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13 ものすごく納得がいきません

 フィルは人の少ない場所を目指しているみたいだった。

 もう帰るのだろうと思っていたから戸惑う。それに気になることがあった。

「フィル」

 呼びかけると彼は前を向いたまま返事をした。

「何だ?」

 声の質でまだ怒っているのだと窺える。でもメリッサ様にだけではなくて、わたしにも怒っているのかもしれない。やっぱり彼女の話なんて聞かずに、さっさとあの場を立ち去っていればよかった。

「フィルは夜会でいつもわたしのことを気にしていますの?」

 でなければ二回もあんなタイミングで現れはしないはず。

「当たり前だろう」

 フィルはこちらを向いて、何でもないことのように言った。

 その表情が、わたしに相当なショックを与えた。

 いつの間にわたしはこんなにもフィルの信頼を失っていたのだろう。

 いえ、いつかなんてわかりきっている。メリッサ様のことがあったからだわ。それまでは目を離したら何かしでかすのだと思われるようなことはなかったはず・・・よね。

 待って・・・ちょっと自信がなくなってきたわ。元からだったのかしら。

 でもわたしは社交界での評判は結構いいはずで、デビューしてからそういう意味では上手くやっていたのよ。粗相をするような娘だとは思われていないはず。

 でもフィルが心配しているのは、きっとそういうことではないのよね。

 わたしは考えを巡らしながら、どんどん落ち込んでいった。

 うなだれながら、フィルに連れられるまま足を動かす。

 わたしは貴族の娘としてはかなり自由に過ごしている。でもそれは世間に立派な淑女だと認められているからであり、公爵家に嫁ぐ身として不足がないと思われているからだった。そして何よりフィルがそれを許しているから、両親も何も言わない。将来の夫がいいと言っているなら、まあいいだろうという考えだった。

 わたしはそのことだけは立派にやるつもりだった。公爵家嫡男の婚約者として、人から文句を言われるような振る舞いはしない。そしてフィルがわたしに関して何か言われるような事態を起こさせない。

 それはちゃんとやっているつもりだった。でもフィル自身がそうは思っていないのなら、あまり意味がないのかもしれない。

 そう思えるくらいショックだった。

「アイリーン?」

 俯いて地面しか見なくなったわたしに、フィルがどうしたのだと呼びかける。

「別にアイリーンに怒っているわけじゃないぞ。君から話しかけたわけでも、喧嘩を買ったわけでもないだろ」

「そう・・・ですけど」

 怒られるのも嫌ですけど、それよりも当たり前のように見張られていることに落ち込んでいるのよ。

「本当にどうしたんだ? 今日は様子がおかしいな」

 フィルが顔を覗き込んでくる。わたしは咄嗟に顔を逸らした。

 でも見られた。多分、泣きそうになっている表情を。

「アイリーン・・・」

 フィルは驚いていた。呆然とわたしの名を呼ぶと、止まっていた足を再び動かす。抱えられたままのわたしも当然同じ方向に向かった。

 俯いたままだったので、どこへ行っているのかはわからなかったけど、風に当たったせいで、庭園に出たのだと気がつく。

 他に人がいない場所を選んだようだった。

 解放スペースよりも少しずれた場所にある庭園のベンチは、いわゆる良い雰囲気になった若い男女のためのもので、用のない人間は近づかないという暗黙の了解がある。会場からは一応見える位置にあるけれど、話し声などは誰にも聞かれずに過ごせる場所だった。

 フィルはそのベンチにわたしを座らせてから、自分も隣に座った。

「アイリーン、メリッサ嬢に何を言われたんだ?」

 厳しい顔つきで問いつめてくる。わたしは慌てて否定した。

「違いますわ。メリッサ様とはどうということもない話しをしていただけですわよ」

 本当のことを言っているのだけど、説得力がないのか、疑わしそうな目を向けられる。

「何も言われてませんてば。だいたいわたし、メリッサ様に口でやり込められるほど、ヤワではありませんわよ」

 彼女に傷つけられたのだと思われるのは悔しいので、ムキになって言うと、フィルはひとまず納得してくれた。

「じゃあ、何があったんだ? そう言えばメリッサ嬢に会う前から、様子がおかしかったな」

 何があったのか。

 そう聞かれると、わたしが平常心を保てなくなった原因は、ブリジットの言葉がきっかけで、そしてフィルと侯爵令嬢が会話をしているところを見たから、なのだろう。

 でもそんな自分でも理解し難い心の機敏を、説明するのは難しい。

 それでも黙っていれば、余計な心配をかけてしまう。何か話さなくては。

「フィルは・・・」

 軽く混乱している頭をどうにか落ち着けようとする。

「わたしとの婚約が解消されたら、どうします?」

「・・・はあ?」

 何を言い出すんだ、こいつは。

 という意味が存分に込められたら一言に、わたしはしまったと思った。

 間違えた。あきらかに。

 フィルの顔がどんどん険しくなる。

 先程メリッサ様に向けたのと同じくらいの怒りを纏っていた。

「アイリーン、誰に、何を、言われたんだ?」

 口調が冷静なのが却って恐ろしい。

 はっきり言って、フィルは怒ると怖かった。わたしは本気で怒られたことなど一度もないけれど、それでも背筋がひやりとしてしまう。

「違いますわ。例え! 例えばの話しをしただけですわよ! 誰にも酷いことは言われてませんわ!」

 大慌てで弁明した。

 その例え話をブリジットがしたのだとバレたら、彼女に悪気が全くなく、むしろわたしのために言ってくれたのだとしても、フィルがそうと納得してくれるとは限らない。

「ただの例え話で、なんでそんなに泣きそうな顔をするんだ」

「それはフィルが侯爵のご令嬢と笑って話しをしていたから・・・!」

 


 軽くどころではなく、かなり混乱していたようです。

 でもこれはないですわ。本当にない。

 何を意味のわからないことを言っているのかしら、わたしは。

 落ち込んでいる理由が、フィルと侯爵令嬢が話しをしていたからだなんて、どう考えてもおかしい。

 別に仲良く話していたわけでも、フィルが彼女に好意を持ったようでもないのに。それなのにわたしの様子がおかしい原因がそれだなんて思われてしまったら、居たたまれなさすぎる。

 スーッと血の気が引いた。何か言い訳をしなくては。

 でもわたしが言葉を発するよりも前に、フィルがわたしの頭を抱えて自分の肩に押しつけた。ぽんぽんと慰めるみたいに撫でられて、一気に顔に血液が戻ってくる。

「フィル・・・!」

 恥ずかしすぎて、その手から逃れようとする。

 でもあまり力など入っているようには思えないのに、離れられない。

「俺はアイリーン以外の女性と結婚なんかしないぞ」

 もがいていたわたしの体がピタリと止まる。

 思いのほか、真剣な声が耳のすぐ近くで聞こえた。しっかりとわたしに言い聞かせるみたいな、そんな声。

 なぜか全身から力が抜けた。

 気がつけば両腕で抱えられている。

「そう・・・ではなくて、もし、どうにもならない事態が起きて、そうなってしまったら、という話ですわ」

 言い訳なのか何なのかよくわからないことをぼそぼそと言う。

「ああ・・・」

 フィルはそういうことかと納得した。

「それでも変わらないだろ。俺の家やアイリーンの家がどうなろうと、俺はアイリーンと結婚するつもりだし、もし万が一、それができなくなったとしても、俺は他の女性とは結婚しない。絶対に」

 わたしの頭の中で、それまでに考えていたあらゆることが、どこかへ飛んでいった。真っ白になる。

 それなのに泣きそうだなんて。

 後から思えば、この時わたしはとてつもなく安堵したのだった。

「なに・・・言ってますの。公爵家の跡取りのくせに」

「別に一人息子でもないし、どうとでもなるだろ」

 とんでもないことを、あまりにもあっさりと言う。

「本当に・・・何言ってますの」

 フィルの大きな手がわたしの頭を少し乱暴に撫でた。きっちりセットしていた髪型なんかお構いなしだった。

「俺はアイリーンとしか結婚しない。だから安心しろ」

 わたしの耳元で、わたしにだけ聞かせるように囁いた。

 腕を伸ばしてフィルに抱きつきたくなる。彼の言葉に素直に頷きたくなった。

 でもここで少しばかり我に返る。

 ちょっと引っかかってしまった。フィルの言い方に。

 あの言い方だと、わたしは仕方のない状況になったとしても、フィルが他の女性と結婚するのが嫌だと思っているのだということになる。

 いえ、嫌なのですけど、それは認めますけど、でもフィルがそれを当たり前のことみたいに認識しているような気がするのは気のせいかしら。

「どういうことですの、それは」

「ん?」

 ちょっと冷静になったわたしは頭だけ動かして、間近にあるフィルの顔を覗き込んだ。

「安心しろってどういうことですの。わたしがすごく嫌がっているみたいじゃない」

 反発するようにフィルをじっと見た。それなのに平然と見つめ返してきて、驚くべきことを言った。

「嫌だろう? 俺が他の女性と結婚するのは」

「なっ・・・!!」

 あまりのことに絶句した。

 気のせいではなかった。疑問形のはずなのに、わたしに尋ねてすらいない。確信している。

 なんで、いつから、という言葉が頭の中でぐるぐると回る。

 本人に面と向かって心情を言い当てられるという行為は、破壊力が凄まじかった。顔が真っ赤に染まって、開いた口が塞がらない。

 しかも何を今更って顔をしていますわ、この人・・・!

 わたしが動揺したり憂鬱になったりしながら得た答えを、随分前からわかっていたのだと、その表情が物語っている。

「どうしてフィルにそんなことがわかりますの!?」

「どうしてって・・・」

 フィルは困ったように眉を寄せた。

 説明が必要なことかと言われているようで、わたしは更に追いつめられた気分になる。

「まあ、敢えて言うなら・・・」

 目線だけを上に向けて、思考を巡らすようにゆっくり話す。

「アイリーンが俺以外の男を好きになるはずがないから、だな」

「はい?!」

 何言ってますの、この人?!

 予想の斜め上どころじゃない。 

 脳内にダイナマイトをぶち込まれたかのような衝撃だった。

 おかしい。いろいろとおかしい。

 そもそもそれは説明になっていない。わたしの中で疑問と混乱が増しただけよ。

「なにそれっ・・・!」

 首から上の体温だけがやたら上昇したように感じた。きっとリンゴのように赤くなっている。

「違うのか?」

 フィルはさっきと同じ言い方をした。尋ねてなんかいない。

 反抗心が湧き上がってくる。違うと言いたい。言ってやりたい。

 でもそれでは嘘を吐くことになる。悔しくてもここで否定するのは馬鹿なことだという自覚はあった。それくらいの平常心は残っていた。

 今のわたしは間違いなくフィルが言った通りの状態になっていたのだから。

 どんな状況になってもわたしと結婚すると言ってくれたことが、泣きたくなるほど嬉しい。フィルが他の人と結婚するなんて絶対に嫌だ。それは、その権利はわたしだけが持っていたい。

 素直にそう言えばいい。

 でもそれをするにはあまりにも釈然としなさ過ぎた。

「納得がいきませんわ。納得いかない、納得がいきません!」

「三回も言わなくていい」

 フィルは呆れたような声を出した。なんて男なのよ。

 わたしは恨みがましくフィルを睨みつけた。

 下から見上げている上に、涙目で真っ赤になっているのだから、迫力など微塵もないことはわかっている。

 でもわたしの顔を見たフィルが目を瞬いてから、嬉しそうに、愛おしそうに笑ったから、息が止まりそうになった。

 初めて見る顔。

 いえ、違う。そうじゃない。こんなにもはっきりとした表情は初めてだけど、とてもよく似た顔が、わたしの記憶の中に確かにあった。それも何度も。

 それはいつからだったのだろう。

 そんな考えごとをしていたせいだった。

 わたしは自分の視界にフィルだけしか映っていないことに気づくのが遅れた。

 はっとした時にはもう、フィルとわたしの唇が触れ合っていた。

 しっかりとした感触を残しながらも、それはすぐに離れる。

「・・・!」

 もうこれ以上はないと思っていたのに、わたしの顔は更に熱を持った。

 今日、何度わたしを絶句させれば気が済むのか、この人は。

 頭を撫でてるんじゃないですわよ。

「や、夜会ではキスしないって約束しましたわ!」

 自分が言いたいのはそれではないような気もするけど、わたしは何とかフィルに食ってかかった。

「いや、人前では、だろう」

 フィルはしれっと反論する。

 えっ、そうだったかしら。わたしはその会話をした時のことを思い返した。

 三秒ほどかけて反芻する。

「・・・違いますわ。夜会では、ですわよ!」

 ちゃんと覚えている。間違いない。

「チッ、バレたか」

 今、舌打ちしましたわよ。

「フィル!」

「ああ、わかった。悪かった」

 本当にそう思っているのかかなり怪しい。むしろ騙し通せなかったことを悔しがっている気配がする。

 でも口先だけでもフィルが謝ったことで、わたしの中で少し罪悪感が生まれた。

 言い方とかその他もろもろ納得できないところはあるけれど、フィルはさっきわたしのほしい言葉をくれた。真剣な声で心からそう思っているのだと信じさせてくれた。

 とても嬉しかったのだ。

 それなのにわたしは文句しか言ってないかもしれない。わたしが悪いというわけではないと思いますけど。

 フィルに何か返さなくてはいけない。

 でもどう言えば喜んでくれるのかわからない。

 そもそもフィルはわたしと同じように思ってくれているから、だからあんな風に言ってくれたのだろうか。

 ーーもうここで限界だった。

 今夜のわたしは脳細胞の使用量を超過している。これ以上ややこしいことなど考えられない。

 ただわたしは言葉にできないことを伝えたくて、フィルにぎゅうっと抱きついた。

 こんなことで伝わるわけもないけど、でもフィルはくすりと笑って抱きしめ返してくれる。

 その吐息のような笑い声が嬉しそうに聞こえたから、わたしはひどく安心した。



 


次回、一度だけフィル視点が入ります。

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