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妹と婚約者の経緯(ダグラス)

 秋も深まり、そろそろ肌寒さが無視できなくなってきた日の午後。

 家から外に出たところで、公爵家から帰ってきた妹と母に出くわした。

「ただいま、ダグラスお兄様」

 馬車での移動に疲れたのか、妹は元気のない様子で口を開いた。

「よう、出戻りか?」

 昔からの癖で年の離れた妹を見ると、からかうようなことを言ってしまう。彼女は怒ったような呆れたような顔をした。

「まあ、お義姉様が出戻られてしまわれましたの?」

「・・・なんでそうなる。お前に言ったんだ、アイリーン」

「まだ結婚もしていない人間が出戻れるわけがありませんでしょう。だからついにお義姉様が出ていかれたのかと思ったのですわ」

 逆に大喧嘩をするたびに実家に帰ろうとする妻を引き合いに出して、やり込められてしまった。相変わらず外見を大きく裏切って可愛くない妹だ。

 これが社交界では淑やかだ可憐だと持て囃されているのだから、見た目に騙される人間のなんて多いことか。妹にしても取り繕うのが上手いからではあるのだろうが。

 しかし自分が結婚した翌年に、妹の結婚が決まるとは思わなかった。

 一般的にはかなり早い時期だろう。だがこの二人に関しては、止めるのも馬鹿らしかった。

 社交界という場所ですら、まだ結婚しないのかと言われていたくらいなのだから。

 人目を憚らずベタベタしているわけではなかったが、幼い頃からずっと仲がよかったせいなのか、二人には他の人間が入り込めない独特の空気があるのだ。それを感じ取って、少し話をしただけの人間でも相思相愛なのだと判断してしまう。

 昔を思い出し、よくここまでこの状態が続いたものだと感心した。



 妹が産まれたばかりの頃、家に当時はまだ公爵ではなかったフィルの父親が訪ねて来た時、俺はたまたまその場に居合わせていた。

 そして父が軽い口調でそれを言ったのを聞いている。

「女の子だったから、将来の公爵夫人にどうだい?」

 恐らく父さんは冗談ですらなく、本当に何も考えずに口にしたのだと思う。

 しかし次期公爵である彼は数秒間考え込んだ後、いつもの厳めしい表情を少しも崩さずに、厳かにこう答えた。

「いただこう」

 呆気に取られた父は、もともと子供の結婚相手を勝手に決めるような親ではなく、貴族の父親にしては子煩悩な人間だった。

 しかし自分から言い出したことを、今更撤回するわけにもいかない。それに公爵家の跡取りと結婚できるのなら、当人にとってもかなりいい話のはずだ。普通の娘なら舞い上がってしまうくらいの良縁だろう。

 おまけに相手の親とは気心の知れた仲なのだから、断る理由は何もない。

 こうして生後数カ月の妹は、当時一歳だったフィルの婚約者になったのだった。

 ただいくら良縁であろうとも、本人同士の相性が悪ければ、幸福な結婚にはならないだろう。このあたりのことを心配していた父は、それがすぐに杞憂だったようだとわかり、ひとまず安堵していた。

 歳の近い兄弟がいないアイリーンは周囲にほぼ大人しかいない環境だからか、すぐにフィルに懐いた。

 舌足らずの幼い子供たちが手を繋いで遊んでいる姿は、見る者を微笑ましい気持ちにさせる。二人が婚約者同士だと知っていれば尚更だった。あの頃は本気で可愛かった。

 この状態がずっと続いてくれればいいと、誰もが思っていたのだが、それはつまりそう簡単にはいかないだろうという不安があったということなのだ。

 成長するにつれ、自我が強くなってくれば、人に対する好き嫌いもはっきりしてくる。貴重な子供同士だから嫌がらずに遊んでいただけという可能性もあるのだ。

 そうして見守る人間をハラハラさせていたというのに、あの二人は恐ろしいことにほとんど変化がなかった。

 幼い頃ほどのあからさまな好意を表現することはなくなっていたが、いつだって月に一、二度ほどの会える日を楽しみにしているのだ。

 こうなると段々と腹立たしくなってくる。幼かったからこそ微笑ましかったこの二人の関係性は、自分が恋人がいてもおかしくはない年齢になってしまえば、憎くすら思えてきた。

 そんなわけで俺はフィルが全寮制のスクールに行く年になると、出発の数日前にアイリーンに意地の悪い忠告をした。

「フィルも男ばっかりのスクールに行くともう、お前と遊んでなんていられないぞ。男同士でつるんでいるほうがよっぽど楽しいってわかるからな。休暇で帰って来ても、相手にしてくれなくなるだろうよ」

 アイリーンはショックを受けたような顔をした後、俺を睨んで言った。

「フィルはそんなことしませんわ」

 少し可哀想だったが、これは兄としての優しさでもあった。

 実際に、同い年の男子か、確実に上の立場である上級生や教師しかいない場所で共同生活を強いられれば、貴族の子供は価値観がひっくり返される。急激に自立心が芽生えてくるのだ。

 そうなった思春期の男が、女の子と遊ぶなんてことをするわけがない。今までがどうであっても、これからはきっと疎遠になっていくだろう。急にその変化を目の当たりにするよりも、先に教えておいてやったほうがいい。

 別にほんの僅かたりとも清々するとは思っていない。これは兄心だ。俺はちゃんと妹のことを考えている。その証拠にアイリーンがスクールに手紙を出す時は、名前を貸してやって、フィルが同級生に反感を持たれないよう手助けしてやった。

 しかしいくら待ってみても、フィルにその変化は訪れなかった。

 休暇中に友人宅へ遊びに行くことはあっても、毎回必ずアイリーンとの時間を作っているのだ。そしてアイリーンがどこかへ行きたいと言えば連れて行ってやっている。

 フィル、お前は男集団に揉まれてどんな生活をしているんだ。少しはスレて帰ってこい。

 疑問を解消するために、一度フィルにそれとなく尋ねたことがある。

 学校生活が厳しくはないかという質問に対するフィルの答えは、父親や家庭教師のほうがよほど厳しいというものだった。

 どうやら俺は公爵の厳しさを甘く見ていたらしい。フィルは価値観が変わることはあっても、ひっくり返ったりはしなかったようだ。

 しかしそれにしてもあの二人の関係は変化しない。大人になるにつれて年齢に見合う態度を取るようになったが、それだけだ。ずっと仲のいい幼馴染という姿勢を貫いていて、それが却って不自然だった。

 アイリーンはフィル以外を男として見ていないのは明白なのだが、そのフィルを異性として意識したりはしないのだろうか。まあ、この妹の場合は単に鈍いだけかもしれないし、女の心情はよくわからない。

 でも男であるフィルがあのままなのはおかしい。こうなるとアイリーンのことをどう思っているのかわからなくなってくる。俺は少しフィルを観察してみることにした。

 そして注目して見てみれば、すぐに気がついてしまった。

 普段はふざけあったりもして、友達か妹のように接しているが、ふと見せる表情があまりにも雄弁だったのだ。目が愛おしいと語っている。

 初めて目の当たりにした時は、うわぁと思ってしまった。

 お前は本気でアイリーンに惚れていたのかよと衝撃を受けた。あれは単に結婚をするのに何の不満もない相手だとか、好意を持っているという程度のものじゃない。

 そうなるとフィルの行動原理は単純だ。ただ会いたいから必ず時間を作って会っているのだ。そしてアイリーンに自分の思いを悟らせないためと、節度のある関係を保っていると周囲に知らせるために、適度な距離を維持している。

 フィルは変わっていないわけではなくて、ちゃんと考えてあのような態度を取っているのだ。アイリーンの気持ちが自分にあるとわかっているからこその余裕だろう。腹立たしい。

 しかしアイリーンが社交界デビューをすると、その余裕も若干削られてしまったらしい。

 妹は大人しい女性が好みの男からはやたらとモテる。中身は全然大人しくないと教えてやりたいが、そういうわけにもいかない。

 公爵家の跡取りの許嫁のせいか、高嶺の花という扱いをしてただ見ているだけの男もいるが、誰もがすでに婚約者がいるという事実を知っているわけではない。

 一度、アイリーンが父と二人だけで夜会に出た時などは、翌日に父宛に求婚の許可を求める手紙が届いたらしいのだ。

 そしてそれ以降はアイリーンがフィルのいない夜会に出席したことはなく、きっとフィルが妹を言いくるめて、そうさせるようにしたのだろうと俺は疑っている。

 フィルの自信が揺らいだわけではないだろうが、高を括っていられないのは、それだけ真剣だという証なのだろう。

 これでアイリーンが少しでも他の男に意識が向いていたら面白いのだが、残念ながらアイリーンはアイリーンだった。相変わらず見事なくらいに興味を持たない。好意を向けられても気づきもしない。

 この年頃の娘は社交界で素敵な男性と出会うことを夢見て、恋愛事にうつつを抜かしているものなので、アイリーンの態度はよく知らない人が見れば、婚約者しか目に入っていないように映るらしい。間違いではないが、釈然としない。

 それでもフィルは焦りが芽生えたのか、それとも牽制をしておきたいのか、アイリーンとの距離を徐々に詰めてきた。

 そうなって初めてアイリーンは婚約者を異性として意識しだしたらしい。いや、というより自分の気持ちを自覚したらしい。

 これについてはようやくかよという感想しか出てこないが、この後の妹は周囲の者が言うように、確かにちょっと可愛くなった。

 からかわれて真っ赤になる姿は、フィルが口元を弛めていても仕方がないと思えるくらいには可愛いと認めよう。

 そしてその可愛さに耐えられなくなって、翌年に結婚式を挙げることを決めてしまうのも、まあ理解できる。むしろそれまでがんばれよとエールを送らせていただく。

 結局のところこの二人は、本人たちの意志に関係なく、勝手に決定された婚約者同士だというのに、お互いに一度もよそ見することなく、結婚式を迎えることになってしまう。

 改めて考えると祝福する気になれないんだが。



 俺が思わず冷めた目で妹を見ていると、彼女は眉を寄せた。

「何ですの?」

 不満そうに首を傾げる。

 いや、こいつもあと数カ月でこの家を出るんだ。それまでの間くらいは今までよりも優しくしてやっていいかもしれない。

 俺は兄らしく大人の振る舞いをしようと決めた。

「アイリーン、どこか行きたい所はないか? 冬になるまでなら連れて行ってやるぞ」

 すると彼女は怪しそうに目を細めてから、納得したようにあぁと言った。

「それはつまりお義姉様と喧嘩したから、機嫌を取ってこいという意味ですわね」

 まるでそんな理由でもなければ俺が優しくすることなどないと思っていそうな言い草だった。

 ・・・やっぱり可愛くない。

 

 

ダグラスと奥様は喧嘩するほど仲がいいというやつです。

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