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カントリーハウスにて 1

 九月に入り、領地のカントリーハウスに戻ってから一週間。

 鉄道での移動の疲れや都会の喧騒を忘れるために、特に何をするでもなくのんびりしていたわたしは、お父様に呼び出されて書斎へと向かった。

 そして驚くべきことを告げられる。

「来週にはお母様と公爵家のカントリーハウスへ行きなさい」

 まるでわたしにとって嬉しい知らせを教えるかのように、ニコニコと笑っている。

「・・・来週? いつもより一週間くらい早くありません?」

 毎年九月末になるとフィルの家である公爵家は狩猟を行うために大勢の客を招待して滞在させる。もちろん両親も毎回招かれていて、わたしも一緒に連れていってもらっていた。

 本来ならそんな場に子供が行くべきではないのですけど、大人たちの邪魔をしないという約束のもと、特別に同行させてもらっていたのです。

 今年は社交界デビューも果たしたので、正式に招待されるはず。でもお父様とお母様は毎年他の招待客よりも少し早めに招かれて、社交ではない付き合いをしていたのですけど、それにしても来週というのは早い。

 しかもわたしにお母様と行けと言うのだから、お父様は遅れて行くということよね。

 お父様はおや、と言うように眉を上げた。

「嬉しくないのかい? 毎年この時期になるといつも、フィル君の家にいつ行けるのかって何度も聞いていたじゃないか」

「子供の頃の話ですわ!」

 わたしは大声でお父様の言葉を遮った。

 本当にほんの子供の頃の話ですわよ。去年や一昨年も聞いていたみたいに言わないでいただきたいですわ。

 お父様はハハハと笑って受け流した。

「あいつが言ってるんだよ。早く来て結婚の支度をしろって」

 わたしは意味がわからずに首を傾げた。

「どうして結婚の支度をするのに、公爵家へ行くんですの」

 お父様の言うあいつというのは小父様のことでしょうけど、支度をするために婚家へ行くというのはおかしい。

 花嫁の支度というのは実家でやるもので、ごく稀に事情があって支度金を嫁ぎ先が用意してくれることもありますけど、基本的には花嫁の親が全て揃えるものですわ。

 ウチはそれなりにお金があるはずですから、わたしの結婚準備をするのに問題なんてありません。だから支度を早くしなくてはいけないのなら、むしろ公爵家に行っている場合ではないはずなのです。

「ウエディングドレスなんかはあっちが用意してくれるそうだよ。世間の注目も浴びるだろうし、最上級のものを用意しなくてはいけないと思っているみたいだね」

 お父様にそう言われて、わたしは少しだけ気が重たくなった。

 今はまだ公表はしていませんから噂程度ですけど、公爵家の結婚式ともなれば注目されるのは社交界に限らないでしょうね。いつ行おうがそれは変わらないので覚悟はしていますけど。

 でもそれならウエディングドレスは世間が最も注目するものの一つでしょうから、お金をつぎ込まなくてはいけないのはわかりますわ。上質なものは作るのに数カ月かかると聞きますし。

「わかりましたわ。小父様のご厚意に甘えます」

「ああ、ちなみに他のドレスも何着作ってもいいと言われているからね」

「ちょっと、それは甘えすぎではありませんの?!」

 わたしがそれでいいのかと詰め寄ると、お父様はまたしてもハハハと笑った。

「さすがにドレスを全部用意してもらうのは遠慮したよ。あいつもちょっと常識がズレているところがあるからたまに変なことを言うよな」

 小父様・・・結婚前に花嫁が新調するドレスを全部用意するつもりだったのですか。そんなことをするからわたしに甘いと言われるのですわ。

 ともかくそんなわけでわたしは例年に比べて早めに公爵家のカントリーハウスに向かうことになった。領地には二週間も滞在していませんでしたわ。



 門を通り抜けて館までの長いアプローチを、馬車に揺られながら景色を眺めて過ごす。

 目前にあるカントリーハウスは何度見ても宮殿かと見まごうほどに立派で大きい。

 尖塔があるタイプではなく、高さはなくとも横に広がっているので、一望するには建物からかなり離れなくてはいけない。

 この広大な敷地と館が美しく管理されているのだから、公爵家の財力がいかほどのものか、想像もつかないわ。来年にはここでオフシーズンをずっと過ごすのだと言われても実感が湧かない。

 やがて入口扉までたどり着くと、わたしとお母様は馬車から降りて、館に招き入れられた。

 エントランスには待ち構えていたのか、すでにフィルが立っていた。

「伯爵夫人、ようこそいらっしゃいました」

 フィルはまずお母様に儀礼的な挨拶をしてから、わたしに向き直った。澄ました顔が一転して崩れて笑顔になる。

「久しぶり、アイリーン」

 軽く背中を叩くように抱きつかれてから、頬にキスをされる。

「二週間ぶりですわ、フィル」

 そう言ってわたしは同じようにキスを返した。

 ふとお母様と目が合う。口元に手を当てて、笑いを堪えるような顔をしたお母様を見て、わたしは自分の表情が弛みきっていることに気がついた。

 途端に羞恥心が込み上げてくる。こんなお母様や使用人たちが大勢いる前なのだから、もう少し普通の笑顔が浮かべられないのかしら、わたしは。

 言うことを聞かない表情筋をどう誤魔化そうかと悩んでいると、ありがたいことに頭上から声がかけられた。

「伯爵夫人、アイリーン嬢、お久しぶりです」

 大階段から溌剌とした雰囲気の少年が降りてくる。フィルによく似た顔をした彼を見て、わたしは自然と大人ぶった態度を取ることができた。

「まあ、クリフ。一年ぶりね。また大きくなったわ」

 彼はわたしの目の前まで来ると、得意気に胸を張った。

「まだ伸びますよ。フィル兄さんと同じくらいにはなってみせます」

 今年で十三歳になるフィルの下の弟は、去年までわたしとそう変わらない身長だったのに、今は一目で追い抜かれたことがわかるくらいに成長していた。

「あら、追い抜いてやるとは言いませんのね」

「それは・・・えーと」

 クリフは困ったように視線を逸らした。

 彼は上の兄のことを尊敬していて、基本的に自分が越えられる存在ではないと思っているようなのですけど、身長だろうとそれは変わりませんのね。

 相変わらずこの子は可愛い。わたしはクリフの背後にいる存在には気づいていないフリをした。



 でもクリフがお母様のほうへ行ってしまうと、不機嫌そうな声が聞こえてくる。

「おい」

 誰に言っているのかしら。すごく失礼な言い方をしていますけど。わたしが無視をしてフィルのほうを見ると、彼は頭が痛くなることが起きたかのように眉間に皺を寄せていた。

「おい、あんた。何だってこんなに早くに来るんだよ」

 今度はさっきよりも苛立った言葉が投げられる。わたしは仕方なく声の主に向き合った。

「もちろん、ご招待いただいたからですわ」

 わたしはことさら優雅な仕草で微笑んでみせた。淑女らしく礼儀正しく振る舞ったことで彼は少し怯んだようですけど、引き下がるつもりはないらしい。

「あんたどうやって父さんに取り入ったんだよ。来年に結婚だって? ふざけんなよ」

 まるで癇癪を起こしたかのような言い方をする。隣でフィルが何か言おうとする気配がしましたけど、それよりもわたしが口を開くほうが早かった。

「まあ、小父様がわたしみたいな小娘に取り入られて、意見を変えるような方だと思ってらっしゃいますの? もう少し考えてからお話しするべきではないかしら。それではご自分のお父様を貶めていると捉えられかねませんわよ」

 小父様に似た顔立ちをした、フィルの一つ下の弟であるジェームズは、わたしに正面から言い返されて、ぐっと言葉に詰まった。

「・・・あんたは昔から父さんの前では猫被っているじゃないか」

 まだ言いますのね。わたしは呆れ返った。

 別にわたしは猫被っているわけじゃない。あなたに対する態度が、わたしの本性なわけではないし、敬意を払うべき相手にはそういう態度で接する。それが常識ですわ。だいたい彼は人のことなんて言えない。小父様の前ではとても大人しいのはあなたでしょうに。

「あなたはそれだから今年に社交界入りさせてもらえませんでしたのよ」

 ため息と共に言うと痛いところを突かれたのか、ジェームズは顔を赤くして目を見張った。

 男性はスクールを卒業する十八歳に社交界入りするのが一番早いのですけど、そうさせてもらえる人は少ない。でもフィルは十八歳だったのです。

 その能力もないくせにジェームズは何かとフィルに張り合おうとするから、同じように社交界入りさせてもらえなかったことは悔しいのでしょうね。まあ、わかっていて言ったのですけど。

「この・・・」

「やめろ、二人とも」

 ジェームズが再び言い返そうとしたところで、フィルの厳しい声が割って入った。

「顔を合わせれば口喧嘩をするんじゃない。ジェームズ、お前は女性に対してそんな口の聞き方をするな。アイリーン、君も言い過ぎだ」

 フィルに怒られてしまったのでわたしは口をつぐむことにした。

 女性にあんな呼びかけ方をする人に容赦してあげる必要はないと思いますけど、確かに少しだけ言い過ぎだかもしれませんわ。

 でもジェームズはフィルに反抗心を剥き出しにする。

「こいつのどこに女性として尊重しなくちゃいけない部分があるんだよ。フィル、本当にこいつと結婚するつもりか?」

 フィルは気分を害したように眉間の皺を深くして目を細めた。

「何の問題があるんだ? お前がどう思っていようが、アイリーンは社交界の評判も上々だし、そもそも父さんが決めた婚約なんだぞ」

「父さんはこいつがどれだけ性格悪いかを知らないんだ。こんなのが次期公爵夫人だなんて冗談じゃない。俺は認めないぞ」

 ジェームズの言っていることはまるで理性的じゃない。子供が駄々をこねているみたいですわ。あなたが認めなかったところで何の影響もありませんわよ。

「・・・ジェームズ」

 フィルの声が低くなった。あーあ、怒らせてしまいましたわね。

「性格が悪いのはお前だ。さっきだって先に失礼な態度を取ったのはお前だろうが。相手に礼儀を欠かせるように仕向けておいて、悪く言うとはどういうことだ。それ以上何か言うなら、父さんとお前への対処を考えなくてはいけなくなるが」

 最大級の脅しをかけられて、ジェームズはようやくマズいことをしたと気がついたらしい。でもようやく口を閉じても、フィルへのコンプレックスを拗らせている彼は絶対にフィルに謝ったりはしない。

 しばらく俯いた後、わたしに恨みがましい視線を向けてから、黙ってどこかへ行ってしまった。

 フィルは大きく嘆息する。

「申し訳ありません、伯爵夫人」

 弟に代わって非礼を詫びるフィルに、お母様は気にした風もなく苦笑した。

「今は仕方がないわね。少し様子を見てあげてはどうかしら?」

「・・・はい」

 今はって、最近何かあったのかしら。

 そうだったとしても特に興味が湧かないわたしは、それを聞き流した。するとフィルにじっと見つめられる。

 あら、お説教かしら。

 そう思って身構えてみるけど、フィルはわたしにどう言うべきか悩んでいるみたいに難しい顔をしている。

「フィル?」

「いや・・・君は本当にジェームズが嫌いだな」

 お説教はやめたらしい。困ったように呟く。

 兄であるフィルにそれを言うのはどうかと思いますけど、バレてしまっていることを隠してもしょうがない。わたしは正直に答えた。

「ええ、嫌いですわね」

「ああ、うん。・・・わかっているがもう少し柔らかい態度を取ってやってくれ」

 どうやらわたしが一応は我慢したことは理解してくれているみたいですわ。

「努力しますわ」

 わたしは神妙に頷いた。

 よく考えたら今まではあまり顔を合わせないようにしていましたけど、結婚すれば家族になるわけですから、これまでと同じようにするわけにはいきませんわね。

 ジェームズがあれでは、わたしが大人の対応をするべきですもの。どれだけ腹が立ったとしても、全力でやり返すわけにはいかなくなりましたわ。


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