キッチンに立つ幸福な夢
先に聴覚が働いた。校庭を流れるはしゃいだ声が耳に響く。
目を開くと見慣れた天井。
耳に優しくないチャイムが、授業の終わりを告げた。何時間目だろう。腕時計を見ると、二時五十五分だった。ということは、今終わったのは六時間目。廊下も騒がしくなった。
しばらくぼんやりしていると、ようやく空腹に気がついた。なるほど、とここにいる理由を容易に想像する。
寝返りを打つと、足にスカートが絡まってくる。気持ちが悪いな、と手で位置を整えた。
ベッドサイドには何もない。鞄も教室に置きっぱなしだ。まぁいいか、そのうち保護者がやってくる。
そう思い、祐希は再び布団に身をゆだねる。頭がぼんやりして、なかなか動きたがらない。
しかしその数秒後、保健室のドアが横に開いた。それだけで誰かわかる。力を抜いてはいるのだろうけど、男の力なので騒々しく聞こえる。今日はちょっと早い。掃除当番ではなく、ショートホームルームはさっさと終わったらしい。まったく、もう五分、横にさせて欲しかった。
「大丈夫か祐希」
「だいじょぶでーす」
祐希が軽い調子で答えると、怒ったように正巳がカーテンをあける。毎日見ている顔があった。やはり、怒り気味。
無言でベッドに近付いてくる。怖、と思わず寝たまま腰がひける。手には、祐希の鞄があった。
「またご飯食べなかったのか!」
太い眉が八の字になっていながらも怒っている。
「だって、お母さんまた旅行に行っちゃったんだもん」
ベッドに横になったまま見上げる正巳の顔は、四角く見えた。あご下のひげ、親指ほどのエリアが剃れていない。鏡で見えなかったんだろうな。昔はつるつるだったのに、ずいぶん男くさくなったこと、と祐希は少し感心していた。
だもん、という言い方に正巳はほほをひきつらせる。
「忙しいのはわかるけど、体調管理くらい出来ないのか」
「食べる時間がもっ……」
もったいない、と言い終わる前に正巳は吠えた。
「いい加減にしなさい!」
保護者以上に保護者。お母さんより口うるさい、と祐希は隠れて溜め息をつく。
下校道は、夕焼け前の薄い水色が覆う。まだ肌寒く、脂肪がない祐希はふるふると小さく震えた。
応急処置で買ったスポーツ飲料は飲んだだけで体に元気が回る。さすがだなぁと口に運びながら、道すがらひたすらお説教を聞く。正直、くらくらしているからあまり頭には入ってこない。どうせいつもと同じことでしょ、と祐希は車道を走る車に目をやった。誰か乗っけてくれないかな……。でも、正巳は二人分の荷物を持ってくれている。
「聞いてる?」
「え、何?」
突然振り向いた正巳に驚く。しまった、聞いていると言えばよかったのに。
呆れ顔の正巳は、面倒くさそうに口を開く。たぶん、さっきと同じことを聞くのが嫌なんだろう。
「今日で何日?」
「えーと、三日、かな」
「何食べた」
「缶コーヒーと……チョコ何個かを食べた」
「それは食べたうちに入りません」
うなるような声で溜め息をつく。いや、溜め息どころの騒ぎではない。心の底から呆れ返った人間のみが発する言葉だ。
「糖分は摂らないと頭まわらないし」
ぶつぶつと、言い訳がましく続けた。
くるり、と体をこちらに向け、後ろ歩きをしながら言葉を続ける。
「食というのは、生きていく上ではかかせないことなんだ。生きることは食べること。食をおろそかにしては健全な生活はおくれないんだよ。こうしてたまに栄養不足で倒れるのが証拠だ」
そして、再び前を向いた。
食べることは生きること。
それを体で現しているのは正巳だ。小さい頃からよく食べているおかげか、背も高いし横幅もそれなりにある。恰幅はいいものの、格闘技などのスポーツはしていない。
「聞いてる?」
くるり、とまた祐希を振り返る。その顔に怒りはなく、今度は不安そうなものに変わっていた。
「めまいとか、してない?」
祐希は首を振った。ぼんやりしすぎたみたいだ。
「ゴメン、大丈夫。ちゃんと家帰ったら食べるから」
すると、正巳は激しく疑わしいというように眉をひそめる。正巳は眉をひそめるとちょっとだけ男前になる、と祐希は思っていた。
「ぜーったい食べないだろ。家に食料あるのか」
久しく開けていない冷蔵庫の中身。何があるかなんて知らない。それが表情に出たのか、正巳は顔をしかめ、いつもの通学路からすいとそれた。
「どこ行くの?」
「買い出し」
前を見たまま答える。今の状態では、それに不服を申し立てることは出来ず、祐希はただついていくのみだった。
髪が短いから、首筋がよく見える。耳の下にほくろがあるのも知っている。昔はつついて遊んでいたけれど、今はなんだか手が出ない。大人になったのかな、と祐希はぼんやりその背中を見た。肉付がよくて、大きくて、やわらかそうで、暖かそう。
触れてみたい、と思った自分が恥ずかしい。
「とりゃ!」
思わずその背中にエルボーを入れてしまった。
けれど、正巳は怒る様子もなく、振り向いた顔に微笑みを浮かべていた。
「元気そうでなにより」
祐希は口を尖らせうつむいた。悔しいけど、やっぱりあたしは正巳には子供扱いをされている。
ひゅぅ、と風に流れ、口に入った髪を指でつまみとり、他の毛となじませる。髪の毛もごはんも、たいして味は変わらない。それを言ったら母は悲しそうな顔をしたので、誰にも言っていないけれど。おかしいヤツ、と思われたくもない。
スーパーに入ると、鞄を乗せたカートをからからと押しながら、次々と野菜を放り込む。どこに何が置いてあるかを熟知した動作に見えた。祐希はどこに何が置いてあるかわからないので、その足運びのスムーズなことに驚いた。テンポよく、食料品は正巳のすべらすカート内のかごに吸い込まれていく。
「あたし、あんまりお金ないよ」
財布の中身を思い出し、口を出す。
「立て替えるよ。祐希のおじさんに後で請求しとく」
父に知らされたらまた説教が増える。仕事であまり家にいないのに、口ばかり出すんだから、と不服。
レジではちゃっかりエコバックを差し出し、ポイントカードまでつけてもらっていた。ポイントは、結構溜まっている。
買い物を終え、正巳は鞄二つと膨らんだエコバッグを持ち、祐希の前を歩いていた。見慣れた道に出ると、なぜだか安心する。
あたし達、どう見られているんだろう、と思った。今まで気にしなかった周りの目が気になり出す。
まさか、夫婦には見えないだろう。制服姿だし。けど、まさか恋人同士? 気持ち悪い。
学校には、付き合って一日でただならぬ関係にありそうなカップルもいれば、三年付き合っているのに色気も何もないようなカップルもいる。どれにも当てはまらない。
友達、というより、きっと、兄妹っていうのが一番近い。そうであってほしいと思った。
正巳のがっちりした後ろ姿を見つめる。頼りがいはありそう。兄としては合格。
しかし、性格はそうでもなさそうだな、と正巳の後ろ姿を見上げる。
「エコバッグを持ち歩く男子高校生がいるもんか。気持ち悪い」
小さい声で呟くと、正巳はぐりん、と振り返った。思わず身構える。
「食べるのが面倒、なんていうヤツに言われたくない」
ちろり、と舌を出す。腹立たしい行為だな、と祐希はほほを膨らませる。
「正巳の料理なんて、全然期待してないから!」
以前の料理を思いだし、憎まれ口を叩いた。一度だけだったけれど、お世辞にも美味しくはない。まともにごはんも炊けないくらいなんだから。
変人なのは似たりよったりの幼なじみだと思った。
「その言葉、後悔させてやる」
なんの自信なのやら。祐希はスポーツドリンクをごくり、と飲み込んだ。
二人は、生まれたときからマンションのお隣さんだった。家族ぐるみで仲がいい。
正巳がたったの二日先に誕生した。そのせいか、やたらに威張る。保護者と勘違いされるのも仕方がないし、実際頼りにはしている。そのせいか、ますます保護者ぶっている。
マンションに着き、エレベーターで四階へ。乗降口から少し離れた所が住む部屋になる。マンションの内装はサーモンピンクを基調に黒い扉が並ぶ、よくあるタイプのものだ。
「てか、あたしんちで作るの?」
「うちは母さんが使ってるし」
「そっか」
正巳の家は幼い弟が二人いるから、夕飯は早い。
仕方なしに祐希は自宅のかぎを開ける。鍵につけたマスコットは自作だ。
「あたし、仕上げなきゃいけないから。ご飯出来たら呼んでね」
3LDKのこぢんまりした祐希の家に入ると、正巳はすぐにキッチンへ。間取りは正巳の家と同じだ。祐希はすぐに自室へ向かう。
「少しくらい休めよ」
買ったものを仕分けしながら、当たり前のことを言う。
「時間がもったいない」
「なんか、生き急いでいるよな」
溜め息混じりに聞こえてくる。祐希は無視して、こげ茶の扉を閉めた。
そんなつもりはないけれど、そうとられているのかと思うと居心地が悪かった。
すでに薄暗い。明かりをつけると、部屋は驚く程散らかった姿をあらわした。昨晩汚したままだ。
布や糸屑、段ボールが三つ転がっている、机とベッドだけの狭い部屋。鞄をベッドに投げ出し、制服をまとめ脱ぎしてベッドに投げた。ブレザーとスカート、赤いネクタイ以外は洗濯に回す。ちなみに、寝るときは床に放る。
身軽なジャージに着替えると、机の前の椅子に腰を下ろした。祐希の机は勉強のためではなく、ぬいぐるみ制作のためにある。
去年の文化祭、手芸部の展示作品として並べたぬいぐるみを気に入ってくれた人が、自分のショップで売りたいと、買い付けをしてくれた。
PCメールをチェックする。新たにぬいぐるみの製作の発注と、現在進行中の作品の納期についてだ。大丈夫、余裕で間に合うと、カレンダーを見てひとりうなずく。
何も、食べるのが面倒、となったのは今に始まったことではない。昔から何かに熱中すると、寝食を忘れてしまうのだ。テディベアを注文されなくとも、趣味で作り続けたであろう。
睡眠は夜、ベッドに横になるだけでいいけれど、特に用意が必要な食事は一番嫌いだった。食べると、歯を研かなくてはいけないし、動くのも億劫になる。面倒なことばかりだ。
だったら食べなくていいや、と幼心に思い、そのまま今に至る。
常々、必要な栄養が一粒でとれる薬が出ないものかと考える。食欲中枢がおかしいのでは、と思う程、あまりお腹もすかないから、食べるのもさして楽しくない。
ぬいぐるみの完成は間近。あとは仕上げと梱包だけ。
出来上がったテディベア。
毛足の長い薄いピンクの生地に、丁寧にブラシをかける。余計な糸屑がついていてはいけない。我が子を最高に可愛い状態にして送り出すのが親の役目だ。首に赤いリボンをかける。幅を調節しながら、何度かリボンを取り替えやり直す。ようやく、一番可愛く見えるリボン結びになる。
「可愛がってもらえよ」
ぽつりと呟くのは、いつもの癖だった。その度、自ら生み出したぬいぐるみはうなずいてくれる気がする。しんみりしすぎないうち、別のぬいぐるみにとりかかる。
今回は春夏を意識した、パステルカラーのテディベアを五体作った。全部色違い。次はミントグリーンのテディベアにブラシをかける。青いリボンを首に結び、声をかける。
「優しい人に買われるといいね」
「祐希」
突然声がかかる。テディベアがしゃべったのかと思い、自然に悲鳴があがる。
「そんなに驚くか?」
声は後ろから。正巳が腰を屈めて祐希をのぞきこんでいた。
「出来た、って言ってんのに来ないから、部屋のぞいたら案の定」
「勝手に入らないでよ」
ぬいぐるみに声をかけていたのを見られ、いささか体裁が悪い。恥ずかしさを押し殺し、なにげなさを装って言う。
「祐希のぬいぐるみって、なんか生きてるみたいだな」
「テディベアだよ。生きてるわけない」
「そうじゃなくて、なんか表情がある」
ミントグリーンのテディベアを手にした。
「売り物なんだから、あんまり触らないで」
「可愛い我が子だもんなぁ。ほら、角度を変えると笑って見えたり、怒って見えたり」
ベアの角度を変えて見ながら、普通の調子で言う。ふざけてはいないようだ。
「いい人の所にオヨメに行けよ」
ぽん、とベアの頭を撫で、机に戻す。
祐希はその的外れな言葉が嬉しかった。ぬいぐるみを、大切なものと認識してくれている証拠だから。
「ご飯、出来たよ。まずは自分が食べなきゃ、この子らも安心してオヨメにいけないだろ」
「……一応、ミントグリーンは男の子をイメージして作ったんだけど」
何を言っているのやら、という顔で、正巳は先に部屋を出た。表情はわかるのに、性別はわからないのかと呆れる。多分、作った本人しかわからないほど些細なことなのだろうが。
気が付くと、窓の外は暗闇に包まれていた。また時間を忘れていた。のろのろと、栄養のまわらない頭に命じ、不承不承立ち上がった。ぬいぐるみを作る元気はあれど、食事をする元気はあまりない。
食べなけりゃ死んじゃうって面倒なシステム。
体に布きれや糸屑をつけたままリビングに向かう。テーブルには、すでにいろとりどり、見た目も美しい料理が並べられていた。
「正巳の料理なんて、テンションあがんない」
椅子につくと、ワイシャツを腕捲りした正巳が正面に座る。
「誰のだってテンションあがらないだろ、どうせ。しばらく食べていないっていうから、体に優しいものにした」
しぶしぶ手前にあった雑炊のようなものを、レンゲで口に運ぶ。味付けは中華ダシのようだ。ニンジンの彩りが目に眩しい。わざわざ星の形にしてある。
味わってみて、あれ、と首をかしげたくなる。
別の皿に手を伸ばす。こちらは根野菜の煮物だった。箸を持ち、口に入れる。
前と違う、と味オンチの祐希にもわかった。もちろん、髪の毛とは雲泥の差。
「正巳、腕あげた?」
尋ねると、にか、と笑顔になる。
「さすがの祐希でも気付く程、俺の腕もあがったか」
スーパーに通い慣れた姿を思い出す。
「……やっぱ、キモくね?」
「は? なんだって?」
眉をしかめられ、慌てて言いつくろう。
「だって、料理ベタの正巳が、理由もなく料理なんてしないでしょ。わかった。好きな人に食べさせてるんだ」
言ってから少し落ち込む。
そっか、いるんだ。そういう人。あたしがぬいぐるみに夢中になっている間に、世界は回り続けていたわけだ。
口からの溜め息を隠すように、にんじんを口に押し込んだ。
その問掛けには答えず、正巳も食事を始めた。出来には満足そう。
「家でも夕飯用意されてるんじゃないの?」
「別腹」
「その食欲わけてほしい」
正巳は軽く笑った。
「そういえば、いつから食べるのが嫌になったの」
「んー、よーちえん」
「……そうだっけ? よく今まで生きてこられたよな」
「気が向いたらちゃんと食べるし。あんな親でも、心配して一応ご飯作ってくれるし、それは無視出来ない」
「一応じゃないだろ」
祐希にしてみれば、一応、といった感じだ。もちろん、心配はしてくれているけれど、思いつきで母親は旅に出てしまうし、父は仕事人間だから。だから、ちゃんとしろ、なんて破綻している意見だ、と祐希はレンコンを口に入れた。歯ごたえのある食材に、あごがきしんだ気がした。
「おばさん、今度はどこ行ったの?」
「うーん、ナントカ遺跡とか言ってたけど、難しい横文字で忘れちゃった」
祐希の母は、世界を旅する『旅人』が趣味だ。数ヵ月に一度はふらりとどこかへ行く。その間、すっかり祐希のことは忘れられてしまう。大抵栄養不足で倒れるのはこの時だ。誰かが作ってくれないと、どうも食べる気になれない。
「なぁ、味どう?」
「うん、おいしい」
深く考えずうなずいた。レンゲで雑炊をすくい、口に含む。ダシの香りを感じながら、優しい味付けに心が温まる。
でも、これはあたしのための料理じゃないんだ……。
返事がない、と思い顔をあげると、正巳は目をうるませていた。
「……何」
「おいしいって、言った」
何がそんなに嬉しいのやら。食器同士の音をたてながら、雑炊を完食。箸にもちかえ煮物も食べる。
にこにこと、正巳も食事を続ける。
「おばさん、いつ帰るの?」
「うーん、激安ツアーだから、確か一泊三日だったかな。だから、明日には帰ると思う」
「そう」
なんだか、正巳はいつもと違って見えた。またちょっとだけ男前な表情になる。
「あのさ、あんまり無理しなくていいんじゃないか。生活に困っているわけじゃないだろ」
父は人並みに稼いでくるし、母も旅行費用はパートで稼いでくる。だから祐希が一生懸命になることはない。それは正巳も知っている。
「お金の問題じゃないよ。あたしは好きだからやってるの。あたしの作品を、汗水たらして働いたお金で買ってくれる人がいるのが嬉しいだけ」
思わず熱を入れて話す。これが真実で、それ以上でもそれ以下でもない。体調管理が出来ないのは自己責任だ。ぬいぐるみ製作や、まして親が悪い訳じゃない。
「まぁ、祐希がそう言うならいいけど」
納得してくれたようで、そこで会話は終わる。それと同時に祐希の脳が満腹を知らせる。
「お腹いっぱい。ごちそうさまでした」
箸を置くと、急に眠気が襲ってきた。久しぶりのエネルギーを受け止め、体が休むことを思い出したようだ。
椅子から立ち、リビングのソファにころんと横になる。
「こら、そんな所で寝るな」
「いいじゃん、あたしん家なんだから」
ぼんやりしたせいで、甘えたような口調になる。それが恥ずかしい。頭もぼんやりするし、だから満腹は嫌いなんだよね、と思う反面、こんなに心地いい満腹は初めてかもしれない。何せ、母は料理ベタだから。
正巳はテーブルを離れ、ソファの端にちんまり座る。祐希は寝返りを打ち、顔を横にする。
「こうして、正巳とずーっと幼なじみでいられたらいいね」
今の関係はとても心地いい。だるい体は、素直な言葉を吐きだしていく。
「なぁ、祐希」
「なぁに」
うつらうつらした目で見上げる。あまり見たことがない程、憂色を漂わせている。そんな顔をされると、祐希まで不安になる。
「俺達、幼なじみやめない?」
思わず息が止まった。何を言い出すのか、寒心にたえない。十七年間、ずっと一緒だったのに。
「どうして」
声が裏返った。さっきの上手な料理、たまったポイントカード、使い込まれたエコバッグ。すべてが頭の中でつながっていく。
あたしが、邪魔なんだ。
これからも、一緒にいたいのに。兄妹みたいに。家族みたいに。
だけど、正巳からは思いがけない言葉が流れた。
「俺の彼女にならない?」
寝惚け眼を見開く。頭の中で、今作り上げたものが一瞬にして木端微塵に。
「待ってよ。今更恋人なんて無理じゃ……」
祐希の中で一度も考えたことのない発想のため、先ほどとは反対に思考がうまくつながらない。
「無理じゃない。祐希には、俺がいなきゃダメなんだ」
そんなに頼りないか、と言い返したかったけれど、確かにその通り。正巳はこわばった顔のまま。緊張しているらしい。
「……だけど」
甘い雰囲気になんかなれない。正巳のカッコ悪い所を嫌という程見ているから。逆に、祐希のカッコ悪い所も沢山見せてきた。それでもいいなんて、変。
みんなすぐ熱して冷めるくせに恋人なんて、と祐希は面白くない。
「あたしは、恋人みたいに波のある付き合いは嫌だ。正巳とはずっと一緒にいたいから、今のままでいい」
「でも、俺は祐希に彼氏が出来るなんて絶対嫌だ」
その言葉にはっと目が覚める。
「え……。そうか、付き合わないと正巳に彼女が出来ちゃうんだ」
さっきの、誰かのために作られたと思って食べた料理を思い出す。あの時の、苦い気持ちを。
それは嫌だなと、心の中私意が飛び交う。ずっとずっと一緒だと、無条件に思っていた。けれど、二人は兄妹ではないのだ。簡単に離れられるものだと、今ようやく理解した。
待ちきれず、正巳が口を挟む。
「今日の料理、うまかっただろ。また食べさせたい」
「うん、食べたい」
いやに素直に言葉が出る。酒じゃなくて、食べなれない料理に酔ったかもしれない。もしくは雑炊に酒を盛られたか。頭はぼんやりしたまま。
「だったら、俺の彼女になれ。じゃないともう作らない」
そうきたか。胃袋をつかむなんて姑息な真似を。なんとも歯がゆい。
あの料理が、あたしのためだったなんて。お腹がじんわりと温まる。
祐希はゆっくり体を起こすと、固い表情の正巳と目があう。
正巳は、お付き合いをしたいがため、幼なじみの立場を捨てる覚悟をしたのだろうか。絶対嫌だといったら、この関係はなくなるかもしれない。それでも、気持ちをぶつけてくれた。
だったら。
「じゃあさ、結婚しよ」
祐希の言葉に、今度は正巳が目を丸くした。
「け、けっこん?」
「恋人は嫌だけど、家族ならいいよ」
そうだ、それが一番だ。面倒臭そうだけど、正巳と一生一緒にいられる方法じゃないか。正巳の家族とは、すでに本物の家族みたいなものだし。今とたいして変わらない。
なんだか心臓が早いな。もしかして緊張していた?
祐希はそれに気付き、顔を赤くした。満腹の勢いでとんでもないことを言ったかもしれない。あったまったせいか、体中から汗が滲んでいるのを感じた。
まいっか。祐希は目を閉じた。考えるのが面倒臭い。
「本当か、祐希。祐希寝るな!」
祐希は再びの眠気に襲われ、ぬいぐるみ達に申し訳なく思った。今日はお母さんを寝かせてね。
そのまま、祐希の頭は正巳の肩に崩落した。
自分が作ったぬいぐるみと遊ぶ赤ちゃんが脳裏に浮かぶ。その側にはキッチンに立つ正巳の後姿。
なんだろう、このイメージは。わからないけど、幸福な夢を見ていることはわかった。
了