9 絶体絶命です
知り合いの令嬢たちの姿を見つけたわたしは、輪の中に入って会話に加わった。
人気の仕立て屋でようやくドレスを誂えることができたとか、誰と誰がいい感じになっているだとか、気になる男性の評判だとか、お嬢様の話題はだいたいいつも同じですけど、それで大いに盛り上がる。
わたしはフィルの言いつけを守って、ちゃんと人の多い場所にいた。
念のためですけど、メリッサ様は以前もわたしの暴言が原因で、ワインをぶっかけようとしましたからね。仕返しという形で何かしてくるかもしれませんわ。
なんて思っていると、やって来ましたたよ、メリッサ様。
さっきわたしにあれだけ罵倒されたというのに、もうにこやかに笑っている。
演技ではありませんわね。機嫌がよさそうですわ。
これはつまり何か企んでいるということですわね。分かりやすすぎますわ。
「アイリーン様、先程は申し訳ありませんでした。わたし反省いたしましたの」
何に対する反省なのかわかりませんけど、メリッサ様はそんなことを言った。
ここでわたしも悪かったなんて言ったら、話が長くなりますわね。
「いえ、もうお気になさらないでください」
それだけ言って令嬢たちとの会話に戻ろうとする。
「お待ちください。ちゃんとお話がしたいのですわ」
「わかりました。今度お伺いしますわ」
「いいえ。今にしてくださいな」
わたしの腕に手をかけて、メリッサ様は食い下がる。
これはどう断るべきかしら。フィルがまだ戻ってこないので、もう帰るのだとも言えませんし。
と言うよりも、フィルはまだメリッサ様と話ができていませんわね。会場が広くて人も多いので、探すのは大変でしょうけど。それともまた誰かに捕まっているのかしら。
「アイリーン様はわたしたちとお話ししているのですわ。また今度にしていただけませんか」
迷っていると驚いたことに、一緒に話をしていた一人が撃退しようとしてくれる。
気が強そうですけど、義理堅そうな方です。メリッサ様の噂を知っていて、わたしを守ろうとしてくださったのかしら。ずいっと前に出て、メリッサ様を睨みつける。
「あなたにお話ししているわけではありませんわ。男性に相手にされないからって、夜会で女ばかりで固まっても意味がないのだとご存知ありませんの?」
メリッサ様は鼻を鳴らして、思いきり馬鹿にした。なんてこと言うの。
この人、容姿ではっきり有利だと判断した人には、見下す態度を取るんですのね。悪女そのものではないの。
「なんですって!」
言われた令嬢は顔を真っ赤にして言い返す。
これはまずいですわ。
たとえメリッサ様だけが悪いのだとしても、夜会で女同士が喧嘩をすれば、その人の評判に傷が付きます。未婚女性にとっては致命的ですわ。
「メリッサ様、話があるのはわたしでしょう」
割ってはいるように言い放つと、彼女はニヤリと笑った。
「ええ、そうですわ。お話ししてくださいますわよね」
わたしはしぶしぶ頷いた。心配そうな顔がわたしに集中する。
「大丈夫ですわ。こっそりフィルを呼んできてくださいませ」
メリッサ様には聞こえないように、庇ってくれた令嬢に耳打ちする。彼女ははっとしてからしっかり頷いてくれた。
さてどうするべきかしら。
何かされるのはほぼ確実ですから、あまり近づかずに時間を稼ぐべきかしら。場所を移動することは断固拒否しなくてはいけませんわね。
でも意外にも彼女はここで話をするつもりのようです。
「アイリーン様はお優しいですわね」
絶対にそんなこと思ってないでしょう。罠にかかりやがったって顔してますわよ。
「それは先程、忠告したことに関してかしら。でしたらわたしが言ったことをちゃんと理解してくださったということかしらね」
「・・・ええ、もちろんですわ」
口元を引きつらせながら言われましてもね。
「それはよかったですわ。あなたもお世話になっている侯爵家の力を更に削ぐようなことはしたくないでしょうしね」
「なっ!?」
脅しを追加しておく。メリッサ様の顔に動揺が走った。
「ええ、もちろんですわ」
そんなことが出来るはずがないと思っているのでしょうか。冷静さを保とうとしていますが、上手くいっていません。
これで踏みとどまってくれたらいいのですが、もう一声いっておきましょうか。
わたしは具体的にその脅しをどうやって実行するか説明しようとする。しかしそこに予想外の声が降ってきた。
「やあ、アイリーン嬢」
条件反射で振り返って、わたしは表情を固まらせてしまった。
シズリーが軽薄な笑顔を浮かべて立っていた。なぜこの男が声をかけてくるのよ。
フィルに近づくなと言われるまでもなく、関わり合いになりたくはないタイプですわ。
「まあ、どちら様でしょう」
わたしは扇は開いて顔を半分隠しながら、不愉快そうな眼差しを送った。
「え? いやですね。さっき紹介していただいたでしょう?」
「いいえ、されておりませんわ」
きっぱりと言う。あなたはされていても、わたしはされておりません。
社交界では紹介されたことのない相手に声をかけることは御法度であり、とんでもない不作法なのです。ですからわたしが紹介されたことのないあなたに話しかけられて、気分が悪くなるのは当然でしょう。
「いや、参りましたね。そんなことを仰らないでください」
シズリーはへらへら笑いながら距離を詰めてくる。何なんですの、この人。
わたしはメリッサ様の方を見た。彼女は口を引き結び、無表情でわたしたち二人を見ている。そして目が合うと、ほくそ笑んだ。
グルですわ、この二人。
直感した。間違いありません。
メリッサ様は思いとどまることをやめたようですわね。でもどうやってメリッサ様がシズリーに協力させることができたのかしら。まさか彼のお遊びに付き合うことにしたわけではないでしょう。メリッサ様は彼に嫌悪感を持っているはずです。
でもシズリーにしてもメリットもなく、協力するのはおかしいのですから、交換条件があったはず。
いえ、ともかく今はそんなことを考えている場合ではありませんわ。早く退散しましょう。
「わたし失礼させていただきますわ」
ここにいることが危険になってしまいました。逃げるのが得策ですわね。
言うが早いが、わたしはドレスを翻して去ろうとした。
「お待ちください」
しかし遅かったようで、シズリーに二の腕を捕まれて止められる。素肌を晒している部分に触れるなんて、どういうことですの。
怒りに任せて拒絶しようとした。
「はなし・・・」
「まあ、アイリーン様。シズリー様ととても親しかったのですね!」
覆い被さるようにして、メリッサ様が突然大声を出す。芝居がかった声に、わたしの声がかき消された。
周囲の人間が何事かと、わたしたちに目を向ける。
まずい。逃げなくてはいけない。
でもすでに遅かった。
シズリーに腕を引っ張られて抱き込まれる。ダンスの距離なんてものではない。背中に両腕を回されて、がっしりと固定されていた。
しかも彼は耳元に顔を寄せて囁く。
「怒った顔も可愛らしいですね」
背中にゾワッと悪寒が走った。体が固まって動かなくなる。
なぜこんなことになっているの。わたしは彼の遊び相手として相応しい人間じゃない。
大勢の人の前で女性にこんなことをしては婚約者がいようと、責任を取れと言われかねない。まさか。
わたしは自分の迂闊さを呪った。
間抜けにもほどがある。シズリーが探しているのは、何も遊び相手だけではなかったのよ。
子爵家の結婚相手としては、わたしは申し分がない。紳士的精神を持ち合わせていないこの男が、強引な手を使うことくらいは予想していなくてはいけなかった。
一人でも何とかなると思っていたわたしは本当に馬鹿だわ。
この状況をどう切り抜ければいいのかわからない。体は相変わらず動かず、挽回する方法も思いつかない。
視線をさまよわせることしかできなかったわたしは、人混みをかきわけて驚いた顔をするフィルを見つけた。