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「ティナ、右斜め前方に米粒大の埃があります。すぐに拾いなさい」
「はい!」
「ランビック団長、当日の灯りを予定よりも2倍に増やすと、予算を超過します。1.2倍に抑えて、配置を工夫しましょう」
「だがそれで、明るさは担保できるのか?」
「ろうそくのみでは無理ですが、鏡を補助に使うことで可能かと。左斜め後方」
「とりました」
ならばよろしい、とヘレス様はにやりと笑う。
ランビック団長は、そんな私たちのやりとりを見て目を丸くしていた。
あの日、「同志」と言っただけのことはあり、ヘレス様はある程度私のことを認めてくれたらしい。
相変わらず細かいし、厳しいけれど、嫌味は少なくなった。
そして、容赦なく私をこき使った結果、彼はストレスから解放され、仕事の運びも順調らしい。
「意外とやるじゃないの、お前」
休憩時間に、ぼそっと後ろで呟かれる。
振り返ると、そこにいたのはドルトムンダー副団長だった。
「…なんのことでしょう?」
「わかりやすすぎだろ…みんな気づいてんぞ」
どうりで、最近みんなが差し入れしてくれる回数が増えたわけだ。
みんなの優しさは嬉しいが、最近は逆に太りそうで怖い。
食べるのも夜遅いし。
「私も自分のできることを頑張るので、副団長も頑張ってくださいね」
「当たり前だろ」
俺を誰だと思ってんだ、とにやりと笑いかけられる。
彼に熱をあげる女の子たちの気持ちが、ほんのちょっとだけわかった気がした。
私という強力な味方を得て、幽霊さんの恐怖と、埃の恐怖に怯える必要のなくなったヘレス様の処理スピードは驚異的に上がった。
実際に仕事を処理しているのはヘレス様だが、その仕事ぶりに貢献していると思うと、なんだか私も誇らしい。
これはあれか。
息子のために尽くすお母さん。
「ティナ、右斜め後方にお前がクッキーを食べた時の粉が残ってるぞ」
「はい、すみませんでした!」
いや、やっぱりどちらかというと姑にいびられる嫁かもしれない。
見守るランビック団長も、同じことを思っているのか、何やら複雑そうに私たちを見つめていた。
いよいよ、星祭りを翌々日に控えた、夜。
「ウォルター嬢、本当にありがとう」
いつものように、団長を見送っていると、唐突にお礼を言われた。
「団長…?何度もお礼はいっていただいています」
私自身、騎士団、特にランビック団長にはよくしていただいているし、今更深々とお礼を言われることでもないだろう。
だが、彼は頭を振る。
「いや、幽霊騒動のことだけじゃない。ヘレス殿のことだ」
「あ…」
ドルトムンダー副団長は、「みんな気づいている」と言った。
それは、団長も例外ではなかったのだろう。
「彼を騎士団に呼んだのは、君が側にいることのカモフラージュだけじゃない」
純粋に彼が、優秀だからだ。
真面目な顔で続けられたその言葉には、素直に頷くことができた。
最初こそ、カモフラージュに会計省の悪魔を呼ぶなんてと恨んだものだが、彼の仕事ぶりを見ていればすぐわかる。
こんなど素人にわかるほど、仕事が早いし的確なのだ。
「だが、あのとおりの潔癖性でな…。表には見せないが、彼自身、潔癖性であることが仕事の進捗に影響することを非常に気にしていたんだ」
優秀な彼の仕事に影響が出るから、職場でも特別扱いで、個人的な掃除女中を付けてくれる。
そこまでしてもらっているのだからと、ヘレス様は頑張り、自身が頑張る分、掃除女中にも厳しくしてしまう。
なんだかよくわからないまま厳しくされてしまう掃除女中は、不満を募らせる。
そんな、負の連鎖が起こっていたのだという。
「だから、今回のことに、ヘレス殿を指名した」
幽霊さんのカモフラージュとして潔癖性であることが必要だ。
こちらにも利のあることであれば、それほど気に病むこともなかろうと。
「そのせいで、君にはいらぬ苦労をかけてしまったが…」
彼の厳しさは、想像以上でな。すまなかった。
と、ランビック団長に深々と頭を下げられた。
「そんな、団長に頭を下げていただくようなことはなにも…!」
「それに、君は想像以上のことをしてくれた」
「え?」
なんのこと?
戸惑う私に、ランビック団長は優しく微笑みかけた。
「星祭りまで、全力で彼をサポートしてくれるのだろう?」
「あ…」
なぜそれを、団長が知っているのだろう?
「よほど嬉しかったらしくてね…彼本人から聞いたよ。彼の上司から、彼は妙なところで言いたいことを我慢する癖があると聞いていたが…毎日側にいたというのに、私は全く気づかなかった」
「そんな…」
それは、私が聡いからでもなんでもなく、単純に毎日叱り飛ばされていたからだ。
それに、星祭りまで、と期限を区切らなければ、その決断もできなかった小心者だ。
団長に、そこまで賞賛してもらえるような人間じゃない。
そういったのだけれど、団長はゆるく頭を振る。
「星祭りまでだろうと、なんだろうと、実際に気づいてあげて、実際に声をかけてくれた。そのことが素晴らしいし、助かったんだ」
だから、ありがとう。
そんなランビック団長の心からの感謝の言葉に、自然と口角があがる。
今までの疲れが、全て吹き飛ぶような心地がした。
そうして迎えた、星祭り当日。
大小様々な星の飾りが地上に溢れる日。
町中に、紙や布で作られた色とりどりの星が溢れ、星をモチーフにした食べ物や飾りが屋台を彩る。
少女たちは、星の飾りを付け、想い人と夜を過ごす。
王宮では、ガラスで作られた星がろうそくの火にきらめき、王侯貴族のみならず、そこで働く騎士や女中たちの服にも星の飾りがきらめく。
そして夜には、王宮で大規模な舞踏会が催される。
シャンデリアの灯りを落として、もっと小さなキャンドルと星の灯りのみで催されるその舞踏会は、若い女性たちの憧れだ。
そんな素敵でロマンチックな夜に、大好きな人と過ごせる私は幸せ者だ。
たとえそれが、ただ後ろをくっついて回るだけのことだとしても。
「ランビック団長!こちらの守備をみていただきたいのですが…」
「ああ、すぐ行く」
「ランビック団長、陛下がお呼びです」
「陛下は自室か?すぐに向かう」
「ランビック団長!治安部隊から応援要請が!南側の人手が足りないようです」
「南門に副団長がいるはずだ。彼の方が早く対応できるから、話を通してくれ」
掃除女中として足腰が鍛えられているはずの私でさえ、足が棒になりそうなほど歩き回っているというのに、ランビック団長は一切疲れを見せない。
毎年星祭りの時期であっても交代で仕事があるけれど、騎士団長がこんなに忙しいなんて知らなかったな。
本日は特別に掃除の仕事を免除され、団長の後ろをついて回るのみと聞いていたから完全に油断していた。
結局、ようやく落ち着いたのは、舞踏会が始まって、参加者が踊り始めた夜のことだった。
「ウォルター嬢。今日は振り回して悪かったな」
女性にとって、星祭りは特別だろう、と団長は眉を下げる。
「いいえ。私は後ろを付いて回っていただけですから。団長こそ、お疲れ様です」
これは仕事だし、星祭りは来年もある。
それに、今年は仕事とはいえ憧れの人とずっと一緒に過ごせたし。
そんな思いを込めて、にっこり笑いながらそう伝えると、彼もようやくいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ、ありがとう」
まだ、会場の警護は続いている。
だが、警護体制は事前に決まっていたし、近衛騎士たちがメインになるので、ランビック団長のお仕事は、大体おしまいなのだという。
まあ、それでもこうして最後まで会場の外を回っていなければならないのだけれど。
「今更ですが、晴れてよかったですねえ」
「そうだな」
星祭りは地上に星が溢れる日だけれど、今日は天の星も空一面に輝いている。
こうしていると、きらきら光る星の真ん中にぽつんと立っているみたいだ。
雨でも、曇っていても、地上の星が輝きを失うことはないけれど、やはり晴れの日の星祭りは格別だ。
「あ、ここでも大広間の音楽が聞こえてくるんですね」
「上の窓が開いているからだろう…そうだ」
ランビック団長はおもむろに跪き、私に手を差し伸べていたずらっぽく笑った。
「ウォルター嬢、一曲踊っていただけませんか?」
「…え?」
一瞬の間をおき、自分がなにを言われたのか理解して、頰が熱くなるのを感じた。
「今日はお互いよく働いたし、この曲の間ぐらい、息抜きしてもいいだろう?」
好いた男でなくて、申し訳ないが。
「私も毎年仕事ばかりで、星祭りに華やかな思い出はないんだ。もしよければ、この哀れな男に免じて、思い出作りに協力してほしい」
好いた男はあなたですとか、騎士団長の思い出作りに私ごときがおこがましいだとか、実はあまり踊りはうまくありませんだとか、様々な思いが瞬時に頭をめぐり。
「…はい」
私は、自分のそうした葛藤を全て投げ捨て、いつの間にか、そう、返事をしていた。
時間にすれば、ほんの数分。
大広間で華やかに踊っている人々とは比べものにならない拙いステップ。
言葉ではふざけていたものの、実際には踊っている間も団長は周りに対する警戒心を弱めていなかったし、私を気遣って申し出てくれたのだろうことは十分わかっていた。
けれど、そのほんのわずかな時間。
満天の星空の下、その人と踊れたその時間は、私の宝物になった。