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『レア――愛されなかった妻の祈り』

掲載日:2026/10/19

レア――愛されなかった妻の祈り


天幕の隙間から吹き込む風が、乾いた羊の脂の匂いと、夜気を含んだ砂塵を運んできた。


遠くでは婚礼の宴が続いている。


男たちの笑い声。葡萄酒を注ぐ音。太鼓の低い響き。


そのすべてが、私とは別の世界の出来事のように聞こえた。


「行きなさい、レア」


父ラバンの声が、背後から落ちてきた。


振り向く間もなく、重い亜麻布のベールが頭に被せられた。粗い織り目が視界を覆い、呼吸をするたびに布が唇に触れた。


「父上……」


私は震える手でベールの端を握った。


「本当に、これでよいのですか」


父は答えなかった。


「ヤコブが七年もの間、待ち続けたのは私ではありません。ラケルです。あの人が愛しているのは、妹なのです」


「分かっている」


あまりにも平然とした返事だった。


「ならば、なぜ……」


「お前は私の長女だ」


父は私の肩に手を置いた。


「この土地では、姉より先に妹を嫁がせることはしない。それが昔からの習わしだ」


「けれど、ヤコブには……」


「ヤコブは働き者だ。あれほどの男は滅多にいない。お前があの男の妻となれば、将来を案じる必要もなくなる」


父の声は、まるで娘の幸福を願う慈愛に満ちたもののようだった。


「私はお前のためを思っているのだ、レア」


その言葉が、何よりも恐ろしかった。


父は私を見ていなかった。


私の顔でも、私の涙でもない。


父の目に映っているのは、七年間の労働によって肥えた羊の群れと、さらに七年間働かせることのできる逞しい男の姿だった。


「父上……あの人は、朝になれば私を憎みます」


長い沈黙があった。


やがて父は、私の肩を軽く叩いた。


「夫婦とは、そういうものではない。子を産み、年月を重ねれば、情も生まれる」


そして、少しだけ声を低くした。


「お前も、いつまでもこの家にいるわけにはいくまい」


胸の奥で、何かが小さく砕けた。


父はそれ以上何も言わず、私の背を押した。


私は歩き出した。


自分の足で。


けれど、どこへ向かっているのか分からないまま。


妹のラケルは美しかった。


その瞳は、夜空に冴える一番星のように澄んでいた。笑えば周囲が明るくなり、黙っていても人々の視線を集めた。


それに比べて、私の目は弱々しいと言われていた。


幼いころから、幾度となく耳にした言葉だった。


「レアは目が弱いが、ラケルは美しい」


人々は悪意なくそう言った。


まるで、羊の毛色の違いでも語るように。


私は鏡代わりの磨かれた銅板を覗き込み、自分の目を何度も確かめたことがある。


そこには、確かに私がいた。


けれど、どこが悪いのか、自分では分からなかった。


ただ、ラケルが隣に立つと、人々の視線は必ず妹へ移った。


やがて私は、人の顔を見るとき、先に目を伏せることを覚えた。


ヤコブが井戸端でラケルに出会った日のことも、よく覚えている。


彼は大きな石を動かして井戸を開き、妹の羊に水を飲ませた。


そしてラケルに口づけし、声を上げて泣いたという。


私はその場にはいなかった。


けれど、その話を聞いたとき、胸の奥が不思議に痛んだ。


そんなふうに誰かを見つめる男がいるのだと思った。


そんなふうに誰かを愛することができるのだと思った。


そして、そんなふうに愛される女が、私の妹なのだと思った。


七年の間、私は何度もヤコブを見かけた。


夏の日差しの下で羊を追う姿。


冬の夜明けに、凍えた手を擦り合わせる姿。


井戸から戻ったラケルを見つけると、疲れ切った顔にたちまち笑みが浮かぶ姿。


私は彼と何度も言葉を交わした。


水を差し出せば礼を言ってくれた。


傷ついた羊の手当てをしていると、手を貸してくれた。


重い荷を運んでいれば、黙って肩代わりしてくれた。


優しい人だった。


だからこそ、残酷だった。


彼の優しさは誰にでも向けられた。


けれど、彼の喜びは、ただ一人に向けられていた。


婚礼の天幕には、甘い葡萄酒と香油の匂いが満ちていた。


敷き詰められた絨毯が足音を吸い込み、灯火が揺れている。


その奥に、ヤコブがいた。


荒野の太陽に焼かれた顔。


羊飼いの労働で逞しくなった腕。


七年の歳月を費やし、ようやく愛する女を迎えた男の姿だった。


「……ラケルか」


その声を聞いた瞬間、私は立ち止まった。


甘やかな、震えるような声だった。


私は一度も、そんな声で呼ばれたことがなかった。


「こちらへおいで」


足が動かなかった。


今なら、まだ言える。


私はラケルではありません。


あなたが待っていた女ではありません。


その一言を口にすれば、すべては終わる。


けれど、父の言葉が耳に蘇った。


――お前も、いつまでもこの家にいるわけにはいくまい。


私はゆっくりと歩み寄った。


ヤコブが私の手を取った。


大きく、温かな手だった。


「長かった」


彼は小さく笑った。


「七年も待たせてしまった」


私は何も言えなかった。


「だが、不思議なものだ。お前のために働いた七年は、ほんの数日のようだった」


その言葉を聞いて、私は泣きそうになった。


私のために七年働いてくれる人など、この世にいるのだろうか。


私を得るためなら、七年でも、さらに七年でも惜しくないと言ってくれる人が。


「……ラケル」


彼の腕が私を抱き寄せた。


私は目を閉じた。


その腕の温かさが、胸の奥まで染み込んでくるようだった。


彼が触れているのは私の髪だった。


彼が抱いているのは私の体だった。


それなのに、彼の心の中にいるのは妹だった。


私はそれを知っていた。


知りながら、その腕を拒めなかった。


ほんの一夜だけ。


たとえ偽りでも。


誰かに望まれる女になりたかった。


彼の胸に顔を埋めたとき、私は声を殺して泣いた。


ヤコブは、それを花嫁の喜びの涙だと思ったのかもしれない。


夜明けは、あまりにも早く訪れた。


天幕の上部から淡い光が差し込み、寝具の上に細長い影を落とした。


ヤコブが身じろぎした。


私は眠っていなかった。


夜が明けなければよいと、何度も祈っていた。


彼は私の方へ顔を向けた。


まだ眠気の残る、穏やかな微笑みを浮かべていた。


その微笑みが消えるまでに、ほんの一瞬しかかからなかった。


「……レア?」


私は答えられなかった。


彼は目を瞬かせた。


そして、もう一度、私の顔を見た。


「レア……なのか」


その声には、怒りより先に、理解できないものを見た人間の戸惑いがあった。


「なぜ……」


彼は身を起こした。


「なぜ、お前がここにいる」


私は寝具を胸元まで引き寄せた。


「父が……」


声が掠れた。


「父が、私をあなたの妻として……」


「ラケルは?」


私は目を伏せた。


「ラケルはどこだ!」


その叫びに、肩が跳ねた。


ヤコブは立ち上がり、両手で顔を覆った。


長い沈黙があった。


やがて彼は、私を見た。


昨夜、あれほど優しく私を抱いた男の目だった。


けれど、その目には、もはや私の知っている温かさがなかった。


「お前は……知っていたのか」


私は頷いた。


「私がラケルを待っていたことを」


もう一度、頷いた。


「それでも……」


彼は言葉を失った。


私は何か言わなければと思った。


父に命じられたのだと。


私も望んでいなかったのだと。


そう言えば、少しは許してもらえるかもしれなかった。


けれど、私は昨夜、自分の意志で彼の腕に身を委ねた。


その事実だけは、誰のせいにもできなかった。


「……申し訳ありません」


ヤコブは唇を噛んだ。


「私は七年、ラケルのために働いた」


低い声だった。


「七年だ、レア」


私は頷いた。


「知っています」


「ならば、なぜだ」


答えられなかった。


どうしても、答えられなかった。


――あなたに、一度でいいから愛されたかった。


そんなことを言えば、彼をさらに傷つけるだけだった。


ヤコブは天幕を出ていった。


幕が乱暴に開かれ、朝の光が差し込んだ。


私はその光の中で、いつまでも座っていた。


昨夜、彼が触れた髪も、頬も、肩も、何一つ変わっていなかった。


変わったのは、彼の目だけだった。


父の天幕から、ヤコブの怒声が聞こえた。


「なぜ私を欺いたのですか!」


父は落ち着いた声で答えていた。


「この地では、姉より先に妹を嫁がせることはしないのだ」


その言葉を、父は私にも言った。


まるで、初めから決まっていた道理であるかのように。


「婚礼の一週間を終えなさい。そうすればラケルも与えよう。ただし、もう七年、私のために働いてもらう」


私は天幕の中で、そのやり取りを聞いていた。


ヤコブは、しばらく黙っていた。


私は祈った。


どうか、断ってください。


どうか、私を妻として受け入れると言ってください。


どうか、一度だけでも、私を選んでください。


やがて、彼の声がした。


「……分かりました」


それだけだった。


私は膝の上で両手を握り締めた。


爪が掌に食い込んだ。


それでも、痛みは感じなかった。


一週間の後、ラケルがヤコブの妻となった。


妹は何も悪くなかった。


七年待ったのは、ラケルも同じだった。


婚礼の日、妹は私を見つめた。


その美しい目には、喜びと戸惑いと、私には読み取れない感情が浮かんでいた。


「姉さん……」


私は微笑もうとした。


「おめでとう、ラケル」


それ以上、何も言えなかった。


ヤコブはラケルを愛した。


そのことは、誰の目にも明らかだった。


彼女が天幕から出てくれば、彼の顔は明るくなった。


彼女が笑えば、彼も笑った。


彼女が病めば、夜通し傍らに座った。


私は、それを見ていた。


ヤコブは私を粗末に扱ったわけではなかった。


食べ物を与え、衣を与え、妻としての務めも果たした。


子どもが生まれれば喜び、家族を守るために働いた。


私が重い水瓶を運んでいれば、代わりに持ってくれることさえあった。


「無理をするな、レア」


そう言ってくれる人だった。


私は、その優しさを憎むことができなかった。


むしろ、そんな小さな親切を受けるたびに、心のどこかで期待してしまった。


今日こそは。


今夜こそは。


いつか、あの人が私を見る目も変わるのではないか。


けれど、ヤコブがラケルを見るときの眼差しを、私は一度も向けられなかった。


愛されないことよりも苦しかったのは、愛することをやめられない自分だった。


ある夜、私は天幕の外に出た。


荒野には、数え切れないほどの星が輝いていた。


遠くで羊が鳴き、冷たい風が頬を撫でた。


私は地面に膝をついた。


「神よ……」


声が震えた。


「あなたは、私をご覧になっていますか」


答えはなかった。


「私は、誰にも選ばれませんでした」


涙が落ちた。


「父は私を差し出し、夫は妹を選びました。妹を憎みたくはありません。夫を恨みたくもありません。けれど……」


私は両手で顔を覆った。


「苦しいのです」


その夜、私は初めて、誰にも聞かせられなかった言葉を口にした。


「私も、愛されたかった」


星は何も答えなかった。


それでも、私は祈り続けた。


やがて、私の胎に命が宿った。


初めてその動きを感じた夜、私は思わず腹に手を当てた。


そこに、確かに誰かがいた。


まだ顔も知らない、小さな命。


私の内側で生きている者。


その存在が、私には奇跡のように思えた。


産みの苦しみを経て、男の子が生まれた。


産婆が赤子を胸に抱かせてくれたとき、私は泣いた。


小さな手。


柔らかな頬。


懸命に動く唇。


この子は、私を見ていた。


まだ何も分からない目で、ただ私の方を向いていた。


「ルベン……」


私は囁いた。


「あなたの名は、ルベン」


神が私の苦しみをご覧になった。


そう思った。


そして、もう一つの願いが胸に浮かんだ。


今度こそ、夫は私を愛してくれるだろう。


ヤコブは息子を抱き、嬉しそうに笑った。


「よくやった、レア」


その言葉だけで、胸がいっぱいになった。


けれど、彼が赤子を私に返した後、その足が向かったのはラケルの天幕だった。


私は息子を抱き締めた。


小さな額に口づけした。


「ごめんね……」


赤子は何も知らず、眠っていた。


「あなたが生まれただけで、私は喜ぶべきなのに」


私は、息子の誕生さえ夫の愛を得るための望みに変えてしまった自分を、恥じた。


それでも、願わずにはいられなかった。


二人目の息子が生まれた。


私はその子をシメオンと名付けた。


神は、私が疎まれていることを聞いてくださった。


そう信じたかった。


夜、子どもたちが眠った後、私はヤコブの足音を待った。


足音が近づけば胸が高鳴り、通り過ぎれば、何もなかったように灯火を整えた。


三人目の息子が生まれた。


レビと名付けた。


「今度こそ、夫は私に結びついてくれるでしょう」


私は赤子を抱きながら言った。


三人もの息子を産んだのだから。


これほど長く、同じ天幕の下で暮らしてきたのだから。


夫婦とは、そういうものではないのだろうか。


父も、そう言っていたではないか。


年月を重ねれば、情が生まれると。


確かに、情は生まれていたのかもしれない。


ヤコブは私を家族として大切にしてくれた。


私の子どもたちを愛してくれた。


けれど、それは私が求めていたものとは違っていた。


ある夕暮れ、私はヤコブがラケルと話している姿を見た。


二人は何かを語り合っていた。


ラケルが笑った。


ヤコブも笑った。


そのとき私は、ふと気づいた。


私は、あの人が私といるとき、あんなふうに笑う姿を見たことがない。


七年待ち続けた女といるとき、彼は今でも、井戸端で出会った日の男に戻るのだ。


私は静かに背を向けた。


その夜、レビを抱いて眠りながら、私は初めて思った。


この子たちは、私のために生まれてきたのではない。


夫の愛を買うために生まれてきたのでもない。


この子たちには、この子たち自身の命がある。


それなのに私は、いつまで彼らに自分の願いを背負わせるのだろう。


四人目の子を産んだ朝、天幕の中は不思議なほど静かだった。


長い産痛が終わり、私は疲れ切った体で赤子を抱いた。


男の子だった。


朝日が天幕の隙間から差し込み、柔らかな産毛を黄金色に染めていた。


私はその小さな顔を見つめた。


いつものように、心の中に言葉が浮かびかけた。


――今度こそ、夫は。


けれど、私はその続きを口にしなかった。


赤子は小さな口を開き、泣いた。


私はそっと頬を寄せた。


温かかった。


その温もりだけで、胸が満たされるようだった。


私は初めて、夫の天幕の方を見なかった。


「神よ……」


小さく呟いた。


「私は、ずっと求めていました」


誰かに美しいと言われることを。


誰かに選ばれることを。


誰かの一番になることを。


「けれど、あなたは私をご覧になっていたのですね」


私は眠る息子たちを見た。


そして、腕の中の赤子を見た。


私が愛されていないと思いながら過ごした日々にも、命は与えられていた。


泣きながら祈った夜にも、朝は訪れていた。


私は一度も、見捨てられてはいなかったのだ。


「今度こそ、私は神を賛美します」


私はその子をユダと名付けた。


その名を口にしたとき、胸の奥に、長い間閉ざされていた扉が静かに開くような気がした。


もう、夫の愛を乞うまい。


あの人が私を選ばなくても、私はここにいる。


私には、この手がある。


この声がある。


この命がある。


そして、私を母と呼ぶ子どもたちがいる。


私はレアなのだ。


ラケルの影ではない。


誰かの代わりでもない。


ただ、レアとして生きてよいのだ。


けれど、人の心は、一度の祈りですべてが変わるものではなかった。


ユダが歩き始めたころ、私はある夜、ヤコブがラケルの肩に衣を掛けてやる姿を見た。


夜風が冷たかったのだろう。


それは、何でもない仕草だった。


私は立ち止まった。


胸の奥に、懐かしい痛みが走った。


私にも、あんなふうにしてくれたら。


そう思った。


思ってしまった。


私は自分の天幕へ戻り、しばらく灯火を見つめていた。


ユダを産んだ朝、もう愛を乞うまいと誓ったのに。


私はまだ、夫に愛されたかった。


そのことが、少し悲しかった。


けれど、以前のように自分を責めることはしなかった。


愛されたいと願う心は、恥ずべきものではない。


ただ、その願いが叶わないからといって、私の命まで空しいものになるわけではない。


私は灯火を消した。


暗闇の中で、静かに祈った。


「神よ。私はまだ、弱い女です」


少しだけ笑った。


「それでも、あなたを賛美します」


その夜、私は泣かなかった。


歳月は流れた。


私にはさらに息子たちが与えられ、娘ディナも生まれた。


子どもたちは成長し、天幕の中は笑い声と喧嘩の声で満ちるようになった。


私は母として喜び、母として苦しんだ。


息子たちは決して、私の思い通りに育ったわけではなかった。


怒りに任せて過ちを犯すこともあった。


互いを傷つけることもあった。


私は幾度となく、彼らのために涙を流した。


ラケルとの間にも、埋められない溝があった。


妹は夫に愛されていた。


けれど、長い間、子を授からなかった。


私は子に恵まれていた。


けれど、夫の愛を得られなかった。


私たちは互いに、自分にないものを相手の手の中に見ていた。


ある日、ラケルが子どもたちを見つめていることに気づいた。


その目には、私がヤコブを見るときと同じ色があった。


渇望だった。


私は、そのとき初めて思った。


妹もまた、苦しんでいるのだ。


美しいラケル。


誰からも愛されるラケル。


私が生涯羨み続けた妹。


けれど、妹もまた、自分には与えられないものを求めて泣いていた。


私たちは、どちらも満たされない女だったのかもしれない。


そのことに気づいても、すぐに妹を抱き締められるほど、私は立派な人間ではなかった。


長年の嫉妬は、そう簡単には消えなかった。


それでも、ラケルが涙を隠して天幕に戻っていく姿を見たとき、私は心の中で祈った。


神よ。


どうか、妹にも目を留めてください。


やがてラケルにも、ヨセフが生まれた。


ヤコブの喜びは大きかった。


彼は幼子を抱き上げ、何度もその顔を見つめた。


ラケルは泣きながら笑っていた。


私は少し離れたところから、その光景を見ていた。


胸の奥が、かすかに痛んだ。


それでも、私は妹に歩み寄った。


「おめでとう、ラケル」


妹は私を見た。


何かを言おうとして、唇を震わせた。


私はその手を握った。


小さな手だった。


幼いころ、私の後を追ってきた妹の手と、少しも変わらないように思えた。


私たちは長い間、互いを見つめていた。


けれど、何も言わなかった。


言葉にできないものが、あまりにも多かった。


カナンへ向かう旅の途中、ラケルは再び身ごもった。


そして、ベツレヘムへ向かう道で、難産に苦しんだ。


知らせを受けた私は、妹の天幕へ急いだ。


ラケルは青ざめた顔で横たわっていた。


汗に濡れた髪が頬に貼りつき、呼吸は浅かった。


私はその手を握った。


「ラケル」


妹はかすかに目を開けた。


「姉さん……」


その声は、幼いころの妹の声に似ていた。


私は何を言えばよいのか分からなかった。


大丈夫だとも、すぐによくなるとも言えなかった。


ただ、その手を握っていた。


やがて赤子の泣き声が響いた。


男の子だった。


けれど、妹の命は戻らなかった。


私はラケルの顔を見つめた。


あれほど美しかった瞳は、もう何も映していなかった。


私は泣いた。


長い間、妹を羨んできた。


憎みかけたこともあった。


その美しささえなければと、思った夜もあった。


けれど、今、目の前にいるのは、ただ私の妹だった。


同じ父の家で育ち、同じ男を愛し、それぞれに満たされない思いを抱えて生きた、一人の女だった。


「ラケル……」


私は妹の冷たくなっていく手を握った。


「私たちは、もっと話せばよかったね」


答えはなかった。


ヤコブは、深く嘆いた。


彼の悲しみは、見ているこちらの胸が裂けるほどだった。


私はその姿を見つめながら、かつてのように嫉妬することはなかった。


ただ、思った。


この人は、本当にラケルを愛していたのだ。


その愛は、妹が死んでも消えることはないのだろう。


ラケルは道の傍らに葬られた。


ヤコブはその墓に石の柱を立てた。


私は妹の墓の前に立ち、長い間、祈った。


どうか、安らかに。


どうか、もう何も求めずに眠れますように。


それからも、年月は流れた。


ヤコブの髪には白いものが増え、私の手にも深い皺が刻まれた。


かつて逞しかった夫の背は、少しずつ曲がっていった。


私たちは、若いころのように多くを語らなくなった。


ある夕暮れ、ヤコブが私の天幕を訪れた。


私は灯火のそばで、衣を繕っていた。


「レア」


顔を上げると、彼は入口に立っていた。


「少し、ここにいてもよいか」


私は頷いた。


彼は私の向かいに腰を下ろした。


しばらく、二人とも黙っていた。


外では、羊の鈴が鳴っていた。


「長い年月だったな」


ヤコブが言った。


「ええ」


私は針を動かしながら答えた。


「本当に」


彼は私の手元を見ていた。


「お前には、苦労をかけた」


私は針を止めた。


その言葉を、どれほど待っていたことだろう。


若いころの私なら、きっと泣いていただろう。


そして、続く言葉を待っただろう。


愛している、と。


本当は、お前も大切だった、と。


けれど、ヤコブはそれ以上何も言わなかった。


私も、尋ねなかった。


しばらくして、私は再び針を動かした。


「あなたも、苦労なさいました」


ヤコブは小さく笑った。


「そうだな」


その笑い声は、若いころの彼とは違っていた。


疲れと、悲しみと、長い歳月が混じった声だった。


私はふと、婚礼の夜を思い出した。


あの夜、彼は私をラケルと呼んだ。


私は、その声を一生忘れることができなかった。


けれど今、彼は私をレアと呼んだ。


それだけでよい、と私は思った。


すべてが報われたわけではない。


失われたものが戻ってきたわけでもない。


それでも、私はこの人と長い年月を生きた。


子を産み、家を守り、喜びも悲しみも分かち合った。


それは、ラケルの代わりに生きた年月ではなかった。


私自身の人生だった。


やがて、私にも終わりの時が近づいた。


体は衰え、かつて容易に運べた水瓶も、今では持ち上げることが難しくなった。


息子たちは成長し、それぞれの道を歩んでいた。


私は寝床に横たわり、天幕の天井を見つめた。


風が吹くたび、布が静かに揺れた。


あの婚礼の夜と、同じ風の音だった。


私は目を閉じた。


若い日の自分が見えた。


重いベールを被り、震える足で天幕へ向かう娘。


誰かに愛されることだけを願い、自分の価値を知らなかった娘。


私は心の中で、その娘に語りかけた。


大丈夫。


あなたは、愛されなかっただけの女ではない。


あなたは、母となる。


幾度も泣き、幾度も祈る。


間違えることも、嫉妬することもある。


それでも、あなたは生きる。


そしていつか、自分の名を恥じずに呼べるようになる。


私は微笑んだ。


「神よ……」


唇から、かすかな声が漏れた。


「あなたは、私をご覧になっていましたね」


それが、私の最後の祈りとなった。


私はマクペラの洞穴に葬られた。


そこは、アブラハムとサラが眠る場所。


イサクとリベカが眠る場所。


父祖たちの記憶が受け継がれてきた、静かな岩の洞穴だった。


愛されたラケルは、ベツレヘムへ向かう道の傍らに眠っている。


私は、父祖たちの墓に眠っている。


けれど、どちらが幸せだったかなど、誰に決められるだろう。


妹には妹の愛があり、悲しみがあった。


私には私の命があり、祈りがあった。


私たちは、それぞれに与えられた人生を生きたのだ。


そして、長い年月が過ぎた。


ヤコブも年老い、死の床に就いた。


息子たちを呼び集め、最後の言葉を告げた。


「私は、わが民のもとに加えられようとしている」


かつて、七年間を数日のように感じながら愛する女を待った男。


その男も、今は人生の終わりに立っていた。


「私を、父祖たちのもとに葬ってくれ」


ヤコブは息子たちに、マクペラの洞穴のことを語った。


そこにアブラハムとサラが眠っていること。


イサクとリベカが眠っていること。


そして、静かに言った。


「そこに、私はレアを葬った」


レア。


それは、かつて婚礼の朝、驚愕とともに呼ばれた名だった。


「レア……? なぜお前がここにいる」


あの日、私は答えることができなかった。


けれど、今なら答えられる。


私は、ここにいます。


あなたが愛した女ではなかったかもしれません。


あなたの心を最も深く満たした女でもなかったでしょう。


それでも私は、あなたの妻として生きました。


あなたの子どもたちを産み、育てました。


あなたと同じ荒野を歩き、同じ星空を見上げました。


そして、あなたが私を見ていないと思っていた日々にも、神は私をご覧になっていました。


やがてヤコブも、父祖たちのもとへ葬られることになる。


私が眠る、あの洞穴へ。


それは、若い日の私が夢見た愛の成就ではなかった。


長い年月の末に、夫の心が妹から私へ移ったという物語でもなかった。


ただ、私たちが確かに同じ時代を生き、夫婦として歩んだという、消すことのできない証しだった。


そして、私の産んだユダの子孫から、やがて王たちが生まれる。


ダビデの家が興り、遥かな後の世まで、その名は受け継がれていく。


私は、その未来を知らずに生きた。


自分の産んだ小さな命が、どれほど遠い時代へとつながっていくのか、知ることはなかった。


ただ、あの朝、腕の中の赤子を見つめ、こう言っただけだった。


「今度こそ、私は神を賛美しよう」


私はレア。


人々が弱々しい目をした女と呼んだ者。


愛する男に選ばれなかった妻。


妹の美しさを羨み、幾夜も涙を流した女。


けれど、私は知っている。


人の目に映らないものも、神の目には映っている。


誰かの愛を得られなかった人生にも、実りはある。


そして、愛されなかったことは、愛することのできなかったことを意味しない。


私は愛した。


夫を。


子どもたちを。


妹を。


そして、幾度も傷つきながら、ようやく自分自身を。


あの婚礼の夜、私は誰かの名を借りて天幕へ入った。


けれど、人生の終わりに、私は自分の名を取り戻した。


私は、レア。


誰かの影ではない。


神がその苦しみをご覧になり、その声を聞かれた、一人の女である。



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