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それから一週間。
私と騎士団長は毎日長い廊下を共に歩いた。
そしてやはり幽霊さんは現れなかった。
「ティファニー嬢、君、先祖が高名な除霊師だったりしない?」
「ティナです、ドルトムンダー副団長。うちは平凡な田舎の末端貴族ですよ。そんな先祖はいません」
家系図に誓って。
「じゃあさ、ティアラ嬢。君は今秘められし才能を開花させている途中…」
「ティナです、副団長。才能を開花させたと言われても…」
残念ながら掃除女中にも(末端)貴族女性にも全く必要のない才能である。
「それにしても、ファーストネームで呼んでくださるわりに、なんで毎回名前を間違えるんですか?」
「いやー、俺、基本女性に対してはファーストネームで呼ぶことにしてるからさ。それに、間違えるのは俺なりに君に気を使ってるんだけどねー」
「気を使ってくださっているのですか?」
はて。
さきほどまでへらへらしていたドルトムンダー副団長は少しだけ顔を引き締める。
「だってさ、あの騎士団長と他の女性とは比較にならないくらい一緒にいるんだよ?しかも、騎士団長と一緒にいるってことは、俺をはじめとした人気のある騎士団員ともお近づきになれるし。周りの女性から嫉妬されるっしょ」
…自分を人気のある、と断言した点は無視することとして。
強引に巻き込んで来たわりに細かいところまで気を配ってくれていたのだとちょっと嬉しくなる。
さすがは副団長。
けど。
「あ、それは大丈夫です!最初にお仕事をまわしてもらったとき、女官長がうまい言い訳を考えて、みんなに伝えてくれましたから」
真面目で厳格な女官長は、王宮に仕える下働の女性を束ねる立場にあるだけあって、集団の女性心理というものを熟知している。
そして賢い彼女は、私と騎士団長が浮ついた理由から配置換えを希望したのではなく、何か公にできない事情があると察してくれたらしい。
曰く。
「騎士団区域は、シラミが大量発生したため、ティナ・ウォルターを臨時派遣すると」
「ぶほぉっっっ」
「副団長汚いですよ」
イケメンが台無しだ。
「ちょ、ちょっとまって、なにその言い訳!?それ暗に騎士団の連中はシラミまみれって言ってない!?」
「そうですよ?」
「はあーっ!?」
いわゆる騎士団区域は、執務室、鍛錬場、そしてそれらに隣接する騎士団の独身寮から成る。
「騎士団寮でシラミが大量発生。必然的に執務室、鍛錬場も汚染され、それ以上被害が拡大しないよう、他のエリアに一番よく赴く団長に張り付いて、シラミを随時退治しているという設定です」
「あれ…なんか俺ら、女官長に嫌われることしたっけ…」
どうりで最近ローズもジャスミンも冷たくなったと思った…。とぼそぼそと続ける。
目が死んでいる。
「うーん、女官長は面倒見がいいですから。騎士団員のどなたかが女中にちょっかい出して、結局泣かせる…ということも間々ありますし。ちょっと懲らしめようと思ったのかも」
「ぎく」
「?どうしました?副団長」
「いや…なんでも…」
副団長は俯いたまま、力なく頭を振った。
「あー、うん、とりあえず、俺の思いやりが余計だったってことはよくわかったよティナ嬢」
「余計とまでは…気を使っていただけたのはうれしかったですよ」
まあ、実際は嫉妬に駆られたいじめを受けるどころか、シラミだらけのむさ苦しい場所に派遣されるということで大変同情されている。
みんなあんまり一緒にお風呂に入ってくれなくなったけど。
「けど、シラミの駆除でお前が適任なのか?」
「あ、はい。私、ハーブを育てるのが趣味で」
実家でも色々育てていたのだが、王宮でも部屋に鉢植えを持ち込み、ささやかに栽培を続けている。
「ハーブって色々あるんですよ。香料になるものや、料理のアクセントになってくれるもの。あとは、害虫駆除してくれるものまで。あとは、複数のハーブを組み合わせると、また違った良さが出てきますし」
そこまでいうと、副団長は「ああ、それで」と納得してくれた。
そう、『ティナ・ウォルター特製シラミ避けハーブブレンド』は実家の領地でも評判の出来だ。
「たしかにお前、いい香りするな」
なんか安心する香り、とふんふんと嗅がれる。
ちょっと恥ずかしい。
「おい、何してる」
聞き覚えのある声に二人揃って振り向いた。
思った通り、そこにいたのはランビック騎士団長。
だけど、その表情はいつになく硬い。
「あ、団長。ティナ嬢の趣味を聞いてたんすよ。ハーブ育ててブレンドすることらしいっす。だからいい香りするなーって」
「?お前、名前ちゃんと呼ぶことにしたのか?」
あ、やっぱり団長も思ってたんだ。
「あーあれね…意味ないってわかったもんで…。それよりひどいんすよ、俺ら、勝手にシラミまみれだって噂をたてられてるらしいっす」
「いや、しらみどうのこうのよりも…ウォルター嬢、ちょっとこちらへ…」
「?はい」
先ほどよりも硬さはとれたが、なんとも言えない表情を浮かべているランビック騎士団長に手招きされ、素直に近寄る。
「ウォルター嬢。大切なことだからいっておくが…」
「ボックにはあまり近づかないでくれ」
真面目な顔で、まっすぐ懇願される。
「…え…?」
それは。
「ボックに近づくとな…」
「妊娠するんだ」
「え「はあああああっ!?」」
私が言われたことを認識する前にすごい勢いでドルトムンダー副団長が食いついてきた。
「なんすか、それ!?俺にそんな超能力ないっすよ!?」
「あいつはな、そんな噂を立てられるぐらい女癖が悪い。君には迷惑かけてばかりいるから、これ以上迷惑はかけられない…」
「いやいやいや!真面目な顔でなんつーこというんですか!それに、俺にだって選ぶ権利はあるっすよ!?」
こんなちんちくりん、と。
「は」
「あっ」
私は自他共に認める、温厚な人間だ。
リオナにもシルヴィにも、「ティナはいつ怒るの?」と聞かれたことがある。
そう、温厚なのだ。
「ドルトムンダー副団長、私、副団長に自分が女性として魅力的かどうかなんて尋ねたことありませんよね」
「あ、ああ…ないな…」
「なのになんで勝手に副団長の好みじゃないと、お前なんか眼中にないと上から目線で言われなければならないのでしょうか」
「あ、いや…それは…」
「ああ失礼いたしました。副団長様ですもの。一介の女中よりはるかに目上の方でしたね。掃除女中なんて視界に入りません。これは目の前で罵倒されるのも当然ですわね」
「罵倒なんて…」
「とにかく」
騎士団ツートップがびくっとこちらを見る。
「私、そろそろお昼休憩が終わりそうですから、失礼いたします」
「いや、まだ本題に入ってな…」
「しつれい、いたします」
「あ、はい…」
掃除女中は空気であれ。
その言葉を今日だけ都合よく忘れ、どすどすと歩いて鍛錬場前の廊下へ向かった。
「ウォルター嬢、ウォルター嬢」
「…はい」
振り向くと、眉をハの字にしたランビック団長。
やっぱりこの人は優しい。
自分には関係ない怒りなのに。一介の掃除女中なのに。分不相応にも拗ねているだけなのに。こうして追いかけてきてくれる。
遅ればせながら、この人の前で自分が幼子のような癇癪を起こしたことに気付き、頬が熱くなる。
「すまなかった。俺がボックの前で余計なことを言ったばかりに…」
「いいえ…。私こそ、幼子のようにわめき散らしてしまって…情けないです…」
「いいや!君の怒りはもっともだ…やはり俺が…」
そこまで言って、二人で顔を見合わせて笑った。
これじゃあ、きりがない。
「間をとって、ドルトムンダー副団長のせいにします。不敬ですけど」
「いや、事実だからな。問題ない。上司の俺が許す」
そういってまたくすくすと笑った。
さっきまで、あんなに苛立っていたのに不思議だ。
いや、そもそもあんな些細なことでここまで苛立った自分も不思議だ。
幼馴染のマイクに女らしくないこと、きれいじゃないことで散々馬鹿にされても気にならなかったのに。
一週間たって、ようやく直視できるようになったその笑顔をみて思う。
ああ、この人の前だから。
この人の前で言われたから、あんなに嫌だったのかな。
「とはいえ…さっきいったことは、別にふざけて言ったことじゃない。くれぐれも気をつけてくれよ」
再び、気遣わしげに言われる。
大丈夫、もう笑って流せる。
どうして嫌だったのかがわかったから。
「大丈夫です。ドルトムンダー副団長も全否定してましたし」
「そうじゃない」
「騎士団は統率がとれているとはいえ、男所帯だからな。ボックだけじゃなく、他の奴らにもくれぐれも気をつけてくれ」
君は可憐な女性だからな。
サファイアに射抜かれて、さっきとは別の意味で頬が熱くなるのを感じた。
「ところで」
「しらみってなんだ?」
「…あ」
ドルトムンダー副団長に伝えた話を繰り返すと、ランビック団長も全く同じように頭を抱えた。
「陛下がかわいそうなものを見る目でみていたのはこのせいか!」
ボックやっぱり許さん!
今度は、ランビック団長が廊下中に響きわたる怒声をあげたのだった。
…やっぱり女官長が怒ってるのはドルトムンダー副団長に対してだったのね…。