或る神々の1日
太陽も高く昇った昼時、山の中にある、参拝客のいない稲荷神社には3柱の神と子狐の姉妹がいた。
“名もなき神”であるトト、“縁結びの神”であるカコ、“力無き神”であるロト。そして、狐の姉であるアムと妹であるアメ。ここはロトが祭神とされる神社で、トトとカコは他の神社に住まう神だが、時折こうして集まり皆で茶会を楽しんでいた。
とは言うものの、実際に茶と茶菓子を嗜んでいるのはトトとカコのみであり、ロトと子狐姉妹は、2柱の目の前で追いかけっこをして戯れあっている。
「ずっと走り回ってて、あの子達疲れないのかしら」
茶をすする手を止め、カコが口を開く。
「これくらいで疲れてるようでは貧弱というものよ。若いのは外で体を動かすのが常じゃからの」
円卓に肘をつき、戯れ合う子らを眺めているトトは呆れ気味のカコに対してそう返す。
カコの反応というのはもっともなもので、ロト達は彼女らがここへ訪れた日が昇りかけた朝の時点で既に戯れあっていたのだ。
もしもロトが日頃から山を駆け回るような活発男児であれば、彼女もそのようなことは言わなかったのだろうが生憎彼の趣味は社の縁側に腰をかけて昼寝をするか起きて日向ぼっこをするかというほのぼのしたものである。神とはいえなんの力も持たぬロトは、鍛えない限り人間と同程度の体力しか存在しない筈だが――。
「ロトクン遅いのー! これじゃアム達退屈なのー!」
「ロトクン早くー! アメ達もっと走るー!」
「ちょ、ちょっと待ってよ2匹とも、あと何時間やる気……!? 1回休憩! そろそろ休憩させて……!」
「……ロト、かなり消耗してますね」
彼女の言う通り、ロトは走り回っていた足を止め、その両膝に手をついて激しく肩を上下させている。どうやら、今まで何とか持ち堪えていた少ない体力が、今ようやく切れてしまったらしい。
「全く、ガキの癖して情けないのう。儂が幼き頃は朝から晩まで駆け回っていたものよ」
「トトさん、今人間達の間では過去の栄光に浸る年配を老害と言うみたいですよ」
「それを儂にいうたぁ喧嘩のつもりかえカコ」
「いーえ? 神と人間は似通ってる部分がありますから、トトさんはどうなのかなぁって」
「……過去の栄光に浸るというのは、今では同じことが出来んということじゃ。つまりお主は儂が若き頃のように走らことが出来んのではと疑ってる訳じゃな?」
トトはジロとカコを睨みつけ、空になった湯呑みを置く。神の中でも長い年月を生き、人間でいう小中学生のカコやロトからしたら年寄りといえるトトだが、カコのちょっとした煽りに火がついてしまったらしい。
「良かろう。お主がそのような疑念を沸かせたこと、後悔させてやろうぞ」
年寄りのくせに器が小さい、と心の中でもう少しだけ煽り、では見せてくださいと適当に返事をして茶菓子を頬張る。トトはすっかりやる気になってしまったようで、さっと草履を履くと、体力尽きたロトの周りを走り回るアム達のもとへ言ってしまった。
「ロトクン情けないのー!」
「ロトクン情けなーい!」
「2匹が体力有り余ってるんだよ……。ぼくは普通だって」
「2匹の言う通りじゃ。情けないのう、ロト」
「トトまで……!」
「あー! トトオジイチャンなのー!」
「あー! トトオバアチャンだー!」
2匹の子狐はオジイチャン、オバアチャンと性別すらバラバラにトトを呼ぶ。この呼び名は2匹に限らず、他の神でもバラバラになってしまう。近所の土地神の間では数100年前から有名な話故にカコやロトもそのやり取りには慣れていたが、矢張り1柱で性別が2つあるような呼び名には違和感が拭えないものだった。
「相変わらず統一されない呼び名だね。……そんなこと言うなら、トトがぼくの代わりに走ってよ」
「おー! トトオジイチャンもかけっこするのー?」
「おー! トトオバアチャンもかけっこするー?」
「はん、聞かれずともそうするつもりじゃ。体力の無いロトとまだまだ稚拙なお主らに走りの見本を見せてやるのと、生意気を言うカコに目に物見せてやる為よ」
チョロいなという悪口が出かかったが、走り回るよりも面倒臭いことになりそうだったから出さずに飲み込んだ。
「ほれ、疾くやるぞ。お主らが逃げるのか、追うのか」
「んー、また体力が無くなったら追いかけてもらえないし、アム達が追いかけるのー!」
「んー、トトオバアチャンが体力無くなっても追いかけられるし、アメ達が追いかけるー!」
「ふん、お主らも儂をみくびるか。良かろう。では加減無くしてこの境内中を逃げ回ってやろうぞ。お主らこそ、途中で体力尽きて追うのをやめるでないぞ?」
「分かってるのー! じゃあ、3つ数えたら追いかけるのー!」
「分かってるー! じゃあ、3つ数えたら追いかけるー!」
いーち、にーい、さーん。数える声が消えると同時に子狐達はトトを追って走り出す。その隙に、ロトは先までトトが座っていた座布団に腰を下ろした。
「お疲れ様、ロト。お茶冷たくしちゃったけど良いわよね?」
「むしろありがとう、カコ。朝からあの姉妹に付き合わされてて冷たいお茶が飲みたかったんだよ」
「それなら良かった。このお饅頭もすごく美味しいから、息を整えて落ち着いたら食べてみなさい。喉を詰まらせないようにね」
「トトじゃないんだからそんなことしないよ」
「ふふっ、あの神が聞いたら怒るわよ」
「まあね。でも」
ロトが冷たくなった茶を飲みながら外を見ると、トトはただ地を駆けるだけではなくその老体に合わない動きで周りに生えている木々の上も跳び回っている。それに対してアムやアメは届かない届かないと騒ぎながら根本を走り回っていた。
「大人気ないって思うのは置いといて、老神の癖してよくあんな動けるよね」
「“名前が無い”のに活発な神だから、体を動かすのが余計に楽しいんでしょうね」
「腰やらないと良いね」
「そしたらロトが揉んであげなさいよ」
「わぁこのお饅頭本当に美味しい!」
「話逸らした……。まあ、でしょ? 春の新作って書かれてて、買うしかないと思って買ってきたのよ」
「流石カコ! ……いつもお返し出来なくてごめんね」
「もう、私が好きでやってるんだし、それにロトはこうやって私達を招いてくれてるんだから良いの」
「信仰がないからだけどね。……まあ、カコがそう言ってくれるなら良いや。でもいつかお返しさせてね」
「ふふ、はいはい」
カコはその約束が果たされることはないだろうと思いながらも、弟のように可愛がるロトを見て、微笑みながら美味しいお饅頭をパクリと食べた。
「かっかっか! 何じゃ情けないのうお主ら。そんなんでは儂を捕まえるなぞ夢のまた夢よ!」
「むー! トトオジイチャン木に登るのはずるいのー!」
「むー! トトオバアチャン木に登るのは禁止ー!」
トト、アム、そしてアメによる追いかけっこは、日が沈みカラス達が巣に帰る頃まで続いたらしい。