○○ができました 後編
「それなら俺と賭けをしよう」
フィルは怒りを抑えた顔でシズリーに言った。これはもう面倒だから一気に片付けてしまおうという顔ですわね。
「特別に君の賭け金に対して、俺だけ倍額を支払うが、どうだ?」
シズリーは唖然とした後、期待に満ちた眼差しでフィルを見た。
「い、いいのかい?」
「ああ、それくらいの手助けならしてやれる」
笑いながら言ってますけど、フィルがシズリーの手助けをしてやろうなんて、思うわけがないのですけど。言われた本人はそんなこと露ほども考えていないようですわね。
「それなら一辺に借金を返せるかもしれないよ。メリッサ、これならいいだろう?!」
とんでもない幸運が転がってきたかのような言い方をする。フィルにとってはシズリーの借金の額なんて大したことないでしょうし、上級貴族が人にお金を貸さないのは常識なので、これができる限りの手助けと言われれば信じてしまうかもしれませんけど。
でも夫ほど頭の回転が悪くはないメリッサ様は、フィルに疑わしい視線を向けた。
「もちろんイカサマはしない。でもギャンブルに変わりはないからね。他に返せる当てがあるのなら、やめておいたほうがいいよ」
「当てなんかないよ。もうどこもお金を貸してくれなくなって、どうしたらいいかわからなくなっていたんだ!」
隠すこともなくシズリーは後がないことを告げる。
借金をしている貴族は割と多くて、貴族という地位を持っているだけで簡単に借りれるらしいのですけど、それを断られるということは、その地位を危ぶまれているということかしら。
それにしてもお金を借りることとギャンブル以外に思いつくことがないのかしら。それに結婚したばかりでこの状況って、この人が散財したからではないの。
「ちょっと、あなた! いつの間にそんなことになっていましたの?!」
案の定、知らなかったらしいメリッサ様が怒りだした。
「いや、だって結婚したらいろいろ必要なものが出てくるだろ? 君だってドレスを新調したじゃないか」
「あれはまだ余裕があると思ったから・・・!」
メリッサ様は顔を赤くして唖然としている。
お金がなくても生活水準を改められない。没落貴族ってこうやって出来上がるんですのね。
「どうするんだ?」
フィルが尋ねると、シズリーは勢い込んで言った。
「やるよ! どの道、他に方法なんてないからね!」
メリッサ様を見ると納得がいかないという顔をしながらも、このままでは遅かれ早かれ没落は免れないということは理解したようですわ。夫の決断にもう何も言わない。
「では、決まりだな。今日はもう遅いから、数日後の夜会で行おう」
フィルはそう言って話を決めた。
メリッサ様たちがいなくなってから、こっそり尋ねる。
「フィル、まさか本当に手助けをするわけではありませんわよね」
ものすごく嫌そうな顔を向けられた。
「そんなわけないだろう」
そうですわよね。フィルはそんなに甘くありません。
でも夜会で行われるギャンブルといえば、カードゲームかボードゲームのはず。競馬などと違って、運だけではなくて強いか弱いかも勝敗を動かす要因になりますわ。
そしてシズリーはどう見てもそれらが強いとは思えません。はっきり言うと弱そうですし、フィルと勝負するとなると、ハンデをもらっていても負けるとしか思えませんわ。
これはもしかして没落を早めただけではないかしら。
チラリと目線を上げてみる。フィルは何か企んでいる顔で笑っていた。
約束通り数日後の夜会で、主催者からギャンブルのための小部屋を借りたフィルは、わたしとシズリーとメリッサ様だけを部屋に入れた。
勝負をするのはフィルとシズリーの二人だけだからか、ポーカーに決まったらしい。念のためにイカサマがないか、カードを調べさせている。
「ダミアン、アレは持って来たか?」
フィルが尋ねると、シズリーは頷いて大きな封筒を差し出した。
受け取ったフィルは中から上質な紙を一枚取り出して、書いてある文面を用心深く確認している。読み終わって問題がないと判断したのか、紙を封筒に戻してサイドテーブルに置いた。
それが何なのか聞こうとしたところで、フィルが口を開いた。
「勝負は全部で五回。それで決着をつけよう」
ややこしい事態を起こさせないために、始めに決まりを作るんですのね。
夜会でのギャンブルは通常は男性しか入れない専用の部屋で行われているから、やり方などがほとんどわかりませんわ。ゲームのルールも知らないので、見ていても状況が理解できそうにありませんわね。
わたしは隣に座って大人しく見守っていることにした。
一回ずつシズリーが賭け金を提示していくようなのですけど、これってシズリーが相当有利ですわよね。一回勝てば二回分の賭け金がもらえるのですもの。
だからこそメリッサ様も反対しなかったのでしょうけど、それでもわたしはフィルに勝てるとは思えませんわ。
フィルってゲームだろうと紳士に必要な嗜みには、一定以上の実力を持っていますもの。見ていてもフィルは策略を巡らしてカードを切っているようですけど、シズリーはただ運に任せているだけですわよね。
誰もがほとんどしゃべらずに、淡々とゲームが進行されていって、四回目が終了する。
これまでの結果は一勝三敗でフィルが負けているのですけど、シズリーが一番大きな賭け金を提示した三回目にフィルが勝っているので、賭け金ではシズリーが僅かに勝っているというところですわね。
それにしてもフィルがわざと負けているようにしか見えませんわ。
シズリーは自分が勝っているからか、本当に借金を返せるかもしれないという期待で目を血走らせていますけど。よく知りませんけどギャンブル中毒者ってこんな顔をしていそうですわ。
メリッサ様も不安より期待のほうが大きそうですわね。お二人とももう少し冷静になったほうがよろしいですわよ。
「これで最後だが、いくら賭ける?」
フィルが尋ねると、シズリーはゴクリと喉を鳴らしてから、サイドテーブルに置いてある封筒をチラリと見た。
それからかなり真剣に悩んで結論を出す。
「・・・全部賭ける」
「いいのか? 後には引けないぞ」
「ああ、いい!」
考えることを放棄したみたいな口調でシズリーは肯定した。
やっちゃいましたわね。
わたしは心の中で呟きながらも、顔には出さないように努めた。
カードが配られてゲームがスタートする。向かい側からすごい緊張感が漂ってきますわ。
フィルを盗み見ると表面上は変わらないですけど、あれは一番集中していますわね。そしてシズリーは今までで一番感情が表に出ていますわ。
結果は・・・やはりと言いますか当然と言いますか、フィルが勝ちましたわ。
そりゃあ、そうですわよね。
顔面蒼白になったシズリーと、真っ赤になっているメリッサ様が恐いですわ。
フィルは何も気にしていないように封筒を手に取った。シズリーが焦ったように「あっ」と声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、フィリップ」
「あなた? あれ何ですの」
「いや、その・・・」
シズリーは尋常じゃない量の汗を流しはじめた。視線をあちこちに泳がせてパニックに陥っている。
フィルが封筒の中身を取り出して、メリッサ様に見えるように裏返した。
「シズリー子爵家の、爵位譲渡書だ。弁護士が作成した正式なものだよ」
「は・・・?」
メリッサ様は茫然とした。
それが今フィルの手にあるということは、シズリー家の子爵位がお金の代わりにフィルに譲られたということになる。
そういうことですのね。賭けをするにしても、元金があるのかどうか疑問だったのですけど、やっぱりなかったんですわね。
「ちょっと、あなた! どういうことですの?!」
「いや、その・・・」
「お義父様はご存知ですの?! こんなことをしてどうするつもりですの!」
いくら何でも当主が知っていなくてはこんなことはできませんわ。つまりシズリー家の財務状況は、当主ですら既にお手上げらしいですわね。
フィルが数ヵ月前に言っていた爵位を売るしかないところまでもう来ていたようですわ。結婚して事態が好転するどころか悪化したようですし。
当主はフィルの温情に期待したのかしら。詳しい事情を知らないのなら、シズリーが調子のいいことを言ったのかもしれませんわね。
メリッサ様は意味のある言葉を発しないシズリーに焦れて、フィルを睨んだ。
「フィリップ様、どういうことですの?!」
「私は賭けをするための現金がないのなら、これを持ってくるようにと言っただけだよ」
あっけらかんと答えられてメリッサ様は絶句する。
彼女も相当読みが甘かったようですわね。
「フィ、フィリップ・・・本当に・・・」
シズリーがすがるようにフィルを見る。フィルは少し考え込むように首を捻った。
「そんなに言うなら、ダミアン。これを担保にしてもいい」
フィルは仕方がないというような言い方をした。
「え・・・?」
「これを担保にするなら、今日の負け分は借金という形にしてもいいよ」
死人のような顔色をしていたシズリーの目が期待に輝き出した。メリッサ様も驚いてフィルを見る。
でも今思いついたみたいな態度でフィルは言っていますけど、絶対に元からそのつもりでしたわよね。
「本当に・・・?」
「ああ、ただし担保だからね。これまで通り君の家は子爵家を名乗っていいし、領地からの収入も君たちのものにしていいけれど、これの所有権は君がお金を返すまでは私にある」
フィルが何を言いたいのかわからなかったらしいシズリーは首を傾げる。
「つまり君にお金を返す意志がないと私が判断したなら、いつでも私はこれを売るなり何なり好きにする権利があるということだ」
「えっ・・・いや、そんなことはしないよね!」
「君が真面目な生活を送ればいいだけだろう」
そこは甘くするつもりがないというように、フィルはピシリと言った。
「不必要なものを売って、お金を使わずに社交もギリギリまで押さえれば領地からの収入だけでもやっていけるはずだ。領地経営も人任せにせずに、君と当主がやればいい」
「それは・・・」
フィルが言った内容を実行できる自信が全くないのか、シズリーは明後日の方向に視線を投げる。
「それくらいやらなければ金は返せないだろう。できないのなら返す意志がないのだと判断するが」
「いや、やる! ちゃんとやるよ!」
フィルの口調が冷たくなったので、シズリーは慌てて頷いた。
「言っておくがこの爵位を自由にする権利は私が持っているから、今後これをアテにしてお金を借りることもできないからな」
「わ、わかった」
シズリーは今度は慎重に頷いた。
彼の状況は爵位を自由にすることができなくなって借金も更に増えたので、賭けをする前よりも悪化している。
でもこれで本当に後がなくなったのだから、彼にはこれくらいで丁度いいのかもしれませんわ。何とかなるという楽観視できる余地が一切なくなったのですから。
フィルの言葉によれば、なりふり構わず節約すればやっていけるみたいですし。結局のところ彼らの危機感のなさが没落一歩手前という事態を招いていたのですわよね。
「ではくれぐれも私がこれを自由にする権利を持っていることは忘れないでくれよ」
笑顔でゆっくりと言い含めるフィルが恐いですわ。
「わかった」
「夫人も理解してくれたかな?」
メリッサ様は悔しそうな顔を必死で隠しながら返事をした。
「わかりましたわ・・・」
これつまり要約すると、フィルの機嫌を損ねるようなことはせずに真面目に生活をしろ、ということですわよね。しかも彼らにとってはフィルがいつその判断をするかなんてわかりませんわ。
わたしは表情固くしてフィルを見ているシズリーと、両手をフルフルと震わせているメリッサ様と、満足そうに笑っているフィルを順に見た。
これって・・・これって、もしかして下ぼ・・・・・・いえいえ、それはないですわよね。それは・・・はい、ありますわね。
これはもう完全にアレです。
この二人はフィルに一切逆らえなくなりました。
二人だけになった小部屋でフィルは疲れたようにソファーに座った。
結局のところフィルにとっても得るものがあったわけではなくて、面倒な人たちを黙らせただけですから、いらぬ労力を使わされたということですものね。
わたしはフィルの足元に座り込んだ。
「フィル、ごめんなさい」
意外なことを言われたというようにフィルは眉を上げた。
「別に今回のことはアイリーンが悪いわけじゃないだろう。むしろ俺が原因を作ったとも言える」
わたしが首を傾げると彼は少し後悔するような顔をした。
「あの二人を結婚させてしまったからな・・・」
「ああ・・・」
でもあれはあれでいいような気もしますけど。
立ち上がってわたしはフィルを見下ろした。
「ともかく、お疲れ様です」
少し屈んで頬にキスをする。
フィルは驚いたように動きを止めてから、口に手を当てた。
「それ・・・」
「え?」
「・・・なんか奥さんみたいだな」
顔を赤くさせられたわたしは、近くにあったクッションをフィルに投げつけた。