7 勘違いでしたわ
近くまで行って二人の姿がよく見えてくると、不快感が込み上げてきた。
シズリーとかいう男はメリッサ様の手のひらをぎゅっと握りながら話をしている。あれでは逃げられませんわ。しかもさり気なく人から見えにくい位置でやっているではないの。
かなり親しい間柄でないと、夜会会場であんなことはしませんわよ。
メリッサ様は相当困った顔をしていて、腰も引けている。こんな男の相手を一人でしなくてはいけないなんて恐怖ですわね。
「こんばんは、ダミアン」
フィルが少し大きな声で挨拶をした。
邪魔をされて苛立ったような顔で振り返ったシズリーは、声をかけたのがフィルだとわかり、驚きながらも怪訝そうな顔をする。
顔見知り程度なのでしょうね。こういう男とフィルが仲良くするはずはありませんし。
「こんな所で何をしているんだ? 君が女性を一人に絞ったという話は聞いたことがなかったが」
これは未婚女性を口説いているのだから、当然正式なお付き合いを申し込んでいるんだよな、という意味を込めて言っているのでしょうね。
シズリーは鼻白んだような顔をしてから、気を取り直して言った。
「そう思うなら、邪魔しないでくれよ。いいところだったんだぞ」
なんだか本気でそう思っていそうな口振りですけど、あなた今、メリッサ様からとても嫌な目で見られていますわよ。
彼はちょっと気まずそうにメリッサ様から手を離した。わたしの非難の眼差しに気づいていただけたようですわ。
でもさっきまで他の女性を口説いていたというのに、もうわたしを興味深そうに見ている。
ちょっと、わたしはあなたの射程圏にいませんわよ。
「フィリップ、こちらの可愛らしいご令嬢を紹介してくれないか」
フィルはすごく嫌そうな顔をした。
でも紹介してくれと言われれば、しないわけにはいきません。
「アイリーン・オストン伯爵令嬢だ。俺の婚約者だよ」
フィルはわたしを隠すように立ったまま言った。普通は引き合わせるようにして紹介するのが礼儀ですし、わたしにも彼を紹介しなくてはいけないのですけどね。すごくあからさまな牽制ですわね。
「へぇー、君の婚約者なんだ」
こちらもあからさまにガッカリしている。
わたしはデビュタントらしく、若い娘しか着ないようなドレスを身に纏っているから、どう見ても未婚女性なんですけど。何を期待したのかしら。
「わたしメリッサ様とお話がしたかったのですわ」
シズリーを無視してメリッサ様に声をかける。彼女はフィルに向けていた視線をわたしに移した。
「お茶会でご気分が悪くなっていましたでしょう。心配しておりましたの。その後お加減はいかがかしら」
メリッサ様の体がぶるっと震えて、顔が白くなった。
思い出してしまったからかしら。別に毒クモやネズミをくっつけたわけではありませんのに。たまたま苦手だったのかしらね。それはちょっとだけ悪かったかもしれません。
なんだか隣から突き刺さるようなものを感じるわ。見ないようにしましょう。
「あの日は一日寝込んでしまいましたけど、翌日には起き上がれるようになりましたわ。ご心配おかけして申し訳ありません」
体調が悪くなって倒れたみたいな言い方ですわね。それはちょっと大袈裟ではないかしら。
メリッサ様は期待するようにチラリとフィルを見た。
なるほど。そういうことですのね。
でもフィルはメリッサ様を見ていない。顔の右半分がチクチクするのです。視線がイッタイですわ。
これは確実に帰りの馬車で説教が待っていますわね。
「まあ、そんなに酷かったのですね。とてもそうは見えなかったものですから。でもお元気になられたようでよかったですわ。メリッサ様は少し病弱なのかしら」
「ええ、少し・・・」
本当にか弱そうな声で答えてくる。
これはちょっとどころではなく予想外ですわ。
他に男性が二人もいるとはいえ、今日のメリッサ様はやけに大人しいのです。そのくせ目はやたらとうるさいのですわ。
「お久しぶりですわね、フィリップ様。声をかけていただけて嬉しいですわ」
慎み深い淑女のような微笑みを浮かべてメリッサ様が言う。
フィルが声をかけたのはシズリーなのですけどね。これは彼女を助けるためにフィルがそうしたのだという解釈なのかしら、メリッサ様の中では。
「ええ、お久しぶりですね、メリッサ嬢。最近は私の婚約者と仲良くしていただいているようで、ありがとうございます」
「いえ、そんな・・・」
照れたように顔を隠してらっしゃいますが、メリッサ様それ皮肉ですわよ。笑顔で詰られているだけですから。
フィルの彼女に対する怒りは解けたわけではなさそうですわね。
「アイリーン様はわたしに身分に合った振る舞いというものを教えてくださるんですのよ。さすがは由緒正しき伯爵家のご令嬢ですわ。わたしはとても見習えそうにありませんけど」
笑いながら急に不穏なことを言い出したメリッサ様に、シズリーが不思議そうな顔を向ける。
わたしが身分を笠に着て、偉そうな態度を取っていると言いたいのですね。本人を前にして告げ口するとは。
メリッサ様はじっとフィルを見ている。彼が難しい顔をしていることをどう思っているのかしら。
でもこれは悠長に遊んでいる場合ではなくなったかもしれません。
わたしは急遽対応策を変更することにしました。今までは手加減なしとは言いつつも、対等に戦いたいので、身分や立場を利用するようなことはあまりしていません。
メリッサ様がどう思おうと、わたしはもっと身分を有効活用しようと思えばできたのですから。
でも今からはそんなもの気にせず、本気で全力で当たることにしますわ。
「メリッサ様、ずっと立ち話をしていて疲れているのではありませんか? また具合が悪くなっては大変です。あちらのソファーに座りましょう。わたし二人だけでお話ししたいですわ」
人がいてはまともにやり合えませんから、場所を変えることにしましょう。
「あっ、ちょっと!」
わたしがメリッサ様の手を引いて歩こうとすると、シズリーが慌てて止めようとする。
フィルに「後は任せる」と目で訴えると、仕方なさそうに頷いてくれました。シズリーの腕を掴んで近づかないようにしてくれる。
抵抗しないメリッサ様と二人で、わたしはその場を後にした。
わたしは今までとんでもない勘違いをしていたのかもしれません。
今日のメリッサ様の態度を見て、ようやくその可能性に思い至りましたわ。
どうして気づかなかったのかしら。わたしは彼女が自分の口からフィルの愛人になりたいだとか、それに類似するようなことを聞いたことがなかったのに。
彼女が愛人候補だと教えてくれたのは、噂好きのご婦人方で、それだって根拠もなく言っていたわけではないのですけどね。
フィルに言い寄る何人かの女性の中でメリッサ様は唯一の未婚女性なのです。他の方は夫が健在にしろ、未亡人であるにしろ、全員が既婚者なのですわ。だから彼女たちは間違いなく愛人候補です。
メリッサ様も同じ扱いにされてしまったのは、准男爵の娘という身分の低さが原因の一つでしょうね。
社交界のご婦人方は、まさか彼女がフィルと結婚しようだなんて、大それたことを考えているとは思わなかったのでしょう。
そうですわ。きっと彼女が狙っているのは愛人の座ではなくて、妻の座なのです。フィルを見つめるメリッサ様の目を見て、その可能性が頭をよぎったのですわ。
よく考えればその方が、メリッサ様の行動の説明がつくのです。
むしろ愛人になりたい女性の行動としては、今までしていたことはおかしいと言えます。わたしの前に姿など現さずに、ひたすらフィルをオトしに行くべきではないかしら。
可能性はほぼ確信に変わりました。
そして彼女はとても無謀なことをしているようで、客観的に見れば、そうでもないのですわ。
社交界という世界は身分の上下に対比して、立場の有利不利が決まるわけではありません。コネや人脈を持っている人、もしくはいい意味で話題になった人が勝者なのです。
女性ならそれだけの美貌を持つ人が話題になりやすく、メリッサ様は美人です。
ただ田舎ではかなりの賞賛を受ける美貌でも、王都の社交界には上がいたということです。
メリッサ様がその美貌で社交界の話題になれば、公爵家の嫡男の妻になれる可能性もありましたわ。たとえ准男爵の娘であろうと。でも現状そうはなっておりません。
それでも諦めないのは、現実が見えていないからでしょうか。
どちらにしろ、この戦いは遊びでは済まなくなりました。
フィルの婚約者はわたしなのですから、これはわたし、引いてはオストン伯爵家がコケにされたということになるのですよ。
由緒ある伯爵家を新参者である准男爵の娘が貶めようとしたことに値するのです。
あなたのやっていることは、つまりそういうことなのです、メリッサ様。