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「こんな時間まで何処行ってたの!! いつももっと早く帰っておいでって言ってるでしょ!!」

 少年に連れられていった家屋の扉を開けると、劈くような声が響いた。

 わたしは思わず萎縮してしまい、少年と繋いだ手に力を込めて背中に張り付いた。

 すると少年は上擦ったような声で「母さん、こんな遅くにそんな大声出さなくても」口にしてもう片方の手を振った。

「誰が大声出させてると思ってるの! いい加減にしなさい!!」

 怖い。素直にそう思う。陽光の痛みとはまた違った痛みだ。

「わかったから、大きな声出さないでよ。ほら」

 そう言って少年は身体をずらし、わたしは声の主と相対することになった。少年より縦にも横にも長い人影。女のようだ。乳房が大きい人間は女だと、なんとなく思った。その女は太陽の如き烈火の灼熱を投げつけてきて、わたしは咄嗟に少年の背後に隠れた。その一瞬のうちに、激情が脳内に侵入を果たす。爛れるような痛みに眩暈が走って、わたしは縋り付くように少年に凭れ掛かる。

 その痛みは長続きはしなかった。ぱたりと痛みは止み、先ほどと打って変わった声で「あら、どちら様かしら? ター君のお友達? ごめんなさいねぇ」のたまう。

 けれど、その声も即座に切り替わる。

「お客さんがいるならもっと早くに言いなさい? とにかく、上がってもらって」

 押さえ込まれた激情を思わせる声を少年に投げかけ、かと思うと再び柔らかな声で「どうぞごゆっくり」言って、奥の部屋へと去っていく。

 何がなんだかわからない。

「クソババァ……」

 少年がぽつり、言った。

 わたしが少年を見ると、彼は困ったように眉を下げて「今の、うちの母親」嘆息を漏らした。そうして少年は足先の繊維の脱ぎながら奥へ進むのでわたしも後に続こうとすると「あ、靴脱いで上がってくれる?」と声をかけられた。指を向けられたほうを見れば、そこに革があった。少年が剥いでいる繊維とわたしのつけている革を交互に見て、真似をすることにした。

 今度は注意されなかった。

 地面は先ほどまでと違ってじんわり暖かい。刺すような痛みも貫くような痛みもない。周囲を見回しながら少年のあとを着いていくと、チクリ。痛み。先ほどの女。一瞬で消え失せてしまう。一体なんなのだ。

 台座を挟んで女と向き合うようにして少年の隣に腰を落ち着ける。少年は何やら語り始めた。わたしにはその意味わからないので、聞くともなしに周囲の観察を続けた。物はそう多くはない。色味豊かではないが、無機質というほどでもない。わたしがいた社屋ほどの広さ。周囲をぐるり一周して上を向いてみたとき、思わず息が詰まった。太陽がいた。いやいなかった。なんだか違った。痛くないし。焦げない。不思議だ。これはなんだろう?

「犬や猫を拾ってくるのとは、訳が違うのよ?」

 女がそう言った途端、またあの脳内に不快感が刺さる。不快感の元へ視線を向けると、女がこちらを向いていた。その瞳の奥から太陽に似た灼熱が流れ込んでくるような気がして、また目を焼かれるのは恐ろしく、咄嗟に視線を逸らせた。目は焼けてなかった。よかった。

「気味が悪い」女は目を細めさせながら「お母さんに手間を掛けさせないで。どうしてもター君が電話しないなら、外に追い出すわよ」

「言って良いことと悪いことがあるだろ! こんな小さい子放り出すなんて、最低だ!」

「あら。その子、どうせ喋ってることだって理解してないわよ。勝手にあちこち見ちゃって、気持ち悪い。ター君もター君よ。どうしちゃったの? どうしてお母さんの言うこと聞かないの?」

 少年は顔を歪めて女を見た。トゲトゲしたものが女のほうに飛んでいって、左目の下辺りにめり込んだ。女は気にした風もなくわたしを睨んでいるし、チクチク不快感がたまってお腹の下の辺がムズムズしてきた。この不快感はどうにかならないのだろうか。大きな声を出し始めた二人を尻目に、わたしは頭に刺さった三角をしたトゲを抜き取った。透明色のトゲは傾けるとキラリと光るけれど、その内側にはたくさんの黒い線が反射しているように見えた。それを眺めていると、それだけで不快感がお腹の中に溜まってくるので、頭とお腹が不快よりもお腹だけが不快なほうがマシだと思って、そのカタマリを飲み込んだ。

 喉を通り抜けたそのトゲはお腹に入っていって、そのまま消えてしまった。お腹に溜まった不快感と一緒に。爽快な気分だった。わたしは晴れやかな気持ちになって、顔を上げて少年を見た。いぶかしげな視線。その先には女がいる。けれど、女はもうわたしも、少年をも見てはいなかった。何処か宙空に視線を泳がせて、自失の呈を見せている。

「……お母さん?」

 少年の呼びかけにハッとした女は、取り繕った笑顔を浮かべた。

「あ、あぁ。なんの話だったかしら? いやぁね、お母さんも年かしら」

 少年はなおも訝しげに女を見た後、わたしのほうにちょっと困ったような視線を向けた。わたしはその顔を見て、少年の名前がふと思い出されるのを感じる。それから、切実な問題も。

「タクミ」わたしは腹部を押さえながら「お腹すいた」

「あ、そうだわ。あ、えっと……あら? ……ふ、二人ともご飯まだでしょ? すぐ作ってあげるから待ってなさい」

 女は早口に言って立ち上がり、慌てたように駆け出していった。

 その様子を呆けたように見つめるタクミを眺めるわたし。

 タクミに言ったのに、何故か女が食べ物を作ってくれるらしい。呆然としたタクミの横顔がおかしくて、胸の奥が暖かくなる。タクミはその表情のままこちらを向くと、少々眉根を寄せると「そういえば、俺、君に名前教えたっけ?」口にした。

 知っていたような、知らなかったような。けれど、思い出したのだ。それをなんと言えば良いのかわからなくて、わたしはただ首を傾げた。




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