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12 まさかです

 少しの間、友人たちとおしゃべりをしていたけれど、やっぱり誰かと話をする気分ではなく、わたしは早々に人の輪から外れた。

 ブリジットは戻って来ないし、コレットは今日は出席していない。

 結局また壁の花に戻ってぼんやりしていた。ちゃんと人の多い場所にいるから問題はない。時折話しかけてくる人がいたけれど、疲れたフリをしていれば、すぐどこかへ行ってくれた。

 こういうことはあまり褒められたものではないけれど、わたしは普段の社交はちゃんと力を入れている。今日だけ少しサボっても特に影響はないわ。

 わたしは時々人混みに紛れていなくなるフィルの姿を、無意識に目で追っていた。

 さっきもそうだった。そうしようと思っているわけではないのに、気がつけばフィルを探している。意味もなく。

 たまに目が合うような気がするけど、一瞬だし、遠いから気のせいかもしれない。

 もしフィルがわたしを見ているのなら、それは常にわたしを気にかけているということになる。

 いえ、ちょっと待って。それはありませんわ。

 いくら何でもそこまでフィルは心配性ではないし、わたしだって分別というものをちゃんと持ち合わせている。そこまで心配される謂われはないわよ。

 やっぱり今日のわたしはちょっとおかしい。一人で突っ立っていて正解かもしれない。

 このままフィルが帰ると言いに来るまでじっとしていましょう。

 そう思った矢先に、また誰かに話しかけられた。

 どうやってお引き取り願おうかと思いながら、声のした方を振り返る。

 そしてわたしは驚きに固まってしまった。

 そこにいたのは無表情にわたしを見つめるメリッサ様だった。



「ごきげんよう? アイリーン様」

 まさかあれ以来、彼女がわたしに話しかけてくるなんてことがあるとは思えなかったので、どう反応すればいいのかわからない。

 一体何の用なの。

 もし彼女がまたわたしに危害を加えるようなことがあれば、その時はもう、彼女の嫁ぎ先がどうのという問題ではなくなる。それくらいはわかっているはず。

 なら謝りに来たとでも言うのかしら。

 とてもあり得そうにないけれど。

 とにかくわたしはもう、メリッサ様とは関わらないとフィルと約束している。

 こちらとしては話すことなど何もないので、さっさと立ち去ろうとした。

 しかし背を向けようとした時、彼女は何か引っかかる物言いをした。

「最近、随分と平民に肩入れをなさっていますのね」

 それが平民に対してのではなくて、わたしの行動に対しての嘲笑に聞こえて、わたしは足を止めた。

「身分の低い者を馬鹿にしていたくせに、どういう心境の変化なのかしら。お優しいご令嬢でも演出なさっているの?」

 とんでもない言いがかりをふっかけてきますわね。

「わたしは身分の低い人を馬鹿にしたことなどありませんけど・・・ああ、でもあなたに対して、身分相応の振る舞いをしろと言ったことはありましたわね。あれはあなたに負けないくらい、意地の悪いことを言ってやりたかっただけですわよ。あなた以外の人にそんなことは一度も言ったことはありませんから」

 そういえばそんなこともあったと思い出しながら言っていると、無表情だったメリッサ様の顔が険しくなった。

「そんな言葉、信じられるとでも?」

 どうもわたしを悪人にしたいみたいですわね。自分の言ったことは酷いことだとは思っていないのかしら。

 わたしとしては彼女にやられた分をやり返しただけですし、最初に喧嘩をふっかけてきたのはメリッサ様なんですけど。

「信じなくても結構ですけど・・・でもそうですわね、わたしは身分についての認識が甘かったようですわ。そこは反省しています」

 わたしの周囲には、身分の低い人を馬鹿にする人間はほとんどいない。それに最近は貴族と平民の結婚も多くなっている。そんな事実だけを見て、わたしは身分の低さなどそう大したことではないと思っていた。

 もちろんわたしたちに比べて、不自由な部分は多いだろうし、生活をするだけで精一杯な人たちもいるでしょう。でもこの時代にまだ、生まれた環境を笠に着て、他人を貶める人がこんなにいるとは思っていなかった。

 いくらわたしがデビュタントで、実際の世間の風潮にはまだ疎いのだとしても、これは反省すべきことだった。

「ああでも、メリッサ様に言ったことは、気にしてなんかいませんから。あれは悪いことを言ったとは思っていませんわよ」

 彼女に罪悪感を持っているとは思われたくなかったので、それはちゃんと説明しておく。嫌味ではなく事実として、淡々と告げた。

「そうでしょうね」

 鼻で笑うようにメリッサ様は言う。

「それで、言いたいことはそれだけですの? でしたらわたしは失礼させていただきますけど」

 わざわざ聞かずに立ち去ればいいのだけど、何の用だったのかは気になった。

 するとメリッサ様は思いきり顔をしかめて言った。

「侯爵夫人があなたに謝れと言うのよ」

「まあ・・・」

 驚いた。メリッサ様の世話をしている侯爵夫人ですわよね。

 彼女はメリッサ様がしたことを、どうも実際よりも軽く見ているみたいですわね。メリッサ様がそう思わせたのか、侯爵夫人がそう思い込みたいのかは知りませんけど。

「謝罪する気なんて、全くなさそうに見えますわよ」

 ひとまず苦虫を噛み潰したような顔をしているメリッサ様にそう指摘した。

「当たり前でしょう。わたしは初めて会った時から、あなたのこと大嫌いだったのだから」

 それが謝らない理由になるのかしら。まあ、いいですけど。

「奇遇ですわね。それはわたしもですわ」

 わたしがそう言うと、メリッサ様は軽く目を見張った。

 驚くようなことかしら。わたしの感情は普通のものだと思いますけど。

 毎回笑顔で彼女に話しかけていたから、ちょっと誤解させたのかもしれませんわね。

 でも単にあの状況を楽しんでいたから、わたしはメリッサ様に嫌悪感をあまり抱いていなかっただけで、彼女の中身だけを見るなら、間違いなく嫌いなタイプですわ。というより、出会ってすぐに婚約者を狙っているのだと匂わされて、嫌味まで言われれば、好意を持てというほうがおかしいです。

 当初の印象通りに、彼女が愛人になりたがっていたのだとしても、浮気性ではない若い男性であるフィルを狙っているところに、彼女の身勝手さがよく見えますし。

 でも嫌いな相手に嫌われているとわかっていて、なおかつ先に向こうが仕掛けてきたのだからこそ、わたしもあれだけ遠慮なく、楽しくやり合えたのですわよね。これでメリッサ様がもう少し賢ければ、申し分なかったのですけれど・・・って、いえ、ちゃんと反省していますわよ、わたしは。

「謝罪は聞いたことにしておいてやる。だから今後一切アイリーンに話しかけるのは止めてくれ」

 唐突に第三者の声が割り込んで来て、わたしは手に持っている扇を落としそうになった。

 いつの間にか隣にフィルがいる。

 びっくりした。さっきから急に現れすぎですわよ。

 フィルはとても不機嫌そうな顔をして、わたしの腕を掴んで自分に引き寄せた。社交場のような場所で、フィルがこんなあからさまに負の感情を出すのは、かなり珍しい。

「わたしは関わるつもりはありませんでしたわ。そういうことにしていただけるなら、もう二度と話しかけたりは致しません」

 メリッサ様はフィルに対しても、わたしと同じように冷ややかに言った。

 でもこの人、気づいているのかしら。フィルは聞いたことにしてやるとは言いましたけど、聞き入れるとは言っていませんわよ。わざわざ教えてあげたりはしませんけど。

「賢明な判断だな。・・・それで、君はダミアンと結婚するつもりなのか?」

 フィルは探るように尋ねた。関わらないとは言っていても、彼女が今後どうするつもりなのかは知っておきたいのでしょうね。

「ええ、しますわ。あんな田舎に帰らなくてはいけないくらいなら、あの馬鹿男と結婚するほうがマシですもの」

 メリッサ様は田舎という言葉に嫌悪を滲ませて口にした。相当故郷が嫌いなんですのね。

「あの人の家、傾いていますけど」

 親切心でも何でもなく、わたしは思わず突っこんでしまった。メリッサ様がギロリとわたしを睨む。

「知っていますわ。でもまだ保っていますもの。没落などわたしがさせませんわよ」

 堂々と言い切りましたわ。

 相変わらず根拠のない自信をたくさんお持ちですわね。わたしはとても成功するとは思えませんけど。

 でも一応、心の中で軽く応援しておきますわ。がんばってください。

「そうか、じゃあがんばってくれ。私たちはこれで失礼する」

 用は済んだとばかりに、フィルはわたしの肩を抱いてメリッサ様に背を向けた。

「ええ、さようなら。アイリーン様も羽目を外しすぎて、婚約者に見捨てられないようになさいましね」

 最後の捨て台詞なのか、メリッサ様はそんなことを言った。

 すると歩き出そうとしていたフィルの足がピタリと止まり、ゆっくりと振り返る。

 びくりと体が小さく震えた。フィルが怒りのオーラを発生させている。

「君にアイリーンのことをとやかく言われる筋合いはない。さっさと消えろ」

 何もそこまで・・・というくらいフィルは怒っていた。

 予想より遥かに大きかったであろう怒気を向けられて、メリッサ様も固まっている。

 でもそんなわたしたちに構わず、フィルはスタスタと歩き出した。

 いつもと違い、わたしの歩幅なんて気にしていないフィルに抱えられながら、不思議な気持ちでその横顔を盗み見た。


 


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