河童。それは川の精霊。
「そういえば、何か用事でしたか?」
白波がクロに思い出したように聞いた。
問われてクロもハッとする。
ついついお菓子に気を取られていた。
「勝手口から、外に出てみたいなと……」
「門からさえ出なければ、どこにいてもいいですよ。門から出るとこの界から出ちゃうから、さすがに知らせてからにして欲しいですけど」
いきなり居なくなったらびっくりしますからと笑う。
「いや…俺、来たばっかりだからね。流石にそんな早々に出て行こうとは思わないよ。というか……ここを出て、どこに行くんだ?」
今の自分に行く場所なんかない――。
節だった大人の指になった自分の手を白波に示しながら、自虐的にクロは言う。
「力はそのうち戻るし、今の状態でも全く力が無いわけじゃ無いでしょう?幸運を呼ぶ座敷童を家に迎えたい人間はいくらでもいますよ。問題は気持ちがそこに向くか向かないかです」
「そこが一番大事なんだけど……」
眉をへの字にして困り顔になったクロに、「ですよね」と、白波は苦く笑った。
※※※※※
勝手口から外に出ると、聞いていた通りにすぐ目の前に井戸があり、その向こうには畑が広がっていた。
「白波の畑だって、言ってたけど……」
数種の野菜が植えられている畑からは精霊の力を強く感じる。
姿を見せてはくれないが、かなり多くの精霊たちが畑を護っているようだ。
恐らく特に手入れをしなくとも、種をまいて気が向いたときに水を撒いているだけで、勝手に美味しいものが育ってくるだろう。
「怖いな、これは……」
個々の力はそうでもなさそうだが数が多い。数は力だ。
こっちから悪さをしなければ、向こうも害意は持たないだろうが、強大な力がそこにあると認識した時点で脅威を感じた。
「くわばらくわばら……」
首をすくめて、畑からとっとと離れる。
井戸の脇を抜けて、畑の畦道を辿ると川があり、その向こうが里山――。
「うん……俺の、あの山じゃないな……」
ホッとしたような、残念なような――そんな複雑な気持ちで、少し足を止めて山を見た。
広葉樹が多く、実のなる木々が多そうなこんもりした姿の山。
緑深く茂った様子から、豊かな幸を育んでいるとわかる。
標高はあまりなく、クロなら人型の身で歩いても三〇分ほどで頂上にたどり着けるだろう。
山童だったころなら、おそらく五分もあれば十分――こじんまりした優しい山。
里山と言われたら、確かにいかにも里山らしい里山だ。
ただ――。
「人の里はここにないけど……」
それでも里山と呼んでいいのかな?っと、心の中で首を傾げるクロだった。
クロはもう少し近づいてみたくて里山の方へ足を進め、川の傍にたどり着いたところで足を止めた。
里山に入るには、この川を越えなければならない。
川を越えて少し進んだところに、山の入り口が見えている。
川幅は三メートルほど。
水面から顔を出している石がいくつかあるので、向こう岸に渡るのに何も苦労はなさそうだ。
もっとも座敷童のクロが水に濡れたところで、何か支障があるわけでもないが――。
ぱちゃん!
水音がクロの右手――上流の方から聞こえてクロは視線を向ける。
数メートル離れた水面に、大きな魚の背と背びれが見えた。
見えた部分から推測すると三尺(約一メートル)ほどの大物で、色は金色に近い黄色、形は鮎だが大きさが……。
「え?」
と、思わず声が出た瞬間――。
ザブッ!と、大きな音を立てて大魚は宙に跳ね、次の瞬間には人型となってクロの横に立っていた。
「ちょっ……!え、あ…黄魚?」
「ん。」
思わず身をひるがえし、相手から距離をとったクロだが、すぐにその相手が誰かを悟る。
陸に立った黄魚はその全身から水を滴らせていたが、軽くふるっ!と身を震わせると、その水滴は瞬時にすべて消える。
「……」
なんと声をかけようかクロが逡巡している間に、黄魚は川の方を向いてクロの横に三角座りで座り込んだ。
クロは留まるか否かを少し迷ったが、せっかく相手の方から近寄ってきたのだから――と、留まることにする。
「えーと…?変化、できるんだ?」
そう問いながら黄魚の横に胡坐をかく。
「海まで流れたら、できるようになった」
「そ、そうか……」
「あたいは河童」
「え、座敷童じゃ……?」
「…元、河童」
言い直す黄魚は、少し申し訳なさそうに眉を寄せながら頭を下げる。
どうやら最初に会ったとき、クロの前身に言及したことを詫びているようだ。
「そっか……」
河童は川の精霊、それが海に流れるとは――。
「家が無くなって、仲間もいつの間にかいなくなってて……。それ、全部、あたいのせいだから、泡になって消えようと思った……」
「え、それは……」
「でも、ここにやられた」
「うん」
膝を抱えて、とつとつと語る黄魚。
普通は語ることのない身の上を、詳しい説明はなくともクロに話すのは、聞いて欲しかったのもあるのだろうが、恐らく先日の贖罪もかねているのだろう。
黄魚の身の上は気にならないではないが、贖罪の贄に聞きたいことではない。
「俺のことなら、気にしないでいいよ。前身のことなんてすっかり忘れてたし、他の座敷童に会うのなんて初めてだったから、そのこと指摘するのがいけないとは知らなかったし……」
「でも、あたいは知ってた。クロから山の気配がして、懐かしくて、言ってはいけないことを言った」
声を荒げることはないが、クロに言い返す黄魚は結構頑固だ。
「もう、いいんだよ。それより、さっきのは鮎?」
「…う?」
強引に話題を変える。
川面からクロに視線を移した黄魚は、少し眼をパチクリさせた後、ゆっくりと頷く。
「鮎に、見えた?」
「見えたよ……。ずいぶんでかかったけどな」
クロの返答に、黄魚は嬉しそうに笑う。
「山の幸は、川への恵み」
その言葉に、クロは「ああ」と頷く。
川の水は山肌を削り、山の幸をその下流へと運ぶ。
山の幸は川への恵みになり、川の幸となる。
川に流れた山の石や土は川に堆積し、川に生きるものの寝床となる。山から流された木々や草、虫などは、餌となって川の生き物の身を育む――。
「あたい、大雨の後に、綺麗な石が転がってきて、それを仲間で転がして遊ぶの大好きだった。まん丸くなった石を、魚籠とか、網に入れたら『ああと』って言ってもらえた……」
「ああと?」
「ん。『ああと。ああと』って、川に手を合わせてくれた。それがなんだか嬉しくて、えっへん!って気分になって、気持ちよかった」
「ああ、『ああと』って、ありがとうか……」
納得したようにクロは頷く。
どうやら河童の黄魚は遊びで磨いた石を、漁師の魚籠や網に入れて悪戯していたらしい。
おそらくそれらはただの石ではなく、ヒスイなどの宝玉系の石だったのだろう。
河童にとっては人間をビックリさせようと思っただけの悪戯でも、相手にとっては大きな収入だ。手を合わせたくもなるだろう。
「ずいぶんな悪戯っ子やってたんだなー」
クロがそう言うと、黄魚ははにかんだ笑みを浮かべる。
「鮎は山から下りてきて、海に行って、また山に行く――。河童は川から出たら、河童じゃなくなる。羨ましかった……」
だからずっと鮎になりたかった……。
「でも、あんなにでかい鮎いないぞ?」
クロはそう指摘するが。
「だって、黄魚は鮎じゃないもの」
真面目な顔で、黄魚はクロにそう言った。
黄魚は元河童ですが、座敷童になったので頭にお皿はありません。
見た目は綺麗な二十歳半ばくらいのお姉さんな設定です。
読んでいただいて大変ありがとうございます。
(月)(金)を目安に更新しております。
よろしければ、ぜひまた続きを読みに来てくださいm(__)m




