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タウンハウスへ

「アイリーン、お待ちかねの相手がようやく到着したぞ」

 出発の準備を終えて、居間でのんびりお茶を飲んでいると、執事の役目であるはずの報告をわざわざダグラスお兄様が言いに来た。

 いつものことながら言い方が引っかかるわ。

 子供の頃からずっと口を開けばわたしをからかおうとするダグラスお兄様は、今ではもう妹に対してそんな風にしか会話ができなくなってしまっているのではないかと思うのよ。

 さっきだって意図して言ったわけではなくて、自然に口にしているのだもの。

「そこまで待っていませんわよ」

 わたしも軽く流せばいいのに、ムッとしてつい反発してしまう。もう習慣のようなものですわ。

 でも最近はダグラスお兄様がなぜかちょっとだけ優しいから不気味ですわ。妹を可愛がったことなんてほとんどないのに、兄らしい態度を取るようになっているんですもの。まあ、どうせくだらない理由でしょうけど。

 ともかくわたしは迎えが来たようなので立ち上がった。

 年末になって、いつもより少しだけ早い王都行きですわ。

 ここに来る時は鉄道に乗りましたけど、今回はずっと馬車です。鉄道はたまに乗りたくなるのですけど、お母様があまりいい顔をしませんのよね。大きな駅はいろんな人が大勢いますから、嫁入り前の貴族の娘が行く場所ではないと言って。

 長時間馬車に揺られるのは疲れますけど、それさえ我慢すればこちらのほうが楽かもしれませんわ。それに今日は話し相手もいますしね。

 わたしは荷物を従僕に持ってもらってエントランスへ向かった。

 タウンハウスにもドレスなどは置きっぱなしにしているので、それほど多い量ではありません。

 迎えに来てくれた人物の姿をエントランスで見つけてわたしは声をかけた。

「フィル、来てくれて・・・」

「遅いぞ、フィル。アイリーンがすっかり大人しくなってしまったじゃないか」

 わたしの言葉を遮ってダグラスお兄様がよくわからない文句を言った。

「今回はいつにも増して寂しそうにしていたからな。ちゃんと慰めてやってくれよ」

 続けてとんでもないことを言う。

「ちょっと、誰が寂しそうだったんですの。勝手な捏造をしないでくださいな!」

 あまりの思い込みにわたしは食ってかかった。たまにダグラスお兄様はこういうことをするのですわ。自分がそうに違いないと思っているだけなのに、わたしが怒ってもいない時でも怒っていると言ったり、寂しがっていたと言ったり。

 そりゃあ、しばらく会えなかったのですから寂しい気持ちが多少はありましたわよ。でもあまりに大袈裟ですわ。まるでわたしがずっと意気消沈していたみたいではありませんの。

 最近は兄らしいだなんて思っていたことを、心の中で激しく撤回した。やっぱり少しも優しくなんてありませんわ。

「はいはい。フィル、よろしく頼むぞ」

 わたしのほうが間違ったことを言っているみたいにあしらわれる。腹立ちますわぁ。

 もうダグラスお兄様は無視ですわ。わたしはフィルに目を向けた。

 彼はこんなやり取りなんて見慣れているので、黙って苦笑している。わたしと目が合うと表情を柔らかくした。

「もちろん、しっかりと送り届けるよ。任せてくれ」

 ダグラスお兄様に向かって頷く。そんなに真面目な返答しなくていいですわよ。

 時間に余裕がないので、わたしとフィルはすぐに屋敷を出た。近いうちにダグラスお兄様には仕返ししてやりますわ。



 馬車に乗り込むと、これからの予定などいろいろと話したいと思っていたことがあるはずなのに、何を言えばいいのかわからなくなった。

 するとフィルのほうから話題を出してくれる。

「ウェディングドレスがそろそろ仕上がるそうだよ。一度試着してほしいと言っていた」

「まあ、今まで掛かりましたの。本当に凝っていますのね」

「他のドレスも作っていたみたいだからね。父さんがついでにやっておけと言っていた」

「え・・・?」

 わたしは驚いてフィルを凝視した。

「他のドレスといいますと?」

「イブニングドレスとかアフタヌーンドレスとか。もちろん、君の」

 何でもないことのように言うフィルに、わたしは脱力してしまった。

「結局作ってしまいましたのね」

 それについては丁重にお断りしたはずですのに。これが大金持ちの感覚というものかしら。

「まあ、そちらで用意をするなということではないから。多いに越したことはないだろう」

 そうですけどね。結婚したなら来年も夜会にたくさん出ることになるでしょうし、結婚前のドレスはほとんど着れなくなるでしょうし。

 地位の高い貴族ほど権威を誇示するためにお金を消費しなくてはいけないのもわかるのですけど、ちょっとすぐにはこの感覚に付いていけそうにないですわ。

「他の小物類なんかはしばらくしたら買いに行こう」

 フィルがまたしても公爵家で負担するかのような言い方をしましたけど、わたしは他のことに気を取られた。

「買い物に行きますの?」

「ああ、アイリーンは屋敷に店を呼ぶよりも出掛けるほうが好きだろう」

 わたしは笑顔で答えた。

「ええ、好きよ」

 わたしに合わせて一緒に付き合ってくれることが嬉しい。男の人にとっては女性の買い物なんて退屈なだけだと聞きますのに。

 ダグラスお兄様のせいでいつもよりは素直に話せなくなっていましたけど、そんな微妙な気持ちはどこかへ行ってしまった。

 そのあとは今後の予定やカントリーハウスで何をしていたかという話題でずっとおしゃべりをしていた。

 途中で一度、食事と休憩のために馬車を降りてから、再び乗り込む。

 でもさすがにずっと同じ体勢でいることが疲れてきましたわ。それに朝が早かったことと、箱形馬車だから薄暗いせいで眠くなってきました。

「アイリーン、疲れたのか? こっちに来い。抱えていてやるから」

 顔に出てしまっていたのか、フィルが手を伸ばしてきた。

 馬車の中では居眠りをしても逆に疲れてしまうということが多い。だから眠りやすいように抱えていてやるということなのでしょうけど。

「それはフィルがしんどいでしょう」

「平気だ。それくらいは」

 フィルはわたしが動くのを待たずに持ち上げて膝の上に乗せた。

 本当に平気なのかはわからない。でも座席よりもずっと座り心地がよくてすぐに眠れそうで、わたしはそこから離れる気にはなれなくなってしまった。

 チラリとフィルを見ると、いいから休めと言うように頭を肩にもたれさせられる。

 体温が暖かくて、わたしはすぐに眠りに落ちていた。



 頭を撫でられている感触がする。

 そっとでもなく乱暴でもない、優しい強さで大きな手に触れられていた。

 馬車の外からは雑多な音が聞こえてきていて、いつの間にか王都に到着しているみたいだった。

 そろそろ起きなくてはいけない。そう思うのに、まだこうしていてほしくてわたしは眠っているフリをしていた。

 でもフィルに肩を叩かれてしまう。

「アイリーン、もうすぐ着くぞ」

「・・・ええ」

 仕方なく目を開けた。でも膝からは降りない。フィルは何も言わなかった。

 しばらくすると馬車がゆるやかに速度を落とし始めた。タウンハウスに到着してしまったのね。ホッとするよりも残念な思いがのほうが余程大きかった。

「ほら、着いたぞ」

 フィルに体を揺さぶられて離れろと促される。

 少しだけ寝惚けていたのかもしれない。わたしは急に悲しくなった。

「・・・イヤ」

 顔を隠すようにフィルの肩にうずめて、小さく拒絶の言葉を呟いた。まだここにいたい。

 子供みたいなことをしているという自覚はあった。だからきっと呆れられるか叱られるだろうと思ったのに。

 フィルからちょっと驚いたような気配がしたあと、フッと嬉しそうな笑い声が漏れた。

 そんな風に笑わないで。ますます離れたくなくなくなるじゃないの。

「アイリーン、もう王都にいるのだからいつでも会えるだろう?」

 優しく宥められる。それはそうなのですけど。

 わたしが沈黙したまま動かずにいると、フィルも何の反応もしなくなってしまった。

 そのことに不安を覚え始めた頃に、無理やり立たせられる。

「ほら、行くぞ」

 フィルは先に馬車を降りてわたしに手を差し伸べた。渋々その手を取る。

 そのまま屋敷の玄関に連れて行かれた。隣を歩いてくれずにただ引っ張られる。素っ気なくなってしまったから、やっぱり呆れられたかもしれない。

 ・・・しつこかったかしら。

 出迎えてくれていた執事の前まで来ると背中を押される。

「ほら」

 まるでさっさと中に入れと言われているみたいだわ。

 なによ、もう。

 そこまで極端じゃなくてもいいでしょう。

 わたしは若干気落ちしながら足を動かした。余計なことをしなければよかったわ。

 後悔していると、いきなり後ろから引き止めるように腕を掴まれた。

「フィル?」

 何か言い忘れたことでもあるのかしら 。でもフィルはちょっと焦った顔をしているだけで何も言わない。躊躇うような表情をしたあと周囲を気にするように視線を廻らせる。

 つられて辺りを見ると、なぜか執事がくるりと背を向けていた。

 いないものとして扱ってくださいという意思表示のように見えて、疑問に思っていると、顎に手を添えられる。

 ぐいっとフィルの方を向かせられて、えっと思った時には唇を塞がれていた。

 思考が停止する。ゆっくりと離れていったせいで、フィルの訴えるようでいて穏やかな眼差しを間近で見た。

 どうしてかいつもよりずっと顔が赤くなる。

「じゃあ、また」

 フィルはわたしを玄関の扉に向き合わさせてから、さっきよりも強く背を押した。

 呆然としていたわたしは返事も返せずに、執事が開けてくれた扉を通る。

 家の中へ入ると手のひらを口に当てた。

 ずるい。さっきのは不意打ちですわよ。

 顔がおかしなことになってる自覚があるわたしは、しばらく誰とも目を合わせられなかった。

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