序章 龍炎 誕生 6
帝を睨み付ける、晴明の両目は、右と左で色の違う物になっていた。
銀髪になってしまっただけではなく、左目まで変化した事実を、晴明は、帝の反応で悟った。
「この目のことも、内密に。では……」
自分が頼んだ駕籠が来る前に、晴明は意識を失った。
前に崩れるように、倒れてしまったのだ。
慌てたのは、帝と、周りにいた者たちだが、言われたとおりに駕籠を用意し、とにかくそれに晴明を乗せ、屋敷に送る届けることにした。
また、帝は急いで短い文をしたため、晴明の胸元にそれを差し込んでおいた。
このことを見た者は全て、帝より箝口令を直接出された。
自分が思っていたよりも、早い時間に、屋敷の門の前で物音がするのに気がついた当主と、晴明の兄とが、門の所にやってきた。
「おや、コレはご苦労様でございます」
と、駕籠かきに、当主は頭を下げる。
そして、懐から小銭入れを取り出すと、駕籠かきに駄賃を渡した。
「全く。晴明のヤツ、駕籠に乗せてもらわねば帰ってこれぬほど、酒を飲みおったか。仕方のないヤツめ。帝の誘いを断り切れなかったと見える。」
そう言いながら、兄は駕籠を開けると、中に座っている(というか、座らせられている、と言った方が正しいが)晴明を引きずり出そうと手を入れた瞬間に、違和感を覚えたらしく、その手を引っ込めた。
「父上……」
自分に問いかける息子の目を見て、当主は静かに頷いた。
そして、駕籠かきたちに再び頭を下げる。
「誠にお手数をおかけいたしました。コレよりは、屋敷のもので対処いたします故、今宵はこれにて、お引き取りくだされたく。
あ、それから、このことはご内密にな……?
帝には、よォくお礼を申し上げてくだされ。
それと、晴明がご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした、と」
そう言うと、当主は兄に目で合図をして、駕籠の中に座っている晴明を引きずり出した。
そして、屋敷の中の人々に手伝ってもらい、彼を屋敷の中に運び込んだ。
駕籠かき人足たちは、役目が終わったので、一安心だった。
怒られるどころか、丁寧に頭を下げられ、しかも行き帰りの駄賃まで貰えたのだから、ホクホク顔だった。
二人は屋敷に入ると、布団を敷いて、寝かされている晴明を見た。
「父上、医者を……」
「うむ、この時間だが仕方ない。鉄庵先生に来てもらおう」
当主の指示を受け、屋敷のものがひとっ走りすると、ただならぬ様子を察知したのか、医者の鉄庵が屋敷まで飛んできた。
「何事でございますか、晴明様?」
鉄庵は、当主のことも、晴明と呼んでいた。
そう言いながら、鉄庵は、寝かされている方の晴明を見て息を呑んだ。
「こ、これは……」
当主は、鉄庵が来るまでの間に、晴明の顔や髪を触り、そして、身につけているものも触った。
晴明が見たものや触れたものが残している『残留思念』から、何かを読み取ろうとしていたのである。
今で言う、『サイコメトリー』のような能力を持っていたのであろうと思われる。
それと前後して、兄は晴明の着物の胸元に手紙が差し込んであることに気付いた。
「父上、これが……」
晴明の身体に残っていた思念と、帝からの手紙で、なんとか事情を把握することが出来た当主は、まず鉄庵にこう頼んだ。
「鉄庵先生、息子のこの状態は、なにとぞ内緒にしておいてください。先ほど、息子は帝のお屋敷から戻ってきたのですが、どうやら帝は『人魚の肉』を用意していたようで……」
その説明を聞いて、納得したのか、鉄庵は話をしながら薬箱から色々取り出していき、なにやら調合を始めた。
「なるほど、左様か。分かりました。それで説明がつきますな、晴明殿の髪の毛の色といい、この様子といい……。」
鉄庵が急いで調合を終え、できあがったのは、色鮮やかな緑色の液体であった。
「まぁ、これを飲んで、一晩寝ておれば、少しはマシになりましょうて」
そう言いながら、鉄庵はその緑色の液体を吸い口に移した。
兄は、晴明の身体を起こし、自分の膝をその背中に潜り込ませ、どうにか座った格好を作ると、鉄庵から吸い口を受け取り
「飲むのじゃ、晴明。鉄庵先生特製の薬じゃぞ?」
ゆっくりと、兄は晴明の口の中に緑色の液体を流し込んでいく。こく、こくっ、と晴明ののど仏が動く。
しばらく後、晴明の目が、カッと開いた。
「ぬはぁッ!? 何じゃぁ、これはぁッ!?」
つい先ほどまで意識を失っていたとは思えぬ、大きな声と激しい動き。
のたうち回る晴明を見ながら、鉄庵は静にこう言った。
「それだけ動けたら大丈夫でございましょう。何しろ、人魚の肉という、強い毒に対抗できるだけの強い毒消しを作りましたからな。晴明殿、ご安心なされよ」
そう言われた晴明は、喉をかきむしりながら鉄庵に罵詈雑言を浴びせた。
「やい、このヤブ鉄! クソまずい薬を飲ませやがって! この俺様が毒に勝てなかったらどうするつもりだ!?」
「おや。『竜の息子』ともあろうお人が、その程度の毒に勝てなかったら、等と仰るのですか? まぁ、それなら仕方のないこと。万が一、晴明殿がワシの薬を飲んでも、その毒に負けることがあれば、お詫びにワシの首を差し出しましょうぞ。晴明殿の墓石の前に、ワシの首を供えるよう、家の者には伝えておきます故な」
涼しい顔をして、そう答える鉄庵に、兄がこう言った。
「鉄庵先生、そのようなことを軽々しく約束成されて、大丈夫か!?」
「心配は無用じゃ、水明殿。ワシの薬は、ただの助け。もともと、毒に打ち勝つ力を晴明殿はお持ちのハズですからな?
あァ、そうそう、晴明殿?」
「何だ、ヤブ鉄!」
「晴明殿の命に、ワシの首をかけましたが、逆に、晴明殿が毒に打ち勝ち、お元気になられたら、ワシには何か良いことがありますでしょうかのぉ?」
意地悪く笑いながら、鉄庵がそう問いかけると、晴明は息を吐きながら、こう答えた。
「ちッ。そのときは、てめェの言うことァ、何でも聞いてやるッ!」
「それを聞いて安心いたしましたぞ。
では、お元気になられた折には、ワシの所へおいでくだされ。今度は間違いなく、美味い茶をごちそういたしますでな?」
言い終えると、晴明にはくるりと背を向け、当主と兄に、頭を下げた。
「今、晴明殿に申し上げた通りじゃ。晴明殿の気持ちが折れねば、明日の朝には元気になっておられよう。
では、ご免くだされ」
と、鉄庵は屋敷を後にした。
晴明は、わめきながらのたうち回ってはいるが、鉄庵が薬を飲ませてくれた以上、もうどうすることも出来ないと、当主と、兄も諦めて、自分の部屋で床につくことにした。
次の日の朝、寝付きが悪かったせいで、いつもよりも遅い時間にしか起きられなかった当主と、兄・水明は、昨日までよりも元気そうに朝飯をほおばっている晴明の姿を見て、二人揃って腰砕けになっていた。
「何をしておる、父上、兄上。召し上がらぬのなら、俺が戴いてしまうぞ? 何しろ、昨晩はほとんど何も喰っておらんに等しいのだからな……」
そう言って高笑いする清明ではあったが、左目と髪の毛の色までは、元に戻ることはなかった。