12
数日後、スタウト王子に再び呼ばれたランビック団長と私が部屋を訪ねると、そこにはすでに客人がいた。
扉の開く音に振り向いたその人は、ランビック団長の姿を認めると破顔する。
「久しいな、アルト」
「ポーター叔父上、お久しぶりです」
ランビック団長と朗らかに挨拶を交わしたその人、ポーター・ローストバーレイは、ぴんと伸びた背筋が印象的ながらもどこか柔らかい雰囲気を持つ人だったが、少し不健康な痩せ方をしていた。長患いをしている影響だろうか。
こうして並んでいるところをみると、事前に聞いていたとおり、ランビック団長とポーター様は明らかに似ていない。
「そして、隣にいらっしゃるのは?」
「はじめまして。ティナ・ウォルターと申します」
団長に続いて挨拶すると、その人は懐かしそうに目を細める。
「ウォルター家の方か。ティアナ殿には世話になったよ。私の妻が、ティアナ殿が作ったポプリが好きでね」
今でも当時のことを鮮明に覚えているような、そんな様子に胸がいっぱいになった。
「スタウト殿下。妻の、エレノアの件で話があると伺いましたが」
「ああ。突拍子もない話である上に、君の妻の名誉を傷つけかねない話なんだが…どうか聞いてほしい」
そうしてスタウト王子は語る。
ランビック団長が幽霊さんに狙われたこと、私ーティナといると出てこないこと、最近ではランビック団長だけではなく、後宮にも影響を及ぼしていること。
ランビック団長と私の共通点から、幽霊さんの正体がティアナか、エレノアではないかと考えていること。
そして、王宮に出現する、という事実からエレノアが最有力だと考えていること。
荒唐無稽だと笑い飛ばされても仕方のない話だと思う。
そして、今も妻を愛するポーター様が、死者に対する侮辱だと怒っても仕方のない話だ。
しかし、彼はそのどれをもせず、静かに聞いていた。
全てを聞いたのち、彼は口を開く。
「それで殿下は、エレノアのどのようなことをお知りになりたいのでしょうか」
「お前は、その幽霊の正体がエレノアだと思うか」
殿下の重々しい問いかけに、ポーター様は苦笑した。
「率直におっしゃいますね。そうですね…夫としては安らかに眠ってほしいと思っているので、否定したい気持ちはあります。たしかに又甥と兄はよく似ていますが、そもそもエレノアは兄に執着する気持ちはないでしょう」
最初こそ、親友であるティアナに纏わり付く悪い虫扱いだったそうだが、彼らの仲睦まじい様子に次第に絆されたらしい。
「私と結婚したのちは、義兄になりますしね。婚約がまとまったのちは、4人でよく出かけていました」
「誰かに、恨まれている様子もなかったのか?」
「たしかにエレノアはあまり素直な質ではなくて、誤解を招きやすい女性ではありました。ですが、周りの人間に恵まれたようで、職場でも楽しく働いていたようですし、何よりティアナがよくフォローしてましたから、殺してやろうと誰かに思われるほど恨みに思われていたとは思えません」
「あとは…婚姻に関して、誰かの妬みを買っていたりは…」
流石に殿下には言い出しにくいと判断したのか、ランビック団長が気まずそうに問いかける。
それにも、ポーター様は苦笑しつつ、否定した。
「それも多分ないな。私もアルトも伯爵家とはいえ嫡男ではなかったから誰かの妬みを買うほどの有望株とはいえないし、彼女たちの家もそれほど大きくはなかった。兄弟揃って当時珍しい恋愛結婚だともてはやされたが、私たち以外にも恋愛結婚した貴族はそれなりにいた。下級貴族なら特にね」
ポーター様はそこまで話し終えると、用意された紅茶を飲み、深く息をついた。
そこには隠しきれない疲労が滲んでいる。
スタウト殿下もそれに気づいたのか、「長々とすまなかったな。ゆっくり休んでくれ」と話を切り上げ、扉の外に控えていた侍従を呼び出す。
完全に手詰まりではあるが、これ以上病人を疲れさせてまで聞くような話はないだろう。
「また何かありましたら、お呼びください」
ポーター様はそう言って侍従の手を借り、ゆっくり立ち上がる。
そして、去り際、誰に聞かせるわけでもなく、独り言のようにぽつりと呟いた声が私の耳に届く。
「もし幽霊がエレノアなら。何かこの世に未練があるのなら。せめて私の前に姿を見せて欲しかったな」
それが、どんな恨み言であろうと気にしない。
まるでそう思っているかのような、寂しげな表情だった。
「手詰まりだな!」
ポーター様が退室された後、王子はソファに深く座り込み、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
表情にはあまり出さなかったが、ランビック団長も同じことを思っているのは明白だった。
「ただポーター殿に嫌な思いをさせただけだった」
「事情は説明しましたし、大叔父もわかってくれるでしょう。エレノア殿の生家の方に伝手はないのですか?」
「エレノアには兄がいて、爵位を継いだんだが、すでに亡くなっていてな。彼女をよく知る者は、ポーター殿以外にもういない」
正真正銘、手詰まりである。
部屋の重苦しい空気を払拭するように、スタウト王子が「そうだ」と徐に私に向き直る。
「そうだ、ウォルター嬢。今日会ってすぐに伝えようと思っていたんだが、色々あって伝え忘れてしまっていた。無事にポプリを受け取ったよ。母もクラリスも喜んでいた」
そう、にこりと微笑みながらお礼を言ってくれた。
「いえ!王妃様方に少しでも気に入っていただけたのなら何よりです」
昨日、殿下の部屋に呼ばれた際に、殿下の侍従に頼み、王妃様に約束していたポプリをお渡ししたのだ。
早速渡していただけたようで安心した。
「あまり満足のいく出来ではなく、申し訳ありませんが…」
「いや、無理を言ったのはこちらだ。だがな、無理を言ってよかったよ」
にこやかに話していた王子は、そこでふと真面目な顔になる。
「やはり、ウォルター嬢のポプリを身につけている間は、幽霊が姿を見せる頻度は減ったらしい」
「ですが、完全に防げるわけではないのですね…」
「ああ。やはり幽霊は変質しているのかもな…」
結論が出ないまま、ランビック団長と王子の部屋を後にする。
王子はこれから神官長、呪術局長と打ち合わせをするそうで、また明日、ドルトムンダー副団長らも交えて話し合おうということになった。
「ポーター様には申し訳ないことをしました」
団長室へ戻る道すがら、思わず言葉がこぼれた。
「私に執着しているだけならまだしも、後宮にも現れたということは国家の一大事だ。大叔父も王家に仕える者としてわかってくれるだろう」
「そうですね…」
そうは言っても、ランビック団長にも後ろめたい気持ちがあるのだろう。言葉は少ない。
「…ティナには嫌な思いばかりさせて申し訳ないな」
そう言って眉を下げて苦笑するランビック団長に胸がぎゅっとなる。
「いいえ!団長のせいではありませんし…それに嫌な思いなんて全然していません」
そうだ、嫌な思いなんて全然していない。
星祭りの夜のことも、一緒に領地へ行ったことも。
そして、一緒に過ごした何気ない毎日が、私にとってかけがえのない思い出になった。
幽霊さんに苦しむ団長に、決して伝えることはできないけれど。
「…君にそう言ってもらえることがせめてもの救いだ。本当に、君に会えてよかった」
真っ直ぐ見つめられてそう言われると、幽霊さんのことを抜きにして、そう思ってくれているのではないかと勘違いしてしまいそうになる。
そのままじっと見つめ合う私たちの視線を逸らせたのは、私でもランビック団長でもなく、こちらに肩を怒らせて近寄ってくる美女の声だった。
「ランビック騎士団長!あなたという方は!真面目な方だと、女を弄ぶような卑劣な方であるはずがないと、一度は見逃して差し上げましたのに…!何も反省されていませんの!?」
青ざめる侍女を従え、激怒している彼女は、それでもなお優雅さを失わない。
きれいに結い上げられたブロンドは一筋の乱れもなく、早足でこちらに向かってくるにも関わらず、そのドレスさばきは見事の一言に尽きる。
「ク、クリスティーナ嬢…」
気圧されるように後ろへ後ずさった団長がこぼした名前を聞いてようやく気づいた。
クリスティーナ・ライト様。
我が国の社交界の華である。
…淑やかな微笑みを浮かべている姿しか見たことがなかったので気がつかなかった。
私の記憶が正しければ、ランビック団長が舞踏会でエスコートした方ではないだろうか。
微かな胸の痛みを覚えつつ、それ以上になぜこの淑女がここまで激怒しているのかが気になる。
「あなた!!」
「はいっ!」
団長にまっすぐ向かっていたクリスティーナ様が徐にこちらへ振り向き、その勢いに思わず仰け反った。
幽霊さんの騒動以来、団長には自分に近づくな、と言っていたとドルトムンダー副団長が言っていたが、それでもやはり私のような女が側にいるのは相応しくないと、そう詰られるのか。
そう思っていたら。
「あなた!もしやこの男にしつこく言い寄られていたのではなくて!?王宮に奉仕している立場から断りづらいのであれば、代わりに私がこの男を告発して差し上げます!さあ!危ないからこちらにいらっしゃい!」
「は、はい…?」
あまりに身に覚えのない話に唖然として何も答えることができない。
とりあえず私に怒っているわけではなく、ランビック団長に怒っているのだと、むしろ私は心配されているのだと分かったが、どうしてなのかが全くわからない。
それは隣にいるランビック団長も同様のようだ。
「クリスティーナ嬢!根も葉もないことを言うのはやめてくれ!私は女性を弄ぶようなことはしていないし、彼女にも…しつこくは言い寄っていない!」
「お黙りなさいな!あなたが嘘をつこうとも、あなたに取り憑いている女性の霊がその証拠!ティアナという者がありながら、あなたが他の女性に現を抜かしていると、そうはっきり糾弾していたではありませんか!」
「だから、身に覚えがいないんだ!女性が取り憑いている理由も、君にそう非難される理由も!」
「よくもぬけぬけと…!」
「ちょっと待ってください!!!」
売り言葉に買い言葉。
クリスティーナ様が連れた侍女もおろおろするほどの剣幕で怒鳴り合っていた二人は、ずっと黙っていた私の大声に、怯んだかのように、同時にこちらを向く。
「初対面なのに不躾に申し訳ありません。クリスティーナ様、団長に取り憑いている幽霊の声を聞かれたのですか?」
「いや、それは他にも…」
と団長が言いかけて気づいたのか、はっと口をつぐむ。
「え、ええ…。あんなに叫んでいるのだもの。今でも忘れられませんわ」
クリスティーナ様も、困って黙っていると思っていた私のいきなりの問いかけに、驚きつつもそう答えてくれた。
幽霊さんの姿を見た人も、その声を聞いた人もたくさんいる。
けれど出会ったときにランビック団長が言っていた。
くすくす笑う声や、ひそひそとしゃべる声が聞こえると。
ヘレス様は幽霊さんに睨まれたと言っていた。
だが、はっきり彼女が何をしゃべっているのか、その言葉を聞いた人はいなかったのだ。
「クリスティーナ様!」
「な、なに?やはりあなたランビック団長に何か…」
「明日、私たちと一緒に殿下のところへ行ってくれませんか!?」
「は、はい…?」
怒り狂ってもなお、優雅さを失わなかったご令嬢は、そこでようやく唖然と口を開けたのだった。