第十四話 パルマンティエとポムドテール
一七八三年、秋。
長く続いたアメリカ独立戦争は、ついに終結した。
イギリスはアメリカ合衆国の独立を認め、フランスは勝者の側に立った。
七年戦争以来、傷ついたままだったフランスの国際的威信は回復した。
ヴェルサイユ宮殿では、連日のように勝利が語られた。
外交官たちは条約の成果を誇り、軍人たちは海の向こうで挙げた戦功を語り、貴族たちはフランスが再び大国として立ち上がったことを喜んだ。
たしかに、それは勝利だった。
だが、勝利の代償は大きかった。
戦争のために発行された公債。
膨らみ続ける利払い。
依然として解決されていない税制の不公平。
国家の財政は、外から見えるほど健全ではなかった。
そして、その秋。
フランス国内には、財政とは別の新たな問題が広がりつつあった。
空が、おかしい。
農民たちは口を揃えてそう言った。
「今年は何かがおかしい。」
「太陽が白く霞んで見える。」
「晴れているのに、空が晴れきらない。」
「朝も夕方も、光の色がいつもと違う。」
春から夏にかけて、ヨーロッパの空には奇妙な霞が漂っていた。
雲とは違う。
霧とも違う。
雨が降っても完全には消えず、風が吹いても再び戻ってくる。
太陽は薄い膜の向こうに浮かんでいるように見えた。
地域によっては、空気の中に鼻を刺すような臭いを感じたという報告もあった。
目や喉の痛みを訴える者。
胸の苦しさを感じる者。
家畜の体調不良を訴える農民もいた。
原因を知る者はいなかった。
ある者は、遠い国で大規模な山火事が起きたのだと言った。
ある者は、戦争で流された血に対する神の罰だと恐れた。
聖職者の中には、悔い改めを求める説教を始める者もいた。
だが、その原因はフランスからはるか北にあった。
アイスランド。
その島で大地が裂け、ラキ火山が膨大な量の煙と火山性ガスを噴き上げていた。
噴火によって生じた硫黄を含む霞は風に乗り、海を越え、ヨーロッパ各地の空へ広がっていた。
フランスもまた、その影響を受け始めていた。
異常は、空だけではなかった。
地域によって雨の降り方が安定しない。
牧草の成長が鈍い。
果樹の実りが悪い。
小麦の穂が例年ほど大きく育たない。
すべての地方で凶作になったわけではない。
十分な収穫を得た地域もあった。
だが、一部の地方で収穫量が落ちるという情報が伝わると、穀物市場は敏感に反応した。
商人たちは、今後の値上がりを予想して小麦を手放さなくなった。
都市の住民は不安に駆られ、普段より多くの小麦粉を買おうとした。
不足するという噂が、実際の不足よりも先に市場を動かした。
小麦価格は、少しずつ上昇した。
それに伴い、パンの値段も上がり始めた。
宮廷で暮らす者にとっては、気づかないほどの値上がりだった。
しかし、日々の収入の大半をパンに費やす民衆にとっては違う。
パンが少し高くなるだけで、肉を諦めなければならない。
さらに高くなれば、野菜や薪を減らさなければならない。
家族の人数が多ければ、誰かが食事を我慢することになる。
フランス人にとって、パンは単なる食べ物ではなかった。
生活そのものだった。
ヴェルサイユ宮殿。
国王執務室。
ルイ十六世の机の上には、各地の地方長官から届けられた報告書が積まれていた。
ルイはそれらを一枚ずつ確認していた。
「小麦の収穫量が前年を下回る見込み。」
「一部地域において牧草の生育不良。」
「家畜用飼料の不足が懸念される。」
「複数の都市で穀物価格が上昇。」
「商人による売り惜しみの噂あり。」
どれも、直ちに国を揺るがすほどの報告ではなかった。
それでも、放置できる問題ではない。
食糧価格の上昇は、貧しい人々の暮らしを直接圧迫する。
飢えと政治的不満は切り離せない。
前世でフランス革命の歴史を知っていたルイには、そのことがよく分かっていた。
(ラキ火山か……。)
ルイは窓の外に広がる霞んだ空を見た。
前世で聞いたことのある名前だった。
アイスランドで起きた巨大噴火。
火山性の霧がヨーロッパを覆い、その後の天候や農業へ影響を与えた。
しかし、詳しいことまでは覚えていない。
どの地方が最も深刻な被害を受けるのか。
次の冬がどこまで厳しくなるのか。
収穫量がどれほど減少するのか。
そのような具体的な知識はなかった。
歴史を知っているといっても、知識は断片的だった。
過去の大きな出来事や有名な人物を覚えているだけで、毎年の天候や地方ごとの農業事情まで知っているわけではない。
ルイは報告書へ視線を戻した。
胸の奥に、わずかな不安が生じた。
食糧問題を軽視すれば、後に大きな混乱へ発展するかもしれない。
だが、それは彼を動けなくさせるほどの恐怖ではなかった。
むしろ、問題がまだ小さいうちに手を打つべきだという警告に近かった。
「小麦だけに依存するのは危険だ。」
ルイは静かに呟いた。
フランス人の主食はパンである。
パンの原料は、主として小麦だ。
小麦が豊作なら、人々の生活は安定する。
小麦が不作になれば、国全体が揺らぐ。
あまりにも多くの人間が、一種類の作物の出来に生活を左右されている。
「備蓄を増やすだけでは足りない。」
ルイは考えた。
倉庫へ小麦を蓄えておけば、一時的な不足には対応できる。
だが、備蓄できる量には限界がある。
政府が大量に買い入れれば、市場価格を押し上げる危険もある。
小麦が長期にわたって不作となれば、備蓄はいずれ底をつく。
必要なのは、小麦そのものを増やすことだけではない。
小麦が不作になっても人々を養える、別の作物だった。
その時。
執務室の扉が叩かれた。
「陛下。ネッケル殿が参っております。」
「通してくれ。」
扉が開き、ジャック・ネッケルが入ってきた。
しかし、その日は一人ではなかった。
ネッケルの後ろには、宮廷では見慣れない男が立っていた。
年齢は四十代半ばほど。
華美な衣服は身につけていない。
貴族のような気取った態度もなく、軍人のような鋭さもない。
落ち着いた顔立ちと、何かを観察することに慣れた目。
薬剤師か、学者のような雰囲気を持っていた。
「陛下。」
ネッケルが一礼する。
「本日は、ぜひご紹介したい人物を連れてまいりました。」
「食糧問題に関係する人物か。」
ルイが尋ねると、ネッケルは頷いた。
「はい。薬学、栄養、食品、そして農作物について研究している者です。」
ネッケルの後ろにいた男が一歩前へ出た。
「アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエでございます。」
男は深く頭を下げた。
「国王陛下に拝謁の機会を賜り、光栄に存じます。」
ルイは、その名前を頭の中で繰り返した。
(パルマンティエ……?)
前世の記憶を探ってみた。
聞き覚えがある気もした。
しかし、心当たりはなかった。
アメリカ独立戦争に関わる人物や、フランス革命で有名になる人物なら何人か覚えている。
だが、パルマンティエという名前は思い出せなかった。
(誰だ?)
少なくとも、前世の教科書で大きく扱われていた人物ではない。
王でもない。
将軍でもない。
革命家でもない。
ルイは目の前の男をしばらく観察した。
未来の知識だけでは、この人物が何者なのか判断できない。
ならば、本人から聞けばよい。
「パルマンティエ殿。」
「はい、陛下。」
「あなたは何を研究しているのですか。」
その質問を聞いた瞬間。
パルマンティエの目が輝いた。
先ほどまでの控えめな態度が嘘のように、表情が明るくなった。
「ポムドテールでございます。」
「……ポムドテール?」
ルイは思わず聞き返した。
ネッケルが少し困ったような顔をした。
「陛下。実はこの男、その話を始めるとなかなか止まらないのです。」
「食糧問題について意見を求めたところ、最初から最後までポムドテールの話をされました。」
「それは当然でございます。」
パルマンティエは真剣な顔で答えた。
「ポムドテールは、フランスの食糧問題を改善し得る作物なのですから。」
「ほら、この通りです。」
ネッケルは小さく肩をすくめた。
ルイは思わず苦笑した。
「分かりました。では、そのポムドテールについて聞かせてください。」
パルマンティエは驚いた。
「よろしいのでございますか。」
「そのために来たのでしょう。」
「はい。しかし、これまで多くの方にお話ししましたが、最後まで真剣に聞いてくださる方は多くありませんでした。」
「今のフランスにとって、食糧問題は重要です。」
ルイは机の上の報告書を指した。
「役に立つ可能性があるのなら、話を聞く価値はあります。」
「ありがとうございます、陛下。」
パルマンティエは深く頭を下げると、すぐに説明を始めた。
「ポムドテールは素晴らしい作物でございます。」
「同じ面積の土地から、多くの食糧を得ることができます。」
「やせた土地でも比較的育てやすい。」
「穀物の栽培に適さない土地を利用できる可能性もございます。」
「土の中に塊茎を作るため、地上に実る穀物とは性質が異なります。」
「小麦と併せて栽培すれば、不作に対する備えとなります。」
まさしく熱弁だった。
一つ一つの言葉に力がある。
単に研究対象として興味を持っているのではない。
この作物が人々を飢えから救うと、本気で信じている。
その姿は学者というより、新しい教えを説く宣教師のようだった。
「収穫量が多い!」
「荒れた土地でも育てられる!」
「さまざまな調理法があり、十分に人間の食糧となる!」
「飢饉の際には、何より大きな助けとなります!」
ルイはその勢いに圧倒されながらも、興味深く耳を傾けていた。
そして、話を聞くうちに気づいた。
(ジャガイモ……じゃないか? これ!)
(待て。)
前世の記憶。
ジャガイモは、現代日本では当たり前の食材だった。
カレー。
肉じゃが。
コロッケ。
ポテトサラダ。
フライドポテト。
菓子にもなる。
スープにも入る。
焼いても、煮ても、揚げても食べられる。
保存方法に注意し、芽や緑色になった部分を取り除けば、決して危険な食べ物ではない。
むしろ、世界中で大量に食べられていた。
ルイは、初めて目の前の男と前世の知識が結びついたのを感じた。
「なるほど。」
「陛下?」
「続けてください。非常に面白い。」
パルマンティエの顔が、さらに明るくなった。
これまで彼の話をまともに聞こうとする権力者は多くなかった。
ジャガイモについて話し始めれば、変わり者として扱われる。
家畜の餌を人間に食べさせようとする奇人だと笑われる。
だが、目の前の国王は笑わなかった。
「陛下。私は七年戦争に従軍した際、プロイセン軍の捕虜となりました。」
「捕虜に?」
「はい。その時、食糧として与えられたものの一つがポムドテールでした。」
当時のプロイセンでは、ジャガイモの栽培がフランスより広く進められていた。
パルマンティエは捕虜生活の中で、何度もそれを口にした。
粗末な食事だった。
決して幸福な経験ではない。
だが、ジャガイモによって命をつないだのも事実だった。
「私は実際にポムドテールを食べ、生きてフランスへ帰りました。」
「帰国後も研究を重ねております。」
「適切に栽培し、正しく保存し、十分に加熱すれば、人間の食糧として利用できます。」
「単に腹を満たすだけではありません。」
「労働するために必要な力を、人間へ与えることができます。」
ネッケルが尋ねた。
「それほど有用な作物なら、なぜフランスでは普及していないのです。」
パルマンティエは少し表情を曇らせた。
「偏見でございます。」
「ポムドテールは家畜の餌だと考える者が多いのです。」
「人間が食べれば病気になるという噂もございます。」
「地中で育つため、不浄な作物だと嫌う者もおります。」
「実際は地中で育つからこそ悪天候に強いというのに。」
「聖書に記されていないという理由で、食べるべきではないと主張する者さえおります。」
ルイは驚いた。
「食べたことがないのに、危険だと考えているのですか。」
「未知のものは、しばしば危険だと思われます。」
パルマンティエは答えた。
「特に食べ物は、長年の習慣と深く結びついております。」
「安全であると説明するだけでは、人々の考えを変えることはできません。」
「実際に栽培し、実際に調理し、実際に食べてもらわなければなりません。」
ルイは頷いた。
前世の知識がある自分にとって、ジャガイモはありふれた食べ物だ。
だが、十八世紀のフランス人にとっては、見慣れない異国の植物である。
国王が命令すれば、畑に植えさせることはできるかもしれない。
しかし、命令だけで人々の偏見をなくすことはできない。
「面白い。」
ルイは改めて言った。
「ポムドテールが小麦の代わりになるということですか。」
「完全な代わりではございません。」
パルマンティエは即座に答えた。
「私は、小麦畑をすべてポムドテール畑へ変えるべきだと申し上げているのではありません。」
「小麦には小麦の価値がございます。」
「パンはフランス人の生活に欠かせません。」
「しかし、小麦だけに依存する必要もないのです。」
「小麦が十分に収穫できない時、人々の命を支える第二の作物があればよい。」
「パンが豊富にある年には、食卓を豊かにする。」
「パンが不足する年には、飢えを防ぐ。」
「ポムドテールには、その役割を担う力がございます。」
第二の作物。
その言葉は、ルイが先ほどまで考えていたことと一致していた。
「ネッケル。」
ルイは振り返った。
「この人物は正しいかもしれない。」
ネッケルは少し意外そうな顔をした。
「陛下も、そのように思われますか。」
「ああ。」
ルイは迷わず答えた。
「小麦だけに依存するのは危険だ。」
「国全体が一つの作物の収穫に左右されている。」
「小麦が不作になるたびに、パンの価格が上がり、人々が飢える。」
「備蓄だけで、すべての不足に対応することはできない。」
「食糧の選択肢を増やす必要がある。」
パルマンティエの顔が明るくなった。
「陛下!」
彼は思わず一歩前へ出た。
「お分かりいただけますか!」
「私は農学の専門家ではない。」
ルイは苦笑した。
「だから、あなたの主張がすべて正しいと、今すぐ断言することはできない。」
「ですが――。」
「ただ、ポムドテールが人間に食べられる作物であることは理解できます。」
ルイには、それを知っている理由を説明できなかった。
前世で何度も食べたからだとは言えない。
カレーや肉じゃがの話をしたところで、誰にも通じない。
だが、安全な食材であり、正しく普及すれば多くの人を養えることだけは知っている。
(ラキ火山の影響が、この先も続くかもしれない。)
(今後も凶作は起こる。)
(小麦以外の食べ物を用意しておくべきだ。)
未来の出来事を完全に知っているわけではない。
それでも、何もしない理由はなかった。
「まず、試験栽培を行いましょう。」
ルイは言った。
「王領地の一部を使います。」
「そこで実際に育て、収穫量を調べる。」
「小麦の栽培に向かない土地でも試してみる。」
「保存方法と調理方法についても研究してください。」
パルマンティエは息を呑んだ。
「陛下。本当に、お許しいただけるのでございますか。」
「許可するだけではありません。」
ルイは続けた。
「成果が確認できれば、王政府の政策として支援します。」
「ただし、最初から全国へ命令するつもりはありません。」
「地方によって気候も土壌も違う。」
「複数の場所で試験栽培を行い、どのような土地に適しているのか調べます。」
「農民に種芋だけを渡して終わりにするのではなく、育て方も伝える必要があるでしょう。」
「おっしゃる通りでございます。」
パルマンティエは何度も頷いた。
「植える時期。」
「種芋の扱い。」
「土寄せの方法。」
「収穫時期。」
「保存場所。」
「そして、芽や緑色になった部分を食べないこと。」
「それらを正しく教えなければなりません。」
ルイはそこで少し表情を引き締めた。
「食べ方を誤れば、危険なのだな。」
「芽や、光に当たって緑色になった部分には毒がございます。」
パルマンティエは正直に答えた。
「しかし、適切に取り除けば問題ございません。」
「それを隠して普及させてはいけません。」
ルイは言った。
「安全な食べ方まで含めて伝えてください。」
「もし最初に事故が起きれば、ジャガイモは危険な作物だという偏見がさらに強くなります。」
「分かった。」
「栽培方法と調理方法をまとめた手引きを作りましょう。」
「文字を読めない農民も多い。地方の司祭や役人にも協力させます。」
「市場や教会で、実際に料理を作って見せるのもよいかもしれません。」
パルマンティエは感激したようにルイを見た。
「陛下は、すでに普及の方法までお考えなのですか。」
「国王が『植えろ』と命じるだけでは、人々は納得しないでしょう。」
ルイは答えた。
「農民には農民の生活があります。」
「長く育ててきた作物を、何の証拠もなく捨てることはできない。」
「まず、我々が役に立つことを証明しなければなりません。」
「その通りでございます。」
パルマンティエは深く頭を下げた。
「ありがとうございます、陛下。」
「必ず成果をお見せいたします。」
謁見を終え、パルマンティエが退出した後。
ネッケルは、少し不思議そうにルイを見た。
「珍しいことでございます。」
「何がだ。」
「陛下が、これほど早く決断されるとは。」
ルイは椅子へ座り直した。
「いつも決断が遅いと言いたいのですか。」
「そこまでは申し上げておりません。」
ネッケルはわずかに笑った。
「ただ、陛下は通常、複数の報告を比較し、反対意見も聞いた上で判断なさいます。」
「今回は、ずいぶん早かった。」
ルイも小さく笑った。
「なんとなくだ。」
「なんとなく、でございますか。」
「彼の話を聞いていると、本当にポムドテールが国を救うと信じているように見えた。」
「たしかに、あの情熱だけは本物でしょう。」
「それに、話の筋も通っている。」
ルイは机の上にある食糧報告書へ目を落とした。
「小麦が不作になるたび、備蓄を放出するだけでは根本的な解決にならない。」
「国民が食べられる作物を増やす方がよい。」
「費用はかかります。」
ネッケルは現実的な問題を指摘した。
「種芋の確保。」
「輸送。」
「試験畑の管理。」
「指導する人員。」
「それに、農民の反発も考えられます。」
「分かっています。」
ルイは頷いた。
「だから、小さく始めます。」
「成功するかどうか分からない事業に、いきなり大金を投じるつもりはありません。」
「試験栽培を行い、成果を確認する。」
「失敗したなら、その理由を調べる。」
「成功したなら、少しずつ広げる。」
ネッケルはしばらく黙っていた。
やがて、納得したように頷いた。
「陛下は、あの男をずいぶん高く評価されたようです。」
「まだ人物を評価したわけではありません。」
ルイは答えた。
「ただ、あれほど一つの問題について話し続けられる人間は、少なくとも詳しいのでしょう。」
「変人である可能性もございます。」
「変人でも、国民の腹を満たせるなら構わない。」
その答えに、ネッケルは声を立てずに笑った。
数日後。
王領地の一部を利用した試験栽培の準備が始まった。
パルマンティエは土壌や気候の異なる複数の土地を候補として挙げた。
小麦の収穫量が多い肥沃な土地だけでは意味がない。
穀物栽培に適さない、やせた土地でも育つことを証明しなければならない。
種芋の量には限りがあった。
そのため、最初の試験は小規模なものとなった。
だが、パルマンティエは意気込んでいた。
自ら畑へ入り、農民たちへ栽培方法を説明した。
「種芋を深く埋めすぎてはいけません。」
「芽が出た後には、根元へ土を寄せます。」
「日光が芋へ直接当たらないようにしてください。」
「収穫後は、乾燥していて光の当たらない場所へ保存します。」
集められた農民たちは、半信半疑で説明を聞いていた。
「こんなものが本当に食えるのか。」
「家畜の餌じゃないのか。」
「土の中にできる実なんて、気味が悪い。」
そのような声も上がった。
パルマンティエは怒らなかった。
彼自身、同じ反応を何度も見てきた。
「食べられます。」
彼は根気強く説明した。
「私自身が何度も食べております。」
「正しく調理すれば、安全です。」
「小麦が取れない時には、皆さんの家族を飢えから守ることができます。」
農民たちは、まだ完全には信じていなかった。
それでも、王領地で行われる試験である。
与えられた種芋を土へ植えていった。
やがて芽が出た。
葉が伸びた。
地上だけを見れば、どこに食べられる部分があるのか分からない。
何も実らないではないかと笑う者もいた。
だが、収穫の季節。
茎を引き抜き、土を掘り返すと、その下からいくつものジャガイモが姿を現した。
一つの株から、次々と芋が掘り出される。
農民たちの表情が変わった。
小麦の穂とはまるで違う。
美しくもない。
土にまみれた、不格好な塊だった。
しかし、その量は決して少なくなかった。
「これが、全部食べられるのか。」
一人の農民が尋ねた。
「芽と緑色の部分を取り除き、正しく調理すれば食べられます。」
パルマンティエは答えた。
「煮てもよい。」
「焼いてもよい。」
「潰して乳と混ぜてもよい。」
「穀物の粉へ混ぜ、パンに近い形へすることもできます。」
実際に食べてみなければ、農民たちの疑いは消えない。
そこで、収穫されたジャガイモを使った試食が行われた。
まずパルマンティエが口にした。
続いて、畑を管理していた役人が食べた。
恐る恐る口へ運んだ農民たちも、やがて顔を見合わせた。
「思っていたより、悪くない。」
「塩があれば食べられる。」
「腹にはたまりそうだ。」
それは最大級の称賛ではなかった。
だが、最初の一歩としては十分だった。
未知の植物が、人間の食べ物へと変わった瞬間だった。
試験栽培で収穫されたジャガイモの一部は、ヴェルサイユ宮殿へ運ばれた。
王家の食卓で安全性を示すためである。
その日の夕食。
ルイの前には、見慣れない料理が並べられていた。
塩ゆでにしたジャガイモ。
焼いてバターを添えたもの。
潰して乳を混ぜたもの。
肉料理の付け合わせとして調理したもの。
マリー・アントワネットは、皿の上の料理を興味深そうに見つめた。
「これが、陛下のおっしゃっていたポムドテールですの?」
「そうだ。」
「ずいぶん奇異な見た目ですこと。」
「土の中から掘り出すものだからな。」
ルイはそう言いながら、一切れをフォークで刺した。
前世では何度も食べたものだ。
安全なのは分かっている。
それでも、今世では初めて口にする。
調理方法に問題がないことは確認されていたが、ルイは一瞬だけ手を止めた。
だが、それもほんの一瞬だった。
ルイはそのまま口へ運んだ。
柔らかい。
ほのかな甘みがある。
バターとの相性もよい。
記憶にあるジャガイモの味だった。
「どうですの?」
王妃が尋ねる。
「おいしい。」
ルイは素直に答えた。
「驚くほど新しい味ではない。だが、食べやすい。」
その言葉を聞き、マリー・アントワネットも一切れ口にした。
ゆっくりと味わい、少し意外そうな顔をする。
「本当ですわ。」
「これなら、肉料理にもよく合います。」
「煮込み料理にも使えるそうだ。」
「お菓子にはなりませんの?」
「……なるのではないか。」
ルイには、前世で食べたポテト菓子の記憶があった。
だが、どのように作るかまでは分からない。
「それは料理人とパルマンティエに考えてもらおう。」
王妃は楽しそうに笑った。
国王と王妃がジャガイモを食べた。
その話は、すぐに宮廷へ広がった。
昨日まで家畜の餌だと笑っていた貴族たちも、王家の食卓に出されたと聞けば無視できない。
「陛下がお召し上がりになったそうだ。」
「王妃様も気に入られたらしい。」
「珍しい料理として、晩餐会へ出せるのではないか。」
宮廷の料理人たちは、新しい調理法を試し始めた。
茹でる。
焼く。
潰す。
肉や乳製品と組み合わせる。
華やかな食卓へ出せるよう、盛りつけも工夫された。
パルマンティエは、この機会を逃さなかった。
王家が食べているという事実を利用し、ジャガイモが安全な食物であることを広めていった。
国王が食べた。
王妃も食べた。
それでも二人は健康に過ごしている。
学者による長い説明よりも、その事実の方が人々を納得させた。
⸻
それでも、国民全体の偏見がすぐに消えたわけではなかった。
宮廷で珍しい料理として食べることと、農民が日々の作物として育てることは別である。
多くの農民は、長年育ててきた小麦や大麦を手放そうとはしなかった。
「国王が食べるものなら、我々には関係ない。」
「貴族の道楽ではないのか。」
「本当に役に立つなら、なぜ今まで誰も育てなかったのだ。」
そうした疑問は当然だった。
パルマンティエは、各地の試験畑を回った。
収穫量を記録し、保存方法を改善し、料理法を紹介した。
司祭や地方役人にも協力を求めた。
だが、説明だけでは人々の関心を十分に引くことができない。
そこでパルマンティエは、一つの奇策を思いついた。
「陛下。」
再び宮殿を訪れた彼は、真剣な顔で申し出た。
「試験畑を、国王陛下の衛兵に守らせていただけないでしょうか。」
ルイは首を傾げた。
「誰かに荒らされたのですか。」
「いいえ。」
「では、盗まれている?」
「ほとんど盗まれておりません。」
「それなら、なぜ衛兵が必要なのです。」
パルマンティエは少しだけ笑った。
「盗ませるためでございます。」
ルイは黙った。
隣にいたネッケルも、何を言っているのか分からないという顔をした。
「盗ませる?」
ルイが聞き返す。
「はい。」
「昼間は、畑を衛兵に厳重に守らせます。」
「国王陛下が大切にしている、貴重な作物であるように見せるのです。」
「すると人々は、畑の中に何があるのか気にし始めます。」
「夜になれば、衛兵を引き揚げます。」
「そうすれば、興味を持った者が畑へ忍び込み、ポムドテールを持ち去るでしょう。」
ネッケルが眉をひそめた。
「国王の作物を盗ませるのですか。」
「人間は、無償で与えられたものを価値のないものと考えることがございます。」
パルマンティエは答えた。
「しかし、衛兵に守られているものなら、価値があると思う。」
「苦労して手に入れたものなら、自分の畑へ植えてみようと考えるかもしれません。」
ルイは、しばらくパルマンティエを見つめた。
あまりにも奇妙な方法だった。
だが、理屈は通っている。
王政府が農民へ強制的に配れば、家畜の餌を押しつけられたと反発されるかもしれない。
しかし、自分から盗み出したものなら、少なくとも興味を持って育てるだろう。
「面白い。」
ルイは言った。
「やってみましょう。」
ネッケルが驚いて振り返る。
「陛下。」
「ただし、盗んだ者を本当に捕らえてはいけません。」
ルイは続けた。
「衛兵には事情を説明しておくように。」
「昼間は守る。」
「夜には引き揚げる。」
「もし誰かが持ち去っても、追跡しない。」
「承知いたしました。」
パルマンティエは嬉しそうに頭を下げた。
こうして、ジャガイモ畑の周囲に衛兵が配置された。
昼間。
畑へ近づこうとした者は、衛兵に止められた。
「ここは国王陛下の畑だ。」
「勝手に入ってはならない。」
「あの畑には何があるのだ。」
「陛下が大切にしている作物だ。」
それだけ聞けば、人々はますます気になった。
噂は周辺の村へ広がった。
「国王が秘密の作物を育てている。」
「宮廷で食べられている貴重なものらしい。」
「普通の畑では育ててはいけないものだ。」
「食べれば力がつくそうだ。」
噂は伝わるたび、大げさになった。
そして夜。
命令通り、衛兵は畑から引き揚げた。
しばらくすると、闇の中から人影が現れた。
周囲を警戒しながら畑へ入り、土の中からジャガイモを掘り出す。
最初の夜は一人。
次の夜は二人。
やがて袋を持ってくる者まで現れた。
畑から芋が盗まれているという報告を受けると、パルマンティエは喜んだ。
「成功でございます。」
国王の作物を盗まれたにもかかわらず、関係者が喜んでいる。
奇妙な話だった。
だが、持ち去られたジャガイモの一部は、実際に農民たちの畑へ植えられた。
人から押しつけられた作物ではない。
自分で価値を見いだし、自分の手で手に入れた作物として。
ジャガイモは、少しずつフランスの大地へ広がり始めた。
⸻
ある日。
ルイはパルマンティエとともに、試験畑の収穫を視察した。
掘り返された畑には、籠いっぱいのジャガイモが並んでいた。
華やかさはない。
黄金色に輝く麦穂のような美しさもない。
土にまみれた、丸く不格好な芋である。
だが、一つ一つに確かな重みがあった。
パルマンティエが収穫記録を差し出した。
「陛下。こちらが今回の結果でございます。」
「やせた土地でも、これだけの収穫を得られました。」
「すべての土地で成功したわけではございません。」
「保存中に傷んだものもあります。」
「病気が発生した畑もございました。」
「ですが、適切に管理すれば、多くの人間を養うことができます。」
ルイは記録を確認した。
成功だけが並べられているわけではなかった。
失敗も隠さず、改善すべき点も書かれている。
その姿勢を、ルイは気に入った。
「これなら、さらに試す価値があります。」
「ありがとうございます。」
「次は、冬を越した後の保存状態を調べましょう。」
「春まで残せる量が重要です。」
「飢饉への備えとして使うなら、収穫した時に多いだけでは足りない。」
「必要な時期まで保存できなければなりません。」
「まったく、その通りでございます。」
パルマンティエは深く頷いた。
ルイは籠の中から一つのジャガイモを取った。
手のひらに収まるほどの大きさだった。
表面には土がついている。
王冠でもない。
宝石でもない。
金貨でもない。
戦争に勝つための武器でもない。
だが、人間の腹を満たすことができる。
小麦が育たない土地でも、食糧を生み出せるかもしれない。
凶作の年に、農民の家族を飢えから守れるかもしれない。
「不思議なものですね。」
ルイは呟いた。
「何がでございましょう。」
パルマンティエが尋ねる。
「国を救う方法について話す時、人々はいつも大きなことを考えます。」
「新しい税制。」
「新しい法律。」
「新しい軍隊。」
「新しい条約。」
「もちろん、それらも必要でしょう。」
ルイは手の中のジャガイモを見た。
「しかし、国を救うものが、こうして土の中に埋まっていることもある。」
パルマンティエは穏やかに微笑んだ。
「大地は、正しく扱えば多くのものを与えてくれます。」
「そして、その恵みを国民へ届けるのが、我々の務めでございます。」
ルイは頷いた。
「では、この芋を広めましょう。」
「小麦を捨てさせるためではない。」
「パンを奪うためでもない。」
「人々が選べる食べ物を、一つ増やすために。」
「凶作の年にも、食卓からすべてが消えないようにするために。」
パルマンティエは深く頭を下げた。
「必ずや、フランスの大地へ根づかせてみせます。」
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一七八三年。
アメリカ独立戦争が終わった年。
フランスが国際的な威信を取り戻した年。
同時に、戦争によって膨らんだ国家債務が、王国へ重くのしかかった年。
そして、遠いアイスランドの火山から生まれた霞が、ヨーロッパの空を覆った年。
歴史の表舞台では、国王や大臣、将軍や外交官たちが大きな決断を重ねていた。
しかし、その陰では、一人の薬剤師が土にまみれながら、一つの作物の価値を訴えていた。
パルマンティエは、未来を知らない。
だが、捕虜生活と長年の研究によって、ジャガイモが人間を飢えから救えることを知っていた。
ルイは、農学について詳しくない。
パルマンティエの名すら知らなかった。
だが、前世の記憶によって、ジャガイモが安全で有用な食べ物になることだけは知っていた。
一人は、現実の土から得た知識を持っていた。
もう一人は、未来の食卓を知っていた。
二人の知識が重なった時、フランスの大地に新しい可能性が植えられた。
それは、すぐに国家財政を立て直すものではない。
貴族の特権をなくすこともできない。
戦争で生まれた借金を消すこともできない。
飢饉そのものを完全に防げるわけでもない。
だが、小麦が実らない年に、人々の命をつなぐことはできるかもしれない。
パンを買えない家族の食卓を、わずかでも満たせるかもしれない。
一つの芋が、一つの家族を救う。
一つの畑が、一つの村を支える。
そして、数え切れないほどの小さな畑が、やがて一つの国を支える。
小さく、不格好で、土にまみれたジャガイモ。
それは、宮廷の宝石よりも目立たない。
戦争の勝利よりも華やかではない。
歴史書の中で、大きな文字によって記されることも少ない。
それでも、食糧への不安を抱えるフランスにとって。
一人の農学者が差し出したその作物は、まさしく大地から与えられた贈り物だった。
単数形 une pomme de terre
複数形 des pommes de terre
種類全般について語るときは単数を使う。ハズ。




