2
なんで俺は、ここにいるんだっけ。
奈津美に言われた荷物を片付けながら、気づけば聞こえてくる波の音にそう思った。
そうだ、奈津美が一緒に来るかって、この島に呼んでくれたんだ。母さんが、俺ともうこれ以上一緒にいられないって言ったから。
自分はフツーじゃないんだな、って初めて思ったのはいつだっただろう。
まだ小学校に入る前、母さんに連れられて、病院じゃないのに先生がいる施設に何度か行った。そこには、何組か同じように親と一緒にやってきている子どもたちが、プレイルームのようなところで遊んでいて。呼ばれると、それぞれ別の部屋に入っていった。
そこで母さんが外で待っている間に、テストをしたり、先生と話したりして、終わると今度は、俺が外に出て、母さんだけが先生と話していた。
今思えば、あれがなんらかの「フツーじゃない」認定を受けたとこだったんじゃないかと思う。そのあと母さんのため息が多くなって、細かく注意されることが増えた。
そんなんじゃ、お友達に嫌われちゃうでしょ、そんなことしたら、お友達がびっくりするでしょ。
「ハルトは距離が近すぎるの!」
中でも、それが一番よく言われていたことで、何回言えば分かってくれるの、そんな近くでお友達の顔を見たら、みんな、イヤだ、こわいってなっちゃうの。
泣きそうな声でそう言う母さんの顔が、近くて怖くて、びくびくしてたのを覚えている。
距離が近すぎるって言われても、どんな距離なら正解なのか、まったくわからなかったから。
そんなとき、仕事を休んでウチに来てくれたのが、奈津美だった。
その頃は電車で30分くらいのところに住んでいて、父さんが家にいなかったり、忙しかったりする時期には、母さんが頼んでいたのかもしれない、何かというと駆けつけてくれた。俺にとっては困ったときに現れる、ヒーローみたいな存在。
「これ、ほんとにハルトが描いたの!? めちゃ上手じゃん!」
俺が描いた絵を褒めてくれて、歌ってみせると喜んでくれた。距離が近いと怒ることもなかったし、むしろ、笑ってハグしてくれた。
奈津美といると、心底ホッとして、気が楽になる。雲の上にでも乗ってる気分で、何にも気にしなくてよかった。 ずっと不思議だったのは、奈津美が母さんの妹だってこと。俺には兄弟がいなかったのもあるけれど、なんで姉と妹なのに、母さんとこんなにも似ていないんだろうって。
だから、小学校に入るタイミングで、父さんの実家に家族で引っ越すことになったときには、奈津美と離れてしまうことが何より嫌だったし、不安でもあった。
嫌な予感は的中し、ヒーローがいなくなると、俺と母さんとの関係は、どんどん悪くなっていって。俺は母さんの言うことに耳を塞いだ。
聞かなかったんじゃない。聞こえなくなったんだ。
その代わり、俺を必要としてくれる、友だちの声が響くようになった。
なんだいるじゃん、俺にも。必要としてくれる友達が。来いよ、遊ぼうよって呼んでくれる仲間が。それが、ケンカや悪いことの誘いであろうと、そのときの俺には関係なかった。
*
「ハルト、はいタオル」
部屋に戻ってくると、ホースの水で濡れた俺に、奈津美がタオルを持ってきてくれた。
外は暑いし、水浴びできて気持ちよかったくらいだけど、奈津美がああやって止めたってことは、また俺がなんか間違ってたんだな。
「いいよ、もう乾いた。それより、ここのトマトめちゃうまいよ」と、庭でとってきたトマトを見せると、奈津美は微笑んで、「一応、後で大家さんに届けに行こう」と言った。これ着ときな、というように、俺にTシャツを渡しながら。
「ええ? さっきの人、食べていいって言ってたじゃん」
奈津美から受け取ったTシャツを被りながら答える。
「そうだけど、まだご挨拶もちゃんとしてないし」に続けて、「そうだ、さっきの大家さんの娘さん、確かハルトの二つ上だよ。仲良くなれるといいね」と、笑った。
大家さんの娘さん……。そういえば制服を着てたけど、2こ上ってことは、高2なのか。俺はサングラスだし、向こうはキャップもかぶってて、顔もよく見えなかったけど、あまり仲良くなれそうな雰囲気じゃないっていうのは、俺ですらわかった。でも、奈津美には、黙っておくことにした。
「そうだ」と、スマホを手にして奈津美が奥に入っていくと、静かになった部屋にまた、波の音が聞こえてくる。
それにしても、島ってほんとに、海に囲まれているんだな。
人生で、って言っても15年くらいの短いもんだけど、島に来たのは初めてだった。
一軒家も一階建ても、庭付きの家も初めてだ。それから、全部畳の部屋も。
キッチンからリビングまで繋がった大きめの部屋と、奥にある奈津美の部屋。俺の部屋は、元々物置みたいに使っていたらしくて、どうにか布団を敷けるスペースを作ってくれたみたいだ。エアコンがなくて暑そうだから、夜はリビングで寝ることになるかもな。
なんにせよ、奈津美がここに呼んでくれたことにカンシャしなきゃいけない。もしそうじゃなかったら、俺はいくとこなんてなくなってたかもしれないんだ。
ここにくることになったきっかけを思い出して、舌で口の脇にあった傷を確かめた。かなり大きく切れていたけど、もうほとんど違和感はない。
母さんは、今頃どうしているだろう。俺がいなくなって、少しは寂しく思ってるんだろうか。それとも……。
「困った、こっちで車借りることにしてたんだけど、手続きがうまくいってなかったみたい。しばらくかかるって」
奈津美が奥から、肩を落として戻ってきた。
車なんてなくてもいいじゃん、と返事すると、
「ここは電車もないし、バスの本数も限られてるからさ。買い物行くにも車がないとと思ってたんだけど」
珍しく、困った様子で考え込む奈津美を見て、俺がなんとかしなきゃと思った。さっきのオーヤとも仲良くならないといけない。奈津美がそう言ってたから。
もう、見捨てられるのは嫌だ。
昔みたいに、ヒーローだって奈津美を頼るだけじゃなくて、俺も、喜ばせたい。役に立ちたい。




