正しい麻薬の使い方
粘りつくようなどろっとした空気が鼻腔に絡む。
鮮やかな繁華街のネオンの光。ざわめく真夜中の喧騒。鬱陶しいそれらから逃れるように、俺は薄暗い路地裏に入っていった。
乱立するビルの間は息が詰まるほど狭いが、ここほど落ち着く場所はない。それにこの場所は俺の『店』だ。『店』が勝手に動いてしまったら客が迷惑してしまうだろう。
客――つまり麻薬の愛好家がね。
自分で言うもの変だが、俺は麻薬の売人として異端である。俺の売っている麻薬は暴力団ともマフィアとも関係なく、原料から製造方法まで、すべて俺のオリジナルなのだ。
つまり、『世界で一つだけの麻薬』。
この麻薬を服用するためには、ここ――俺の『店』まで来なくてはならない。
客は普段一人か二人。多くても三人までだ。
理由として考えられるのは、まず作れる薬の量が少ないこと。俺一人で何から何までやっているので、一回で精製できる量が、悲しいかな雀の涙なのだ。
そしてもうひとつ。それは金額の高さ。
この麻薬は粉末で、一袋〇.二グラム。金額は相場の五倍する。これはあまりにも高い。
ただ、俺はこれらの理由に関して憂えることは無かった。
なぜなら、俺は自分の麻薬に誇りを持っているからだ。
少量でもぶっ飛べる秀でた効能。並大抵の薬とは別次元の感覚を味わえる特異性。飲んだら世界のすべてを悟り、支配できるかもしれないという狂妄。そんな感覚。
だから『中毒者』には売りたくない。『愛好家』に売れればそれでいい。俺の麻薬のよさが分かってくれる客だけ、買いに来ればいい。
その客だけが、この世の絶頂を味わえるんだ。たかが薬一袋で。そういわれると安いもんだろ?
『店』を開いてから一時間ほど経った。待つことは苦痛じゃない。今夜はどんな客が来るのか楽しみでしょうがないからだ。俺はポケットの中で麻薬の入っている袋を弄びながら、この虎穴に入ってくる客を気長に待っていた。
店開きから二時間が経った時、ふと、黒い影が差した。
「いらっしゃいませ〜」
わざとらしく薄笑いを浮かべ、俺はやってきた客の顔を見た。そして唖然とした。
どこからどう見ても、その客は普通の男子中学生にしか見えなかったからだ。
あどけない顔。小さい身長。端正に切りそろえられた前髪。そして極めつけは黒の学ラン。どこの学校かは、俺には判別できなかったが。
……唯一、本当に唯一、そいつが中学生離れしている点といえば、目だろうか。
その目は黒く澱んでおり、この世のすべてに絶望し、この世のすべてに疲れ果て、この世のすべてを見限っているような、そんな目だった。
中学生はポケットに手を突っ込み、薄くて四角い何かを取り出した。
――預金通帳だった。
少年はおもむろにそれを開き、俺に見せ付けてきた。そこには日本人労働者の平均年収に近い数字が記載されていた。
少年は無感情にいった。
「このお金はすべてあげます。だから、僕にあなたの薬を売ってください」
「……ハッ、マジかよ。今時の中学生はみんなこんな大金持ってんのか?」
「これは僕の両親が勝手に僕の口座に振り込んでいるだけです。それより、売ってくれるんですか? くれないんですか?」
だんだんと、少年の顔に感情らしきものが帯びてきた。それは焦りか。恐怖か。それとも……。
「わかった。お前みたいなガキの客は初めてだが、売ってやる。何グラムほしい?」
「あるだけ全部」
「……なんか事情があるんだな」
少年は何も言わずに頷いた。
金持ちのガキほど恐ろしいものはない。この世で買えないものはない、上手くいかないことはないと思ってやがる。
大方、俺から買い占めた麻薬を友人かそこらに転売する気だろう。それか、金持ちの両親に頼まれて買いに来たか。だが、どちらもずれた考えだということは分かっている。
それに、単純に麻薬を買いたいのなら、もっと簡単に手に入るルートがあるだろう。どうして麻薬の売人としては無名に等しい俺のところに買いにきたのか……。
まあ、詮索しない方が無難か。あるだけすべて売ってしまい、さっさとあの大金を手に入れたほうが得策だ。
俺はポケットから麻薬の袋を取り出し、少年に見せ付けた。時と場所さえ違っていれば、薬の効能と服用回数を説明する医者と、それを聞く患者に見えなくも……いや、見えないな、どう考えても。
「薬は全部で三グラムある。一回の服用は0.二までにしとけ。足りなくなったらまた買いにこい。……金さえあればな」
「わかった」
「それと。慣れれば一回の量を増やしてもいいが、一グラム以上は服用するな」
「するとどうなるの?」
俺はわざとらしく唇を吊り上げ、にやりと笑って見せた。
「この世の絶頂が味わえるぜ……」
◇ ◇ ◇
――中学生怪死!?――
『二十八日午後、都内の中学校で男子生徒三人の遺体が発見された。三人の生徒は学校の校舎裏で倒れており、病院に運ばれたが、まもなく全員死亡した。死因は薬物による中毒死。校舎裏には、底に小さな穴の空いたジュースの缶が三つ転がっており、その中に薬物が混入されていたもよう。
警察は今回の一件を殺人事件とみなし、原因究明とともに、殺人に利用された薬物の特定を急いでいる。
なお、殺された三人の生徒たちはいたって真面目で、性格も穏やかだったことから怨恨による殺人の線は薄いと見られているが――』
玄関のベルが凛と鳴った。この家を訪ねてくる人間はほとんどいないため、それは久々に聞いた音だった。
俺は読んでいた新聞紙をたたみ、家の戸を開けた。
そこにはあの少年が立っていた。
「ジュースに俺の薬を入れたのはお前か?」
少年は黙って頷いた。
「一時期流行った手口だな。底に小さな穴をあけ、薬物を注入する。全部お前がやったのか?」
少年はまたもや黙って頷いた。
「なんでやったか、聞かせてくれないか?」
少年は頷き、口を開いた。
――あいつらは悪魔だった。
先生や他の生徒たちがいないところで僕のことをいじめ、楽しんでいた。表面ではいい生徒を演じ、裏では僕をボロ雑巾のようにして笑っていた。
だから報復してやった。
僕はいつも休み時間にジュースを買って、校舎裏に置いていた。あいつらの命令だ。直接渡したりしたらいじめているのがバレるかもしれない。だから、あいつらは誰も来ない校舎裏を選んだ。時々、現金もそこに置いていくことがあった。もちろん、置かないと殴られた。
あの日、あなたから買った麻薬を一グラムずつ、ジュースに注入した。あいつらは何も知らずにジュースを飲み、とろけたような顔をした後、死んだ。
僕がいじめられていたことはみんな知らないし、ジュースをあいつらのために毎日買って、あそこに置いていたことなんてなおさら知っている人はいない。
それに、あなたの薬はオリジナルの物だし、市場にほとんど出回っていない。つまり警察は麻薬の出所は掴めない。もっとも、あなたが「あれは自分の作った薬です」って自首するのなら話は別だけど。
話し終わるなり、少年はクスクスと笑い始めた。俺はその少年が不気味にも、そして面白くも感じた。だから思わず、傍らに転がっていたそれを拾い、少年に手渡した。
「お前の預金通帳、まだ一円も使ってないから。それ使って、どっか遠くへ行ったらどうだ。家族も友人も、誰もいないお前だけの場所にな」
この俺のように、とは言わなかった。
少年は通帳を素直に受け取り、さっと立ち上がった。もうここから去るつもりだろう。あいつならどこに行っても大丈夫だ。なんせ、人を三人も殺しているからな。
「餞別だ、とっとけ」
俺は麻薬の入った袋を三つ、少年に投げつけた。少年はそれを受け取ったが、ふっと笑ってそれをゴミ箱の中に放り投げた。
「いらないよ。僕はあなたと違って麻薬中毒者じゃないし」
「……ふはは」
そういやそうだったな。
少年が出て行く。開けたドアから朝の眩しい陽射しが差し込み、この陰鬱な部屋にあらん限りの光明をもたらす。その光は懐かしくも切なく、俺があの少年くらいのころに失ったものと同じだった。
「おい」
俺は少年の背中に語りかけた。
「薬使ったとき、どんな気分だった?」
少年は振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「この世の絶頂を味わえたよ」
そして、ドアはぱたんと閉じられた。
部屋は再び闇に染まった。部屋の隅に佇む植物は、人々に夢を与え、希望をちらつかせ、現実を突きつける魔法の薬の元。
テレビでは麻薬のニュースが流れていた。俺はそのやかましいノイズを消し、冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを取り出した。朝からビールは早いが、どうしても飲みたかった。
ビールを床に置く。その隣には、添えられたように白い粉末の入った小さな袋があった。俺はビールの蓋を開け、薬の袋を破った。
「では、少年の新しい旅立ちを祈って――」
――乾杯
この世に飽きた奴は、一度俺の『店』に来るといい。毎週二回、ランダムに営業中だ。しかも今なら全品一割引のセール中。まあ、それでも十分高いけど。
え? 何の店かって?
この世の絶頂が味わえる店だよ……。
完
知っている方はお久しぶりです。
知らない方は初めまして。辻民です。
受験のため、この小説をもって、今年は執筆休止とさせていただきます。
今後の予定は『作者紹介ページ』に書いておきましたので、お手数ですがそちらをご覧ください。
では。
辻民