もし…。もしも…。
玲の言葉を夫は受け入れ、その女を妾にして囲うようになった。
妻直々に二号の存在を奨励したのだ、そのための財力さえあれば、男の立場として否定するはずもない。
それでもしばらくの間は夫も遠慮があったようで、妾宅に向かうのは週一~二度だったのだが、やがて妾が子を身ごもり、無事に女児を出産してからはむしろ本宅――玲のところへほとんど帰って来なくなった。
「男親にとって、女の子はかわいいというものね……」
玲はそう言って、自分の気持ちをなだめていた。
相手の女が産んだのが女児だったため、男子をちゃんと産んだ自分の方がエライ!やはり正妻である自分に神様も味方をしたのだと――そんな風に思っていた。
思い込もうとしていた……。
だがある日、夫が性質の悪い流感に掛かったという報せが妾から入った。
妾は本宅に帰すのが筋だとは思うが、高熱が続き、時々意識が薄くなることもあるので、動かすことが出来ないという。
それであろうことか、本妻――玲が望むのなら、こちらにきて看病していただいても構わないと――。
その報せを聞いた時、玲は激怒した。
本妻である玲を妾宅に呼びつけるなどとんでもない!
本妻=玲を呼びつけ、そこで自分=妾が大切にされている様を見せつけようと、軽い風邪を大げさに言っているのだと思ったからだ。
だから行かなかった。
「性質の悪い病をうつされるのは迷惑です。当家には大切な玉石の跡取りもいます。当分こちらには帰って来ないでください」
そしてその後、ほんの数日で夫の容体は悪化し、そのまま妾宅にて他界した――。
「まさか…。なぜ……」
思いもしていなかったことに、玲は呆然とするしかなかった。
葬式は本宅――玲が出した。
喪主は玲だ。
だが、愛する夫の最後を看取ったのは、看護していた妾……。
死に水も妾がとった――。
「妻は私なのにっ!」
けれど玲を悔しがらせたその妾も、夫の葬式の数日後――初七日を待たずして病死――。
夫を看病したときに流感をうつされていたらしい……。
「生き残った者の勝ちなのよっ!」
そう言って玲は、残された晶子を養子として引き取った。
「勝ち」と、そう言いながら負けた気がした……。
紫鏡を抱きしめ、玲は目を閉じる。
広い屋敷にただ一人。
玲が家長として護ってきた家だ。
でも、それは何の為――?
どこで間違ったのか。
いつ間違ったのか――。
「本当は嫌だった……」
玲の閉じた瞼の裏に浮かぶのは、今は亡き夫の顔。
「大好きだった……。誰にも、とられたくなかった…っ!」
この人は私の夫だ。
私が愛して、望んで婿に来てもらった――。
大切な人。
この先ずっと一緒に生きていくって、決めた人。
ほかの女に手を出されて悲しかった。
浮気なんて許せなかった。
私だけを大切にして欲しい。
私だって、大切にする!
子供だって生まれたのに、なんで?
そう言いたかった。
でも、言えなかった――。
本当は妾なんて許したくなかった……。
心から愛していたのに、でも他の女にうつつを抜かす相手にそれを認めたら、負けのような気がして言えなかった……。
言えば良かったのだろうか?
色々な気持ちを伝えれば良かったのだろうか――――?
そうしていれば、もしかして……。
もう、その相手が皆この世にいないときになって……。
玲は初めて、自分が間違っていたことを自分に認めた。
気がついていた、夫に対してだけではなかったと。
子供に対しても、嫁に対しても、孫に対してもそうだったと……。
大切な家族――。
相手からも大切に思って欲しかった……。
思い思われの関係になりたかった。
なのにいつも、つい相手の上に立とうとしてしまう玲の性格――。
生まれ持っての性格と言ってしまえばそれまでだけど……。
家族を思う気持ちに勝ち負けなどないのに――。
「…ごめんなさい……」
そして謝罪の言葉を口にする。
誰に対してでもなく、何に対してでもなく、ただ自分が生きてきた中で傷付けてしまったすべてに対して――。
もし…。
あのとき素直に「浮気なんてしないで!」と言えていたら、夫の心は離れなかったのだろうか?
もしも…。
今まで傷付けた相手に、謝罪の言葉を届けることが出来るのなら……。
「届けて欲しい……。謝りたい……」
紫鏡を抱え、ソファにうずくまるように身を伏せる玲。
その横にすうっと一つの姿が生まれる。
現れたのは袴姿の幼女。
まっすぐで、まるで黒曜のように艶のある黒髪をオカッパにし、袴をはいた幼女の姿。
色白でふっくらした頬をし、一重の切れ長な目、瞳の色は濃い紫色。
白の小袖、袴の色は瞳と同じくらい濃い紫色。
足元は白足袋が合いそうだが足袋ではなく、なぜか赤い毛糸の靴下――。だが、そのアンバランスさが、妙にその幼女には似合っていた。
幼女はそっと玲の背に手をやり、優しくなでる。
何度も何度も、そーっとそーっと壊れ物に触れるように……。
「あれ、紫鏡か……」
井戸を見ていたクロがつぶやく。
そして、自分が抱えた紫鏡に視線を落とす。
そこにいるのは力を使い果たし、真っ白な枯れ枝のようになった今の紫鏡。
(ああ、ここか……)
「紫鏡?」
腑に落ちたような声音で紫鏡はつぶやく。
(私はここで――この時に、座敷童になったようだ……)
「え?!」
クロは驚く。
なぜなら…玲に家族はいない。
文字通り一人ぼっちになっている――。
「家、無いぞ……」
座敷童は家につく。
家に幸運を呼ぶ。
それが座敷童だ。
顕現できるはずがない……。
(あった。私はこのとき、見つけた……)
でも、忘れていたから――。
(探しなおす必要があった……)
グッと井戸に乗り出そうとする紫鏡を、クロは落とさぬように慌てて捕まえなおした。
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