意味無し
いつの話だったか、思い出すのは面倒だが勝手に思い出してしまうので思い出す。そうだ、まだあの生真面目な学問の神が生まれたばかりの頃。
イミナシと呼ばれる神が祭神として祀られている神社に、面倒な人間がよく来ていた。人間が来るのなんて普通であれば見慣れた光景である筈なのだが、そいつはどことなくイミナシの目を引いた。
「かみさま、おねがいします。おかあさんを、たすけてください」
舌ったらずにこんなことしか言わないガキ。ここがどこだか分からないのか、食物神の社だ。豊穣祈願は出来ても人間を直接助けることなんか出来やしない。頼むんならササレの奴にでも頼んだ方がよっぽど良い。まだ若いがあの知識の量なら何とかなるだろう。
「かみさま、おねがいします。ごはんをください。おかあさんが、しんじゃう」
このガキの母親は物をまともに食えてなくて餓死しそうらしい。まあ、今のご時世そんな奴らばかりだ。言っちゃ悪いが見えもしないのに気を遣うのも面倒臭い、ガキの母親もそういった時代の流れに巻き込まれたのだろう。
だから何度も来られるのは面倒だって食物を与えてやるのだが……。
「ちがう、これじゃない。かみさま、たすけてください」
毎度毎度違う違うって言ってくる。神に願ってるくせに生意気で面倒なガキだと思った。だがコイツは続けてこうも言う。
「ふつうのごはんならあります。おかあさんをたすける、ちからをください。のろい、といてください」
嗚呼、何て面倒で意味の分からないガキだ。どこの誰がかけたかも分からない呪いを解くなんざ、食物を作るしか脳の無い“意味無し”には無理な話なのだ。何度来ても同じ結果なのだから良い加減諦めれば良いものを、こいつは性懲りも無くやってくる。面倒だ。
「あした、またきます。おかあさん、たすけてください」
「うるせぇ。……2度と来んじゃねえよ」
悪態をついたところで聞こえてないので、そいつは翌日も当然の様に現れた。
「おかあさん、たすけてください」
無理だっつってんだろ。
翌日。
「おかあさん、たすけてください」
無理だ。
翌日。
「おかあさん、たすけてください」
無理。
翌日。
「おかあさん、たすけてください」
無理。
「たすけてください」
出来ない。
「たすけてください」
出来ない。
「たすけて」
できない。
「たすけて」
……。
「たすけて」
「たすけて」
「たすけて」
「たすけて」
「たすけて」
だれか、たすけて
翌日。
あのガキは来なかった。
俺は安心した。
翌日。
あのガキは来なかった。
手元に置いてた果物を動物共にやった。
翌日。
あのガキは来なかった。
俺を見た動物共が怯えていた。
翌日。
翌日。
翌日。
「かみさま」
どのくらいの月日が経っただろうか。久々に、あのガキが来た。
「かみさま」
「無理だ。出来ねえ」
何も聞こうとしなかった。面倒だから。
「かみさま」
「……」
「かみさま。――ごめんなさい」
ハッと、顔を上げた。少年がいた。
「かみさま。おかあさん、しんじゃった」
「……嗚呼、だろうな」
「かみさま。ぼくがわるいの」
「何でだよ」
「かみさま。ぼくが、たたりがみのとこ、いっちゃったの」
「……」
「かみさま。それで、おかあさんが、のろわれたの。いっちゃだめって、しってた。なのにいったから」
――ぼくのせいなの。
「何で、それを言いに来たんだよ」
――聞いてはいけない。
「かみさま」
――ダメだ、それ以上言わせてはならない。
「――ひとみごくうって、しってる?」
境内はあっという間に火の海となった。他の参拝人や動物共は散り散りに逃げてった。無事に逃げられたのかは知らない。
視界は真っ赤だった。右、炎。左、炎。前、炎。後ろ、炎。自分が神という存在に産まれていなかったら、その結果は目の前の火を見るより明らかだ。
本坪鈴の前にある階段を降りると、もしもの“結果”が転がっている。
「もしも、俺が神でなければ――」
面倒な少年は黒かった。黒いのに、笑っていることだけは分かった。
「もしも、俺が神でなければ――」
もしも、ここにいたのが違う神だったら。
「なあ、お前だったら、お前だったらどうにかなったんだろ」
「……」
「何とか言えよ――ササレ」
「面倒だな」
黒くなったこいつを抱えて蹲る俺の前に、生真面目な学問の神、ササレが立っていた。ササレは俺を見下しながら、こっちへ歩いて来る。
「何をしている、イミナジ」
生まれたばっかだってのに、平気で俺の境内に足を踏み入れてやがる。
「俺はイミナジじゃねえ」
「なら何だ」
「俺は、“意味無し”だ」
ササレは容赦無く鼻で笑った。
「面倒なこだわりだな。いつもの面倒臭がりはどうした?」
「うるせえよ」
「自戒のつもりならそれこそ意味が無いぞ。そんな謗りなんぞ忘れろ。お前はこの俺が名付けてやった諱字で良いんだ」
「……」
「おい、分かったのか? イミナジ」
「……分かったら、コイツはどうにかなんのかよ」
「何?」
「“意味無し”だ。全部、全部“意味無し”なんだよ。俺がここにいたこと自体。最初からお前がいりゃ良かったんだ。したらコイツも、コイツの母親も……」
ササレは黙って俺の話を聞いている。
「なあ、お前ならどうにかなったんだろ? 頭の出来たお前なら、こいつもこいつの親も、助けられたんだろ?」
そこまで聞いて、こいつは盛大にため息を吐いた。
「イミナジ」
「意味無しだ」
「イミナジ」
ササレは俺の髪を掴む。
「いつまでそのような下らんことをほざいているつもりだ。良いか、本当に意味が無いのはお前自身ではなく、お前の下らん自戒だ」
無理矢理顔を向かせるもんで、コイツの瞳に俺のバカみてえな顔が映る。下らん自戒、ねぇ。
「そんな面倒なこと、した覚えなんて無えよ。俺ァ事実しか言ってねえ。ここにいたのが俺じゃなくお前だったらこうはならなかった。自戒でもなんでもなく事実だろ」
掴んでる髪を引っ張り上げ、下がりかけていた俺の顔を再び自分に向かせる。……痛ぇよ。
「お前に呪いを解く力が無くとも、この小僧は己の判断でこの社に足を運んだんだ。それは即ち、イミナジ、お前に願いを届けに来ていたということだ。俺ではなく、お前にな」
「はっ、んでだよ」
「お前は何年か前に飢餓で死にかけていたこいつの母親を救っていたんだ。その時から、小僧の信じる神はお前だけだ。イミナジ」
「それで今度も俺に頼ろうってしたのか? 何の力にもなれねえのに」
「今回は祟り神が関わっていたのだ」
「だったら尚更お前の方が――」
「何の期待を抱いているのかは知らないが、俺とて無理だ」
「あ?」
「さっきからササレならササレならと随分俺にとって名誉なことを言うが、俺が所有するのは知識であり技術ではない。つまり……」
「その知識を授ける奴がいなけりゃ意味が無えってことか」
ササレは無言で首肯する。
「だからな、イミナジ」
俺に目線を合わせながらしゃがむ。片方の手を下げ、少年の黒い手に重ねた。
「自らの意思でお前を頼った小僧を、小僧が信じたお前を、あまり否定してやるな」
それからしばらく月日が流れた頃、“意味無し”の神社はイミナジの神社として再建された。イミナジの食物神としての評判は以前よりも良くなり、「イミナジ神に祈願をすると飢えから解放される」という噂が立った。
またしばらくすると、彼の作った食物に神力が宿る様になった。ここで亡くなった少年の強い意思なのか、イミナジの強い後悔なのか、食物には呪いを解く力が宿ったのだ。故に、イミナジは豊穣祈願に加え、無病息災も願われる様になり、真名“産霊慰納神”を授かることとなった。