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ブリジットの恋 3

 フィルがわたしの隣の席に移動して、ブリジットたち三人のために椅子を空けた。

 店内に入って来たブリジットは普段通りの様子で、デートを邪魔されたようには見えず、にこやかに挨拶をする。

「こんにちは。お買い物に来ていたの?」

「ええ、ブリジットも?」

「そうよ。たまたまウチに来ていて、これから事務所に帰るっていうハロルドさんに送っていただいたの」

 ブリジットは後ろにいる紳士を見ながら言った。

 一緒にいる男性はデートの相手ではなくて、本来ならそこで別れるところだったようですわね。ひとまずホッとする。

 彼は紳士らしく椅子を引いてブリジットを先に座らせてから、メイドにも同じようにした。全員が腰掛けてから、ブリジットが紹介をする。

「この方はわたしの家の顧問弁護士でハロルド・ベイクウェルさん。ハロルドさん、こちらは友達のアイリーン・オストンと婚約者のフィリップ・アーノルド様よ」

「初めまして。近々ご結婚されると噂の方々ですね」

 ベイクウェルさんはがっしりとした体格の大きい方ですわね。物静かで穏やかそうな顔立ちがあまり弁護士らしくありませんわ。

 そしてブリジットの家の顧問弁護士だと言うのですから、間違いなくこの方がブリジットの想い人ですわ。わたしは思わず彼の顔を凝視しそうになって、慌てて視線を逸らした。

「ええ、彼女の花嫁仕度を揃えに来ていたんです」

 フィルが貴族の嫡男らしい顔になって答える。

「公爵家でご用意されているのですか?」

 ベイクウェルさんはちょっと驚いた声を出した。

「本当はわたしの家が用意しなくてはいけないのですけどね。フィルと小父様が何でも買ってしまうのですわ」

 誤解されるかもしれないと思ってわたしは急いで説明した。わたしが我が儘を言ってねだったわけでも、お父様がケチなわけでもありませんわよ。

「どちらで用意しても同じだろう。今更、遠慮が必要な家同士でもない」

「同じではありませんわよ・・・」

 大雑把なことを言うフィルに困惑気味に反論する。

「さすが公爵家ですね・・・」

 ベイクウェルさんは呆れることなく、そういうものだと思ってくださったようですわ。若干表情が硬くなっているような気がしますけど。

「もう一通り揃えたの?」

 ブリジットが笑いながら尋ねた。

「ええ、大方は」

「わたしももう、ちゃんと用意しているわよ。ブライスメイドの衣装。もうすぐよね、楽しみだわ」

「どうしてブリジットが楽しみにしていますのよ・・・」

「あら、コレットの挙式の時にあなたも同じことを言っていたじゃないの」

 言われてみればそうでしたわ。友達の結婚式ってどうしてだか楽しみのような気がしますのよ。

 その時フッと笑い声のようなものが聞こえて目を向けると、ベイクウェルさんが表情を弛ませてブリジットを見ていた。隣にいるブリジットは気づいていない。

 なんだか見てはいけないものを見てしまったような気分になったわ。

「ブリジットは何を買いに来ましたの?」

 話題を変えるべくわたしはブリジットに尋ねた。

「帽子と手袋よ。もう夜会には出ないけど、お茶会などには行かなくてはいけないから、今年のものを新調しに来たの」

「夜会に行かないのですか?」

 知らなかったフィルが不思議そうに聞く。

「ええ、花婿探しはやめましたの」

 ブリジットはにこりと笑いながら、キッパリとした口調で言った。隣にいるベイクウェルさんの顔が僅かに強張りましたわ。

 さっきとは打って変わって緊張感すら漂わせている反応に戸惑う。もしかしてブリジットは上手くいっていないのかしら。彼はブリジットの気持ちを知っているはずなのですわよね。

 でもベイクウェルさんは紳士というだけでなく、ブリジットへの態度が丁寧で優しく感じるのですけど。

「まだ二年しか社交界に出ていないでしょう。そんなに簡単に決めるものではありませんよ」

 無理に何気なさを装ったような声で、年上らしい諭すようなことをベイクウェルさんは言う。これにブリジットはカチンときたようですわ。

「簡単に決めたわけではありませんわ。確固たる意思をもって決めましたの。お父様だって了承してくださったのですから、何の問題もありません。ついこの間も同じことを言いましたわよ、ハロルドさん」

 ブリジットは同じことを言わせないでと目を吊り上げる。

「あなたは思い込みがあるのですよ。自分を過小評価しすぎているんです。社交界でちゃんと愛想よく振る舞っていれば、不自由のない暮らしをさせてくれる相手に見初められる可能性は十分あるはずです」

 つられたようにベイクウェルさんも強い口調で言い返す。少し苛立っているみたいで、説得しようとして言っているのか疑問ですわ。

「あら、わたしがそんな人と結婚したいと言ったことがありましたかしら」

「少し世間を知っている女性なら、誰だってそう思っていますよ」

「わたしは世間知らずだからこんなことをしているわけではないわ!」

 ブリジットは今度こそ本気で腹が立ったように声を荒げた。

「ちょっと、ブリジット」

 何人かの人がチラチラとこちらを見ている。わたしが注意を促すと、彼女はハッとして口を閉ざした。ブリジットってちょっと短気なところがあるのよ。

 でもこれはたった今言われた言葉だけが、原因ではないかもしれないわ。二人の話しぶりからして、何度か同じような内容の会話をしていそうですし。

 気まずい空気が流れてしまったわ。

「そんなつもりで言ったわけではありません。ただあなたは幸せな結婚をするべきだと思ったのです」

 ベイクウェルさんがすまなそうに言いますけど、それって却ってブリジットの神経を逆撫でしていないかしら。

「あなたはいつもそう言いますわね」

 ブリジットの声には悲しそうな響きがあった。

「社交界へ行って贅沢な暮らしをさせてくれる素敵な男性に出会って求婚される。ほとんどの貴族の娘にとっての幸せはそれでしょうね。だからわたしもそうするべきだと言いますの? それともわたしが本当に望んでいることがそれだと思っていますの?」

 切実な問いに答えは返って来なかった。違うともそうだとも彼は言わない。

「わたしは・・・わたしが結婚したいと思うのは一人だけです。その方と結婚できないのなら、一生誰ともしませんわ」

「それは・・・」

「もう決めましたの。わたしにとって何が幸せなのかを決める権利はあなたにはありませんのよ、ハロルドさん」

 挑むように彼を見る。

 そして彼は呆然としてブリジットを見返していた。まさかそこまで強い意志をぶつけられるなんて思ってもいなかったというように。

 わたしとフィルは黙って見守っているしかない。

 しばらくしてベイクウェルさんはポツリと言った。

「やっぱりあなたは簡単に決めています。もっと社交界に出て、いろんな人と会うべきです」

 ブリジットの顔が傷ついたように歪められた。それが見えたのは一瞬で、彼女はすぐに俯いて隠した。

「・・・わかりました」

 声が震えている。それを聞いて胸が痛くなった。どうしてベイクウェルさんはあんな言い方をするのよ。

「そうね。よく考えたらもっといい相手がいるからなんて、断り文句の常套句ですものね」

「いや・・・」

 否定するような声を上げてから、ベイクウェルさんは思い止まったかのように口を噤んだ。

「傷つけないように、遠回しな言葉を選んでくださったのね。ありがとうございます」

 そう言ってブリジットは立ち上がった。

「よくわかりましたわ」

 くるりと背を向けて、ブリジットは速足で歩き出した。

「お嬢様!」

 メイドが慌てて後を追った。


 

 ブリジットが心配でわたしも追おうと立ち上がった。

 でも腕を引かれて、椅子に引き戻される。わたしの腕を掴んでいるフィルは、ベイクウェルさんをじっと見ていた。

「追わなくていいのですか?」

 フィルに尋ねられたベイクウェルさんは、ショックを受けたような顔でゆっくりと首を振る。

 わたしは猛烈に腹が立った。

「どうしてあなたがそんな顔をしますのよ。だいたい簡単に決めつけているのはあなたの方でしょう?!」

 彼はとても意外なことを言われたというように眉を上げた。

「そう・・・ですね。確かにその通りです」

 納得するくせにじっと座っているだけで、何もしようとしない。

 何なんですのよ、この人は。ブリジットよりもずっと年上のくせに。

「その気がなかったのなら、もっとはっきりとした態度で示していればよろしかったのよ。ブリジットはそれを察せられないような子じゃありませんわ。あなたが期待を持たせるようなことをしたのではありませんの?」

 怒りが収まらないわたしは責める口調を止められない。今日会ったばかりの人にこんな決めつけるようなことを言うべきではないとわかっていますけど。

「そんなつもりは・・・」

 ベイクウェルさんはぼそぼそとよくわからないことを口にする。

 否定しているのか、していないのか、どちらですのよ。

「こんなことで大人ぶっていても、逆効果ではないですか?」

 フィルが冷静に指摘すると、わたしの言葉には反発することもなく受け入れていたベイクウェルさんが、険しい目を向けた。

「あなたの気持ちもわからないではないですけどね」

 それを気にすることもなく、フィルは淡々と話す。

「でもあなたは自分から彼女の手を取る権利を放棄したんです。そのことはもっとしっかり自覚しているべきだと思いますよ」

 まるで彼が本当はそうしたくなかったかのような言い方だわ。でもわたしも少しだけそう思う。ただの希望的観測かもしれませんけど。

 ベイクウェルさんはこれ以上ないくらい険しい顔をして、テーブルを見つめていた。

「これで失礼します。行こう、アイリーン」

 フィルは言うだけ言って、わたしの手を引いて店を出た。



 帰りの馬車の中でフィルに質問をぶつけた。

「ベイクウェルさんの気持ちもわかるってどういうことですの?」

「男のプライドの問題かな。自分と結婚することで生活水準が格段に下がるとわかっている人と結婚するのは、惨めな気持ちにさせられるものだろう、男にとっては。現実問題として上手くいかないことが多いというのもあるけどね。それに彼はブリジット嬢よりもかなり年上のようだから、理性で判断しなきゃいけないと思ってしまうんだろう」

 わたしはブリジットがベイクウェルさんと結婚することで今までのような生活ができなくなることくらい、十分にわかっているのだと思っていた。だからそのことについてブリジットに問い詰めたりはしていない。

 でもベイクウェルさんにとってはそれだけの問題ではないのね。

 だから彼はフィルにあんな態度を取ったのだわ。

 ブリジットはどうするのかしら。さっきの様子からして、もうベイクウェルさんのことは諦めるのかもしれない。そうした方がいいのか、諦めずにいるべきなのかわからなかった。

 わたしは明日彼女の家に行こうと決めた。

 

 

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