二人のお茶会
昼の社交がほとんどなくなり、そろそろ領地へ戻る準備をしなくてはいけなくなる。
八月の終わり頃にほとんどの貴族が領地へ向かい秋と冬を過ごし、そして再び王都へやって来るのは、早い人で年末頃になるので、だいたい半年ごとに貴族は王都と領地を行き来することになる。
領地のカントリーハウスでもダンスパーティーや狩猟などで客を招待したりされたりと、冬になるまでは社交が続いていくことになるのですけどね。
でもそれでもしばらくは会えなくなるので、わたしはこのところよくブリジットと二人でお茶をしながらおしゃべりを楽しんでいる。
話題はもっぱら領地でどう過ごすのかということと、コレットのことですけど。
「わたしたちが領地へ行くまでには帰ってくると言っていたけれど、間に合うかしら?」
「そうですわねぇ」
スコーンにクロテッドクリームを塗りながら話すブリジットに相槌を打つ。
「国外ですもの予定通りにはいかなさそうじゃない」
「いろいろ回るみたいですものね」
「それにしても新婚旅行とはいえ、三週間も贅を尽くした外国旅行なんて、ハルトンさんはさすがお金持ちよね。まあ、公爵家ほどではないでしょうけど」
「そうかしら」
ザクロ水を飲みながら答える。ブリジットはスコーンを食べるためにしばらく言葉を発さず、やがて食べ終わるとナフキンで口を拭って、わたしの顔をじろっと見た。
「何なの、アイリーン」
「え?」
急に怒ったようで拗ねたような声を出したブリジットに驚いた。
「さっきから上の空で適当な返事ばかりしているではないの。話を聞いていますの?」
「ええっ。ちゃんと返事しているではありませんの」
「それが適当だと言ってるのよ。何かあったことくらいわかるのよ」
そんなつもりは全くなかったというのに、ブリジットは話を聞いていないと怒る。
「白状なさい。何があったの」
わたしはスッと顔を逸らした。そう言われる心当たりがないわけではない。でもそれを素直に告げるのは抵抗があった。
「もしかして結婚のこと? やっぱりまだ早いって反対されているの? 本来ならあと数年は待つべきだものね」
ブリジットが心配そうな声を出したので、わたしはかなり気まずくなった。
貴族の女性は無垢である時期が長いほうがいいという風潮により、結婚適齢期が二十代半ばぐらいとされているし、男性に至っては三十を過ぎても独身という人が多い。
だからいくら世間がわたしたちの結婚にあまり抵抗がないどころか、待ち望んでいるような人がいるとしても、両親は反対するのではないかとブリジットは予想しているのよね。そう思うのが普通だわ。
「いえ・・・わたしのお父様はすでにいいと言ってくれているのよ」
そう、お父様はいつの間にか許可を出していた。
しかもフィルによると二つ返事で了承したというのだから、もう少し娘を嫁にやることを渋ってくれてもいいと思うのよ。
「それで・・・今日フィルが小父様に話をすると言っているのよ・・・」
このところ議会などで忙しかった小父様がちゃんとした時間を取れるようになったから話すとフィルに言われた時、わたしはそうなのとしか答えられなかった。他にどう言えばいいのかわからない。
「フィルは多分反対はされないと言っていたんですけど・・・いえ、わたしは別にすぐに結婚したいと思っているわけではないのよ。どちらでもいいのよ。でも、小父様がどんな反応をされるかは気になりますでしょ」
俯いてグラスを両手で玩びながら、なぜか言い訳のようなことを口にしてしまう。でも本当にわたしはすぐに結婚したいから、小父様が反対しないか気を揉んでいるわけではないのよ。
「別にわたしは結婚できるのならいつでもいいですし。フィルは早くしたいみたいですけど・・・」
「へぇー、そう」
感情のこもらない声が聞こえてきて顔を上げると、ブリジットはなぜか遠くを見つめていた。
「ブリジット・・・聞いています?」
「ええ、聞いているわよー」
さっきのわたしのことなど全く責められないくらいには、気のない返事ですわ。でも彼女は最近よくこんな感じになる。
「ブリジット、最近なんだか少し冷たくありま・・・」
「いいえ、これ以上ないくらいに優しく接していてよ」
「・・・ごめんなさい」
食い込むように力強く否定されて、わたしは反射的に謝っていた。余計なこと言ってはいけないと本能が告げている。黙ってテーブルの上のタルトに手を伸ばした。
「でもフィリップ様は大丈夫だと言ってらっしゃるのでしょう。でしたら公爵だって許可してくださるのではないの?」
「・・・そうかしら?」
そりゃあ、フィルは無理かもしれないと思っていたら、あんな言い方はしないでしょうけど。
「だいたい世間では来シーズンには結婚式を挙げることが決まっているみたいな言われ方をしているじゃない。ただの噂だとは思っていない人も多いのよ。あれでは公爵も認めるしかないかもしれないわね」
「それは・・・」
そうなのですわ。社交界の噂はデマが流れることも多い。だからそれを前提として話をするものなのですけど、なぜかほとんどの人が事実として認識しているのです。公表したわけでもありませんのに。
どうしてこんなことになっているのかしら。
「さて、それではわたしはそろそろ帰るわ」
ブリジットはそう言って立ち上がった。
「え? もう帰りますの」
まだそれほど時間は経っていない。いつもはもっと話をしますのに。
「だってこの後、フィリップ様が報告に来るのでしょう。邪魔にならないうちに退散するわ」
それはそうかもしれない。約束はしていないけれど、フィルはどうなったか教えに来てくれるでしょうね。でもわたしはブリジットの言い方に不満があった。
「わたしブリジットのことを邪魔だと思ったことなんてありませんわよ」
前にも彼女は自分のことを邪魔者だと言っていた。深い意味はないのでしょうけど、これは言っておかなくてはいけない。
ブリジットは軽く目を見張ったあと、小さく笑った。
「知っているわ」
夕方になって夏の長い一日がやや暮れ出した頃、フィルが家にやって来た。
部屋にいたわたしは執事から報告を受けるとすぐにエントランスへ向かった。でも後ろから「応接間にいらっしゃいます」と言われて方向転換する。
違うのよ。来年に結婚できるかどうかが気になっているのではなくて、小父様がどう思われるかが気になっているのよ。
心の中で誰にともなく言い訳をしながら廊下を歩く。
応接間の扉を開けると、フィルはすぐに立ち上がった。
「アイリーン」
笑顔で名前を呼ばれる。
わたしは何かに反抗するように、ゆっくりとフィルに近づいていった。
でも彼が大股で歩いて来るので、すぐに距離が縮まる。そして両手で顔を挟まれた。
「来年の三月に結婚式だ。これから忙しくなるな」
フィルはとても嬉しそうに言う。それが恥ずかしくてわたしは無理やり視線を落とした。
「早すぎません?」
文句を言うみたいに素っ気ない口調になってしまった。ああもう、可愛くないですわ。
「いいや、全然」
フィルは全く気にした風ではなく、相変わらず嬉しそうにしている。ますます恥ずかしくなる。
「小父様は少しも反対しませんでしたの?」
「もっと早く言えと怒られたな」
器用にも嬉しそうな顔のままフィルは苦笑した。
どうなっていますの、それ。小父様までそんなにあっさり許してしまうなんて。もっと世間体とか・・・いえ、批判されそうな空気などほとんどありませんでしたけれども。
「アイリーン」
さっきよりも大分トーンの落ちた声で呼ばれる。
「そんな顔をされると結婚したくないのかと思ってしまうんだが」
「思っていませんわよ、そんなこと!」
困ったようにフィルが言ったせいで、わたしはガバッと顔を上げて思いきり否定した。そして満面の笑顔の彼と目が合う。
・・・嵌められましたわ。
フィルは両手を広げてわたしを抱きしめた。くすくすと笑っている。こんなに上機嫌な彼はあまり見たことがない。もう水を差すようなことなど言えるわけがなかった。
それでもわたしも早く結婚したがっているのだと思われるのは釈然としない。
「わたしは・・・結婚できるのならいつでもいいんですわよ」
フィルは笑うのをピタリとやめた。抱きしめる腕の力が強くなる。
「俺は早くしたいな」
知っている。そしてわたしはそれが嫌じゃないと以前に言った。だからもう、ただ手を伸ばしてわたしはフィルに自ら抱きついた。
大好きだということが伝わればいいと思った。
カップルがくっついたら萌えられなくなってしまったブリジットさん。