚したことでやんちゃ――というか少々ひねくれたところが無きにしも有らずだったが、義祖父である玲の夫と義父である忠という、二人の男親に躾けられることによって、大きく道を踏み外すことなく大人になっていった。


 通が家宝の紫鏡を持ちだして賭場に行ったと知ったときは、驚いて強く詰りそうになった玲だが、そんな玲を夫と忠が宥め、通を連れて男三人で一ヶ月ほど山籠もりし……戻ってきたら、通の享楽的な性格がしっかりと矯正されていて、さすがの玲もびっくりしたものだ。


「自然は偉大だからねー」


 という夫の言葉を、玲は複雑な思いで聞いた。 


 長女の晶子は玉石家に出入りしていた古美術商の男と結婚して家を出たが、週に一度は実家に顔を出しに来る。

 それは別に夫の田中と仲が悪いわけではなく、むしろ夫が古美術品が多くある名家の玉石家が好きであるため――とのこと。

 当然のように夫婦で顔を出すし、やがて産まれた二人の子は、玉石の家名になぞらえ玉子と名付けられた。



 そして、過去の玲が老いてその身が儚くなる時――。



「玲!逝くな、俺を一人にするんじゃない!」


 病院の清潔なベッドに寝かされた、玲の手を握り叫ぶのは、玲の夫。

 そう、()()夫は、性質の悪い流感で亡くなることはなかった。


「母さん!」

「お義母様っ!」

 

 忠、英子夫婦も事故で亡くなりはしなかった。

 姑のいじめに疲れて、気晴らしの旅行なんかに行く必要なんてなかったからだ。


「お母さん、まだ逝かないで!もっとお料理教えて!」

「お義母さん……」

「おばあちゃまぁ……」


 夫の田中に支えられ、玉子を抱いて玲を見守るのは玲の長女である晶子――。


「お祖母様……」

「ばあちゃん……」


 涙をぽろぽろ流しながら、通と共に紫が玲を見つめている。

 通は水に落ちて死ななかったし、紫も家を出ていくことはなかった――。


(ありがとう……)


 家族皆に看取られて、玲は静かにその命を終えた――。

 




 かさり……。


 玉石家の居間。

 燃え尽きた暖炉の薪が音を立てて崩れる。


 ソファで紫鏡を抱えて蹲った玲、その横に佇むのは座敷童となった紫鏡。


 静謐さをたたえた紫鏡の視線の先にある玲の体は、もう息をしていなかった――。


 静かな、何も音のしない家。

 そう……玉石の家の中には誰もいない。


 そして……。


 鮮やかな紫鏡の黒髪が、その毛先から色が抜け落ちていく――。

 深い紫の瞳が白く濁り、爪からも、指からも、その肌からも、身に纏った物からも……。

 

 やがてすべての色が紫鏡の身から失われ、真っ白になったとき、くしゃん……っ!と膝から崩れて落ちた。


 カラカラに乾ききり、ただの白い固まりに見えるような、座敷童紫鏡のなれの果て……。

 そこにどこからともなく藤色の小鳥が現れ、舞い降りる。

 

 スズメだ――。


 金の目を光らせて、スズメがふぁさっ!とその場で一度大きく羽を広げた次の瞬間――。

 白い紫鏡の身もスズメも、その場から消えていた……。

お読みいただき大変ありがとうございますm(__)m

(月)(金)を目安に更新しております。

よろしければぜひまた続きを読みに来てください(o_ _)o))

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