(3/5)
ふと、自分が寝ていたことに気がついた。
なにがどうなっているのか。とんと見当がつかない。眠る前に何があったのか考えを巡らせて、すぐに思い当たる。女が運んできた物を食べた後、急に眠気が襲ってきたのだ。なにやら話し合いをしているらしいタクミと女を見るとも為しに眺めながら、気がついたらここだった。記憶が飛んでいる。不安になって、わたしは起き上がった。そわそわと周囲を見渡す。眠る前にいた部屋よりも狭く、ごちゃごちゃとしていて煩わしい。日の光は窓から燦々と入り込んできているが、焼けるほどではない。ただ、肌に意識を向けると少しひりひりするような感じで長居はしたくない感じである。寝てる間に直接陽光に触れていたら、大変なことになっていたかもしれない。いや、案外寝ている間に爛れた皮膚が治ってしまった、ということも考えられるか。
そこまで考えて、ハッとした。
タクミがいない。
こんな恐ろしいところにいるなんて、タクミはどこだろう。彼はわたしが守らないといけないのに。わたしは慌てて部屋を出ようとするが、扉は押しても引いてもびくともしない。焦燥が弥増す。お腹の底にイライラがたまってきて、わたしはなんとか扉を開けようと殊更強く押したり引いたりを繰り返す。がちゃがちゃ、騒々しく、それがまたわたしのイライラを掻きたてる。わたしはとうとう足で扉を蹴りつけて蹲った。唸り声を上げながら頭を抱え、どうにかして部屋から出れないものかと記憶を巡らせた。
そうしてようやく、昨日タクミが家屋に入るときに取っ手を下げていたことを思い出した。光明が差し込んだようだった。
わたしは慌てて立ち上がり、取っ手を掴み下げた。そのまま押すと、開かなかった。けれど引くと扉は内側に開いていく。そうか。わたしはまたひとつ賢くなったぞ。得意げになって部屋を出て周囲を確認すると、左側にある階段から昨日の女が顔を出していた。目を丸くして、驚懼の表情。まさか、扉を開けることも出来ないなんて、昨日タクミはあんなに簡単にこなしていたのに。恥ずかしい。バツが悪くなって、わたしは俯いて視線を逸らした。
「……お腹すいたでしょ? ご飯にしましょう、降りておいで」
女はそういう風なことを言って、階段を降りていった。わたしは、今日はあのトゲトゲ飛んで来ないな? と不思議に思ったけど、腹部に掌を当てると確かに空腹を覚えている様子だったので、女の後を追って階段を滑り落ちた。痛かった。
昨日と同じ部屋に入ると、女はすでに昨日と同じ位置に立っていた。あそこにいるということは、きっともうすぐ食べ物が出てくるに違いない。昨日タクミがいた席の隣に腰掛けると、わたしはそのまま大人しく待った。お尻のひりひりは、待っている間に気にならなくなった。
出てきたのは山になった少し狐色したご飯。色鮮やかな物体が混ざりこんでいて、わたしはそれを凹型細工で掬うと次々口へと運ぶ。女はわたしが食べ終わるまで、神妙そうな、気鬱そうな難しげな顔を傾けていた。もごもごと口の中のものをごくんと飲み下して、その表情を注視する。眉間の辺りからニョロリと生えた半透明の物体が揺れている。それが昨日、わたしに刺さっていたトゲトゲと似たものだと直感したものの、こちらに飛んでくる様子もないので女の顔を見ながらまた凹型細工を山に差し込んだ。
食事が終わるとため息をひとつして後片付けを始める女の背を見送って、わたしはタクミの姿を探すことにした。あちこち探し回っても見つからないので頭を捻ると、それが当たり前のように降ってくる。学校だ。なんで気づかなかったんだろう。うん、学校に行こう。そうしよう。るんるん気分になったわたしは跳ねながら玄関に向かった。裸足のまま玄関の取っ手を掴んだところで硬直する。そうだった。ここを開けたらまた陽光に焼かれてしまうかもしれない。わたしは身体を見下ろす。分厚い繊維はなかなか暖かく、ヒリヒリもしないが、それ以外の手や足や顔はヒリヒリしてる。玄関を見回してそれらしい革を見つけると昨日と同じように身につける。これで足は大丈夫。手は袖の中に引っ込める。顔は……これだ。傘。すごい、わたしってば天才! うきうきしてきた。
ばさりとひらき。
がちゃりとひらき。
わたしは家屋の敷地を踏み出した。
途端、陽光はわたしの握り締めた黒い傘目掛けて音を立てて突き立つ。身を縮めるようにして固め、それを迎え撃つわたし。果たして、勝者はわたしのほうだった。傘の襟を少しづつ上げてわたしは瞼を開く。目は、焼けない。少し痛いけど、全然平気。
やった……。
やったやった!
小躍りしたくなる衝動をようよう堪えていると、家屋の奥から「あら?」と声が聞こえてきた。ハッと振り返ったわたしは慌てて外の世界へ飛び出す。怖くない。怖くないぞ。わたしは学校に行くんだ。
けれど道路に出た途端、わたしは途方に暮れた。タクミが学校に行っていることは思い出したけれど、どう歩けば学校に辿り着けるか、それがわからなかった。けれどこのままここにいてはいけない。今日は違ったが、またいつあの女がトゲトゲをぶつけてくるかわからない。はやくタクミを探さないと。
行き交う人は疎らだ。わたしは小さくなって道の隅をこそこそと進む。道の交わりに差し掛かるとそれらを見回して、より広くなっている方向へ足を向ける。そうして進んでいると、進行方向が大きな道へと交わっているのがわかった。黄色。わたしは跳ねるように一歩を踏み出して、止まった。どうも、その道には敵が多いようだったから。大きな道へ進んでもタクミがいる学校へ辿り着けるかどうかはわからない。誰かに教えてもらうのが一番だろうけど、この辺りの人は陽光の恩恵を受ける類のタイプだ。声をかけた瞬間、わたしが夜の住人だとバレて苦痛の限りを尽くされないとも限らない。もう痛いのはイヤだ。いくら身体が元通りになっても、わたしがあの息も詰まるような灼熱に焼かれた記憶は拭われない。それに、なんて声をかければいいのかわからないし。
「タクミ……女……学校」
そもそも、タクミのいる学校に案内してもらうということは、タクミの存在を露見させることになる。それはダメだ。わたしは痛いのは嫌いだけど、我慢できる。でもタクミはダメだ。タクミはわたしが守るって決めたんだ。そうだ、女に聞こう。タクミにトゲを飛ばすけど、食べ物を作ってくれる仲間だ。タクミの仲間だから、きっとわたしの仲間でもあるはず。うん。
「か~のじょっ」
わたしが決意を固めて来た道を戻ろうとしたとき、変な声がかけられると同時にわたしの肩口に柔らかな暖かい肉塊が触れた。しまった。考え事に熱中しすぎて周囲の警戒を怠っていた。ここは敵中なのに、わたしは愚かだ。動揺を押し隠してその肉塊から距離を取ろうとして足を踏み出したとき、それは肩口からするりと滑り降りてわたしの腕を取った。踏み出した足が制動を受けて身体は反転した。傘の襟越しに見えたのは青と白。男だ。タクミより縦に長い。
「あ、なんだ。まだ全然ちっちゃいじゃん」
言って、男はわたしの腕を開放する。わたしはそのままじりじりと後退しながら男の様子を窺う。驚いた。本当に。心臓が跳ねたよ。でもトゲは飛んでこない。熱いのも痛いのもない。そのことに安堵する。男はそんなわたしの様子をまじまじと眺めたかと思うと、頬を歪めた。青色した男の下半身からは紫色したにょろにょろが二本、まるで蛇のようにのたうち絡み合いながらこちらに向かって触手を伸ばすのが見える。それが何やら途方もなく怖気を誘い、あっという間にわたしの四肢に絡みつきながら這い上がってくる。ひやりとした触感と、その内側に感じる膨大な熱が、目の前の男が陽光の住人であることをまざまざと知らしめているようで、わたしは恐怖に硬直して動けぬまま固く傘の柄を握った。顔のない紫色の蛇はわたしの身体に幾重にも巻きつきながら這い上がったところで、わたしの眼前で鎌首を擡げる。
「……そういう趣味じゃないけど、やっぱ可愛いって正義だよね?」
男は何かをのたまいながらゆっくりと近寄ってくるが、そんなことも気にならぬほどわたしは恐惶状態に陥っていて、わたしは二重の意味で一歩も動けない。蛇の熱はじわじわと伝わって、わたしの内部に熱を貯め始める。頬に擦り寄った蛇の頭は、そのまま顔全体を這い回ったかと思うと、わたしの唇に頭をねじ込んだ。抵抗すらままならず口腔内を犯されながら、わたしは涙を浮かべて後悔ばかりを思い浮かべた。
昨日。わたしは生まれたばかりだった。陽光の恐ろしさも身に染みてわかったはず。なのにどうしてのこのこ外へ出てきてしまったのか。大人しくあの家屋で待っていればよかった。あの社屋で震えていればよかった。痛いのはいつくるんだろう。今か。すぐか。もう少し先か。わたしにはただ震えながら痛みに備え、身体を縮こめるしかない。
男はとうとう目の前まで到達すると、傘の柄を握り締めたわたしの手に触れた。途端、手の先から電気が走ったような痛みが刺し貫いて、慄きに呻きを上げた。喉元まで入り込んだ紫の蛇に呼吸すらままならない。何事か口にしながらわたしから黒い傘を取り上げようとする男。傘がなくなるのはまずい。わたしは必死に柄を握り締めるが、男はその抵抗をもろともせずにわたしから傘を奪おうとする。息苦しさから滲み出た涙が滴って、わたしは気づいた。
呼吸をしようとするから苦しいんだ。なら呼吸しなければいい。だってそんなもの――わたしには必要ないんだし。
けれど、気づくのは一歩遅かった。
呼吸を止めた途端、わたしの手元から傘は失われてしまっていた。
瞬間、天空から降り注ぐ陽光は好機を見て取り、鋭いその爪を剥き出しにしてわたしに襲い掛かる。顔全体に熱が走り、肌が焼けて煙が上がり、凄まじい激痛に悲鳴は喉を塞ぐ蛇に遮られて声にならない。
脳内が焼き切れそうなほどの衝撃を一度に浴びて、覚悟はしていたもののわたしはそれを容易く上回る痛みに身を強張らせ、歯を食いしばった。
そして、ぶちり、と生々しい音が頭蓋を伝って耳から脳へと進入し、食いちぎられた紫色の蛇の頭はわたしの腹の中へと落下した。
わたしが悲鳴をあげているのかと思ったらあげていたのは男のほうで、その男はわたしから奪った傘を放り出して一目散に逃げていく。激痛に身を振るわせるわたしは、その光景を薄ら眺め、四つん這いになって身体を丸めると、ただただ痛みと濁流を耐えた。




