勝手に帰宅
玉石通が家に帰ったのは、紫鏡を見失ってから三日後のこと――。
「畜生……」
玉石家の屋敷の門を見上げ、悔し気に口元をゆがめてそうつぶやく。
一週間前、紫から紫鏡を借りるという名目で取り上げて、意気揚々と出かける際に羽織っていたコート、履いていた靴下、靴がその身から無くなっていた。
身に着けているのは小袖と袴、歯がちびて薄汚れた古い下駄……。
寒風吹く中、足袋すら履いていない。
コートや靴、靴下は、この時分ではかなり希少で高価なものだったのだが……。
懐に手を入れて、ぺちゃんこになった札入れを握り締める。
あれほど分厚かった札入れが空になるのは、あっという間のことだった。
紫鏡を無くした日、通はその日一日見失ったあたりを探し回ったが、どうしても見つけることはできなかった。
それもそのはず、探し物は馬車に乗って去ってしまったのだから、そんなところで探したところで見つかるはずがない。
が、そのことは、井戸を覗いていた未来の座敷童たちが知るのみ。
ただそれでも、当てにしていた物を無くしたのなら無くしたで、そこで諦めて家に帰ればよかったのに、通はそうはしなかった。
勝ったときの快感がどうしても忘れられなくて、博打をやめることが出来なかったのだ。
自分がそれまでの三日間、勝ちを続けていられたのは山師の鏡――紫鏡あってこそなのに、無いまま賭場に通い続けたのだった。
で……。
元より、常勝という事態が異常なこと。
紫鏡を失った通の勝ち目はごくごく普通の確率となり――。
勝って、負けて、勝って、負けて、負けて、負けて、たまに勝って……を繰り返し――。
賭け事は、たまに勝つからより楽しくなる面もあるのだとか……。
負けが混んでるところに勝ちが入ると、ドッ!とアドレナリンが放出されるかららしい……。
そのため、どうしても引き際を誤りやすい――。
そして気がつけば、文字通りの素寒貧。
通は玲や紫に対して、自分は元々は貧しい一般庶民で、苦しい暮らしも経験してきたんだと、御大層に言っていたが、母の英子はしっかり者で、前夫を病で失ってからもちゃんと働き、幼い通を飢えさせるようなことは決してなかった。
何より前夫を失った数年後――通が十三才の頃、英子はたまたま出会った忠に見初められて結婚し、通は名家の御曹司である忠の養子となった――。
苦しい暮らしをしてきた貧しい一般庶民とはとても言えない経歴なのだ。
つまり、海千山千の人々から通を評すれば『カモ』の一言。
札入れの中身が無くなった途端、ちやほやしていた女たちにはそっぽを向かれ、情け容赦なく身包みをはがされた。
宿を叩きだされるときに、ちびた下駄をほどこされたのは、それまでに使った金に対しての僅かながらも慈悲だろう。
「……どうしてくれよう…」
ザシザシと庭石を踏みながら、門から玄関へと向かう。
敗因はうっかり山師の鏡を落としてしまったからだと、通は思っていた。
だから今頭の中にあるのは、どうやって失った山師の鏡を見つけ、再度自分の手に取り戻すか――だ。
義父の忠に聞いた逸話の中に、紫鏡が他家に奪われたが、紆余曲折後、また玉石の家に戻ってきたというのがある。
その理由が、紫鏡は玉石の血筋が気に入っており、たとえ人の手により他所に行かされることがあっても、必ず戻ってくるというのだ。
物品でしかない紫鏡が玉石の血筋を気に入っているなんて、通には信じ難いことなのだが、賭場において勝ち目がわかったのは事実。
「どういうカラクリは知らんが、確かにこれだとわかったからな……」
勝ち目を知れる逸話が事実だったのだから、どこかに行ってもまたこの家に戻ってくる逸話もあり得ない話ではない――。
「しかし、どうやって……」
物である銅鏡がいったいどうやって戻ってくるのか、どこに戻ってくるのか、戻ってきたとしてそれをどう手に入れるか……。
イライラして、思考をまとめようとガリガリ頭を掻く。
負けが混んでからは風呂に入る余裕もなかったので、身ぎれいにして落ち着いてから、探す段取りをしようと思う。
とにかく紫鏡が戻ってくるとして――。
ならば、その時を過たず、取り戻さなくては!
(あんなお宝、ババアや子供にゃもったいなさすぎる!)
紫鏡は次期家長と定められた紫の物だということなど、通の頭にはさらさらなかった。
「あ、お兄ちゃん!」
玄関を入った途端、廊下を通りかかった紫が気がついて声を上げる。
通にとって幸いなことに、玲は出かけているらしい。
居たらきっと紫の声につられて出てきただろう。
顔を合わせたら嫌味を言われるのは確実なので、非常に幸運だったと通は思う。
と、いつもなら「おかえりなさい」の言葉と共に、やたらと親し気に寄って来る紫の様子がいつもと違うことに気がついた。
二、三歩引いた距離から、ジトっと恨めし気に通を見つめて頬を膨らませている。
「なんだよ?」
そう言ってから、紫に対して、紫鏡を無くした言い訳を考えていなかったことに気がつく。
「貸してくれ」と言って持って出たのだから、返してくれと言われるのが当たり前。
自分の負けを挽回するためにどうするか――ということを考えることに必死で、紫に対しての取り繕いなど頭の中に欠片も無かった。
(しまった……。なんて誤魔化すか……)
不満げな紫の顔を見て、慌てて言い訳を考える通だったが……。
「なんであんなとこに、鏡捨ててっちゃうのよ!紫、すっごくお婆様に叱られたんだからっ!」
「ん?」
プンプン怒っている紫は、いぶかし気な通の様子に気がつかない。
なぜ自分が怒っているのかを訴える。
通は一切反論せず、黙って紫の訴えを聞く。
最初の一言で、紫鏡がすでにこの家に戻っていると知ったからだ。
通が紫鏡を失ったのは、この家からかなり離れた場所だ。
いったいどうやって戻ってきたのか……。
「門のところに捨ててっちゃったでしょ!いらなくなったんなら、紫に返してくれたらいいのに…酷い!」
「門のとこ?」
「田中のおじさんが来た時に見つけて「紫鏡が落ちてましたよ」って、お婆様に渡したの。御ままごとに使ってそのまま忘れたんだろうって、大事なものなのに、おもちゃに使うなんてって…すっごく怒られたの!」
「あー……」
(どういうことだ?この家の家宝と知ってるヤツが拾って投げ込んだってのか?)
通にしたら捨てたわけではなく、不本意に失ったのだ。
だがそれを言うわけにもいかない――。
もし賭場で紫鏡を利用していたなんて玲に知れたら、持ち出す隙が無くなるだろう。
「田中さん、来たんだ?」
「晶子おばさんと、玉子ちゃんも来たよ」
晶子というのは、亡くなった忠の異母妹。
玲の夫が妾との間につくった娘だ。
玉子はその娘。
認知はされているそうで、表向きは玲と特別仲が悪くも良くもなく、時たま本家のご機嫌窺いと称しやってくる。
夫の田中が古美術好きなため、値打ち物が多く置いてあるこの家に行きたがるのだと、以前聞いたことがあった。
その田中が〝紫鏡″と認識したのなら、確かに紫鏡で間違いないだろう。
「なんであんなところに捨ててっちゃったの!」
「いやいや、捨ててないよ。なんか、知らないうちに落としちまったみたいでさ……。帰りが遅くなったのはずっと探してたからなんだ」
落としたのは事実だが、知らなくはない――。
落ちていくところはしっかり見ていた。
ずっと探してなんかいない――。
探したのはその日一日だけだ。
帰りが遅くなった理由でもない――。
もし落としてなければ、きっと今もまだ帰ってきていなかっただろう。
「おかしいんだよなぁ……。ちゃんと大切に、持ってたはずなのにさぁ……」
そう言って、すっとぼける。
どういう仕組みか知らないが、紫鏡が帰ってきているのなら、通としては取り敢えず紫さえ誤魔化しておけばいい。
紫は玲に叱られたそうだが、通に貸したことはきっと言っていないと確信がある。
言えば余計に叱られる羽目になると、紫もわかっているからだ。
「でもっ!」
「探宝の鏡だからね」
「え?」
「宝物のところに帰っちゃうんだね、きっと」
そう言って笑いかけてやる。
「え、宝物?」
「そうさ、言っただろ?僕は宝探しに行くって」
紫は通が紫鏡を持ちだしたときのことを思い出す。
「そう言えば、そう…言ってた……」
「僕は宝探しをしてたんだよ。そしたら、ここに帰って来ちゃったってことは……」
「それって……」
兄にとっての宝物は自分ということ――。
そう言われているのだと、紫はそう理解した……。
舌先三寸でそう思わされただけだと気がつくには、紫は幼すぎた――。
「うん、やっぱり、ロクデナシ!」
井戸を見ていたクロはそう叫んでいた。
急に寒くなってきたから、コタツから離れられません(;^_^A
うっかり寝て風邪ひきそうなのが怖いです;;;
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