5 甘かったですわ
「というわけで、まずはカーディウェルス子爵夫人を説得することになりましたわ」
夜会に向かっている馬車の中で、フィルに先日のお茶会での会話の内容を説明した。フィルは訝しげにわたしを見ている。
「なんか今日、機嫌がよくないか?」
「え? そうかしら」
別に自分では機嫌がいいという自覚はないですけど。心当たりもないですし。
「違うのか? まあ、説得するというのは構わないが・・・」
フィルはいいと言いながらも不安そうな顔をする。
「そう難しくはないと思いますわよ。コレットの家は彼女のお父様の病気のせいもあって、かなり金銭面で危ういそうですもの。王都の屋敷も売らなくてはいけないかもしれないと言ってましたわ。ハルトンさんと結婚すれば、それらが解消されるでしょう。状況だけ見れば、コレットが騙されていようと問題ないのではないかしら」
よくある、利害が一致した者同士の結婚になるだけです。
子爵夫人は貴族ではないハルトンさんを認めないことからも、貴族としての矜持が高そうですから、屋敷を手離すなどという、体面を保てなくなることに我慢ができないのではないかしら。
「それにコレットは子爵夫人を説得できなければ、本気で駆け落ちしてしまうかもしれないわ。そうなるよりは無理やり言いくるめてでも、子爵夫人に納得してもらったほうがいいでしょう」
ロマンス小説の影響なのか、駆け落ちって結構多いのです。おまけにコレットは身一つでハルトンさんの元へ行けばいいだけだもの。コレットにとってはこの方が簡単なことなのよね。もちろん彼女がそうしたいと思っているわけではないでしょうけど。最後の手段としては考えているでしょうね。
「確かにな。デリックも認めてもらうために、社交界で顔を売る手伝いをしてくれと言っていたし。それに家柄を重視する人間が、人柄だけで娘の結婚相手を認めるというのは考えにくい」
「じゃあ、フィルも協力してくれますのね」
「そりゃあ、友人のことだからな。しかし、アイリーン。くれぐれも過激なことはするなよ」
「当たり前ですわよ。自分のことではないのだから、ちゃんと考えて行動しますわ」
遊びではないことはちゃんと理解しています。
しかし甘かったですわ。
貴族至上主義の人間の、頭の固さを甘く見ていました。
夜会の片隅、コレットと彼女のお目付役として出席していた子爵夫人に、ブリジットと二人で挨拶をしに行って、ひとまずハルトンさんが信頼できる人物であること、フィルとも友人関係であること、手堅い商売をしているのでコレットが生活に困ることはないということを説明しようとしましたが。
「どれほど言葉で言い繕おうと、下賤な成り上がり者であることに変わりはありません。お金を持っているからといって、貴族の仲間入りをしようなどと、おこがましい」
最後のほうは吐き捨てるような言い方でしたわ。
「お母様! デリックは下賤などではありませんわ。貴族ではなかろうと、立派な地位を持っています!」
「子爵夫人! それは言葉が過ぎますわ!」
コレットとブリジットが悲鳴のような抗議の声を上げる。
想像以上の見下し様ですわね。貴族ではないとはいえ、中流階級の財力のある人間に対して下賤とは。これは難しくないなどとは言えなくなりましたわ。
「随分と貴族が立派なものであるとお考えですのね、子爵夫人。家の財産を食い潰して、遊び呆けることしか能のない貴族の子息がたくさんいることをご存知ないのでしょうか」
わたしは冷静になろうと努力したものの、やっぱり声に苛立ちが混じってしまいましたわ。
「若いうちのことです。結婚すれば、自ずと貴族がどういうものであるのか、わかるというものです」
「あら、ではお金を使い続けて借金を膨らませて、領地管理もまともにできずに爵位を売るような人間でも、子爵夫人にとっては立派な貴族ですのね」
あぁ、言ってしまいましたわ。
あまりにも馬鹿馬鹿しい理屈を捏ねられるので、ムカッときてしまいました。
でもいくら貴族は仕事をしないものだとはいえ、ただ遊んでいるだけの男たちもいるというのに、働いて自力で地位を手に入れた人間よりも、そんな貴族の方がまともだなんておかしいじゃない。
子爵夫人はギロリとわたしを睨みつけた。
コレットの母親とは思えないくらい、顔が厳めしいですわね。
「貴族としての矜持と義務を忘れた人間も確かにいます。ですがだからといって、成り上がりの爵位目当ての男に娘をやる理由にはなりません」
「デリックは爵位目当てじゃないって言っているでしょう?!」
コレットが泣きそうになりながら言い返す。
「あなたのような世間のことなど何も知らない娘が、悪い男に引っかからないように諫めることは母親の役目なのです。あなたは騙されていることに気づいていないのよ。結婚など許しません」
子爵夫人は考えを変える気は一切ないというように、毅然と言い放った。
確かに貴族の娘は世間知らずであることが多い。無知で無垢であることが好ましいと思われているから、意図的に世間知らずに育てられている。
そんな娘を悪い男が騙すことなど造作もないことでしょうし、そういう男から娘を守るのは母親の役目と言えます。
「それは彼がコレットを騙していなければいいということですの?」
わたしは慎重に子爵夫人に聞いた。
「そんなことどうやって証明すると言うのですか。いいえ、どの道許しはしません。育ちでその人間の程度はわかるのです。我が子爵家に下賤な者の血を混ぜることなど、あってはならないのです」
「何も知らないくせに・・・!」
「コレット、落ち着いて!」
段々と声が大きくなっていっているコレットを、ブリジットが宥めようとする。
目立たないようにしているとはいえ、ここは夜会会場です。そろそろ注目されるかもしれない。
「そのお考え自体が、子爵家を没落させるかもしれないのに?」
わたしはできるだけ無表情に、子爵夫人にその問いを投げかけた。
夫人の肩が動揺したようにピクリと動いた。
ここで畳み掛けるべきではないでしょうね。
「今日はこれで失礼しますわ。後日またお話させていただきたいと思います」
子爵夫人から離れて、三人でバルコニーに出た。
胸の内に溜まったものを吐き出したくて仕方がないですわ。全員が沈痛な面持ちでうなだれています。
「やっぱりお母様を説得するなんて無理だったんだわ。もう、家を出るしかないのよ・・・!」
耐えきれなくなったようにコレットは涙を流した。ブリジットは何も言えず、ただ背中を撫でてあげている。
「いいえ、コレット。それはもう少し待ってちょうだい」
わたしは感情を抑えるように、静かに彼女にお願いした。
「家を出ることまで考えているのなら、わたしが説得するのに子爵夫人に多少、暴言を吐いても構わないかしら?」
もうすでにちょっぴり吐いてしまいましたが、念のため確認をとる。
「え? ええ、あのお母様に穏やかに説得なんてできないわよ」
「でしたらわたし、全力で子爵夫人に挑ませていただきますわ。必ずあの方を頷かせてみせます・・・!」
わたしは静かに闘志を燃やしていた。
本当にただ貴族ではないから、いい人であるわけがないだなんて、ふざけた理屈ですわ。そんな理由でコレットの結婚が反対されるなんて、おかしなことです。
なんとしてでも、あの偏見で凝り固まった子爵夫人の頭を割ら・・・いえ、ほぐしてみせます。
最善なのはコレットにとっても、子爵夫人にとっても、ハルトンさんとの結婚が認められることなのですから、そのためにわたしが子爵夫人に失礼なことを言うくらい、どうということもないですわよ。
絶対にあの方を言い負かしてみせますわ!