ブリジットの恋 1
年が明けて大勢の貴族が王都へやって来る時期になる。
先日ブリジットもタウンハウスに到着したという連絡をもらったので、もともと王都からほとんど離れていなかったコレットも合わせて三人でお茶会をすることになりました。
二人共手紙でのやり取りはしていたので、ブリジットが狩猟パーティーなどにもあまり参加せずに領地にこもっていたことや、コレットの新婚生活が順調なことも知っているのですけど、顔を合わせるのは実に五カ月ぶりです。
手紙では聞けないこともありますから、とても楽しみにしていたのですわ。
コレットの新生活がどのようなものかもっと詳しく知りたいですし、ブリジットが今シーズンをどう過ごすのかなども。
特にブリジットは今回で社交界デビューから三シーズン目ですから、結婚相手探しに本腰を入れなければいけませんものね。去年は本人があまり乗り気ではありませんでしたし、わたしも自分のこととコレットのことで精一杯でしたから、ブリジットがどうしたいのかも聞いていなかったのですけど、彼女が迷惑がらなければ協力を惜しまないつもりですわ。
お母様に相談してブリジットと気の合いそうな男性がいないか探してもらうのもいいかもしれなせんわね。
とにかく直接話をしないことにはどうにもなりませんわ。わたしは二人が訪ねて来るのを今か今かと待ちわびていた。
「アイリーン、お久しぶり!」
「お久しぶり」
応接間にブリジットとコレットが入って来る。先に部屋で待っていたわたしは立ち上がって二人を迎えた。
「お久しぶりですわ。ブリジット、コレット」
「もう、寒くて嫌になっちゃうわね。マフを重ね付けしたいくらいだわ」
寒がりらしいブリジットは部屋が煖炉で暖まっていることにほっとしていた。王都にいると外出が多くなるので、領地にいるよりも寒さを実感しやすいですわよね。
「待ってて。熱々のホットチョコレートを用意してもらうわ」
二人に煖炉の近くのソファーを勧めてから、わたしはメイドに頼んでホットチョコレートと、ちょうど二人が到着する頃に焼き上げるようにお願いしていたパウンドケーキを持って来てもらった。
「気が利くわね。さすがもうすぐ公爵家に嫁ぐだけあるわ」
ブリジットがにやっと笑いながら言った。
「ちょっと、からかわないで」
確かに客人を上手にもてなすことは、上級貴族の夫人に必要不可欠な技術で、わたしもお母様に厳しく教え込まれましたけどね。でもそれをいちいち挙げ連ねないでほしいわ。
「ふふ。でもアイリーン、あなたちょっと大人っぽくなったんじゃない?」
今度はコレットがそんなことを言い出した。
「えぇ?」
「そうね。言われてみれば雰囲気が大人っぽくなっているわ」
ブリジットまで同意する。わたしは首を傾げた。
「それはないですわ。むしろ・・・子供っぽくなってしまったと思いますもの」
「どの辺が?」
それを聞かれると困る。でも二人が気になるような言い方をしたのは自分だった。わたしはテーブルに突っ伏すような体勢で顔を隠した。
「その・・・フィルに甘えすぎていると言いますか」
「なんだ、惚気なの」
ブリジットが呆れたようにバッサリと言った。
「ち、違いますわよ!」
「はいはい、好きなだけ甘えなさいな。フィリップ様も喜ぶわよ」
惚気ではありませんわ。真剣にどうなのかと考えていましたのよ。でもブリジットに適当な答えをもらって、そんなに気にすることでもないのかと思えてきましたわ。
「わたしのことよりも、ブリジット。あなたはどうなんですの」
反撃のつもりで声を荒らげる。
「え?」
「今シーズンは去年のようにのんびり過ごすわけにはいきませんわよ。ちゃんと結婚相手を見つけるつもりがありますの?」
びしっと指摘するとブリジットは困ったように顔を歪めた。
「ほら、わたしのことをからかっている場合じゃありませんわよ」
「いえ、違うの。そうじゃなくて・・・わたし今シーズンはもう夜会に出席しないわ」
ブリジットはどう言うべきか迷うように口にした。驚いて目を見開く。
「え、えぇ?! どういうことですの。もしかして領地でもう見つけてしまいましたの?!」
聞いていないというようにブリジットに詰め寄る。コレットを見ると彼女も驚いている。
「違うわよ。でももう社交界で花婿探しはしないわ」
ブリジットは落ち着き払っている。でも花婿探しはしないって。
「結婚はしないってことですの?」
「そうじゃなくて・・・」
言いにくそうに口ごもる。するとコレットが静かに告げた。
「ブリジット。あなた好きな人いるわよね」
唐突な爆弾発言にポカンとコレットを見る。それからブリジットを目を移すと、彼女も「どうしてわかったの」とでも言いたげに驚愕していた。
「そうなんですの?!」
ちょっと、全くの初耳ですわよ。それらしきことをブリジットの口から聞いたことなんてなかったはずですわ。いつもわたしやコレットのことばかり気にしていて、自分のことはいいのだと言っていたものだから、興味がないのだと思ってましたわよ。
でもそれなら去年の結婚相手探しに乗り気ではなかった理由に説明がつきますわね。コレットってば相変わらず鋭いですわ。
では好きな人がいるのに夜会に出席しないってつまりどういうことですの。わたしの頭の中にいろんな可能性が駆け巡る。
「その方は貴族じゃないのね?」
もしや相手のある方を好きになってしまったのではないかと考えたところで、コレットが指摘した。あ、ああ、なるほど。夜会に出席するような人ではありませんのね。
「いえ、貴族の三男ではあるのよ。でも家が男爵家でそれほど力があるわけでもないから、夜会などにはあまり出ないわ。・・・わたしの家の顧問弁護士なの」
普段の溌剌とした様子はなく、ブリジットはぼそぼそと言った。
「わたしは結婚するなら彼とじゃなきゃ嫌だけど、彼はわたしを好きかどうかわからないわ。でもきっと告白しても社交界でもっといい相手をみつけろと言われるだけなのよ。お父様だって反対するかもしれないわ。だから二年我慢したの。わたしは男性に好かれる容姿じゃないし、社交界に出ても誰にも相手にされなかったと言えばいいと思って」
「敢えて男性と接触しませんでしたのね」
ブリジットは確かに貴族男性にはあまり好まれない赤毛にそばかすという特徴を持っていますけど、話をすればしっかり者で情に厚いことはわかりますもの。気に入ってくださる男性はいたはずですわ。
でも伯爵家の娘であるブリジットが結婚したいのは男爵家の三男ですから、一般的に良縁だと思われるような人には相手にされなかったという事実を作って、少しでもその人と結婚しやすい状況を作りたかったのね。
「二年でもう社交界に出なくていいと言ってもらえたの?」
コレットの質問にブリジットは肩を竦めた。
「ウチが五人姉妹なことは知っているでしょう。お姉様二人は一応相手を見つけることができたけど、お父様も五人全員がいい結婚をできるなんて思ってはいないはずよ。それに今年は妹の社交界デビューもあるしね」
そうでしたわ。ブリジットは五人姉妹のちょうど真ん中で、一番下に弟がいるのでしたわね。
貴族の娘が多い家というのはお金持ちであっても大変なのです。社交界デビューやら結婚やら、一気にお金を使うイベントがありますもの。お金持ちでなければ娘一人だけでも大変ですから、娘がデビューしてすぐに結婚相手を見つけられても、婚約期間を長く設ける場合が多いのです。
女性は無垢な期間が長いほうがいいという風評に合わせているように見せかけて、実際はお金がすぐに用意できないだけという家もあります。そういう内情を隠すためにこのような風評ができたのかもしれませんけど。
ブリジットのお姉様が結婚を控えていて、妹が今年社交界デビューするのなら、彼女の家はあまり余裕がありませんわよね。デビュー時に一番お金が掛かるとはいえ、夜会に出席するたびに費用は嵩みますもの。ブリジットが二年社交界に出ただけでそこでの花婿探しをやめると言っても、受け入れられるのはわかります。娘が五人いれば全員にいい縁談は望めないと考えるのも。
「お父様にはもうその方のことを話していますの?」
「いいえ、まずは本人にわたしと結婚する気になってもらわないと話にならないわ。お父様はわたしが結婚できなくても別にいいだろうと思っているだけだから、彼にその気になってもらってから、お父様を説得しなくちゃいけないのよ」
結婚しないことと男爵家の三男と結婚することは別ですものね。あり得ない組み合わせではないですけど、簡単に了承してもらえそうな相手でもないですから。
「ではブリジットからアプローチしますの?」
「そうよ」
何でもないことのようにブリジットは答える。隣でコレットが「まあ」と感嘆の声を上げた。
女性からはしたないと思われずに男性にアプローチをするのはかなり難しいことですわよ。ブリジットは勇気がありますわ。
「昔からそれとなく意思表示はしていたのよ。だからよっぽど鈍くない限り、わたしの気持ちはもう知っているはずだわ」
「え? 昔っていつからですの」
「十年近く前からね」
「え? その方おいくつなの」
わたしとコレットが交互に尋ねる。驚きの事実が次々に出てきますわ。伯爵家の顧問弁護士を十年近くはしているのだったら、ブリジットとかなり歳が離れているのではないかしら。
「確か三十六か七くらいだったわ。十年前は当時のウチの顧問弁護士の事務所で見習いをしていたのよ。その方が引退されてから、仕事を引き継いだの」
なるほど。男性ならその年で未婚でも珍しくはありませんわね。貴族の次男以下は婚期が遅れがちですし。
「どんな方ですの? ブリジットが十年間片思いしていましたのよね。格好いいの?」
わたしは興味津々で質問した。ブリジットがそんなに好きな方なら、とても素敵な人だろうと思ったのですわ。
「どんなって・・・普通の人よ。格好よくはないわ。弁護士にしては穏やかね」
ブリジットはまた困った顔をしながら言った。
普通だと思っている人をそんなに長い間片思いしていられるかしら。少なくともブリジットにとっては特別なのよね。
わたしはいつか会わせてもらおうと決めて、それについてはもう聞かないことにした。
「でもどうして今まで好きな人がいるって黙っていましたの?」
恨みがましい目をしてブリジットを睨んだ。わたしやコレットのその手の話には一番に食い付いていましたのに。なんだかズルいですわ。
「だって聞かれなかったもの」
わたしの視線から逃れるように、ブリジットはそっぽを向いた。それはそうなのですけどね。
いいですわ。ブリジットが上手くいった暁には、わたしの時以上に根掘り葉掘り聞き出してやりますわよ。