カントリーハウスにて 2
お母様は疲れたから休むと言って、クリフに案内されて用意してもらった客室へ行ってしまった。
わたしはどうしようかと思っていると、フィルが手を掴んで歩き出す。
「部屋に行かないなら、居間で話をしよう」
「・・・ええ」
なんだか照れくさい。
毎年訪れているのに、今年はいつもと状況が違う。わたしはウェディングドレスを作ってもらうためにここに来ている。
王都ではあまり間を置かずに会っていたせいか、こんなことはありませんでしたけど、二週間ぶりに会えば、フィルとどんな話をすればいいのかわらない。
わたしは斜め左前方にある背中をじっと見つめた。
するとフィルが振り返って目が合う。
目が合った。それだけ。でも彼は少し嬉しそうに微笑んだ。
心臓がどくんと跳ねて、顔に熱が集まる。あああもう。
自分でもよくわからない叫びを心の中で上げた。この人は幼い頃からとてもよく知っている幼馴染なのに、わたしはどうしてこんな反応をしてしまうの。
そう、子供の時は何も考えずに、会うたびに抱きついていたのよ。むしろそれが当たり前だったのだから。
わたしはずっと昔の感覚を思い出そうとした。でないとフィルの顔すらまともに見れないなんていう、馬鹿みたいなことになりかねない。
「・・・小父様はどちらにいらっしゃいますの?」
どこにいようと挨拶するのは晩餐の席になるのですけど、他の話題が浮かばなかったので聞いてみる。
「父さんは仕事で揉め事があったみたいで、急遽王都に戻っているよ。明日か明後日には戻ってくるはずだけど」
「そうなんですの。大変ですわね」
いつも通りにしようとして却って感情のこもらない言い方をしてしまった。もう黙っておいたほうがいいかしら。
大きな暖炉が据えてある天井の高い豪華な居間に入る。子供の頃はあまり入らせてもらえなかった部屋だった。
フィルは手を繋いだまま、一人掛けのソファーに座った。どういうことかと思っていると、そのままぐいっと手を引かれる。
わたしはバランスを崩して、倒れ込むようにフィルの膝の上に座った。
「えぇ?!」
驚いて立ち上がろうとするも、フィルの腕がすでに体を固定している。何ですの、これ。いえ、何かくらいは知っていますわ。膝抱っこというやつですわね。
「父さんはお針子の手配をしておいてくれたから、明日からでもドレス作りを開始できるよ。デザインはどんなものがいい?」
フィルは普通に会話を始めている。何でもないことのような態度ですけど、こんなのは幼い頃以来ですわよ。
ああでも、昔は珍しいことではなかったわ。自分からフィルの膝の上に乗っていた気さえする。
大きくなるにつれてそういう接触は禁止されていって、フィルがスクールへ行く頃になると、婚約者といえどもなるべく二人きりにならないようにとまで言われるようになってしまったのよね。
あの頃はすごくつまらない気分にさせられた。
でも今はもう、そんなことは言われない。少しくらい二人きりになっても問題はないし、いくらくっついていても怒られることはない。来年には結婚することが決まったのだから。
そう思うと急にこれがおいしい状況のような気がしてくる。
動揺が和らいで、わたしはフィルに身を預けることにした。
「ウェディングドレスのデザインなんてよくわかりませんわ」
「カタログがあるはずだから、明日見せてもらおう」
ファッション誌に載ることもないドレスなので困って首を傾げると、フィルはそう提案した。
ある程度はわたしの希望を聞き入れてもらえるのかしら。
「フィルも見ますの?」
「もちろん俺も口出しはする」
当然の権利だとでも言うように主張するから、くすぐったい気持ちになった。
「二人で決めたらお母様が怒りそうですわね」
娘の結婚といえば世の母親にとって一番重要なイベントですわ。本人の意向など無視して全て決めてしまう人もいるくらいです。
ウェディングドレスは公爵家側が用意してくれるわけですし、そもそもお母様はそんなことはしないでしょうけど、張り切っていたことは確かなので勝手に決めたら恨まれそうですわ。
「伯爵夫人の意見は大事だ。でもアイリーンの意見が最優先だろう」
フィルはサイドに垂らしたわたしの髪をかき上げるように撫でながら言った。
「本当に?」
もしかしたら好みとはかけ離れたドレスを着させられることもあるかもしれないと思っていたから、純粋に嬉しい。
わたしは目を輝かせてフィルを見た。
フィルはちょっと驚いてから、わたしのこめかみにキスをした。
「俺の我が儘はすでに聞いてもらっているからな。アイリーンの希望もなるべく通してもらえるようにするよ」
フィルの我が儘って早く結婚式を挙げたいってことかしら。
なんだか小父様に許可を貰ってからの、フィルの上機嫌がまだ続いているのかもしれないと思えてきたわ。
フィルはもう一度わたしの頬にキスをして、優しい顔で見上げてくる。
次に何をするつもりなのかなんとなく理解して、目を逸らしてしまう。
でも片手で頬を包んで、催促するような視線を向けてくるから、仕方なく目線を元に戻した。
フィルがにっこり笑って顔を近づけてくる。恥ずかしさに耐えながらわたしは瞼を閉じた。
その時だった。
「フィル兄さん! 父さんが明日の」
「きゃあっ!」
「・・・お昼には・・・戻るって・・・」
元気よく掛けられたクリフの声は、次第に尻すぼみになっていった。
驚きすぎて心臓をバクバクさせながら、わたしは涙目で部屋の入り口を見る。
クリフが固まった状態から徐々に気まずげに顔を伏せていた。頬が少し赤くなっている。
「ごめんなさい・・・。ジェームズ兄さんが早く知らせたほうがいいって・・・」
「いや、お前は悪くない。知らせてくれて、ありがとう。クリフ」
「そ、そう。クリフは悪くありませんわ」
部屋の扉は閉めていなかったのですから、クリフに非はありませんわ。むしろわたしたちが悪い。
いえ、それよりもジェームズですわ。
小父様が今日中にお戻りになるなら、急いで知らせるというのもわかりますけど、明日になるのならクリフにわざわざ使い走りをさせる必要なんてありませんもの。
これは絶対にわざとです。ジェームズの嫌がらせですわよ。
翌日、朝早く目が覚めたわたしは付き添い役のメイドと一緒に、敷地内を散歩していた。
敷地内とはいってもとんでもなく広大で、狩猟をするための森も含まれているから、屋敷からあまり離れていない庭園と呼べる場所までですけど。
子供の頃はよくフィルと二人で、時々ジェームズも交えながら、森の管理人に自然の中での遊びを教えて貰っていた。
彼や庭師にはとてもお世話になったので、できれば早めに会いたいと思い散策しているのですけど、やっぱり広すぎるのでそう簡単には出会えませんわね。
「寒くなってきたわ・・・」
羽織ってきたのが薄手のショールなので、体が冷えてきてしまったわ。土地柄もあるでしょうけど、思っていたよりも朝の冷え込みがきつくなっていますわ。
「薄着しすぎですわよ、お嬢様。風邪を引かれるかもしれませんわ。そろそろ戻りましょう」
「そうねえ」
メイドの忠告に従って屋敷に戻ろうとしたところで、近くに人影を見つけた。
探していた人物かと思い目を凝らしてみると、それは全くの別人だった。相手はこちらにあからさまなしかめっ面を向けている。
失礼な人ですわね。わたしは我慢したというのに。
しかし無視をするわけにはいかない。わたしはどうにか愛想笑いを浮かべた。
「おはようございます、ジェームズ」
「・・・おはよう」
一応、返事はありましたわ。挨拶はしたのでそれでは、と言いたいところですけど、いくら何でも素っ気なさすぎですわね。
「何をしてらっしゃいますの?」
「・・・気分転換だよ。勉強の合間の」
機嫌は悪そうですけど、返答はちゃんとしますのね。
それにしてもこんな朝早くから気分転換ということは、もっと前から勉強してたということですわよね。
詳しくは知りませんけど、フィルからジェームズは専門職の試験のために勉強をしていると聞いていますわ。この国は親が爵位をいくつ持っていようと長男にしか相続されないので、公爵家の息子だろうとジェームズは自力で職を探さなくてはいけませんから。働かずに親のすねをかじり続ける人もいますけど、小父様がそんなことを許すはずありませんし。
「大変ですわね」
実感を込めて言ったつもりだった。
でもジェームズはますます顔をしかめて、フンと鼻を鳴らす。
「そりゃあ、フィルに比べたらな」
ムカッとした。
これですわ。ジェームズはいつも自分と比べてフィルがいい思いをしていると信じ込んでいる。
そりゃあ、一つしか年が違わないのに、相続できるものが何もないのは不憫だと思いますけど、でもフィルよりもジェームズのほうが苦労しているなんてことは絶対にありませんわよ。
勉強のことだって、フィルが幼い頃からどれだけ厳しい教育を受けてきたか、わたしよりも近くで見てきたはずなのに、それを正しく理解しようとしない。
ジェームズが仕事を得るために専門的な知識を身に付けなくてはいけないのなら、フィルはこの広大な領地と資産を維持する能力が必要だし、今の小父様がそうであるように、いつかはフィルも貴族議員になって重要な役職に就かなくてはいけない。はっきり言ってフィルのほうが大変なはずよ。
そんなもろもろのことを無視して、ジェームズは小父様が自分よりもフィルを気にかけているという解釈ばかりする。
同じ家に生まれても貴族の長男と次男では立場が違いすぎるのだから、育て方や接し方が変わるのは当たり前ですのに。
「フィルが大変じゃないなんて言うつもりですの?」
腹が立っていた。それでも口調に棘が出ないように努力する。
「最近は夜会やらに出ていただけじゃないか。気楽なもんだろ」
それは昨日わたしが言ったことが原因かもしれない。社交界に出させてもらえなかったなんて言ったせいで、反発心を起こさせたのかもしれない。
でもジェームズの言葉はわたしの記憶の中の憤りを甦らせた。
頭に血が登って自制心が利かなくなる。
パシンッと乾いた音が辺りに響き渡った。
「お嬢様!」
メイドの酷く慌てた声が聞こえる。
気がつけばわたしはジェームズの頬に平手打ちをしていた。
彼はまさかそこまでされるとは思わなかったのか呆けた顔をしている。微かに傷ついているかのような目をしてわたしを見ていた。
それでもわたしの怒りは収まらない。
「あなたは本当に昔から変わりませんわね!」
睨み付けながら怒声をぶつけた。それからくるりと背を向けて足早にこの場を去る。
これ以上ジェームズと顔を合わせていたくなかった。
彼はきっと何か言い返すに決まっている。そうなると罵り合いになることは目に見えていた。今のわたしはとても冷静になんてなれない。