一章 家督相続のこと
晴明が人魚の毒に倒れ、銀髪、左赤目になった次の日の昼食の後。
安倍家の当主、初代晴明は、長男の水明と、次男の二代目晴明を自分の部屋に呼んだ。
「お呼びでございますか、父上」
「何事でござる?」
二人は、父の前に座り、丁寧に頭を下げた。
「うむ……」
腕組みをして、じっとしている父親の様子に、じれた晴明が、床をバン、とたたいた。
「呼びつけたからには、何かご用がおありなのでしょう? 早う仰ってくだされ!!」
そう言われた父は、腕組みを止め、手を膝の上にぽん、と置くと、低い声でこう言った。
「今日をもって、家督を、水明、お主に譲ることにする」
「!」
「!!」
その言葉を聞いたとたんに、二人の顔色が変わった。
「兄上が! それは良きことにござりまする! 父上、ようご決断くださった! 兄上、おめでとうござりまする!」
家督を兄が継ぐことになった、と言う父の言葉を受け、晴明は、兄・水明の手をとって喜んだ。
「父上! 私には安倍の家の当主など務まりませぬ! 当主は、名前を継いだことで、晴明が継ぐのではなかったのですか!!」
晴明が喜びを隠しきれないでいるのと反対に、水明は、家督を譲る、と言う父の言葉に戸惑っていた。
「何を仰います、兄上。ワシより、兄上の方がこの家の当主にふさわしいと、この屋敷の皆が思っておりますぞ! ワシがこの家を継いだりしたら、皆おらんようになってしもうて、この屋敷がもぬけの空になってしまいまする!」
そう言って高笑いする晴明を見て、意気消沈する水明を見て、父の晴明がこう言った。
「その、名前のことだがな、二人とも」
「ははっ」
「何でしょうか」
父、晴明は低い声で続ける。
「わしは家督を譲るのだから、陰陽師としても引退をする。今日よりわしは天明と名を変える」
「父上……。」
「それから、水明。お前がこの家の主になるのだから、お前が『晴明』を名乗るのじゃ」
「しっ、しかし、それでは晴明が……。」
「良い。お前が晴明を名乗れば、それで良いこと。ワシがこの家の当主として、お前に出す最後の命じゃ。このことに否やはないぞ」
「は、ははっ……」
水明は、一瞬だけ不服そうな顔をしたが、真っ直ぐに自分を見つめている父には逆らえなかった。
「で、晴明。」
「ハイ、何でございましょうか、父上」
「お前も名前を変えよ。今日より『龍炎』と名乗るが良い。幼き頃より龍の息子とあだ名されてきたお前に似合いの名前であろう」
「ははっ。ありがたきお言葉……。我が名、龍炎とな。おォ、なんとすばらしき名前か……」
嬉しそうな晴明に、父はこう続けた。
「晴明、いやさ、もう、龍炎か。お前は、今日よりこの屋敷を出て、一人で暮らすのじゃ」
「ははっ。え、えっ?」
一瞬の沈黙の後、水明が叫んだ。
「父上、それはどういう事でございますか!」
父・天明は、水明(二代目晴明)を睨み返す。
「どうもこうもない。この男は、昨晩、帝の前で失態を犯した。それだけではないぞ。見よ、この髪の色を。そしてこの目じゃ。こんな人外の姿に成り果てた者なぞ、この安倍の家にはいらぬ!」
「父上! しかし、それは晴明の失態ではなく、口にした毒のせいでは……」
食い下がる兄をなだめるように、兄の着物の袖口を引っ張る。そしてそのまま龍炎(元・晴明)が、父に向かって深く頭を下げ、詫びの言葉を口にした。
「兄上、良いのです。父上の仰るとおりです。昨晩のことは、全て、私の失態でございます。人魚の毒を甘う見ておりました。
このような姿になってしまい、どう詫びて良い物やら、言葉がございませぬ。仰せの通り、すぐに支度をいたしまする。」
「父上! 晴明!」
あまりの仕打ちだと思ったのだろう、晴明は目に涙を浮かべていた。
だが、父も、弟も、何も言わないままでいる。
それどころか、父は、涙目の晴明に淡々とこう告げた。
「何をしておる、晴明。お前は、この家の主だろう。やることがたくさんあるはずじゃ。ボーッとしている暇はないぞ!」
それを耳にした晴明は、何かにはじかれたように、自分の部屋に戻った。
もう一度、父は龍炎に声をかけた。
「この家を出る前に、ワシの部屋に来なさい。少し、話したいことがある」
「分かりましてございます。しばし後に、お伺いいたしまする」
頭を下げた龍炎は、父の部屋を出て、自分の部屋に戻ると、支度を始めた。
持って出るものといっても、身の回りのものと、いくつかの道具だけ。そんなにたいした荷物ではない。