二章 父から子へ
「失礼いたしまする」
障子越しに声をかけると、中から
「入りなさい」
と、返事があったので、すっと障子を開けて中に入り、またそれを閉める。
「これにて、失礼いたしまする。今回のことは、誠に申し訳ございませんでした」
頭を下げる龍炎(元・晴明)に、天明(前・当主)はこう言った。
「うむ。分かっておるならそれで良い。それ以上、そのことについてはもう何も言うことはないであろう。それよりも、龍炎」
「はい、父上」
「帝をお守りするのが、安倍の家に生まれたものの務め。そのお守り役が、お前のような人外の姿をしておるようでは、廻りの者たちに示しがつかん。
じゃから、わしは家督をお前ではなく、兄の水明に譲ることにしたのじゃ。」
「はい、分かっております」
「水明は、二代目の安倍晴明になり、帝のおそばで帝をお守りする。そして、お前は、これからはこの京の都を守るのだ」
「この京を、私が?」
「そうだ。京の都に住む人々を守ること、これこそが、都を守ることなのだ。
都に住む人々がいて初めて、都は成り立つ。
都が成り立っての帝だ。分かるな、龍炎?」
「なるほど……。京の都を守ることが、帝をお守りすることにつながるわけですね?」
「そう言うことだ。二代目の晴明は表から京の都を守る。龍炎、お前は裏側から都を守ることを心がけてほしい。
そのためには、この安倍の名前が邪魔になるときがあるやも知れぬ。わしの勝手な願いではあるが、わしの後を継いで表に出る晴明のことも考えてのことじゃ。すまぬ、龍炎。安倍の名前を捨ててくれ」
息子の前で頭を下げ、畳に両手をついた天明の目から、ぽたぽたと涙の雫が墜ち、畳を濡らしていく。
父の意図を理解した龍炎は、きっと唇を一文字に結ぶと、畳の上の父の手をとった。
「顔を上げてください。父上、いえ、天明様。私の名は龍炎。ただいまより、この安倍の家とは、縁もゆかりもない存在にございます。
長い間、お世話になりました。お幸せに暮らされますことを祈っておりまする」
一礼して、部屋を出ようとする龍炎の背中に、天明が声をかけた。
「そうじゃ、龍炎。鉄庵先生の所に、礼を言いに行きなさい。
それから、もし何かあれば、あの人に相談するが良い。
色々と頼んでおいたからな……」
寂しそうな天明の言葉には振り返らず、龍炎は答えた。
「有り難うござりまする、天明様。すぐにでも鉄庵先生の所にはご挨拶に行って参ります。
それでは、ご免くだされませ」
障子が閉まり、龍炎の陰が消えた後も、しばらく天明は、その障子を見つめていたままだった。