11 らしくないですわ
「それも重要なことではあるのですけどね」
ブリジットは呆れた気持ちを隠しきれない、というような顔をして言った。
いつもと同じような夜会で、軽く出席者に挨拶をして回った後、わたしはコレットとハルトンさんについての経過をブリジットに話しただけです。何も呆れられるようなことは言っておりませんわよ。
首を傾げると、ブリジットはピクリと眉尻を吊り上げた。
「アイリーン、あなた自分のことはどうしたのよ! わたしが言ったことを忘れたわけではありませんわよね!」
「うっ」
言われてしまいましたわ。そろそろ言われるのではないかと思っていましたけど、やっぱり言われてしまいました。
「ちゃんと考えようとはしているのよ・・・」
フィルとの婚約についてですわよね。ブリジットから言われたことを考えようとはしていますわ。
「それってつまり考えてはいないということよね」
わたしの誤魔化しは通用せず、ブリジットはすっぱりと突っ込んだ。
まさしくその通りです。
「もーう! どうしてこんなに単純なことがわからないのかしら、あなたは! この間の夜会でだってイチャイチャしていたくせに、実際には何も進んでいないなんて!」
「ちょっ、どうしてブリジットが知ってますのよ!」
わたしは赤くなって、ブリジットの口を塞ぎたくなった。
あの日ブリジットは先に帰ったはずですわ。目撃されているはずがありません。
「こういうことに関する女の情報網を甘く見てはいけないわ、アイリーン」
フンと胸を反らす。
いえ、わたしも歴とした女ですわよ・・・。
「何もフィリップ様との婚約が本当に解消されるわけではないのよ。もしそうなったらどう思うのか考えなさいって言ってるだけではないの」
「・・・わかっていますわ」
自分でもどうしてここまで考えることを脳が拒否するのかわかりませんわ。考えようとすると不安になってしまう理由も。
拗ねたように口を引き結んでいるわたしに、ブリジットはしょうがないという顔をする。
「フィリップ様の態度だってわかりやすいのに・・・」
ぼそりと独り言のように呟く。
それは人前での態度のことではないかしら。どちらにせよ。
「わたしは最近フィルが何を考えているかわからなくなる時がありますわ」
か細い声で訴えてみる。
フィルの態度は今までずっとわたしに向けていたものと少しだけ違ってきている。
具体的にどう違うのかははっきりわからないけれど、でも敢えて言うなら、目が違った。何かわたしに読み取れない感情を宿している時があって、そういう目でわたしを見た後にちょっと考え込むような顔をするから、どうすればいいのかわからなくなってしまう。
何か言わなくてはいけない気がして口を開いても、何も言葉が出てこなくて当惑する。
「アイリーン・・・」
ブリジットはなぜか感極まったような声を出した。
「可愛いわぁ。今ならその外見だけで、いくらでも男性をオトせそうよ」
「・・・ブリジットもたまに何を言っているのかわからなくなる時がありますわ」
話に脈絡がない。そして何気に失礼ですわ。いえ、わたしも自分が見た目だけは可愛いことは知っていますけど。
ブリジットが彼女の叔母に呼ばれて、どこかへ連れて行かれた後、わたしは他の友人たちを探す気にはなれず、ぼんやりと壁の花になっていた。
自分らしくないと思う。
最近のわたしは些細なことで不安になったり、からかわれただけで何も言い返せなかったり、こんなに大人しい性格ではなかったのにと思ってしまう。
何が自分をそうさせているのかということくらいならわかっていた。
ブリジットのせいじゃない。彼女の言葉がきっかけのひとつではあるけれど、わたしをこんな風にしているのは、間違いなくフィルだった。
ほんの幼い頃からフィルを振り回しているのはわたしの方で、彼はそんなわたしに仕方なく付き合いながら、抑えつける役目をしていたはずなのに。
一体わたしをどうしたいのよと問い詰めたくなる。
視線の先にいるフィルは、どこにも変わった様子がなく、知り合いの侯爵と談笑している。
わたしがおかしくなっているのはフィルのせいなのに、彼はわたしよりも余裕がある。そのことが釈然としない。
侯爵としばらく話した後、フィルは同い年くらいの小柄な女性を紹介されていた。彼女ははにかんだ笑顔で、言葉少なにフィルと会話している。
確か彼女は侯爵の娘だわ。
侯爵令嬢で、そして婚約者もまだいない。
それほど距離は近くないというのに、彼女がフィルに少なからず好意を抱いていることがわかった。
もし、もしも、わたしとフィルの婚約が解消されるようなことがあったとしたら。
そうなったら、彼女はフィルの新しい婚約者として、とても釣り合いがとれる。家柄も年齢もそれから・・・。
ーー嫌だ、やっぱり考えたくない。
衝動的にわたしはその場から離れた。
人と人の間を縫ってただ歩く。どこも人が多くて、立ち止まると誰かに話しかけられそうで、足を動かし続けた。
落ち着ける場所に行きたかったけど見当たらず、しばらくさ迷った後、仕方なくわたしはバルコニーに出ようとした。
人の熱気が嫌になって、風にあたりたかったということもある。普段なら絶対にこんなことはしない。でも今日はもういい。扉の近くにいれば問題ないからという気持ちになっていた。
でも外に出ようとした時、いきなり扇を持っていない方の手をがしりと捕まれて、わたしはかなり驚いた。
振り返って更に驚く。わたしの手首を掴んでいたのはフィルだった。
言葉もないわたしに、フィルは眉間の皺を寄せて言う。
「アイリーン、一人でバルコニーになんか出るんじゃない。危ないだろう」
咎めるような響きは少しだけ。フィルの声は、ただわたしを心配しているのだと容易に感じ取れた。
無性に恥ずかしくなる。
顔に熱が集まって、わたしは俯いた。
「ブリジット嬢はどうしたんだ?」
「・・・叔母様に呼ばれて、どこかへ行きましたわ」
「アイリーン?」
顔を上げないわたしに、フィルは不審げに名前を呼ぶ。
「どうした? 疲れたのか?」
そうだと答えれば、フィルはきっとすぐに帰ろうと言う。
「いいえ、大丈夫よ。ちょっと人が多いから暑くなってしまっただけですわ」
思い切って目を合わせる。何でもないのだという顔をした。顔が赤いのは会場が暑いせい。
まだ帰るような時間でもない。こんなわけのわからない理由で帰らせるわけにはいかない。
「もう友達のところへ戻りますわ。バルコニーには出ないから。フィルもまだ話をしなくてはいけない人たちがいるのでしょう?」
「まあ、そうだが・・・」
フィルはわたしが本当に大丈夫なのか確かめるようにじっと見た。
「これくらいで疲れたりしませんわよ」
笑いながら言う。どこもおかしなところはないはず。これ以上フィルに見られていると、何か致命的な行動をしてしまいそうで、早く離れたかった。
フィルは一応納得してくれたようで、そうかと呟いた。
「人気のないところへは行くなよ」
「ええ。絶対に行きませんわ」
釘だけは差される。今更、夜会に出たばかりの頃と同じことを言われて、ちょっと落ち込んだ。
「じゃあ、帰りたくなったら言えよ」
ポンと軽くわたしの頭に手のひらを乗せてから、フィルは背中を向けて去って行った。
ぼんやりとその姿を目で追う。またあの感覚が襲ってきた。
フィルに何か言わなくてはいけないような気がするのに、それが何なのかわからない。