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6 決着、五十年前の少女と。そしてご機嫌とり

「ようこそいらっしゃいませ」


 カウベルを丸くしたような呼び鈴を鳴らしたら、鏡の向こう側の自分を無くしたオデットが何事もなかったかのように一人で出迎えた。


「まあサンドさんキムさん、お久しぶり」


 マダム・カーレンは穏やかな笑顔で二人を出迎えた。


「しばらくお顔を見せなかったから、何かあったのかと心配いたしましたわ」


 Gはやや苦笑する。何かあったことはあったのだが、その元凶に言われたくはない言葉だ。


「それで今日はどうしましたの?」


 Gはちら、とグランドピアノの上に視線を渡す。先日彼女に渡した人形が、ちょこんとその上で行儀良く座っていた。


「実は、宝石が見つかりまして」


 Gは話を切り出す。すると老婦人の顔色が変わった。


「何ですって、宝石が見つかったって言うの?」


 マダム・カーレンは普段より1オクターブ高く声を張り上げた。二人はうなづく。


「そんな馬鹿な…」

「そんな馬鹿な、とおっしゃられても」


 キムはポケットから小さな小箱を取り出してうやうやしく彼女の前に置いた。マダム・カーレンは箱をこわごわ開く。そこには彼女の大きな緑のキャンデーがあった。


「ちゃんと、あなたの… いえ、『赤い靴』の首領たる紋章も入ってますよ」

「そう」


 マダム・カーレンはゆっくりと立ち上がり、手を伸ばし、キムからもらった人形を胸に抱いた。


「本当に人形がお好きなんですね」

「ええそう。人形は大好きよ」

「そうですね。それが殺人人形でも」


 その言葉が合図だった。

 白いスカートがふわり、とその場に舞った。

 殺人人形は、隣室に居た。細かい響きを床に立てながら、両手の甲から鋭い刃を飛び出させる。言葉の主に向かって襲いかかる。

 対するGの動きは素早かった。既に銃が手の中にはあった。引き金を引いた。

 どさり。

 首に命中。オデットはその場に落ちた。

 閉じることを忘れたその湖のような青の瞳は光を無くし、落ちた拍子に右の腕が妙な方向に曲がっていた。

 生々しいまでのコードが撃たれた首の中からはじけている。

 そんな少女人形の姿を見て、死ぬ時まで線対称かよ、とGは吐き気にも似た不快感を感じた。 


「オディールはもう先に行って待ってますよ」

「知っていたわ」


 穏やかで少女趣味の抜けない老婦人の姿はもはや無かった。反帝国組織「赤い靴」の首領だった。

 例え彼女が未だ人形を抱えていたとしても。


「本当に人形がお好きなんですね」


 Gは先刻と同じ言葉を口にした。マダム・カーレンはええ、とうなづいた。ただ言葉はそれだけでは済まなかった。 


「人形はとても好きよ。こんなビスクドールも、生体人形も」


 ちら、と彼女は壊れた少女人形に視線をやる。そこには特に感情は見受けられなかった。


「だけど私が本当に欲しかった人形は、たった一つだけよ」


 がたん。

 椅子の音。

 それまで悠然と座っていたキムは立ち上がった。いつもの笑いがその表情からは消えている。

 Gは一瞬気を取られていたことを悔やんだ。銃が。

 人形の中に仕込まれていた。

 だがキムはそれが目に入らないように、彼女の方へとふらふらと近付いていく。

 そして。



「やっぱり君だったんだ」


 その言葉は、Gを驚かせるには充分な威力を持っていた。やっぱり?


「信じたくはなかったけれど」

「私も信じられなかったわ」

「俺はあの時の女の子は幸せになったと思ったけれど」

「あいにくそうおとぎ話のように事は運ばないのよ」


 そうだね、とキムはうなづいた。


「全てがめでたしめでたしだったら、世界はとっても簡単だよね」

「その通りよ」


 Gはその時ようやく理解した。半世紀前の少女が、そこには居たのだ。


「でも世界はとっても複雑だったわ」


 マダム・カーレンはその手の銃の照準を、キムの右胸にぴったりと合わせていた。レプリカントの急所だった。


「よしてよ」


 キムはぽつりと言った。


「君にそんなことができるなんて俺は思いたくない」

「思いたくないのはあなたの勝手よ」


 銃声が響く。プラスタの熱戦は、キムの栗色の髪を数本散らして、後ろの壁に穴を開けた。


「だけどずっと、あの頃の君は幸せそうに見えた」

「そうよ、確かにね。スワニルダに居る時の私はずっと幸せだったわ。だけどその後はひどかった。父が事業に失敗した後、コッペリアに移った私達を待っていたのは、ひどい差別だったわ」


 そんなものがあったのか、とGは驚く。


「綺麗な坊や。そんなことも知らなかったって顔しているわね。ええそうよ。確かにコッペリアに住む人々の方が、スワニルダに住む人々に比べ、裕福ではないわ。だから逆に、スワニルダで失敗した人間は、コッペリアに住む人間にとって、侮蔑の対象となるのよ!

 私達にはろくな職も与えられなかった。やがて父は行方をくらまし、母は過労で早く世を去ったわ。私は郊外のクラブで男の相手をして生活をしていた」

「嘘だ」

「嘘じゃないわ」


 そう、嘘ではない、とGは感じていた。彼女の言葉には真実の持つ重みがあった。

「そこで夫と出会ったのよ」

「先の『赤い靴』首領の…」


 キムの語尾が震えていた。まずい、とGは身体を警戒体制に持っていく。


「ええそう。これは闘争の日々の末、出会ってから二十年目に結婚式を上げた時、彼が私にくれたものだわ。そしてこれが『赤い靴』の首領の印でもあるのよ」

「じゃどうしてそんなものをオディールに呑ませて」


 Gは口をはさんだ。


「呑ませた訳じゃあないわ」


 彼女は苦笑する。


「これは本当に、あの子がキャンデーと間違えて呑み込んだのよ。隠し場所としてはちょうどいいから、そのままにしておいたわ。可哀想な子。急所をつかれない限り、決して見つかるはずはないと思ったんだけど」

「だけどその大切な人形を、殺人の道具に使っていたのはあなただろう!」

「ええそうよ坊や。私が欲しかったのは、たった一つの人形だけなのよ!」


 叫ぶや否や、彼女の手は器用にも、銃を持ったまま、ビスクドールの手足をつかみ、ぐり、とそれを強くひねった。

 あ、とキムは小さく叫んだ。老婦人とは思えない力だった。


 足が取れる、手がもげる!


 陶器のこすれあう音が、容赦なく二人の耳に飛び込んできた。


「ずっと、あのレプリカントが欲しかったわ。スワニルダの、あの幸せな日々に眺めていた、眠る人形を」


 彼女は動けないキムに手を伸ばす。

 片方の手からは、手足をもがれた人形が、ばらばらと床に落ちていく。

 両手がキムの頬にかかる。それでも彼は動けなかった。


「何でこの組織を私達が『赤い靴』って名付けたか判る?」

「赤い靴は、魔法の靴だ。履いた少女がどうなろうと、死ぬまで踊りつつけようとする『死の舞踏』のための靴だ」


 動けないまま、キムは彼女に答える。


「そうよ」


 マダム・カーレンはうなづいた。そして彼女のずっと手に入れたかった人形に、手を回した。

 銃が、その手から落ちた。


「つまりそれは、止まることができない、ということなんだね」

「そうよ。誰も、止めることはできないわ。あなたの大好きな蒼の女王ですらね。既に私達は次の段階に進んでいるのよ」

「そう」


 キムの声は、ひどく平面的にGには聞こえた。

 視線は床に落ちた人形に向けられる。迷う。銃を手にはしているが、このまま撃てばキムにも当たる。

 そもそも当のキム自身が、何を考えているのかさっぱり判らない。

 「赤い靴」首領は、まるで自分の役割も何もかも忘れてしまつたかのように、彼女のずっと求めていた人形を、あのビスクドールと同じようにいとおしげに抱きしめている。

 Gの存在など、当の昔に何処かへ消え失せているかのようだった。どうしたものか、と彼は思う。

 だが。

 くぉ、と喉の奥で絡まったような音。

 Gは我に返った。目前の光景に息を呑んだ。

 老婦人の背から、光が飛び出していた。

 喉に絡まった声は、ほんの数秒で、弱々しくなり――― 程なくして消えた。

 ずる、とその身体は次第に床に落ちていく。

 レーザーナイフが、老婦人の背を貫いていた。

「キム―――」

「あのね、G」


 ゆっくりと崩れ落ちていく彼女に視線を落としながらキムはつぶやいた。


「俺はあの時、それでも呼んだんだ。答えてくれれば何としても動いたかもしれない。俺だって自分の再起動のさせ方くらい知ってる」


 淡々とそう言いながら、老婦人の遺体ではなく、手足をもがれ、転がされている人形の方へとひざをついた。


「だけど彼女は答えなかった。聞こえてはいたはずだよ。そのくらいは判るんだ」

「…」

「答えてくれたのは、Mだけだった」


 彼は人形の欠片を残らず拾い上げると、居場所だったはずのグランドピアノの上に乗せた。


「なあG、お前、限定爆破の方法は知ってるよな」

「あ? ああ」

「じゃあさっさと仕掛けて帰ろうや」


 キムは淡々と言う。

 だがその顔には、いつもの笑いは浮かんではいなかった。 


   *


「それにしても」


 報告がてら、二人は「今回は」ロートバルト伯爵と名乗っていた彼らの同僚の館へと顔を出した。


「そのマダムの言い方は気になるね」

「あ、やっぱりそう思いますか?」


 Gは出された紅茶に感心しながら問い返す。伯爵は重々しくうなづくと、穏やかな目にやや鋭い光を宿した。


「次の段階か。手を組んだかな」

「手を組んだ、と言うと」

「SERAPHだよ」


 彼は遠い景色を見るような目になる。SERAPH、とGは口の中で復唱する。反「MM」組織。キムの言うところの「とっても心正しい集団」。


「気にはなりますね」

「全くだ」


 伯爵はそうつぶやくと、お茶のお代わりはどうか、とGに訊ねた。いただきます、と彼は答えた。


「ところで何だ、あの可愛い子は元気がないね」

「ええ。でも仕方ないような気がします」


 ああ駄目駄目、とその途端、伯爵は彼の目の前で手をひらひらと振った。


「駄目?」

「それは、君がそう推し量れるものじゃあない。そうすることは彼に対して失礼だ」

「でも伯爵」

「彼なら大丈夫さ。だてに長く生きてきた訳じゃあないんだ」

「生きてきた」


 確かにそうだった。彼の生きてきた年数と、その間の出来事は、この時のGには想像のできないものだった。


「とりあえずは、いつも通りにするしかないんだよ」


 そうですね、と彼はうなづき、お茶のお代わりを受け取った。



 待ち合わせはオープンカフェの窓際の席だった。

 Gは紅茶を注文すると、途中のスタンドで買った新聞を開く。公的な紙の上の世界は今日も何事もなく平和だった。

 と、不意にテーブルが軽く振動した。

 待ち人が来たのだろうか、とその時は思った。だが。


「よお」


 真っ赤な髪がぬっと新聞の向こう側に見えた。悪寒が走った。慌てて顔を上げる。

 私服のコルネル中佐がそこには立っていた。

 トレードマークの真っ赤な髪を火の様に立て、怪しいを図にしたような丸いサングラスをかけ、シガレットをくわえたまま、悪趣味を構図にして混乱という絵の具で描いたらこうなるのではないか、と思われる柄のぴったりとしたTシャツ、両手には棘のついたリストバンド、そして足にはぴったりとしたモノトーンの花柄のスリムパンツ、そして何故か裸足に赤い鼻緒に黒塗りの下駄を履いていた。

 あまりの派手さにGが目を離せず硬直していると、中佐は抱えていた大きな箱を丸いテーブルの上に置いた。

 慌ててGは自分のポットとカップを横に避けた。


「何か用ですか?」 

「まだ奴は来てないな」


 待ち合わせは連絡員とだった。少なくとも中佐とではない。


「まだですよ。約束にはまだ少し時間がある」

「ああそうか」


 空いていた前の椅子に座ると、中佐は箱の上にひじを乗せて何だ紅茶か、とつぶやいた。


「別にいいじゃないですか。僕の趣味ですから」

「別に俺は何も責めちゃいないぜ? ああところで責めると言えば、お前奴に、冷たいって怒ったらしいな?」

「は?」


 先日のことがさっと彼の頭をよぎる。思わずGの顔に血が上った。


「別に俺の時はそういうことないけどなあ? ちゃんと熱いけど?」


 にやにやと中佐は笑いを浮かべた。サングラスからのぞく金色の瞳も、いつになく本気でおかしそうに輝いている。からかわれているな、とGの表情は反比例して不機嫌なものになっていった。


「中佐、今日は何の御用なんですか?」


 Gは明らかに声に苛立ちを乗せて、同じ質問を繰り返した。

 するととうとう堪えきれなくなったらしく、中佐はいつもの含み笑いではなく、声を上げて笑い出した。

 恐ろしい勢いだった。のけぞり、腹を抱え、肘をついていた箱をぼんぼんと叩いている。

 どれだけその状態が続いただろうか。

 さすがに呆れたGの視界に、サングラスをすらして涙をぬぐっている中佐の姿が目に入った。


「ああすまねすまね。全く、お前からかうと面白くってさ」

「だから用は!」

「これ」


 中佐はテーブルの上に乗せた箱をつんつんとつついた。よく見ると、可愛らしい色の箱には、大きなリボンまで掛かっている。


「ちょっとこれを奴に渡しといてくれ」

「は? 奴って」

「奴って言ったら、奴以外の誰が居るっていうんだよ」


 彼の視線は中佐の顔と箱の間を三往復ばかりする。はあ、と彼が答えると、中佐は椅子から立ち上がった。


「そんじゃ頼んだぞ」

「あ? 奴に用があるんじゃないですか?」

「あいにく俺は仕事中だ」


 はあ、とGはうなづく。どうやら中佐は表の仕事中らしい。

 ポケットに手を突っ込み、下駄をからころ言わせながら中佐はカフェのテーブルの間をすり抜けて行った。

 露骨な程に周囲の視線が彼を追っているのが判る。

 あれを軍警の中佐と見破ることができる奴が居たら、顔を拝みたいものだ、とGは思った。おかげで何処まで新聞を読んでいたか彼はさっぱり判らなくなってしまった。

 それでも気を取り直して、再び新聞に目を落とす。

 すると今度は当の待ち人がやってきた。

 当の待ち人は、愛人同様によぉ、と手を上げる。思わず先程の会話を思い出してGは自分の顔が撫然とするのが判る。

 キムはすとん、と椅子に座り、目の前をよぎっていったウェイトレスにカフェオレね、と声をかける。


「どしたの、ずいぶんと機嫌悪そうじゃない」

「誰のせいだと思ってるんだ…」

「おや、何これ」


 さすがにその箱はすぐにキムの目を引いた。


「さっき中佐が来て、お前にって置いてったんだよ」

「俺に? 何だろあのひとは、全く」

「お前には優しいんだな。あの人は」

「まあね。あの人は俺のこと愛しちゃってるから」


 Gは沈没した。

 キムは目の前で硬直している相棒には構わず、リボンを外し、たまご色のラッピングペーパーをがさごそと外す。

 よく見たら、細かい可愛い模様がそこには数限りなくついていた。

 あの男はあの恰好でこれをラッピングしてもらったのだろうか? Gの脳裏に「あの恰好」が浮かび、背筋を冷たいものが走る。だが軍服だったらもっと怖い。

 とりとめなく怖い考えになってしまうそうだった矢先に、あ、と対面の相手の声が聞こえた。


「何?」

「あらら」


 キムは中身を目の高さに取り出してみせた。


「え」 

「可愛い」


 Gは絶句した。

 キムの手の中にあったのは人形だった。それもあの時、マダム・カーレンに持っていったのと同等程度の。


「何を考えてるんだーっ! あの人は!」


 Gは思わずテーブルを叩いて叫んだ。カフェオレを持ってきたウェイトレスが妙な顔をしたが、知ったことではない。

 キムはしばらくそれを見てややうつむいて黙っていた。Gは表情を覗おうとするが、長い髪の毛に隠れて、ちょうど見えない。

 だがそれはほんの一瞬だった。爆笑がその場に鳴り響いた。

 笑いがおさまるとキムはウェイトレス嬢を手招きし、これ捨てといてくれない? と箱とリボンとラッピングペーパーを指した。Gは慌てた。


「ちょっと待てキム、お前それそのままで持ってくの?」

「悪い?」

「…」

「俺はね、人形が箱だのウインドウだのに入ってるのは嫌いなの」


 そう言うと、キムはカフェオレを一気にあおり、立ち上がる。


「さあ行こうぜ」


 Gは次第に頭痛がしてくる自分に気付いていた。大きな人形を左腕に横抱きにするキムの姿は実に人目を引いている。


 ―――確か俺達はそんなに目立ってはいけないテロリストの筈なんだが。


 Gは内心つぶやく。


 でもな。


 陽気な笑顔が戻ってきていた。

 まあいいか、とGは連絡員の背中を追った。


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