ブリジットの恋 2
三人でのお茶会から少し経ちましたけど、ブリジットから進展したという話はありません。
しつこく経過を聞くわけにもいかないので、ジリジリしますわね。夜会に出席してのやり取りなら協力することもできますけど、今回はわたしにできることなんてなさそうですから、余計にどうなっているのか気になってしまいますわ。
でもよく考えればお相手はブリジットだってそんなに頻繁に会える人ではありませんわよね。これは進展するまでに時間が掛かるのかしら。
「アイリーン、もうすぐ着くぞ」
考えに没頭していると、フィルに声を掛けられる。
いつの間にか馬車の速度が落ちていた。
「何をそんなに難しい顔をしているんだ?」
「いえ、何を買おうか迷っていただけですわ」
本当のことを言うわけにはいかず誤魔化した。今日は買い物をする予定なので、不自然ではありませんわ。少し前に約束していた小物類を買いに連れてきてもらっているのです。
「何でも買えばいいだろう」
フィルは悩む必要があるのかと言いたげに首を傾げる。相変わらず太っ腹ですわ。
そうですわね。二人で買い物に来ているのですから、この場合はわたしがお店で遠慮してしまうと、公爵家の経済状況が傾いているのではないかと勘繰られてしまうので、散財させてしまうのが正しい行動ですわ。お金がある貴族の家の娘なんて、金銭感覚がないのが普通ですし。それはわかってはいるのですけどね。
でもここはウエストロードと呼ばれる、デパートよりも上級な品物を扱う店が軒を連ねる高級商店街なのですわ。どこまでが本当に大丈夫なのか判断がつきませんわよ。
フィルに手をとられて馬車を降りる。
すると始めに目に入った商店で、ガラス張りのショーウィンドウに飾られた流行最先端のいくつかの帽子に目が釘付けになった。つばの広いものや小ぶりのものなど様々な種類が配置よく飾られている。ファッション誌ですら見たことのないデザインのものまであった。
近くの手袋やパラソルの店、ドレス店も同様に凝ったディスプレイになっていて、見ているだけで気分が高揚しますわ。頭の中が買い物モードにカチリと切り替わった。
「アイリーン、そんな所で見ていないで中に入ろう」
足が止まっていたわたしをフィルが苦笑しながら呼んだ。
店の中に入ってフィルが名前を告げると、静かに店内がざわついて奥から店主のマダムが大急ぎで駆けて来た。公爵家の人間が店に直接来ることなんてほとんどありませんから、そりゃあ驚きますわよね。
マダムはわたしを見て目を光らせた。
「噂の婚約者様ですわね。まあ、本当に薔薇のように可憐なお嬢様ですわ」
上品な身振りで褒め称えられますけど、カモだと思われているような気がするのはわたしの被害妄想かしら。
つい最近、新聞に結婚の日取りについての知らせを掲載したので、隣にいるわたしが婚約者だと当然わかりますわね。未来の公爵夫人に贔屓にしてもらおうと画策・・・するのはまあ、当然ですわね。
「これなどいかがですか? 隣国からいち早く入手いたしましたのよ。まだどなたもお持ちではありませんわ。これを身に付けてお茶会に出掛けられましたら皆様に羨望の眼差しを向けられること間違いございません。きっとお嬢様に似合いましてよ」
隣国といえばファッションの国とも言われていますわ。マダムはいかにも若い女性が心引かれそうな口上を流れるように口にして、やや変わったデザインの帽子を差し出した。
「・・・ちょっと派手じゃないかしら?」
「まあ、ご結婚されるのですもの。夫人になられるのですから、これくらいでちょうどいいですわよ。ともかく試しに一度被ってみてくださいな」
強引さに少々引きながらも、わたしはとりあえず試着してみた。思った通りにマダムは大袈裟に褒め称える。
「とてもよく似合っていますわ」
でも身に付けてみるとそこまで派手さは感じなかった。どうしようかと迷って、フィルをチラリと見る。
「いいんじゃないか」
「ええ、可愛らしいですわよね。では次にこちらはいかがですか?」
ともかくたくさんの品を見せようという魂胆なのか、マダムはそれから次々に新しい帽子を持って来る。
何度も試着をさせられる羽目になりましたわ。楽しいからいいのですけど。
そしてしばらくして、ふと気がついた。
わたしが試着した後の帽子がきっちり二つにより分けられている。でもわたしは一言もどれがほしいとか買うとかは言っていませんわ。最後に決めるのだと思っていましたから。
それならどんな基準で分けられているのかと考えていると、後ろからマダムのボソボソとした声が聞こえてきた。それに答えているのはフィルで、返事を聞いたマダムは嬉々として、先程わたしが試着した帽子を数が多い方に置いた。
背後で商談が成立していますわ・・・!
しかも明らかに買っているもののほうが圧倒的に多い。わたしではなくてフィルがカモになっていますわよ。
わたしは慌ててフィルを呼んで小声で囁いた。
「買いすぎではないかしら。帽子ばかりこんなにいりませんわよ」
「そうか? 別にいいだろう」
「フィル、マダムに乗せられ過ぎですわ」
「そうだな」
フィルはあっけらかんと肯定した。ちゃんとわかっているのだと表情で言っている。
つまり敢えてカモになっているのですわね。
そういえば大貴族ってこういうものでしたわ。ケチだと思われてはいけないのです。
それにしてもこれ以上増やすわけにはいきませんわよ。
そろそろ別の店に行きたいとわたしが言ったことで、ようやくマダムか新しい品を持って来るのをやめて店を出ることに成功しましたわ。
でも安心したのもつかの間、他の店でも同じような展開になりましたわよ。勧められた品を試着してわたしが少しでも好意的な意見を口にすると、店主がフィルに話を振ってお買い上げになるのです。
学習しましたわ。お世辞を言ってはいけないのですわね。
しかしながらわたしだって買い物をするのは好きなのです。いろいろな品を見せられると目を輝かせてしまうのはやめられず、我に返ればかなりの量の買い物をしてしまいましたわ。フィルは全く気にしていないどころかちょっと機嫌がよさそうですけど。
そんな調子で三軒目の店を出た後は、少し疲れてしまっていた。
「フィルは何か買いませんの?」
せっかくウエストロードに来ているのだからと聞いてみましたけど、フィルは首を振る。
「今日はいい。それよりも疲れたならコーヒーハウスにでも行かないか」
一通り以上に必要なものは揃えられたので、わたしは頷いた。
通りを歩いてしばらくするとコーヒーハウスが見つかる。
店内に入ると奥の壁に大きな煖炉が据えてあって、寒気から解放されてほっとした。
店の内装は大きな屋敷の書斎を模しているのか、重厚でいて暖かみもあって居心地がよさそうですわ。
席について飲み物と焼き菓子を注文する。
「退屈ではなかった?」
フィルのほうこそ疲れたのではないかと思って聞いてみる。
「いや。何でだ」
「だって男性は女性の買い物に付き合うのを嫌がるって聞きますもの」
「ああ・・・。今日は初めてだったから物珍しくて退屈ではなかったな。そのうち嫌になるかもしれないけど」
フィルは笑いながら言った。
何度も付き合っていればそのうちは、という意味合いにちょっと照れてしまう。
結婚式までもうそれほど日がないということを急に実感してしまった。今日は店に入る度に結婚のことを言われましたのに、どうして今更。
話を逸らしたくなって視線をさ迷わせていると、ウェイターが注文したものを運んで来る。
まだ体の芯が冷えていたから、温かい飲み物に集中することにする。角砂糖を一つ加えてからスプーンでかき混ぜてゆっくり口に入れた。それからフィルの飲んでいる珈琲に目を止める。フィルは紅茶よりも珈琲派なのよね。
「ねえ、一口ちょうだい」
フィルの持っているカップに手を伸ばす。すると彼はおかしそうに笑った。
「去年も同じことをして後悔していただろう?」
忘れたのかと言いたそうですけどちゃんと覚えていますわよ。去年、社交界デビューしたばかりの頃に飲ませてもらいましたわ。
苦くて大人の飲み物だと聞いていましたから、デビューしたばかりで浮かれていたわたしは、もう大人になったのだから飲めるはずだと言って一口貰ったのです。結果は一口も飲めなかったのですけどね。
「一年経ったのだから、去年よりは平気になっているはずですわ」
何もいきなり飲めるようになるだなんて思っていませんわよ。でも少しくらいはあの苦さが大丈夫になっているかもしれませんわ。
「変わらないと思うけどな」
「そんなのわかりませんわよ」
ムッとして言い返すと、フィルはしょうがないというようにカップを渡してくれた。
それを受け取って黒い液体をじっと見る。味なんて覚えていなくて、とても苦かったという記憶だけがあるから、僅かに抵抗が出てしまう。でも香りはとても美味しそうですわ。わたしは恐る恐る口に入れた。
直後、言葉もなく眉間に大きな皺を刻んでしまった。眉尻が下がって、とても情けない顔をしているのが自分でもわかる。
「だから言っただろう」
フィルは笑いを堪えながらカップを取り上げて、お皿に盛ってあったクッキーをわたしの口に押しつけた。
クッキーを舌に馴染ませるようにじっくり咀嚼してから、わたしは自分のクリーム入りの紅茶で流し込んだ。
それでもまだ口の中に苦味が残っていますわ。
砂糖だって入っているはずなのに、どうしてこんなに苦いのよ。
堪えきれなくなったのか、フィルの口からクククッと笑い声が漏れている。
わかっていますわよ。自業自得だということは。それでも笑われてはいい気はしませんわ。わたしはフイッとそっぽを向いた。
自分からは話しかけないつもりでその姿勢を続けていると、笑い声が治まったはずのフィルも何も言わない。ただ視線だけがずっと向けられている気がした。
しばらくその状態が続くものだから、焦れたわたしは横目でフィルを見た。
すると案の定、フィルは肘をつきながら笑みを浮かべてわたしを眺めていた。本当にずっと見ていたのだとわかる体勢だったものだから恥ずかしくなる。
でも嫌味など欠片もない、むしろ優しい顔をしているから、文句も言えない。
「・・・何ですの?」
「別に」
どうしてそんなに見ているのかという意味で聞いたのに、フィルは軽く流して視線を逸らしてくれない。もう、何がしたいのよ。
わたしは逃げるように再び顔を背けた。
窓ガラス越しに外の風景を眺めながら、フィルの気が逸れるような話題はないかと必死で考える。
すると目の前の道路で馬車が停車して、中から貴族らしき人たちが出て来た。何気なく目にしていたけれど、よく知っている顔を発見して、驚きの声を上げた。
「ブリジットだわ」
「え?」
彼女は付き添いらしいメイドと一緒にいる。買い物に来たのかしら。
わたしは窓ガラスを軽く叩いて呼び掛けてみた。これには気づいてくれず、手を振ってみるとブリジットはこちらに目を向けた。彼女も驚いている。
わたしはこの状況を助けてほしくて、手招きして一緒にお茶をしないかと誘ってみた。
ブリジットは頷いて了承の意思を伝えてから、近くにいた紳士に話しかけた。
てっきりメイドと二人だけだと思い込んでいたわ。でもよく見ていなかったけど、馬車から始めに降りたのはこの人だったかもしれない。
ブリジットは迷っている様子の紳士を熱心に誘っているみたいだった。こちらからは背を向けられているので、この紳士がどんな人なのかは全くわからない。
「アイリーン、邪魔をしたんじゃないか?」
心配そうにフィルが言った。
「・・・そうかしら」
誤魔化すようなことを言いつつ、わたしもそうではないかと思い始めていた。
もしブリジットの思い人がこの紳士で、付き添いがいようと一緒に出掛けられるところまで進展していたのなら、わたしはデートの邪魔をしてしまったということになるわ。
どうしましょう。
内心冷汗をかきつつ、既に店の入り口まで来ていた三人にやっぱりやめましょうだなんて言えるわけもない。
わたしは焦りを押し隠しつつ、ブリジットたちを笑顔で迎えた。