双葉、捕まるッ!
「結城双葉・・・・。僕は誰だい?」
双葉は突然背後から何者かに、腕で首を絞められた。喫茶店の中は相変わらず静寂に包まれており、誰もが双葉のことなど見向きもしなかった。声色からしてそれは男性だった。声は壊れたスピーカーのように途切れ途切れになっており、声を聞くだけで耳がおかしくなりそうだった。
「くくく・・・・」
男は反対側の手で双葉の耳たぶにそっと触れた。
「んん・・・・」
双葉が気味の悪い感覚に顔を背けると、男は耳障りな声で笑った。
「ぎひひひひ、耳が感じるのか。そうかそうなのか」
「う、お前は神崎か?」
「そうだよーん」
双葉は正面を向いているため稔の姿は見えなかったが、話しているだけで込み上げてくる不快感は、稔ならではのもので、これが本体のようだった。
「人を操り、人に憑依し、何がしたいってんだ・・・・」
「簡単さ。気持ち良くなりたいだけだ」
稔は双葉をテーブルに突き飛ばした。その際に額をテーブルの端で切ってしまい、双葉は額を押さえて血を拭っていた。
「お前・・・・」
稔は茶色のトレンチコートに身を包み、顔には無精髭が生え、髪の毛は剥げていて、別人の中年男性になっていた。
「その体は、どうしたんだ?」
「この喫茶店の客を殺して奪い取った。お前らのおかげで肉体を捨ててしまったのでね。代わりがいるのだ」
「もう、肉体を捨てる必要はない」
双葉は懐からナイフを取り出した。そして刃先に軽く口付けをした。
「何の真似だ?」
「お前を殺す」
双葉は床を蹴って走り出した。稔の顔が狂気に崩れた。
「終わりだ」
双葉のナイフが稔の胸元に突き刺さった。真っ赤な血飛沫が天井に掛かるほどに噴き出していた。双葉は返り血を浴びて、自分の顔までも赤くしながら、ナイフが歪んでも、腕の筋肉が痙攣しても、力を抜こうとせずに、稔の胸にナイフをズブズブと突き刺していた。そして奥の心臓に突き刺さった時、金属音とともにナイフの刃が折れた。同時に双葉もバランスを崩し、血を目一杯吸った、赤く染まっているカーペットの上に尻を突いた。
「ぐああああ」
稔は胸を押さえて絶叫していた。その声は最早生き物のそれではなく、壊れた機械のような電子音だった。そして胸に刺さったナイフを両手で押さえたまま、床の上に倒れ、ヒクヒクと全身を痙攣させたまま動かなくなった。双葉は静かに立ち上がると、稔の死体を見下ろして足で頭を踏み付けた。
「馬鹿・・・・」
急に幻想から解き放たれたかのように、喫茶店の中に人々の叫び声が木霊する。サラリーマンはバックを抱えて店から飛び出し、女子高生達は互いに抱き合って泣いていた。店のウェートレス達はスタッフルームに入り、慌てて警察へ電話を掛けていた。双葉は耳栓でもしているかのように、それらの反応には無関心で、ただ折れたナイフの柄を握り締めたまま、床に倒れ、ただの汚物同然の存在と化した稔を見つめていた。
しばらくして、パトカーのサイレンが聞こえて来た。店の外から赤い光が双葉の頬を照らした。斗真は慌てて店の中に戻って来たが、そこにいたのは、血塗れの死体を見つめながら能面のような顔で、立ち尽くしているん双葉だけだった。
「何をしているんだ馬鹿。さっさと逃げるぞ。警察が来る」
「俺のことは良い。それよりも稔は本当に死んだのか?」
「ああ、死んださ。これを見ろ」
斗真はバックから透明な円形の殻に、赤い球体が一個存在している核を取り出して、それを床に投げ捨てた。そしてすかさず足で踏みつけて、原形がなくなるまで踏み潰した。
「ピキィィィィ」
耳を劈くような音を立ててソレは粉々に砕け散った。
「君達の探していたゼニスの核だ。歩道の端で縮こまっているのを見つけた」
「そうか、良かった」
双葉が笑顔を見せたその時だった。突然喫茶店の扉が開き、警官の群れが一斉に店内に押し寄せて来た。そして双葉のことを見つけると、一斉に飛び掛かって、彼女を床に叩きつけた。
「痛・・・・」
耳元で警官達の声がくぐもって聞こえて来た。誰もが額に汗を流し、まるで化け物でも見るような眼で双葉を見下ろしていた。かつて彼がまだ男だった時に一度だけ警察に補導されたことがあった。しかし今回は勝手が違った。警官の一人が、双葉の両手に手錠を強引に掛けた。そして罪人を引き回すように強引に立たせると、そのまま無抵抗の双葉を強引に店の外へと歩かせた。斗真も慌てて後を追った。
店の外には複数のパトカーとやじ馬が集まっていた。所謂現行犯逮捕というものだった。背後から斗真が口元を歪めて一言告げた。
「ゲームセットだね。結城双葉・・・・」
その壊れたスピーカーのような声を聞いた途端。双葉の顔付きが変わった。感情を失っていた眼は急に色を取り戻した。
「か・・・・ん・・・・ざ・・・・き・・・・」
「ご名答だよ。この馬鹿」
パトカーに乗せられた双葉は眼を剝いて叫んだ。
「降ろせ。あいつが犯人だ。神崎稔だ。あいつを捕まえろ」
「おい、静かにしないか」
双葉は両脇に乗った警官達に押さえつけられ、口を手で塞がれた。しかしそれでも彼女は声を上げていた。ガラス越しに斗真の姿をした稔が笑った。
 




