黄魚の心を惹いたものとは?
黄魚が井戸の底に見たのは、プールで泳ぐ十人くらいの子供たちとそれを見守る大人たちの姿。
子供たちの年齢はだいたい五才から十才くらいで、しっかり白いスイミングキャップをかぶり、おそろいの紺のスクール水着。
男女比は七:三ほどで男子率高めだ。
プールサイドの壁には、でかでかとオタマジャクシ水泳教室と書いてあった。
つまり、スイミングスクールだ。
子供たちはどうやらまだ皆初心者らしく、ビート板だよりに数メートルをバタ足で何とか進んでは、すぐに立って顔をごしごしと手で拭っている。
要するに泳ぐにあたって、泳ぎながらの息継ぎが出来ないのだ。
立って息をして、すぐにまた決死の表情で顔を水につけて、バタ足で前に進み……で、また立ってごしごし……。
ばちゃばちゃ…ごしごし。
ばちゃばちゃ…ごしごし……。
黄魚から見たら、「なんて不細工なオタマジャクシ!」と思わなくはないが、一応前に泳ぎ進もうという気概はあるようだ。
泳げない者が泳げないなりに、懸命に泳ぎに向き合う姿は、なかなか好ましいと黄魚は思う。
と……しばらくじっと見ていると、その不器用でたどたどしい動きが、いつの間にかそれなりに泳げる形に変わっていく――。
ビート板がなくなり、バタ足がクロールや平泳ぎになっていく。
(ふ~ん……)
どうやら井戸から見せられているのは、黄魚に情報を伝えるために、わかりやすく処理されたものだと知る。
ちょっと詐欺らてる感が無きにしも有らずだが、そんなことよりも、今回は自分の罪を見せられることはなさそうだとわかって、黄魚はホッとしてた。
自分の浅慮から起こったあの大惨事を何度も見せられるのは、いくら人の身で無くとも辛すぎる――。
(でも、じゃ…あ、この中に、あたい…の心、揺らしたものがい…るの?)
そう思って目を凝らすと、惹かれる姿が確かにある。
ただし、それは一人ではなく……。
(三…人……あ、家族…だ……)
そう気がついて、胸がきゅんとした。
水の中にいる二人(子供)と、それを見守る大人――。
子供二人は七才くらいの男の子と、五才くらいの女の子で、その見た目からすると兄と妹、見守る大人は母親のようだ。
(お、おー……っ!)
子供二人は二人そろって、泳ぎだしの時期だとわかる。
『泳ぐ』という行為を覚えて、それを自分の身で体感し、それに喜びを見出し楽しんでいる――。
兄妹で並んで泳いだり、互いに泳ぐ姿をチェックしあったり、泳ぐことに対して真面目だけれど、同時に楽しんでいるのがその表情を見るとわかる。
見守る母親も、楽しいんで泳いでる子供の姿を、喜びでもって受け入れている。
(嬉…し、い!)
家族が仲良く素敵な気配を醸し出している――。
座敷童が何より大好きな光景だ。
泳ぐことを楽しんでいる――。
河童として嬉しい、素敵な景色だ。
いつまでも眺めていたい!この空気に浸っていたい!と、思ったのに……。
いつの間にか妹の姿が水の中からなくなり、泳ぐ姿は兄だけになった。
成長し、高校生くらいの年齢になっている。
プールサイドに保護者である母親の姿もすでにない。
水泳教室に親に送ってもらうような年ではなくなったという事だ。
兄が泳ぐ姿はなにやら非常に洗練されていて、スピードは速く、プールの水をまるで鋭いナイフで切り取っていくようだ。
その表情は真摯で、泳ぎを支配し、コントロールしようとする強い意思を感じる。
美しい姿だと思った。
思ったけど………。
泳ぎを楽しむ――なんて気配は、きれいさっぱり欠片もなくなっていた。
(な…ん、でよ……)
泳ぐことを愛する黄魚にとっては、ショックな姿だった。
あんなに楽しそうに泳いでいた子が、なんで親の仇を追うような泳ぎをするようになったのか……。
(妹…どこ……?)
兄の姿を見るのが辛くて、姿の見えない妹を探す。
あえぐように井戸の中を睨みつけたら、プールとは違う場所が見えた。
(家………だ……)
妹は家に居た。
こちらも成長した姿で、おそらく中学生くらいだろう。
床に寝転がって、つまらなそうな顔で雑誌をめくっている。
かなり裕福な家なのだろう、床に――と言っても毛足の長いベージュのカーペットが敷き詰められていて、寝転がったからといって、床の冷たさを感じることはきっと無いだろう。
広さは15畳ほどの日当たりのよいリビングで、こげ茶の高級そうな革張りのソファーセット、録画環境ばっちりな大型テレビ(独立式のスピーカーまであって音響も万全!)などが置かれている。
妹はいきなりバサッと雑誌を閉じるとソファーの上に投げ捨て、ごろごろ床を転がってから胡坐をかいて座りなおし、うざったそうに髪をかき上げる。
明るい窓の外にまぶしそうな眼を向けてから、ハァと息を吐きだし――。
「レッスンに行く前に、ちょっと練習しとくかな……」
ぼそりとつぶやく。
その声を聞いて、黄魚は少し目を丸くする。
(声も…聞けるん、だ……)
今まで聞こえたことが無かったので、井戸は見せるだけのものだと思っていたのだ。
妹は投げ捨てた雑誌にチラリと目をやり、ふっと何かに気がついたように手に取ると、表紙を裏返して置きなおす。
その時見えたタイトルは水泳雑誌――。
(泳ぐの…やっぱ、り好き…?)
やったー!と思った黄魚だが……。
妹はその場で不思議な動きを始める。
腕をしなやかに流すように動かしたり、足を大きく振り上げたり、跳ねたり、横にステップしたり……。
(え……え、え?え?)
視線はどこか宙を見ていて、軽く開いた唇は何かつぶやいているようで……。
煽情的に動く彼女の指が、その顎を撫でるように上へ、左右へ、揺れる身体はリズムに乗って――。
(あ……踊っ、て…るの……?)
音は聞こえない。
聞こえないが、彼女の動きから流れる音楽が聞こえてきそうな気がした。
井戸の向こうでも、曲を流しているわけではなさそうだ。
音楽は踊る彼女の頭の中にあるのだろう。
レッスンと言っていたから、水泳を続けている兄とは違い、妹の方はダンスに習い事を変えたという事のようだ。
ダンスより泳ぐことの方が好きな黄魚としては、不満な気もするが、レッスン前のちょっと練習――な、彼女のダンスをもっと見たいと思ってしまう自分に気がついていた。
(あ…れぇ……?なん、で……?)
自分の心を揺らし、惹きつける家の気配――。
幼いころの兄妹と、その家族ならわかるのだけど、楽しさの無い泳ぎをしている兄と、水とは関係無いダンスに勤しむ妹の彼らになぜ惹きつけられるのだろう?
(おか…しい、理由、教えて……)
あの家の者たちに惹かれているのは間違いない。
でも、なぜ?
井戸枠をぎゅっと握りしめ、黄魚は井戸底を睨むのだった。
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