3 朝飯のあとは宝石探し
ホテルのカフェで朝食を取りながら、Gは新聞を読んでいた。
取りあえず紅茶でモーニングのセットを頼んだのだが、やや睡眠不足で食欲がない。出てきたサンドイッチのパンがどうにも乾き気味であったのも、その原因の一つだ。
だがエネルギー補給は活動家の基本だ。彼は一杯目の紅茶と共にどうにかこうにかそれを胃に押し込んだ。
そして睡眠不足の元凶はまだ宿泊している部屋から降りてこない。
あの曲者のタフさにはさすがにGも呆れそうになる。結局どのくらいの時間、自分達はそうしていたのだろうか?
考えると怖いので、彼は時計を見ずに眠りについた。
そんな状態を自分に作り出しているくせに、決して奴が熱くならないからしゃくにさわるのだ。
一応自分からそうしたくて、キムは誘っているのだろうに、その当の本人が冷静で、本意でない自分の方が意識を何度も飛ばされてしまっているというのは。
ああ全く、と口の中でつぶやきながら、彼は入り口に常備してあった新聞を広げた。彼の習慣だった。
ペトルーシュカ日刊新聞は、この二連星で一番大きな新聞である。中央の情報は大して多くはないが、この地方に関する記事は詳しい。
「…おはよ」
ようやく相棒が降りてきた。長い栗色の髪をとかしもせず、無造作に後ろでくくっているだけである。
「だらしがないぞ」
「…いいじゃん別に… 俺まだ眠いの」
「自業自得だよ」
Gはそう言ってわざとらしく紅茶をすする。キムはカフェオレを注文する。この時間はモーニングサーヴィスである。
「何か面白い記事あった?」
「いや特になし。だけど何っかあんまり読んでいていい気分がしないんだけど」
「あ? どれどれ」
キムは彼の手から新聞を奪いとった。
「ああ確かに。微妙に文体が歪んでるね」
「文体が歪んでる?」
「うん。何って言うんだろうな? 別にぱっと見では判らないんだけど、ものすごく微妙に、読む人間を扇動する書き方ってのがあるんだ」
「そんなものがあるのか? バイアスじゃなくて」
それは彼には初耳だった。
「うん。露骨にバイアスがかかってるってバレないようにする時の方法。でもさすがに結構前に、禁止されていると思ったけど――― 地方新聞じゃ判らないよなあ」
「じゃあキム、これはそういう文体を使っているって言うのか?」
まあね、とキムはうなづいた。
「ものすごく微妙だから、別に一回二回読んだところでどうってことはないけどさ、それが日刊――― 毎日となると話は別だろ? 知らず知らずの間にある方向へ心が動かされて行ったとしても気付かない訳さ」
「なるほど」
「昔はよくいろんな組織の機関紙に使われたらしいね。ただ下手だとバイアスが露骨すぎて逆に反発買ったっていう馬鹿な例もあるけど」
「穏やかである程、騙されやすいって訳か」
「そ」
ふとGの脳裏に、昨日の老婦人の優雅で穏やかな物腰や声が思い浮かんだ。
「だけどなかなか有効な情報は載っているようだよ」
何、とGは身を乗り出した。ほれこれ、とキムは一つの記事を指し示す。
「骨董市?」
「名目上はね。だけどだいたいこういう所ってのは、裏で盗品も扱っているもんだよ。規模も大きそうだし、行く価値はある」
「OK、それはそれで行こう。だけど単純に彼女の所に盗みに入られたって可能性もあるよな。怨恨ってのは?」
「もちろんそれも。だけどあの表向きの顔じゃあ、怨恨を作らないようにしていた、という可能性は大きいな。それも細心の注意を払って」
「穏やかな顔で」
「まーね。虫一つ殺さないような顔で。だからたぶん表向きの顔に対する『敵』さんに関しては、そう難しく考える必要はないだろうな。裏に関しては…」
「少なくとも俺達が彼女の裏を知らない、という前提で彼女は俺達を雇っている訳だから」
「うん」
キムはうなづいた。
「俺達は、少なくとも『表向きを調べている』ふりをしなくてはならない。向こうもそのつもりで、本当に見つかってほしいものなら、それなりの対応をするだろうな」
「対応待ち」
「だな」
なかなかそれはGにとって、はがゆいものがあった。
*
「あ、先日はどうもお買いあげ下さって」
柔らかな声に二人が顔を向けると、そこには昨日人形を買ったアンティークショップの主人が立っていた。
午前中を「表向きの怨恨」探しに費やし、そしてそれが無駄な時間に終わっていた彼らは、食事を軽くとってから骨董市の開かれている教会広場の方へ出向いていた。
教会広場は別名「教会の森」と呼ばれている。
開発され、切り開かれた土地が多い中心街の中で、そこだけが、植民前の木々をそのまま残した「森」として残っていた。
もちろん「森」のままでは、「広場」の役割はなさないから、通路はきっちりと開かれているが、五階建てのビルに匹敵するような背の高さの木々が満ちあふれて陰を落とす場所は、やはり市民も「森」と思うのだろう。そこは彼らにとって憩いの場所となっていた。
そしてその中にひときわ広く開かれている道をはさんで、両側に市が立っている。かなりの規模だ、とGは感じた。ずらりと並んだ市の端に立つと、一番端が見えないくらいだ。
そんな所で、アンティーク屋の主人に会ってもおかしくはなかった。
「どうも。おかげさまで先様に喜ばれましたよ」
キムはにっこりと笑って似合わぬ敬語を口にする。
「それはよろしゅうございました」
「今日はここで店を出しているの?」
Gも口をはさむ。店の主人はいえいえ、と首と手を横に振った。
「今日は買い付けなんですよ。大体月に一度、この類の市が立つのですが、結構遠方からも業者が集まってきて、掘り出し物が多いのです」
「コッペリアやスワニルダだけじゃなくて?」
「はい。極端に言えば、帝国全土から集まってくるとも言えましょう。御存知なかったんですか?」
「こいつはね」
親指でキムはGを指し示す。
「そうですか。割と良く知られたことと思っておりましたが」
「そうだね」
では、と店の主人は頭を軽く下げて二人の前から立ち去った。再び歩きながら、Gはだしにされたことに軽い非難の表情を浮かべる。キムはああごめんごめん、と軽く謝るが、言葉に誠意はない。
「でも実際知らなかったでしょ?」
「確かにな。でもキム、お前知っていたのか?」
「いえいえ」
ひらひらとキムは手を振った。
「俺だって知らないよ」
「おい」
「と言うか、何処でも聞いたことない。はっきり言えば、そんなことは、この辺りでしか有名じゃない」
「と言うと」
「新聞だよ」
ああ、とGはうなづいた。声の出し方が変わる。特有の唇を動かさない喋り方だった。人の数が増えてきていた。
「あの新聞の読者は、だいたいこのコッペリアと隣りくらいしか知らない層が読んでいる。ついでに言えば、映像関係のニュースもそうだな。ここのTVはあの新聞社の系統だ」
「無意識下の情報統制? そう思わせなくてはならない理由がある?」
「そういうことだろうね」
キムはちら、と横を見ると、市の一つの店に足を向けた。慌ててGはそれを追う。
その店には、無造作に木箱が幾つも置かれていた。どうやらそこは鉱物屋らしい。宝石屋と言ってしまうには、そこに置いてある石達は、上下の差がありすぎた。
真ん中でつまらなそうにペーパーバックを読んでいる主人の横には、鍵のかかったケースが置かれ、小綺麗な入れ物に入った上等の宝石が飾られているが、その他ときたら、地学教室に常備されているような鉱物見本から、紫水晶のごつごつとした大きな原石、こぼしたら拾うのに困るような細かいジャンクなかけらまでが、本当に無造作に置かれている。
「綺麗だねー」
とキムは気楽に感想を口にしていた。そして紅水晶の原石の手のひらくらいの大きさのものを手にしながら、それをGにつきつける。
「これなんかお前に似合わない?」
「冗談はよせ。そういうのは女の子に言えよ」
「ま、そーだね」
そう言いながらもキムはその紅水晶を持って、読書に夢中な店主の前に立った。差し出すと、買うのかい? と店主はぶっきらぼうに訊ねた。
「うん、捜しているものが無いからね。とりあえず」
「ほう、捜しているものがあるのかい」
新聞紙に包みながら店主は、何気なく訊ねた。
「あるんだよ。エメラルドなんだけど」
「最近はダイヤより希少価値だからねえ」
「新しいのじゃなくてさ、こんな丸い、キャンデーくらいのなんだけど」
店主の動きがぴたりと止まった。手を出しても視線を合わせようとしなかった男は、ゆっくりと顔を上げた。
「そういうエメラルドをお探しかい」
「そうなのよ」
キムは陽気な笑いを顔に浮かべた。店主はくるんだ新聞紙を手渡すと、陽射し慣れしていないような表情で言った。
「ずいぶんとそういう奴は高いよ」
「そりゃそうだ。当然だよね。でも即金で買おうと思えば買えるから」
「それじゃあここへ行くといい」
店主はさらさら、と側にあった別の新聞紙に書き付けた。ありがとう、とキムはそう言って受け取る。そしてGの方へ向き直ると、手出して、と言った。
何ごとだ? と思いながら彼が手を出すと、キムは包みをその上に乗せた。
Gがそれとキムの顔を不思議そうに交互に見比べているのを見て、彼は付け足した。
「ぷれぜんとだよ」
―――Gは大きくため息をついた。
*
石屋の店主が書き記した紙には、中心街の地図が簡単に書かれ、その中に矢印と時間が書かれていた。
昼間骨董市でぶらぶらと残りの時間を過ごした彼らは、夜になって、指定の場所へと向かった。
「まあ宝石の闇市ってところかなあ」
キムはGに説明する。
「ああいう所じゃあさすがに盗品はさばけないでしょ」
「確かにな。だけどあの店主は、あのエメラルドのことを知っているようだったけど」
「うん、それは俺も思った」
キムは大きくうなづく。
歩きながら途中の屋台でフィッシュアンドチップスと紅茶を買い、腹に入れる。
「お前結構食うのね」
何気なくキムは言った。
「俺? 俺は普通でしょ。それに多少運動量が多いから…… お前が食わないんだよ、そんな図体して」
「ああ」
軽くうなづいて、Gの左手の中の袋に手を突っ込む。
「そう必要じゃないんだってば」
「タフなくせに」
「いつの話?」
通りすぎる車のライトに、彼のにやにや笑いが明らかになる。Gは撫然として袋の中身を口にする。
「ああそう言えばお前何か言ってたよね、俺が冷たいとか何とか」
キムの言葉に、思わずGは口にしたものを吹き出しそうになる。慌てて彼は紅茶を口に含んだ。
「何をここで」
「いや、どーも気にはなってたからさ。俺そんなに冷たい?」
「冷たい」
「ああそうか……」
キムは首をかしげた。そして独り言のようにつけ加える。
「やっぱり調整しなくちゃなあ…」
そういう問題ではない、とGは思う。だいたい調整できるようなものではないではないか。もしもできるんなら、それは結局本気ではないということで―――
自分の思考の流れに彼は焦る。
「まあ前向きに善処するよ」
昔の政治家のような台詞を吐いて、キムはどうやらその話を打ち切る様子だった。軽くいなされてしまったような気がして、Gは何となく苛立つ。だがそれに対してどういう言葉を返せばいいのか判らなかった。
仕方がないので、彼は袋の中身に再び手を出した。そしてしばらく二人の間に無言が続いた。