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初投稿です。
このケルシュ王国は、とても平和な国だ。
気候も温暖で、隣国も情勢が安定しており、友好的。
そしてなにより、その平和は王国自体のたゆまぬ努力で保たれていた。
なにより国民を思う王族と。
そして優秀なる騎士団に。
廊下を颯爽と歩いていく集団の中でも一際目をひく黒髪長身の男性。
青い瞳を優しく細める姿は、とても武人には見えないが、服の上から見てもわかる鍛え上げられた肉体が、紛れもなく、彼が武人であることを証明している。
「かあっこいいわねー」
「ほんとにー」
同僚のリオナと二人でうっとりとため息をつくと、前にいたシルヴィにじろっとにらまれる。
「二人とも、仕事中よ。ほらティナ、端のほこりが取りきれてない」
「あ、ほんとだ。ごめんごめん」
いけない。こんな大きなほこりを見逃すなんて王宮に勤める掃除女中として名折れだ。
一生懸命掃いている私とは対照的に、リオナは頬を膨らませる。
「もうー。シルヴィは固いんだからー。掃除女中の私たちが騎士団の皆さんを見かける機会なんてまずないんだから見とれたって仕方ないじゃない」
「それでも仕事中よ」
つんとすましたシルヴィは先ほど見かけた騎士団長とは対照的な淡い金髪の美人だ。
黙っていれば近づきがたいが、中身は意外とフランクだ。
「私筋肉は好きじゃないのよね」
ほら、こんな感じに。
あまりにあけすけな言葉に冷や冷やしつつ、おもわず笑ってしまった。
「シルヴィはたおやかな文官の方が好みだものね。婚約者のエール様もほっそりとしていて優しげな方だし」
からかうように言うと、それまで無表情だったシルヴィの頬がわずかに赤くなる。
「もう、エール様のことはいいのよ。ほら、しゃべってばかりだと女中長に叱られるわ。手を動かして」
はーい、とリオナと二人気の無い返事をしつつ、顔を見合わせて笑う。
真面目なシルヴィが出世頭のエール様と婚約したのは最近のこと。なかなか表にはださないが、幸せいっぱいの時期なのだ。
「シルヴィのことはおめでたいけどーなんだか焦っちゃうわねえ」
さっきまでと打って変わって憂鬱そうなリオナ。
シルヴィはエール様とお昼を食べにいってしまったので、今日のお昼はリオナと二人。最近ではそういうことも増えてきた。
掃除女中として勤務しはじめて早2年。同じ時期かつ同い年で入ったのはリオナ、シルヴィ、そして私ーティナの三人だけで、必然的に三人で一緒にいることが多くなった。
だが、三人とも今年で19歳。そろそろ婚約の話がではじめる時期だ。
「そう?まだそんな焦らなくてもいいと思うけどなあ」
ケルシュ王国の結婚適齢期は長い。貴族ほど早く婚約者が決まるものだが、庶民であれば20代後半に婚姻しても別におかしくはない。
リオナも私もそれなりの家の出ではあるが、まだ焦らなくてもいい気がする。
「もうーティナはのんびりしてるんだから!そんなんじゃあっという間に素敵な男性がいなくなっちゃうよ!」
「そ、そうかな?」
「そうよ!最近立て続けにみんな結婚が決まってるのよ!文官の出世頭もエール様をはじめ、ポーター様、トラピスト様と続々と婚約を発表されたし。騎士団の方だって…」
「そんなに…なんでまた急に…」
「多分、殿下が婚約を発表されたのが大きいわ」
ケルシュ王国のスタウト王子は御年25歳。王太子ともなれば、物心つく前に婚約者が決まってもおかしくはないが、国王夫妻の意向により、彼自身の意思を尊重した結果、最近ようやくこれと思う女性との婚約がまとまったのだ。
そして。
スタウト王子が指示したわけではないのだが、王子を尊敬する家臣一同、自分の未来の主君の婚約者が決まらないうちに己の婚約を進めるなどできないと思っていた節があるようで。
その結果。
「ようやく王子の婚約が決まったから、これで自分もーってみんな続々と発表しているみたいなのよねえ」
「ん?ということは、みんな実は…」
「そう!もうとっくに相手は見つけてて、発表していなかっただけ」
だから、ティナが憧れてるルイーズ先輩もアリア先輩もみんな相手は決まってるよと続けられ、さすがに頬がひきつった。
美しい先輩方ですらまだ婚約者はいらっしゃらないようだし、自分もまだ決めずともいいだろうと思っていたが甘かったようだ。
「それにこの前大きな舞踏会があったでしょ?」
「ああ、私たちが全員熱で寝込んでいた時のね」
貴族も王宮使用人も商家も関係なく、催された先月の舞踏会。
そんな素敵な日によりによって三人とも高熱を出したのは記憶に新しい。
「あのときの舞踏会がね、お見合いパーティーも兼ねてたのよ」
「えぇっ?」
「そこでみんな出会ったみたいでね…。ほら、独身男性の星といわれた騎士団長も、そこでこれと思う女性を見つけたみたいなのよ」
今度こそ、普段二人からのんびり屋といわれる私でも焦りを覚えたのだった。
「はあー」
大きなため息を吐きつつ、灯りの乏しい夜の回廊をまっすぐ進む。
昼間に衝撃の事実を知ったうえに、夜勤に当たるとは運がない。
でも。
「今日は騎士団長さまに会えたしなあ」
ちらっと見かけただけだが、おもわずその姿を思い出してにやけてしまう。
サファイアの瞳に黒曜の髪。騎士団長という厳つい肩書きにもかかわらず、女性の視線を集めてやまないのはその柔らかな笑みだ。
女性はおろか、並みの男性など一捻りだろうに、落ち着きのある優しげな物腰がその恐ろしさをいい意味で消している。
「けど、もうお相手がいるのよね」
いいのだ、それでも。
そもそも騎士団と掃除女中の接点などほぼないし、あったとしても、騎士団長など私には恐れ多すぎる。
遠くから、素敵だな、とたまに見つめられるだけで十分。
「よし」
いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。
思わぬところに出会いがあるかもしれないのだし、もっと前向きにいこう。
気持ちを切り替え、視線を上げたところで、前からくる人影に気づいたので廊下の端によけ、礼をする。
この時間、この廊下を通るのであれば、私よりも上の身分の方々だろう。
掃除女中は空気であれ。
入りたての頃に、女中頭より徹底的に仕込まれたその言葉を今日も忠実に実行した結果、廊下を歩いてきたその人は私の真横を通るまで気づかなかったらしい。
「うわあっ!!!おまえ、やっぱりでたのか!?」
そしてだいぶ驚かせてしまったらしい。
「あ、あのう…どなたとお間違えかわかりませんが…とりあえず多分人違いかと…」
言っている意味はよくわからなかったが、とりあえず誰かに「やっぱり」といわれるほど特定の誰かの前に出現した覚えはなかったので、そうっと言ってみる。
「いい加減にしてくれ!なんでそんなに俺にまとわりつくんだ!俺が何をした!」
…私の言葉は全く聞こえていないらしい。
このまま大きな声で騒いでいては人も集まってくるだろうし、どうしようかと悩んでいたところで、ようやくその人が誰か気づいた。
「え、ランビック騎士団長?」
「ん?俺の名前を呼んだ…?おまえ、いつもの幽霊じゃないのか?」
名前を呼んだことでようやくこちらの声を聞き取ってくれたらしい憧れの騎士団長は、話を聞いてくれたものの、よくわからないことをいってくる。
ので。
「えっと…。いつものかはわからないですけど、とりあえず私は幽霊ではないです」
ただの掃除女中です。と続ける。
そうすると今度はランビック騎士団長が首を傾げる。
「掃除女中…?なんで掃除女中がこんな時間に?」
「ああ、掃除女中も大きな廊下の見回りがあるんです」
掃除女中の朝は早い。王宮に勤める人々の誰よりも早く起き、夜に粗相をした人たちの後始末をする。
主に酔っ払った貴族の。
「けど、それだと夜の間に廊下が汚れてしまった時に、気づかずに踏んでしまってすべって転んでしまう可能性があるでしょう?そのために、掃除女中も当番制で見回りしてるんです」
そこまでする必要はあるのかと言いたげな顔をしているが仕方がない。
その転んでしまった人はこの国の王様なのだから。
「とにかく、驚かせてしまって大変申し訳ありませんでした」
「あ、いや…勝手に驚いたのは私だからな。君に落ち度はない」
「そういっていただけると助かります」
さっきまで様子がおかしかったけれど、やはりランビック騎士団長は優しい方だ。
ちょっとまだ顔が青いけど。
「それでは、失礼いたします」
憧れの人と人違いとはいえ、思いがけず話すことができ、嬉しかったけれど、これ以上は分不相応だ。
色々聞きたいことはあったが、せめて図々しい女と思われないよう、シルヴィを見習って颯爽と辞す。
否、辞そうとしたが。
「えーっと」
「あ、すまない」
ぱっとつかまれた腕を再びぱっと離される。
「なにか、ございましたか…?」
「君は…王宮を夜歩くことには慣れているのか?」
ひどく言いづらそうに問われたので、首をかしげる。なんでそんなこと聞くんだろう。
「ええ、まあ…。定期的に夜当番がありますから、掃除女中になったときに、夜でも王宮を淀みなく歩けるように仕込まれてます」
そう答えると、騎士団長のサファイアの瞳がきらめいた。
「大変…大変情けない頼みなのだが…!」
私を騎士団長室まで送ってくれないだろうか!と絞り出すような声で懇願されたのだった。
「…理由は聞かないのか?」
「いえ…騎士団長さまともなれば、一介の女中に話せないご事情もあるでしょうし…」
「いや…そんな大層なものではないのだが…」
気にならないかと言われれば嘘になるが、先ほどから説明しようかしまいか唸っている人に無理強いするほどの必要性は感じない。
そもそも、私は使用人の立場なのだし、そんなこと気にしなくてもいいのに、律儀な人だ。
ふふっとおもわず笑みがこぼれてしまうが、唸っているランビック騎士団長には聞こえなかったらしい。よかった。
「非常に情けない話なのだが、聞いてくれるか」
よし、と顔をあげたランビック騎士団長に問われる。
「ええ、もちろん」
問われた私も、真面目な顔でうなずき返す。
「実はな…」
騎士団長室に向かうまで訥々と話されたその内容は、本人が言うような情けない話というよりも、どちらかといえば突飛ともいえる内容だった。
「俺には、ある日から女の幽霊が取り付いているんだ」
「幽霊…ですか?」
「ああ」
重苦しいその様子は、とても嘘をついてるようには見えない。
「あれはちょうどスタウト王子の婚約が決まったあたりからだ。それまで俺は、夜まで執務室にこもったり、書類仕事がないときは、訓練所で身体を動かしていたんだが…」
いつの間にか女性の幽霊がひっそりとそばにいるようになったらしい。
「どこでも?」
「どこでも」
「例えばお風呂とか…」
「少人数でいるときは風呂でもどこでも出てくる。さすがに大人数でいるときはないがな」
お風呂にまで出てくるとはなかなか大胆な女性だ。
「何か実害はあるんですか?」
「基本的には、ひっそりその場に立っているか、くすくす笑っている声やらひそひそしゃべっている声が聞こえるだけだ。それでも十分不気味だろ」
「まあそうですよね…」
日が落ちて、次に日が昇るまでずうっとそばにいるらしい。
それはさぞかし視線が気になることだろう。
「俺も曲がりなりにも騎士団だからな。周りの気配には心を配っている」
それなのに。
気配を感じたら彼女を発見するわけだ。
「しかも彼女はこちらの生気かなにかを吸っているらしく、現れるたびに体調が悪くなるんだ。肩がこるとか、頭が痛くなるとか、ささやかなものだが、ずっと続くと不快でな」
「それはやっかいですね…」
夜に身体を休めることもできないわけだ。
「見兼ねた陛下が、神官長と医局長、さらには呪術局長に頼んでくれてな、自室と執務室は神のご加護やら心の休まるハーブやら、怪しげな呪術道具やらの最早どれが効いてるかわからない謎の結界によって守護されたから現れなくなったんだが…」
さすがに王宮全体にそれをやることはできなかったのだそうだ。
まあ、そもそも王宮に幽霊が現れるという話も、噂程度ならまだしも現実にあることとして大っぴらにはできない。
「情けない話だが、普段夜廊下を歩くときは部下に付き添ってもらっているんだ。しかし、今日に限っては急に隣国の大使に呼ばれてな…やむをえず一人歩きに…」
「?幽霊さんは、少人数でいるときも出てくるんですよね?」
「出てはくるが、一人のときよりは頻度が少ないし、それになにより…」
一人でいるよりは気が滅入らずにすむ。
そこまでいってランビック騎士団長は再び大きなため息をついたのだった。
「着いたな」
騎士団長の自室の扉が見えてきた。
歩みを止めると、ランビック騎士団長は私に向き直る。
「本来であれば、私が女性を送る立場だというのに…誠に申し訳なかった。仕事の邪魔までしてしまって…女官長には私から取りなしておこう」
「いえ、お困りなのですし、お気になさらず…。それにそういっていただけると私も助かります」
私にしてみれば憧れの人と二人きりで話すことができたのだ。
サボっているといわれても仕方ないのに、さらに取りなしてくれるとはありがたい以外の何物でもない。
「そういえば、恩人の名前を聞いていなかったな。もう知っているかもしれないが、私はアルト・ランビックだ。王国第一騎士団の団長をしている。君の名を聞いても?」
「あ、失礼致しました。ティナ・ウォルターといいます」
「ウォルター嬢、本日は助かった。大変申し訳ないのだが、今日のことは…」
「もちろん、誰にも言いません」
騎士団長の弱みなんて、おいそれといっていいことではないだろう。
こくこくと頷くと、あの素敵な笑顔を向けてくれる。
他の誰でもない、私に。
「君には何もかも助けられてばかりだな。仕事は夜中続くのか?」
「はい、その代わり、明日はお休みなんです」
「そうか…。私がえらそうにいえたことではないが、気をつけてな」
「は、はい。ランビック騎士団長も、お部屋ではゆっくりお休みください」
「ありがとう」
がちゃんと重厚な扉が閉まる。
「不謹慎だけど」
ありがとう幽霊さん、と思ってしまった。
「いけないいけない、ランビック騎士団長はあんなに困っているのにね」
さて、まだ朝は遠い。
仕事に戻らないと。
けれど、普段は憂鬱な夜当番が、今日はとても素敵で特別な仕事に思えたのだった。
「団長、昨日は侍従に送ってもらったんすか?」
「いや…頼めそうな侍従がいなくてな…一人で帰ったよ」
俺が幽霊に取りつかれていることは、うっかり遭遇してしまった第一騎士団の連中と相談した陛下、神官長、医局長、呪術局長、そしてクリスティーナ嬢しか知らない。
いや、昨日もう一人増えたな。
「え、そしたらあの女幽霊と二人っきりで王宮の廊下を歩いたんすか!?」
「やめろ」
副団長を務めるボックは言葉こそふざけた調子だったが、顔は真剣だった。
「肩とか揉みます?」
「いや、いい。幸運なことに掃除女中の女性に会ってな。例の彼女に遭遇せずに無事に部屋に帰宅できたよ」
「え、女中と二人きりで…?」
ひきつるボックの顔を見て、慌てて言い訳をする。
「彼女は仕事中だったし、二人きりでもやましいことはなにもない。それに口の硬そうな女性だ」
「いや、そうじゃなくて」
手をぶんぶんと振るボックの意図がわからず、首をかしげる。
「二人で帰って幽霊見なかったんすよね?」
「ん?そうだが」
「俺と二人で帰った時は?」
「見かけたな」
「クリスティーナ嬢をエスコートしてるときは?」
「見かけたな。むしろお前と二人の時より必死の形相ででてきた」
「それで昨日は?」
「…一度も見かけなかったな…」
そこでようやく、俺も唖然としてボックと顔を見合わせた。
「ティナー今日はなんかご機嫌ね?夜当番のときはちょっと落ち込んでたのに」
「ふふ、ちょっとね」
昨夜のことは、ランビック騎士団長との秘密だからいくらリオナでも話せない。
話せないのなら態度に出すべきではないと思うのだが、どうしても気持ちがふわふわしてしまうのだ。
「にしてもほんとすごいわよねー。私夜当番とか怖くて絶対無理」
「そう?王宮内は治安もいいし、夜とはいえ、掃除女中に手を出す人はいないわよ?」
「そっちじゃなくてぇー…幽霊とか」
「幽霊?」
なんともタイムリーな話題だ。
リオナはこそこそと続ける。
「王宮って、ドロドロしたこと結構あるじゃない?だからね…幽霊が出るっていう話もたくさんあるのよ…」
私ほんとにそういうの無理。と顔をしかめる。
「うーん…私は幽霊みたことないしなあ」
「まあ、私もないけど…」
そういう問題じゃないのよお、と口を尖らせたリオナを見て、かわいいなと思う。
幽霊か…結局ランビック騎士団長と一緒だったときですら会えなかったしなあ。
「けどティナが夜当番引き受けてくれてるからみんな助かって「あー!!魔除け女中!!!」」
リオナの言葉がものすごく大きな声で遮られた。
魔除け女中?
女中の休憩室なのだから、周りも女中だらけで、みんな誰のことかときょろきょろしている。
しかし。
その大声の主はまっすぐ私たちの方を見つめてずんずん歩いてきた。
「ちょ、あれドルトムンダー副団長じゃない?あんたなにしたの?」
「え、私?リオナに用じゃなくて?」
「どう見てもティナの方見てるじゃない!」
信じたくなかったが、リオナの言う通り、ドルトムンダー副騎士団長は私の目の前で足を止めた。
「ちょっと顔貸して」
「えっ!?」
唖然としたリオナをはじめとした女中仲間に見送られながら、私はほぼ初対面のドルトムンダー副団長に引きずられたのだった。
それにしても。
魔除け女中って私のことなの…?