ぐーたらな聖女様は祖国を追い出されるようです
「フレーベル。君を聖女の任から外し、国外追放とする」
美しい音楽が流れ、部屋を満たすほどの美味しい香りでできたマドレーヌをベッドの上で寝転びながら口に含んでいたフレーベルの優雅な一日はその瞬間終わりを告げた。
折角の心地よい時が台無しにされたこともあるがフレーベルの表情は相手をするのが面倒くさいという言葉が今にも聞こえてきそうなほどだった。
赤髪の青年が真剣な表情をしながら紙をフレーベルの前で見せびらかす。その周囲には剣を携え鎧で身を固めた兵士たちも一緒で彼が言っていることが冗談ではないことは明らかだった。
「本気でおっしゃられてます? ウェルド殿下。ああ、今は陛下でしたか」
フレーベルは怪訝そうな表情を浮かべながらウェルドから紙を受け取り、内容を確かめていく。
確かにそこには彼が言った通りの内容が記載されていた。
「理由を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「理由などわかっているだろうが! 聖女であるはずの貴様がずっとぐーたらとこの部屋で何もせずに過ごしているからだ!」
「私だって、ちゃんと仕事してるんですけれどねぇ」
頬をかきながら残ったマドレーヌを口にくわえベッドでごろごろと寝返りをうつフレーベルの姿はとても聖女として崇められるような存在には見えないだろう。
「父はお前をなんとしてでも国に残そうとしたようだが、俺が王になった今となってはそうはいかんぞ」
ウェルドは真剣な表情を崩そうともせず、まっすぐにフレーベルを見つめる。
そんなウェルドを見てフレーベルもようやく一度ため息を付いてから彼の目を見つめ返した。
「これは、王である貴方の独断?」
「まさか。俺一人で決めて良いと言うならば俺が王になったその日にでもお前を追放する命令を下しているところだ。これはちゃんと議会の承認を得た上で国民投票を行い過半数の賛成を得た上での正当な命令だ」
確かウェルドが王になったのは半年ほど前のことであった。つまり彼は王になってからフレーベルを追放するためにここまで面倒なことをやったということになる。
「本気なのですね?」
「無論だ。その書類にお前が名を書けばその時点で正式にお前はこの国の聖女ではなくなり、国外へ追放することになる」
フレーベルとしても、ここまで根回しを済まされたであればもはや受け入れるしかない状況だった。
「少し昔話を聞いていただいてもよろしいでしょうか? 陛下」
「ああ。最後だからな。ちゃんと聞いてやる」
フレーベルは今までベッドで横になっていた状態から姿勢を正す。
「かつて魔王と呼ばれる存在がおり、世界を我が物にしようと大規模な侵略戦争が起きたのです」
フレーベルの口調はまるで昔を思い出すかのように慎重なものだった。
「魔王はとても手強く多くの国が滅びていきました。そんな中で生き残った人たちは協力し、魔王を討伐するための精鋭部隊を作り上げたのです」
フレーベルの言葉にウェルドや兵士たちは黙って聴き込んでいた。
「さてその中には一人の聖女がいました。彼女は信仰する女神からの啓示と国からの期待を受け世界を救うために奮闘しました。そしてついに仲間たちとともに魔王を倒すことに成功します」
皿に残っていたマドレーヌを一瞬見つめた後フレーベルは続きを語りだす。
「魔王を無事倒した聖女を待っていたのは、喜ばしい話などではありませんでした。それは彼女の故郷が滅ぼされたと言う悲報でした。聖女はそれを信じられず急いで祖国に戻りました。そこで待っていたのは瓦礫の山と化した建物たちと無数の腐り果てた遺体だけでした」
フレーベルは自身の手を見つめる。どこか懐かしむように。
「遺体を一人で埋葬しながら聖女は女神を呪いました。自分は世界を救うために命がけであんなに苦労したのになぜ神や他の国はこの国を助けてくれなかったのかと。何度も何度も呪詛のようにつぶやき続けました。そんなある日の事です。聖女の頭の中で声がしました。『あなたの願いを叶えてあげましょう。滅びたこの国を蘇らせてあげましょう』と」
「それを信じたのか?」
ウェルドの質問にフレーベルは曖昧な笑みを返す。
「聖女はその言葉にすぐさま飛びつきました。その代償として彼女のその膨大な力を吸われ続けることになったとしても。彼女は素敵な夢を見続けたかったのです。自分がグーダラでただゴロゴロしているだけの役立たずの聖女だと罵られたとしても」
フレーベルは残っていたマドレーヌに手を伸ばし、一気に貪り食った。
「まぁ、そんな話です」
「そうか……」
ウェルドはフレーベルのその言葉を聞き終え、しばらく沈黙した後にマドレーヌが先程まで乗っていた皿を横に動かしテーブルにペンと書類を置いた。
「さぁ書け」
「話聞いてました!?」
フレーベルとしても、まさかウェルドがここまで鈍感な男だとは思わずに声を荒げた。
「私がここから追放したら。奇跡は終わってしまう。あなた達は全員また死んでしまうんですよ!」
「あのなぁ……。俺達が気づいてないと思ったのか?」
その言葉にフレーベルの動きが止まった。
「全員わかっているんだよ。俺達がすでに死んでいることなんて。親父はその事に気づいていても、国民の命を再度奪うなんて決断ができなかった。だから俺が王となったんだ。そしてみんなの意見をまとめた。もちろんまた死にたくないっていうやつもいたさ。だから時間がかかった。でもこれが俺達の総意だ」
ウェルドがペンを差し出す。
「さぁ、ここにお前の名前をかけ。そしてここから出ていけ。ここはお前のいるところではない」
フレーベルの顔がゆがむ。ペンを掴むことはできたが、その手は震え続ける。
「フレーベル。本当にありがとう。一時とはいえ俺達は再び命を得て本来いないはずの未来を感じ取ることができたんだ」
兵士たちが姿勢を正し、フレーベルに敬礼した。
フレーベルの目から涙があふれる。ゆっくりと、だが着実に書類に自分の名前を書き込んでいく。
「いいのね? 本当に」
それはみんなの覚悟を再確認するものではなく。フレーベル自身が覚悟を決めるための言葉だった。
ウェルドが頷く。そしてわずかに唇を動かした。
その言葉を聞き、涙を拭い取ったフレーベルが最後の一文字を書き込むと、突然乾いたものが落ちる音がした。
そこには何もなかった。
カップの中の紅茶は泥水へと変わり、マドレーヌはカチコチに固まったパン。部屋の粧飾は無残に壊れ、無数の骨が散らばっていた。
今まで着ていたネグリジェはかろうじて体に残るだけのボロ布と化していて、それを脱ぎ捨てると部屋の残っていたクローゼットからかつて着ていた法衣を取り出す。
あっという間に着込んだフレーベルは同じく部屋の隅においておいた長い間使ってきた相棒を握りしめると軽く祈りの言葉を呟いてから外に出た。
それはいつぶりか思い出せないほどに懐かしい行動だった。この奇跡が起きている間フレーベルは外へ出ることができなかったのだから。
行くべき場所がある。ゆっくりと歩き出す彼女にもう迷いはなかった。
そこは王の間だった。
ウェルドの父が、そしてウェルドが座るべきところに。黒い影が座っていた。
「目を覚ましたのか?」
「追い出されたのよ」
「嫌われたものだな」
影が笑う。フレーベルは退屈そうにそれを見つめ返す。
影の正体は魔人――魔王の直属の部下たちについた呼び名だった。
フレーベルは知っていた。自分に魅力的提案をしてきたのは自分が信仰する女神などではないことを。女神が信仰する者たちを労うのはそのものがその地での役目を終え去る時だけなのだ。
だからフレーベルは自覚している。自分が聖女にふさわしくないことを。女神より魔人の言葉をわかった上で受け入れた時点で。
「我らが王はお前を殺さずに封じろと命じた」
影がかたまり、翼を生やしおぞましい姿を表し始める。
「だが、力を吸い続けたことでお前より強くなった。今ならお前を殺すことなど容易いことだ」
「やってみなさいな」
フレーベルが微笑む。それはまるで嘲笑うかのようだった。
魔人が吠え、飛び込み、その伸びた爪が彼女の首をもぎ取ろうとする。
だがその爪が届くよりも遥かに早く、彼女が持つ戦鎚が動いた。魔人すら認知できぬ速さで。
「首をふっとばすだけで良かったんだけれど……」
フレーベルが頬を掻く。
その視線の先には首どころか上半身まで消失した魔人の残骸が残っているだけだった。
「ねぇ、もしかして拗ねます?」
戦鎚を優しく撫でるフレーベルはもうすぐ国境とされていた場所にたどり着こうとしていた。このまま歩き続ければ、国を出て、あの書類――契約書が指すように国外追放の形になり戻ってくることはできない。
彼女が持った戦鎚は女神の加護を受けた聖鎚であり、その威力はどれほどに女神に愛されているかで決まるものだった。
そもそもフレーベル自身は聖女失格だと思っていたが、女神はそう思っていなかったらしく。彼女に加護を与え続けていた。
さらに力を奪われ続けてはいたが、それが逆に彼女の力を高める訓練になっており、あの魔人が多少強くなっていたとしてもフレーベルが戦うと決めた時点で負ける要素がなかったのだ。
それでもあの魔人への破壊力はフレーベルが驚くほどのものではあったが。
目を閉じると女神の存在を感じ取ることは容易だった。だが女神はそっぽを向いたままフレーベルの方を向こうとすらしない。
この世界の神はどこか人間じみたところがあるとかつて仲間だった賢者が言っていたが本当なのかもしれない。とフレーベルは苦笑する。
「ねぇ、女神様。どっちに向かえばいいか教えてよ」
国境を抜けた先は大きく道が別れていた。戦鎚を何度倒しても道の方ではなくでたらめな方向を向く。
相当拗ねているらしい。
「私さ。やることがあるんだよね。だからさ協力してよ」
フレーベルが取り出したのは一枚の紙。それは彼女が奇跡を終わらせるために書いた契約書だった。
ようやく、片方の道に戦鎚の先が向く。
「ありがとう。女神様。私今度はちゃんと最後までやるからさ。だから見ててよ」
女神はやはりそっぽを向いたままだ。これは前のように語り合える仲になるまで相当かかるかもしれない。でも道を示す優しさが残っているだけまだなんとかなる。
フレーベルは笑みを浮かべたまま契約書を丁寧にしまう。
そんな契約書の最後の一文にはこう書かれている。
『なお、この者の国外追放は、我らが女神とともにやるべきことを全てやり終えた後、解除するものとする』