9 墓穴を掘っていました
「ごきげんよう、カーディウェルス子爵夫人」
にっこりと控えめな笑顔で挨拶をするわたしに対して、子爵夫人は冷たい目を向ける。
それでも無視をする気はないようで、一応は挨拶を返してくれた。かなり素っ気ない声でしたけど。
彼女の顔には本当に来たのかという呆れたような思いが見え隠れしている。
もちろん一度説得に失敗したからといって、友達を見捨てるような真似は致しません。
ここはカーディウェルス子爵邸で、コレット家です。夜会やお茶会の場よりも、よほどじっくり話ができますから、コレットに招待してもらったのですわ。
コレットは少し離れたソファーに座って、わたしたちのやりとりをハラハラしながら見守っている。
でもそれにしても初めて子爵邸を訪れましたけど、それほど小さくはない屋敷に対して、あきらかに人の気配が少ないですわね。使用人がほとんどいないかのように感じますわ。どこかにはいるのでしょうけど。
コレットが言っていた屋敷を手放さなくてはいけなくなるという言葉は事実のようですわね。しかもその時期はもうすぐそこまで迫ってきているのではないかしら。
「子爵夫人、わたしとても疑問に思っていることがありますの」
わたしは努めて冷静に言った。
今日は彼女に落ち着いて話をしてもらわなくてはいけない。感情的に拒絶されては困る。
「失礼ですけど、カーディウェルス子爵家は金銭面での余裕があまりございませんわね」
なるべく柔らかい言い方をしたかったけど、こんな言葉しか出てこなかった。
貴族が面と向かってこんなことを言われるのは恥辱でしかない。でもこれを言わないと話が進まない。
子爵夫人は眉を吊り上げただけで何も言わなかった。屋敷の様子を見れば、世間知らずな貴族の娘相手でも、否定したところで意味がないからでしょうね。
「このままでは貴族としての体面を保つことはできないのではないですか? あなたが馬鹿にする、お金持ちの平民よりも世間での立場は低くなりますわよね」
貴族というのは本当に体面というものを大事にします。その体面を守れなくなれば「落ちぶれた」という烙印を押されて、実質的には貴族の枠組みから外されてしまうのです。
矜持の高い貴族は、落ちぶれることを何より恐れるはず。
そして子爵家がこのままでは落ちぶれてしまうことは、火を見るよりもあきらかですわ。なぜなら当主は健在ではなく、この家には女手しかいないのですもの。それでも当主が存在はしているので、親類縁者が手を差し出してくれる可能性もほぼないでしょう。コレットに息子ができれば、その子が次の当主になることは決まっているのですから。
つまり爵位を持たないお金持ちでもなければ、この子爵家を救うメリットが全くないのです。
「だから爵位目当ての成り上がりに娘を差し出せというのですか」
子爵夫人は非難するように言った。
「それのどこがいけませんの」
わたしはそこが不思議だった。
いくら矜持が高いのだと言っても、お金持ちの平民と縁続きになることと、落ちぶれることを比べれば、ほとんどの貴族はお金持ちと自分の子供を結婚させることを選ぶはずですわ。
貴族にとっては貧乏な生活を送ることのほうが耐え難いのです。だからこそ地位とお金の利害が一致した結婚が増えているのですし、爵位を売る貴族もいるわけです。
普通なら娘のこの状況を喜び、急いでハルトンさんと結婚させそうなものです。
「ハルトンさんはコレットのことが好きで、結婚したいと考えてますけど、もし彼が実は爵位目当てだったとして、それのどこに問題がありますの? ハルトンさんはとてもお金持ちですもの。結婚すれば生活が安泰することは間違いありませんわ。それなら地位くらい、くれてやればいいではありませんの。他には奪われるものなど何もないでしょう?」
損失どころか利益のほうが大きいですわ。爵位を継ぐのはハルトンさんではなくて、コレットの息子なのですし。
「相手がお金持ちだから、娘が騙されていることを黙って見過ごせというのですか。豊かな暮らしなど必要ありません。この子は貴族の次男か三男と結婚させます。その方がこの家を盛り立てればいいのです」
「嫌です! わたしはデリック以外と結婚なんてしません!」
コレットが泣きそうな声で抗議した。
わたしは表情を険しくする。
「どなたかアテでもあるのですか?」
尋ねるも、子爵夫人は答えなかった。
「ございませんでしょう? 子爵夫人、あなたはわたしのことを世間知らずな小娘だと思っているようですけど、あなただって世間をよく知っているようには見えませんわ。ご当主の働きかけもなく、広い顔を持っているわけでもないご夫人が、そのように都合のいい男性を見つけられるとは思えませんわ」
家を立て直すというのはそうそう簡単なことではない。そんな力量のある男性なら、初めから立て直さなくてはいけない家の娘とは結婚しないのではないかしら。
お金持ちの貴族の次男を捕まえるという手もありますけど、それもやはり相手にとって旨味は少ないでしょう。その人が爵位を継げるなら別ですけど。
子爵夫人の言う、コレットの結婚すべき貴族は、彼女が見つけるには困難すぎる相手なのです。
「都合のいい男性など探していません。カーディウェルス子爵家が存続していればいいのです。王都の社交界に出入りできなくなろうとも」
子爵夫人は頑なな目つきでわたしを睨んできた。
これはつまり落ちぶれるほうがマシだということかしら。わたしは声を上げて嘆きたくなった。これは駄目だわ。
こういうのを血統至上主義というのかしら。そういうものを重要視していない人間にとっては、ただのおかしな思い込みが、子爵夫人にとっては確固たる真実なのだわ。
「だから貴族なら誰でもいいと仰るのですか? それではコレットが不幸になります。騙されているからハルトンさんは駄目だと言うのに、良縁に恵まれないとわかっていて、貴族と結婚させようとするなんておかしいですわ。本当の意味でコレットのことなど考えていないではありませんの」
わたしが思わず喧嘩腰になってしまうと、子爵夫人の顔が怒りに歪んだ。
「あなたのような若い娘に何がわかるというのです。貴族ならば一時の激情に身を任せることは愚かなことだと学びなさい! 血筋こそが重要なのです!」
「今は戦があった時代とは違いますのよ! 貴族の存在意義すら揺らいでいるのに、血筋など重要ではありませんわ!」
売り言葉に買い言葉で、口調の激しさがヒートアップしてしまう。もう完全に喧嘩だわ。
「なんてことを言うのです。あなたは本当に伯爵家の娘ですか。遊び歩く男性を非難しておいて、貴族の義務が何であるかすらわかっていないのはあなたでしょう」
「わたしは貴族としての役目を全うしていますわ!」
王族ではあるまいし、結婚して血筋を残すことが貴族の娘の義務ではありませんわ。わたしは礼儀作法をきっちりと身につけて社交をこなし、慈善活動だってしています。全て手を抜いたことなどありません。
「いいえ、あなたは自覚が足りないのです。だからあのようなことをするのでしょう」
子爵夫人は鼻で笑うような言い方をした。
「あのようなこと?」
何のことかわからずに、わたしは首を傾げた。
「一度注意したにも関わらず、夜会であのような行為をするのですから、貴族としての自覚が足りないのでしょう」
わたしの思考がピタリと止まった。
そして何を言われたのか正確に理解すると、急速に顔に熱が集まってきた。
見られてましたわ! フィルにすり寄っていた女性を追い払ったときのことを、しっかり見られてました。
あぁぁ、そうですわよ。あれは子爵夫人と会ったあとの出来事なのですから、当然ながら夫人は同じ夜会会場にいたのです。見られるかもしれないということは、予想して然るべきでしたわ。
でもわたしがしたことはフィルの腕に抱きついたくらいで・・・。
「あ、あれは・・・」
でも急にそんなことを言われたわたしは恥ずかしさに動揺して、弁解の言葉が出てこなかった。
キスはフィルがしたことだと言っても、この人には通用しないですし、言うのも恥ずかしいですわよ。
「節度すら保てない人が、偉そうに何を言っているのです」
子爵夫人の声は冷ややかだった。わたしの顔が更に赤くなる。
反論できない。頭がまともに働いてくれませんわ。
完全に墓穴を掘っていました。
コレットが心配そうな顔で見ていますけど、心の中で謝ることしかできない。
ごめんなさい。今日はわたしの敗北です。
戦意を取り戻せそうにありません。
居たたまれない気持ちで、わたしはすごすごと子爵邸を後にすることになった。
でも今回は絶対にフィルのせいですわよね・・・。
コメディ要素少なくてすみません・・・。