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公爵と伯爵令嬢

 予定の時刻よりかなり早く現れたわたしを見ても、公爵家の執事は驚くことなくにこやかにお辞儀をした。

「いらっしゃいませ、お嬢様。まだお早いですので、客間で待たれますか? フィリップ様をお呼びします」

 今日は家族で公爵家の晩餐に招待されていた。正式な晩餐会ではなくて、ごく内輪のものだけど、開始時刻まで一時間以上もある。

「いえ、いいの。それよりも小父様はいらっしゃる?」

「はい。ご在宅です。ご用がおありですか?」

「ええ、お伺いしてきてもらえるかしら」

 彼はかしこまりましたと言って、エントランスにあるソファーにわたしを座らせてから去っていった。

 よかった。忙しい小父様を捕まえるのは大変だから、晩餐前のこの時間なら屋敷にいると思って、こっそり一人だけ出てきたのよね。ちゃんとした要件があるわけではないから、わざわざ予定を空けてもらうのは申し訳ないですし。

 いくらもしないうちに執事が戻って来て、書斎で待っていると言って案内してくれる。場所は知っていますけどね。相手がフィルならともかく、小父様に対してそんな気軽に会いには行けない。付き添いをしてくれているメイドと一緒に彼についていく。

 執事が書斎の扉をノックして、返事をもらってから扉を開けた。

 中に入ると本棚の前で本を開いていた小父様が顔を上げる。

「こんばんは、小父様」

「ああ、そこに座りなさい」

 示されたソファーに座ると、小父様も斜め向かいにある一人掛けのソファーに腰を下ろした。

「何か問題でもあったのか?」

 結婚式のことで、という意味ですわよね。式まではもうあと二週間くらいしかない。準備をしてくれている人は大変そうですけど、わたしは特に困ったことなどなかった。

「いいえ、結婚の前に小父様に聞いておきたいことがあったのですわ」

 小父様は片眉を上げてわたしを見た。

「何だ」

 姿勢を正して真面目な表情をする。

「小父様は本当にわたしがこの公爵家に嫁いで来てもいいと思っていらっしゃいますか?」

 やや緊張しつつ尋ねると、小父様は表情を変えずに数秒ほど間をおいてから言った。

「君とフィルの婚約を決めたのは、私と君の父のはずだが」

「でもそれはわたしがまだ赤ん坊の頃のことですわよね。今のわたしを見ても将来の公爵夫人として快く迎えてくださいますか?」

「いやと答えたら、結婚をやめるのか?」

「いいえ」

 反射的に否定しながらも、わたしは少なからずショックを受けていた。

 あんな聞き方をしたものの、小父様が内心ではこの結婚を嫌がっているなんてほとんど考えていなかった。嫌だったなら必要のないドレスまで、ついでだからと言って作ってくれるわけがないと思ったから。

 ただわたしに不足している部分があるなら教えてほしいという意味合いが強い質問だった。

 わたしは赤ん坊の頃にフィルと結婚することが決められただけあって、それ相応の教育をお母様からしっかりと受けている。身近に手本となる人がいたから、表面上は立派な淑女になったと自分でも思っていた。社交界デビューして間もない娘にしては、ですけど。

 でも内面はとてもお淑やかとは言えません。そのところを不満に感じていらっしゃって、でもご自分で選んだ息子の婚約者ですから、仕方ないと思われているかもしれないと思ったのですわ。

 もしそうなら、今更内面を変えるのは無理ですけど、最大限努力はするつもりです。

 こんなことを考えたのは、結婚式が近づくにつれて、あまりにも順調に準備が進んで、皆から祝福されているからなのですけど。

 親が決めた婚約者ですから、両家の反対がないのは当たり前でも、本当にいろんな人が祝福してくださるのですわ。社交界での知人だけでなく、わたしやこの家の使用人まで結婚を喜んでくれます。

 元は反対していたジェームズだって、今では肯定的ですし。

 貴族の頂点である公爵家に嫁ぐというのに、あまりにも順調すぎて、これを当然のこととして流れに身を任せてしまったら、後々とんでもない失敗をするのではないかという心配が沸き上がってきたのですわ。

 だから小父様に気を引き締めてほしくて、あんなことを言ったのですけど。

 でも本気で拒否されるのは嫌です。されても結婚をやめたりしませんけど。

「アイリーン、私が君の父とスクールで知り合ったのは知っているな」

 小父様は唐突に話題を変えた。いえ、繋がっているのかしら。

「はい。伺っておりますわ」

「彼は私より三学年上だった。しかし私がスクールで初めてまともに会話ができるようになった人物が彼だったのだよ」

 そう言って僅かに口角を上げる様子は自嘲しているようにも見えた。

「私はとても扱いにくい子供だった。父親に公爵家の跡取りとして厳しく育てられていたが、徹底した教育のせいで能力は高くとも人と話すことが苦手になった。自分が他の甘ったれた貴族の子供とは違うという自負もあったせいだろう。いくらスクールでは親の爵位など関係ないと言っても、私のように全く親しみを持てないような人間と仲良くしようという奴はおらず、むしろ避けられるようになった。家が心休まる場所ではなかったように、スクールも同様になりつつあった。彼が私の面倒を見ようとするまでは」

 つらつらと語る様子にわたしは驚きを隠せなかった。こんなに喋る小父様を見るのは初めてかもしれない。そしてそれ以上に欠点とも言える部分を人に晒すなんて意外すぎる。

「彼が根気よく私と接してくれなければ、私は共同生活の中で孤立したままだった。自分の何が悪いのかもわからずに」

「お父様に恩義を感じていらっしゃいますの?」

「そうだな。あれだけ面倒な後輩の世話を嫌がりもせずによくしてくれたと思う」

「だからわたしをフィルの婚約者にしましたのね」

 感謝の念があるからこそ、お父様の娘を公爵家に嫁入りさせようとしたのだと納得する。でもわたしのその考えを小父様は否定した。

「そうではない。私は自分の子供に父親と同じ様にしか接することができないとわかっていたからだ」

 小父様の表情はいつもと同じで相変わらず厳めしかったけど、声に少しだけ悲しそうな響きがあった。

「いくらそれがよくないことだとわかっていても、私は子供に甘い顔など一切できないとわかっていた。多少は丸くなったとはいえ、父親の影響が私には色濃く残っていたからな。だからこそ、彼の娘が傍にいてくれたなら、あの子に私と同じ思いをさせずに済むのではないかと考えたのだ」

「え・・・」

 わたしをフィルの婚約者にしたのはお父様のためでも、小父様自身のためでもなく、フィルのためだった。

 いつの間にか重要な役割を与えられていたと知って、わたしはちょっと焦る。

「君は私が予想していたよりも遥かに期待に応えてくれた。あの子は同じ様な父親に育てられたというのに、私とはまるで似ていない」

 急に褒められたといいますか、感謝のようなものを示されて、わたしは相手が相手だけに動揺した。

「似ているところもありますわよ・・・」

 どこかズレた返答をしてしまう。怒った時の威圧感とか、とは言えませんでしたけど。

 わたしは子供の頃は確かに口数の少ない小父様と、小父様の前では口下手になってしまうフィルの間を取り持とうと努力したことはありましたわ。

 でも子供のわたしにできることなんてほんの些細なことでしかなくて、それだってちゃんと考えて行動していたわけではなく、感覚的に動いていただけですから、自分がやったことが正しいのかどうかわからないままでしたわ。

「あの子はもう、君でないと駄目だろう。こんなに早くなって悪いが、結婚してやってくれ」

 真面目な顔でそんなことを言われて、わたしは酷く狼狽えた。

 嬉しいですけど大袈裟のような気もする。ただ──。

「わたしも、フィルでないと駄目ですわよ」

 赤くなりながら答えると、小父様は僅かに目を見開いた。

「ははは、確かにな」

 笑い声を上げて同意される。わたしは心底驚いてしまった。小父様の笑い声って初めて聞きましたわ。



 コンコンとノックの音がして、書斎の扉が開かれた。

「ねえ、あなた晩餐の・・・」

 喋りながら部屋の中に入ってきた人物は、わたしを見つけると口を閉ざす。

「こんばんは、小母様」

「まあ、アイリーン。もう来ていたのね」

 公爵夫人であり、フィルのお母様でもある彼女は口に手を当てて驚いた。

「どうしましょう。準備を早めるようにコックに言うべきかしら。誰か呼ばないと」

 オロオロしながら出ていこうとする小母様を、わたしは慌てて引き止めた。

「いえ、わたしが一人で早く来ただけですわ。お父様もお母様もまだ到着していないはずですから」

「そうなの? ああ、でもちょうどよかったわ。アイリーン、晩餐用のドレスってこれでいいと思うかしら。ちょっと地味ではない?」

 小母様は着ているドレスを見下ろしながら尋ねてきた。もしかしてこのことを聞くために小父様のいる場所まで来たのかしら。

「お似合いですわよ。今日はわたしの家族だけですから、気軽な格好をなさってください」

「でも晩餐の席でちゃんとしたドレスを着ないわけにはいかないわ。ねえ、あなた、着替えるべきかしら」

「それにしなさい」

 きっぱりと小父様が言った。また眉間に皺が寄ってしまいましたわ。怒っているわけではないと思うのですけど。

 こんな表現をするのはよくないですけど、小母様は良くも悪くも箱入りお嬢様がそのまま年を重ねたような人なのです。ご自分では何もできないですし、何も決められません。お茶会でもよくわたしのお母様を頼っています。

 その代わり小父様やお母様の言うことはとても素直に聞き入れられるのですが。

 今も小父様が言い切ったので、安心して従っておられますわ。

「ねえ、アイリーン、早くお嫁に来てね。そうしたらお茶会にもお買い物にも一緒に行けますもの。息子だと付き合ってはくれないし」

「・・・二十歳にもなっていない娘を頼りにするのはやめなさい」

 常に誰かに傍にいてほしいらしい小母様は小父様に諌められてしゅんとした。いつも思うのですけど小母様付きの侍女って大変そうですわ。

 とはいえ、わたしとしては嫁いびりなどしそうもない方なのでありがたいです。

「わたしでよければご一緒させていただきますわ」

 そう答えると小母様は嬉しそうな顔をして、小父様は何か言いたげにわたしを見た。

 すまなそうな顔に見えるのは気のせいかもしれません。

 でもこの時、こんなに早い時期の結婚を小父様が許したのは、もしかするとわたしたちのためだけではないのでは、と思ってしまいましたわ。


 

 


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