表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/49

結婚式~目が覚めたら~

 名前を呼ばれて目が覚めた。

 いつの間にかお父様に抱き上げられている。

「起きたか、アイリーン。降りなさい」

 床に下ろされてきょろきょろと周囲を見回すと、そこはフィルの家の玄関前だった。馬車での移動中、居眠りをしてしまったのだとようやく状況を把握した。

 でも怖い夢を見ていたせいで今が現実なのだという実感が薄い。

 わたしは甘えたくなって、目の前にあるフロックコートの袖口を引っ張って、遠くにあるお父様の顔を見上げた。

「お父様」

 呼ぶとお父様はわたしの頭をぽんぽんと優しく叩いた。

「自分で歩きなさい。今日はお父様は一緒にいられないと言っただろう」

 ムッとした。別に抱っこしてほしいと言いたかったわけじゃない。もうそんな歳じゃない。

 でも怖い夢を見たと訴えるのも、いかにも幼い子供っぽくてわたしは口を噤んだ。

 どちらにしろ、今日のお父様はわたしの相手をしてくれないわ。用事があると言っていたのだから。

 わたしはお父様に甘えることは諦めて、さっさとフィルを探しに行くことにした。

 エントランスに入ると挨拶もそこそこに階段を駆け上がる。背後から「いい子にしているんだぞ」という声が追いかけてきて、はぁいと返事をした。

 子供部屋のある二階まで行くと、向かいから誰かが歩いて来た。

 それがフィルの家庭教師の内の一人だと気づいて、さっと壁に身を隠す。

 あの人は好きじゃない。つまらない理由でよくフィルを叱っているし、怒りかたもすごく嫌みったらしい。フィルは頭がいいのに、まるで出来の悪い生徒みたいな言い方をするのだから。神経質というやつだわ。

 彼が目の前を通り過ぎる時に、苛立たしげに歪められた顔が見えた。足音も大きくて、またくだらない理由で怒っていたのだとすぐにわかった。

 わたしを一人にしないために追いかけて来ていた公爵家のメイドが呼びかけるのを無視して、わたしはフィルの部屋までの長い廊下を小走りで進んだ。

 部屋の前まで来ると、扉をノックする。

 返事がなかったけど構わずドアノブを回した。

 中に入ると、いないのかと思っていたフィルはソファーベッドに寝転がっていた。駆け寄って顔を覗き込むと、ただ体を横にしているだけではなくて、眠っているのだとわかる。

 眉をぎゅっと中央に寄せていて、唇を引き結んでいた。

 ・・・嫌な夢を見ているのかしら。

 わたしはさっき自分が見た怖い夢の話をしたくて仕方がなかった。でもフィルは寝ている。

 ちょっと考えてから、ソファーベッドによじ登って、無理やりフィルの隣に体を横たえた。そして一緒に寝ようとしたけれど、さっき馬車の中で眠ってしまったせいか、全然眠気がやってこない。

 それでもそこでじっとしていると、フィルの体がもぞりと動いた。

 目を開けてみれば、フィルがぽかんとした顔でわたしを見ていた。

 昼寝から起きてみれば、わたしがくっついて寝ているのだから、そりゃあ驚くわよね。

 フィルのその顔がおかしくて、わたしは笑顔で言った。

「おはよう、フィル」

 まだ寝ぼけているのか、それとも驚きすぎたのか、フィルはしばらく呆然とわたしを見ていた。まるでわたしが本当にここにいるのか確認しているみたいに。

「・・・おはよう」

 ようやく返事が返ってくる。

「あのね、さっきね、とても怖い夢を見たのよ。だからフィルにどれだけ怖かったかお話ししようと思っていたの。でもね、フィルの顔を見たらどんな夢だったか忘れちゃったわ」

 どうしてだか、目覚めてからずっと胸の中に居座っていた不安がキレイになくなっていた。寝転がったまま、ふふっと笑う。

 するとフィルはちょっとだけ泣き出しそうな顔になった。

 どうしたの。

 そう聞こうとしてやめた。あんな寝顔をしていたのたがら、フィルだって怖い夢を見ていたに違いない。

 わたしは左手を伸ばしてフィルの頬を撫でた。

 目を細めてされるがままになっていたフィルはポツリと呟いた。

「・・・目が覚めた時に、いつもアイリーンが傍にいればいいのに」

 珍しくあからさまに気弱な様子だった。

「結婚したらそうなるわよ」

「ずっと先のことじゃないか」

 フィルが拗ねたように言うので、わたしは考えてみた。でもいくら考えてみても、結婚前にそれができると思えない。お父様たちがダメだと言うに決まっている。遊びに行きたいとねだる時でさえ、毎回頷いてくれるわけではないのだから。

 うーんと唸りながら困っているわたしをフィルがじっと見ていた。

「・・・ムリよ、そんなの」

 降参してそう言うと、フィルは不満そうに口を尖らせた。

「        」



「アイリーン!」

 すぐ近くで大きな声がして、ハッと意識が覚醒した。

 気がつけば目の前に怒ったような顔をしているブリジットがいる。

 ブライズメイドの格好をした彼女は、腰に手を当てて呆れていた。

「よくこんな時にこんな場所でそんなドレスを着て居眠りなんてできますわね。準備が大変だったのはわかるけど、もうすぐ式が始まりますわよ」

「えっ!? わたしどれくらい寝ていましたの?」

 わたしはかなり慌てて周囲を見回した。

 ブリジットが呆れるのも当然だった。

 なぜならこんな時にというのは結婚式の直前のことで、こんな場所というのは教会の控え室のことなのだから、わたしはもう恥じ入るしかない。

 そしてそんなドレスというのは、わたしの身長よりも遥かに長い裾があり、幅の広い細かなレースで飾られた白いシルクのウェディングドレスのことだった。ちなみにベールですら引きずるほどに長い。

「そんなに経ってはいないわ。ほんの五分くらいじゃない?」

 わたしはほっと息を吐いた。

 よかった。とんでもない失態をしてしまったのかと思いましたわ。

 いくら朝早くから準備をしていたとはいっても、式の直前に居眠りはないですわよ。おまけに夢まで見てしまいましたわ。

 いくつの頃のことなのかはっきりとは覚えていませんけど、あれは多分、昔の出来事でしたわ。

 よりによってあんなことを結婚式の前に夢に見て、思い出させられるなんて。

 子供の頃はただの無邪気な言葉でしたけど、今思い返せば恥ずかしいことこの上ないですわよ。

「アイリーン、そろそろ行ったほうがいいみたいよ」

 部屋の入り口で誰かに呼ばれていたブリジットが振り返って言った。

「わかりましたわ」

 わたしが立ち上がるとブリジットが裾を持ってくれた。

 それにしてもと考える。あの時、無理だと答えたわたしにフィルは何と言ったのだったかしら。記憶を辿ってみても、昔のことすぎて曖昧だわ。

 控え室を出て礼拝堂の扉の前まで来ると、すでにお父様が待ってくれていた。

「これはすごいドレスを用意してもらったものだな」

 初めてウェディングドレスを目にしたお父様が感心したように言った。

「お父様、他に言うことはありませんの?」

 これから娘が巣立つというのに、いつもとかわらない態度を取られたものだから不満を覚える。

「式の後に披露宴も控えているのだから、今から感傷に浸るわけにはいかないだろう」

 そういうものかしら。

「ほら、お父様と腕を組んでくれ」

 お父様が左腕を差し出したので、わたしはそっと手を添えた。

 決められた位置で姿勢を正すと、礼拝堂の扉が開き、いよいよ挙式が始まる。

 外からの光を効果的に取り入れる構造をした礼拝堂は眩しくて目を細めた。

 それでも参列者の視線が集中したことはわかる。

 わたしはお父様に連れられてゆっくりと前へ進んだ。花嫁のマナーとして目線は下げたままだから何となく不安だった。

 時間がとても長く感じる。やがてお父様が立ち止まったことで、花婿に引き渡される場面になったのだと理解した。

 わたしはようやく顔を上げた。

 目の前にフィルがいた。紺色のフロックコートを着た彼は、真剣な顔でお父様を見ている。

 お父様に場所を譲り渡されるとフィルの目線はわたしに向いた。

 目が合って、驚きにも似た表情でわたしをじっと見つめた後、彼はとても嬉しそうで少し照れたように微笑む。

 この時、熱くて温かいものでわたしの胸が満たされた。



 陽気な音楽が流れ、人々の喧騒に溢れた披露宴の会場内は賑やかな空気に包まれていた。

 出席者はわたしとフィルの前に現れてはにこやかにお祝いの言葉を述べて去っていく。途切れることなくそれは続き、社交界の名だたる人々と言葉を交わし終えた後に、コレットと彼女の夫であるハルトンさんがやって来た。

「アイリーン、フィリップ様、改めておめでとう」

 コレットはブライズメイドこそやってもらってはいないけれど、結婚式の前から式の最中まで、ブリジットと一緒に何くれとなく世話を焼いてくれていた。

 だからこのおめでとうも今日何回目になるかわからない。

「ありがとう。でもさっきも聞きましたわよ、コレット」

「あら、そうだったかしら。じゃあ、これはまだ言っていないわね。とってもキレイよ、アイリーン」

 冗談めかしながら、心を込めて言ってくれるコレットに、わたしはフッと吹き出した。

「それもさっき聞きましたわ」

 花嫁にはキレイという言葉を言いたくなるものですけど、わたしも今日は向こう五年分ぐらいのキレイをいただきましたわ。顔を合わせれば皆が言ってくださるのです。

 そういうものではあっても、言われる度に毎回笑み崩れてしまうくらい嬉しくなる自分に、ちょっと呆れてしまいますわ。

 一番嬉しかったのはやっぱりフィルが言ってくれた時ですけど。

 挙式の後に教会からこの公爵家の披露宴会場まで馬車で移動する間に、フィルはまじまじとわたしを眺めてからボソリと、

「キレイだな」

 と呟いた。

 フィルは普段、婚約者として人前でわたしを褒める時も、キレイとはほとんど言わない。大抵は可愛いという表現をする。

 だからとても珍しいその言葉に、わたしは頭の熱が上昇して俯いてしまった。

「それじゃあ、アイリーン。旅行から戻って来たら連絡してね」

「ええ、もちろん」

 コレットは手を振って旦那様と席へ戻って行った。

 この披露宴が終われば、わたしとフィルはそのまま新婚旅行へ行くことになっている。とはいってもコレットのように国外旅行などではなくて、公爵家の伝統として領地を巡る旅行になるのですけど。国外へはまた今度連れて行くと言ってくれました。

 それからようやく挨拶に来てくれる人が途絶えて、わたしは会場内にいる人たちの顔をぐるりと見渡した。

 お父様とお母様とお兄様たちは年配の出席者に囲まれて、にこやかに会話をしている。小父様と小母様は席を立たずに、近くの人と静かに話をしていた。ジェームズはお喋りなご婦人に捕まって必死で愛想笑いをしている。

 気分が高揚しているのか、わたしは皆の顔がどこか嬉しそうに見えて、フィルにそれを言いたくて隣を向いた。

 でも言葉を発する前に、驚いて体を僅かに引いてしまう。

 フィルはじっとわたしを見つめていた。いえ、見つめるというよりも眺めるというほうがしっくりくる目線だわ。

「ど、どうしましたの?」

 わたしの動揺を気にも止めず、フィルは当然のように言った。

「見ておかないと勿体ないだろう。今日だけなんだから」

 それはわたしのウェディングドレス姿が、ということかしら。

 わたしはまたしても顔が赤くなっていくのを自覚した。こんな人の多い所でわたしが恥ずかしがるとわかるようなことを言わないでよ。

 抗議の眼差しを向けて、やめてと訴えたのに、フィルは気づいていないフリをする。まさか今日は人と話している時以外、ずっとこうしているわけではないですわよね。

 それはないと思うものの、こんなに熱心に見られていることがわかれば、もう耐えられそうにない。

 わたしは何とかフィルの気を逸らしつつ、仕返しをするために、さっき見た夢のことを持ち出した。

「ねえ、フィル。子供の頃、フィルがお昼寝をしていた時に、わたしがこの家に来た時のことを覚えている?」

 フィルは急に昔のことを話し出したわたしに、訝しげな目を向けた。

「いつのことだよ」

 それだけの情報ではわからないと首を傾げる。

「フィルが珍しく無茶な我が儘を言った時のことですわ。目が覚めたらいつも・・・何て言ったのか覚えていない?」

「目覚めたら?」

 記憶を探るように目を上向ける。

「そう。いつも、傍に」

 わたしがそう言って一拍間が空いた後、フィルの体がピタリと固まった。

 そしてとんでもない失態を思い出してしまったかのように手のひらで口を覆う。

 まあ、すごいわ。ちゃんと頭の中に残っていたのね。もう何年も前の些細な出来事なのに。

 わたしは期待した通りの反応をフィルから引き出せて満足した。

 いくら幼い時のこととはいえ、真面目にあんなことを言ったのなら恥ずかしいに決まっていますわ。いえ、幼かったからこそ純粋な我が儘に違いないのだからいたたまれないですわよね。 

 わたし自身にもダメージがありますけど、考えないようにしましょう。それよりも気になることがありますわ。

「あの時、わたしはそんなの無理って答えましたわよね。その後フィルはなんて言いましたの?」

 尋ねたわたしをフィルは恨みがましく睨み付けてきた。

「それだけ思い出せませんのよ。ねえ、何て言いましたの?」

 別に知っていてからかうために聞いているわけじゃありませんわ。本当に思い出せないのよ。

 再度尋ねると、フィルはすっと顔を逸らした。

「・・・忘れた」

 嘘ですわね。言いたくないだけですわ。

 もうじっと眺めることはやめてくれたのだから、目的は達成したのですけど、わたしはそれがとても気になっていた。

 でもこの様子では簡単に言ってくれそうにありませんわね。

 必殺技を使うことにしましょう。

 フィルの腕を引っ張って、顔をこちらに向けさせた。そして眉尻を下げて上目遣いに見つめる。

「お願い。教えて」

 可愛らしく聞こえるであろう声でおねだりをすると、フィルはうっと呻いて怯んだ。

 わたしが外見のか弱さを利用してやっているとわかっているくせに無視できないところは相変わらずだわ。

 フィルは苦悩の表情を浮かべながら、それでもボソボソと何かを口にする。

「聞こえませんわ」

 顔を近づけるとフィルは覚悟を決めたらしく、小声ながらもはっきりと、拗ねたような口調で幼い頃に言った言葉を繰り返した。

「──アイリーンはもっと俺のことを好きにならなくちゃいけない、と言ったんだ」

「・・・え?」

 唖然とした声を出してしまった。

 だってまさかそんな内容だなんて思わなかった。もっと・・・他愛ないものだと思っていたのよ。

 フィルは目を瞑って、もう何とでも言えという顔をしている。わたしが笑うとかからかうのだと予想しているみたいに。

「フィル」

 呼んでも全く動いてくれない。わたしは何度も名前を呼んだ。

「フィル、フィル」

 それでも何の反応もないからおかしくて笑いそうになってしまう。

 わたしは仕方なく身を乗り出してフィルの耳に手を当てて、顔を近づけて囁いた。この胸の中で溢れそうになっている気持ちをこぼすように。

「ものすごく・・・大好きよ」

 驚いて目を開けてこちらを見たフィルに、今日一番の笑顔を向ける。

 フィルは動揺したようにのけぞった。唇が「やばい」と音を発さずに動く。てっきり安心してくれると思っていたわたしはあら、と首を傾げた。

 微かに赤くなっていく目元を不思議な気持ちで見つめる。

 フィルが人前で恥ずかしがっているわ。

 最近気づいたことだけれど、フィルが誰もいない所では羞恥というものを感じていても、人前ではそうはならないのは、公爵家の嫡男として隙を作らないようにと身に染み込ませているからなのよね。

 だからこれはとてつもなく珍しいことだわ。

 貴重な姿に、これは是非とも目に焼き付けておかなくてはと意気込んだ。だってもしかしたら今しか見れないかもしれないもの。

 わたしは頬を弛めながら、そんなフィルをいい加減にしろと本人に言われるまで眺めていた。

 ──これまでになく幸せな日だと感じながら。


読んでくださってありがとうございます。

次回、結婚後の小話で終了となります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ