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その昔、トマトは「悪魔の実」って呼ばれていたらしい。
初めて彼に会ったとき、わたしはそれを思い出していた。
一学期の終業式の日、学校から帰ってくると、離れの庭で育てているトマトに水やりをしている人影が見えた。
お父さんは仕事の時間だし、誰もそんなことするはずの人はいないので、そっと近づいて確かめにいくと、そこにいたのは、上半身裸でサングラスをした男の人だった。
金色の髪をキラキラ光らせながら、水やりしているホースの上に虹を作っていて。反対の手に持った、とったばかりだろう真っ赤なトマトに齧りついた。
あまりに驚いて、しばらく声も出ないでいると、立ちすくんだままのわたしに気づいた彼は、サングラスの目で一言。
「何見てんだよ。何か文句でもあんのかよ」
第一声がこれだった。
金髪にサングラスの顔には、悪魔の耳でもついてそうだ。
なんなの、この人!?
他人のウチの庭で、フホウシンニュウってやつ……!? ていうか裸だし、変態なんじゃ、って思いながら、
「な、何してるんですか!?」
どうにか、この言葉だけでも声にできた自分に驚いたのに、向こうは、水やりをしたままこちらを見て、もう一度トマトをガブっといった。
吸血鬼じゃん!? 怖すぎる――。
身長は、ほぼ高2の平均のわたしよりちょっと高くて、170センチないくらいだろうか。金髪にサングラスの不審な男が近寄ってきた。薄っすらついた腹筋と日焼けした肌、ハーフパンツにビーチサンダルでジリジリとこっちへ近づかれると、わたしは自然に後退りした。
このまま、ウチまで走って逃げ込もうか。でもこの人、確実にわたしより足速そうだし、途中で捕まったら終わりだ。お父さんが帰ってくるまでは、まだ時間がある。制服のスカートが膝の上で小刻みに揺れた。
「……」
金髪トマト男が、斜めに傾けた顔をすぐそこまで寄せてきたときだった。
わたしが思わず突き放したのと同時に、ザアーっと、ホースの水が勢いよく彼を直撃した。
「何やってんの、ハルト!」
女の人に持っていたホースを奪われ、一瞬でびしょ濡れになった彼は、「うわ、なまぬるっ!」と、ぶるぶる上半身を震わせて水を撒き散らした。なんだか犬みたいに。
「由菜ちゃん、だよね?」
ホースの水を止めると、やってきたデニムにエプロン姿の女の人が頭を下げた。うっすらメイクしている程度だけど、整った顔立ちで、落ち着いた大人の女の人って感じだ。
「ごめんなさい。びっくりさせちゃって。今日引っ越してくること、お父さんには伝えてたんだけど」
そういえば、何日か前に、離れを貸すことになったとお父さんが言っていた気がする。
しばらく誰も使ってなかったし、離れにはトイレお風呂もあるから特にこちらの生活に変わりはないし、人付き合いのことも気にしなくていいと言われ、そうなんだと受け流していた。それに、夏の間だけだとか言っていたような気がする。
「あ、聞いてました。こちらこそすみません、驚いてしまって」
まさか、初っ端からこんな形で登場するなんて思ってなかったから、すっかり忘れていた。そう考えたら、変態とか思ったりして金髪トマト男にも申し訳ないことをしたかもしれない、そう思って彼を見ると、次の獲物を物色中なのか、いくつか実をつけているトマトと睨めっこしていたので、まあ、気にしなくていいかと思った。
「ハルト、なに食べてるの。お隣さんのなんだから」
二人で引っ越してきたのかな。この人たちはどういう関係なんだろう。女の人は30歳くらいだろうか。親子にしては年が近いような気もするし、恋人っぽい感じでもない気がする。
とはいえ、恋人がどんな感じなのか知ってるわけでもなければ、まだ素顔も見ていないトマト男が何歳ぐらいなのかわからない。大学生くらい? いずれにしてもわたしには関係ないけど。
「大丈夫です。トマト、食べてもらって」
お父さんもああ言ってたことだし、この人たちがここに住む間は、離れのことは気にしないようにしよう。庭の、トマトの世話もしてもらって、その代わりに食べて貰えばいいし。関わりたくない。
「え、でも……」
「いえ、本当に。トマト嫌いなんで。それじゃ、失礼します」
女の人は、まだ何か話そうとしていたけれど、わたしは、そそくさと離れの庭を後にした。急いで家に入り、洗面台の鏡に向かう。かぶっていたキャップと取ると、ため息がでた。
鏡に映ったわたしの顔は、熟れたトマトと同じくらい赤い。日差しの強い日で、キャップも違和感ない日でよかった。あの人たちにはバレてないはずだ。
本当に嫌になる。ちょっと人と話すだけでこんなに顔が赤くなるなんて。夏の間は、離れには近づかないでおこう。




