母子二様
母子邂逅です。
男は必死に逃げていた。
袴を膝までからげ、着物のたもとは大きくはだけている。
肩から脱げてしまわないのは、さらしでたすき掛けをしているからだ。
脇差を二本刺し、いっぱしの武の者のようだが、苦し気に歪むその顔立ちはまだ幼さが残る。
元服を終えたばかりの十五歳だった――。
男は痛みと辛さで、ともすれば止まりそうになる足を、歯を食いしばってただ動かす。
『行けっ!そなたは血を継ぐのだっ!』
敵の刃をその身で受け、男を逃がした父の声がずっと耳の奥で響いている。
領主でありお館様と呼ばれる父に連れられ、家臣たちと初めて向かう戦場――。
その途中の狭い峠道で、彼らは敵の挟撃を受けた。
戦場についたら陣を立て、敵の様子を探って…なんて、悠長に手順を考えていたしばらく前の自分を、男はあざ笑ってやりたい。
戦場につくまで戦は始まらない――そんな風に思っていた。
たいした敵ではない――。
ちょっとした、領地の小競り合いのようなもの……。
次代を担う若者が、経験をつけるにはちょうど良い――。
そう聞いていたのに……。
「畜生っ!」
必死に逃げる。
男にとっては峠道の狭さが幸いし、若さに任せた足腰で、とっさにそばにあった崖に飛びつき山肌を這い上った。
そのとき追いすがろうとした敵を、父が防いでくれたのを見た――。
思わず助けに戻ろうとした男に、父は先の言葉を投げたのだった……。
その後、男を追ってきたのはほんの二、三人。
いくら追いにくい山手へ逃げたとは言え、その数は少なすぎた。
その追っ手も、しばらく山の中を駆け続ければいつの間にか居なくなって……。
「畜生、畜生―ーーっ!」
不意を突かれた挟撃だったため、味方は散り散りになってしまったが、恐らく襲ってきた人数は必要最小限。
襲われたとき、すぐそのことに気がつけていたならば、彼らはもっと尋常に相対し、敵を追い払うことも可能だっただろう。
どこよりも、武に優れた家だったから……。
だけど―――。
追っ手の気配が無くなっても、男は足を止めなかった。
敵が本当に自分を追うのを諦めた――と思えるところにたどり着くまで、足を止めることはできない。
総大将であるお館様を打ち取られ、味方のほとんども倒されたと思われる現状、うっかり油断で自分まで敵の手に落ちたら、父の――お館様の最後の言葉を護れない。
今を生き延びることが、彼に課せられた戦だ。
「畜生っ!畜生!」
拭っても拭っても、あふれる涙はどうしようもない。
父は厳しいが、武に秀でた尊敬できる人だった。
刀の扱いも鍛錬も、しっかり教えてくれた。
本当の母親は、男が生まれてすぐに暇を出されたとかで会ったことはない。
その代わりに意地の悪い義母や義姉がいて、うっとおしいことも多かったが、衣食住に困ることはなく、何ほどのことも無いと思っていた。
家を継いで領地領民を護るのは、自分の責務だと心得ていた。
「畜生っ!」
待ち伏せなど卑怯な真似を!と憤る気持ちが、今からでも戻って一太刀……っ!
という気持ちを起こさせるが、戻ったところで無駄死になるのは見えている。
たとえ一人でも生き延び、この身の血を残すことが意趣返しになるのだと、そう思ってひたすら足元の悪い道を行く――。
初めての戦場――当然、初めての道……。
追われて逃げて―――。
どこをどう進んでいたのか……。
ふいに男は、ぐっ!と引かれる感覚を腰に感じた。
「……っ?!」
何者かに捕まった?
と、思うが引っ張られる方を見ると、脇差が木にひっかかって止められたのだった。
「くそっ!」
毒づいて、脇差を乱暴に引っ張るが抜けず、もう一度――と力を籠めなおして、引っ張ったとき……。
ガラッ!
踏ん張った足元の石が砕ける音が耳に聞こえ、「えっ?」と思った時には男の足は宙を踏み、谷へと投げ出され、落ちていく自分の身を知る。
(俺の運はここまでか……!)
ザブンっ!と、したたかに水に打たれ、身に冷たい手がいくつもまとわりつくような気配を感じながら、男は意識を手放した――。
暖かい……。
顔に穏やかに当たる暖気に気づいて、意識がゆっくり浮かびあがってくる。
足先は氷水につけられたように冷たいし、手の指はどこにあるかわからないほど冷えているが、一応五体満足であると思う。
(俺は……いったい、どうなったんだ?)
上がってくる意識と共に、身体の感覚が徐々に戻ってくる。
もぞもぞと動けることにも気がついた。
(拘束はされていない……)
ほっとした。
敵に捕まって拷問の末、処刑なんて考えたくもないが、敵の性格によってはあり得ることと教えられていた。
もぞもぞしながら意識をめぐらすと、何か固くごつごつしていて、しかもチクチクゴワゴワするものに寝かされているとわかる。
(筵……?)
屋敷にあったものよりかなり固くてチクチクする。
米の藁だけで作られたものではなく、葦やススキも混ざった粗雑な筵のようだ。
パチパチと薪のはぜる音が聞こえる。
(助かった……のか?)
「んあ?気がついたか?」
急に声がかかって、自分の無警戒さにはっとした。
とはいえ、今さら意識の無い振りもできず、男はゆっくりと半身を起こした。
「無理はせんでええぞ。だいぶ冷えとったからなぁ……。まだ大きくは動けんだろ」
そう言ったのは、見るからに漁師という風体をした年配の男。
(お館様と同じくらいの年か……?)
そう思って、胸の奥がずんと重くなる。
(生きねばっ!)
自分をかばって父は死んだ。
父の願いは血を末永く残していくことだと、男は解釈していた。
それが自分たちの生きた証になるのだと――。
「ほれ、食えるか?うめえぞ!」
漁師が汁物を入れた椀を男の前に突き出してくる。
「もっと焚火の方へ寄っとけ。暖まらんと動けんぞ」
漁師の言葉に誘われ、ずりずりと焚火に近寄ると椀を受け取り口を付けた。
少しくらい相手を警戒するべきなんだろうが、なぜか目の前の漁師にたいしてはそんな気が起きない。
なにより腹が減っていた。
「美味い!」
「そうだろう、そうだろう!」
相手は自慢げに笑う。
川エビや山菜が煮込まれた汁物は、塩だけで味付けされたものだったが、素材の味がしっかり出ていて非常に美味だった。
一口食べれば、後は夢中でかき込むことになる。
(というか……誰だ、こいつは?なんでか、見たことがある顔をしているが……。どこで会った?)
がっついて食べる自分を優しく見る目、その顔に見覚えがある気がした。
「あ、俺、着物は……」
腹に暖かいものが入り、人心地がついたところで、自分の状態に目を向けた。
身に着けているのはふんどしのみ。
たすきでしっかり押さえていた着物も、袴も、脇差も、りりしく頭に巻いていた鉢巻も周囲には見当たらない。
「ああ…お前さん、ふんどし一丁の素っ裸で流されてきたぞ。水に入る前になんぞ着てたと言うんなら、川の神さんに召し上げられたか、河童に取られたんだろ」
「か、神様?河童……?」
目を白黒させた男に漁師は言う。
「ああ。河童の悪戯ならそのうち戻ってくるが、神さんの召し上げだと戻らんなぁ……」
「な、なぜ……」
「さぁなぁ?神さんのお考えなんぞ、わしらのようなもんにわかろうはずはないし、河童はとにかく悪戯もんじゃからなぁ…なぜと聞かれてもわからんわい」
まあ、悪戯と言っても些細なものばかりで大きな害はない――。
という漁師に、男は愕然とする。
着物にも、脇差にも、鉢巻にも家紋が入れてあった。
戦場でもしもの時には、どこの誰かとわかるようにだ。
だが、それらをすべて無くし、ふんどし一丁になってしまって……自分をいったい誰がわかってくれるだろう。
周囲の景色は知らないものばかり。
命は助かったが、どうやって屋敷に帰ればいいのか皆目見当がつかない。
「か、河童なら返ってくる?」
「うん?河童ならなぁ……」
「そ、そんな……どうしたら……」
河童に返してもらう方法を漁師に聞くが、漁師は首を傾げる。
オロオロしている男に、漁師はとりあえず落ち着くように言う。
「まぁ、落ち着けや……。わしら川で生きるもんは、川から流れてきたもんを粗末にはせん。山ん向こうで戦があったでな……しばらくバタバタ落ち着かんから、落ち着いてから動いた方がええ」
戦のことを持ち出されて男は黙る。
考えてみれば、助けられたからと言って、相手が味方かどうかなんてわからないではないか!
というようなことに、今さら気がついていた。
家紋の入ったものを身に着けていないから、味方と勘違いして助けた可能性もある――。
「……ときにな、お前さん……」
困った顔で、漁師が男の腹の辺りを見ながら聞く。
「その腹の痣は、いつついた?水に落ちた時か?」
「あ?これか……?」
男のへその右斜め上あたりにある赤い痣を、漁師は見ていた。
その微妙な顔つきに、男は困ったように頬をかく。
「……ハンザキとかいう川の生き物に似てるらしいな……」
それは生まれつき、男の身にあるものだった。
恐らくは、下賤な女の出産――ということで、取りあげの時に乱暴に扱われたせいで、ついたんじゃないかと男は思っている。
全体は子供の握りこぶしくらいの大きさだが、大きさはともかく、頭と手足しっぽがついたトカゲのような奇妙な形の痣だ。
ただトカゲにしては頭の部分が丸く大きめで、男はそれを見たことはなかったが、川の者がハンザキと呼ぶ生き物に似ているのだと聞いていた。
(これも、義姉たちの罵りのネタだったよなぁ……)
下賤の血をひくものには、やはり下賤な気味の悪い印がつくのだと散々いわれた。
実際自分でも、こんな痣の無い人の腹と、自分の腹を見比べると美しくは無いと思う。
「縁起のいいもんじゃ。川の神さんの加護があったんじゃ……。良かったのう……」
「は?」
目を男の痣に向けたまま、優し気に眉を下げる。
「何を……」
戸惑う男が声を上げかけたとき、じゃりっと河原に人が入ってきた音がした。それと同時に声がかかる。
「兄者っ!山向こうの戦、領主様のお屋敷が落ちて、大きなっとると!あたい、ちょっと様子を……」
慌てた様子で叫びながら河原に来たのは、目の前の漁師の男より少し若めの女だった。
女は見知らぬ男が居るのに気付き、一瞬ぎょっとしたようだが、すぐに気を取り直して駆け寄って。
「どこのもんだ?川に落ちよったのか?怪我はないか?」
おせっかい性格なのだろう、ぱっと見た状況から判断して、救助の手を出そうとして駆けよってくる。
漁師は苦笑いで、何かを言おうとするが……。
女は男のすぐ近くまできて腹の痣を見た途端、びたっ!と音がしそうなほど、瞬時に固まって止まった。
目をまん丸く見開き、息を吸い込んだ口元のまましばらく痣を見つめ、それからゆっくりと顔まで視線を上げる……。
「は、半裂丸……?」
それは男の幼名だった。
生母が追い出される前に、これは「川の神様の御使い」の姿だと男の痣のことを言ったので、お館様がその名を幼名にした。
これが見たことも無いハンザキの名を男が知る理由。
義母は当然のようにこの名を嫌い、幼名として定められたが、その名を呼ぶ者なんてほとんどいなかった。
なのに……。
「な…なぜ、その名を知ってるんだっ!?」
男は問う。
聞かずとも、わかったけれど……。
「生きてたよーっ!半裂丸ーっ!良かったよーっ!」
泣きながら叫んで抱きついてきた女は、十数年ぶりに出会えた母親だった。
男はそれをしっかり抱きとめる。
下賤の血だ!と男を罵っていた義姉たちだが、それは同時に、せっかく義母が追い出した男の生母の情報を、男に伝えることになっていた。
そして半裂丸は、漁師の男になぜ見覚えがあるのか気がついた。
(俺だ……)
漁師の顔は、朝顔を洗う時、水に映る自分の顔とそっくりなのだった……。
※※※※※
バチバチと壁や柱が燃える音がする。
色々なものが焼けて、混じった嫌な臭いがする――。
「ふん……」
女は軽く息を吐く。
しばらく前に射かけられた火矢は、着実に屋敷を炎に変えていく。
もしかしたら、お館様が気がついて戻ってくるかも……?
という微かな希望は完全に果てた。
もうどうしようもない――と、悟っていながら、それでもこの瀬戸際まで自分の身を処せなかった自分に少し嫌気がさしていた。
今は広間のど真ん中に静かに座っている。
その真上には、屋敷を支える太い梁ーー。
屋敷が焼け落ちるとき、我が身が見苦しく焼け残ること無いよう、そこに移動した。
女の脇には三女の身が横たわり、流れる血が女の足袋を汚していた。
火矢が射かけられた時、見苦しいさまを見せたので、女の手で処したのだ。
ドサッと広間の一部が落ち、火の粉が散る。
火の粉が女の髪を焦がす――。
「口惜しや……」
女は自分の身を処すための小太刀を振るった――。
やっぱり、人間は生きたもん勝ちだと思います。
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