♯25 罠
「時間が早まった?」
「はい。申し訳ありませんが、十時にお願いしたいとの事です」
アーリヤ姫との約束の日の朝、イスカが準備をしているとそんな連絡が届いた。
伝えに来たのはノービリス王国騎士団の騎士だ。
イスカは彼の顔に見覚えがある。幼少の頃から騎士団で訓練させてもらっているため、ここ最近入った新人でければ大体の顔は分かるのだが……。
(この人、グイド副団長の部下だったな)
伝えに来た人間が不審過ぎるなとイスカは思った。ラグナ達の人選でない事は確かだろう。
しかも変更になった時間ならば、今から出発しなければ間に合わない。
裏があるとは思っていたが早速仕掛けて来たようだ。
「変更になった理由は何ですか?」
「警備の都合との事です」
騎士はにこりと微笑んでそう答える。
少し待ってみたが、その後に続く言葉はない。
どうやらこれ以上詳しい理由について教えてくれる気はないようだ。
相手を信用させる気があるならば、もう少し詰めておいた方が良いと思うが。
ふむ、と呟くとイスカは顔だけ振り返り、時計を見て時間を確認する。
(今からだとリブロ様に確認する時間もないな)
もしも時間変更に何の裏もなかった場合、遅れて行くのも問題がある。
身だしなみもそうだが、特に約束の時間については厳守出来ていないと信頼に関わるからだ。
(……仕方ない。念のため家族に伝言を頼むか)
そう思ってイスカは騎士の方へ顔を戻し、
「分かりました。直ぐに準備をしますので、少々お待ちください」
と言って一度家に入った。
家族への伝言と、ついでに護身杖も隠して持って行くかなんてイスカが考えていると、とてとてと雷虎が近付いて来た。
『いやはや、あれで怪しむなと言う方が難しい奴だなぁ。イスカは厄介な奴に絡まれたものだ』
どうやらまた聞き耳を立てていたらしい。
身体が小さくなった分、どこにでも入り込めるようだ。
そう言えばカメリアが「ちょうど良い」と協力を頼んでいたような気がする。
そんな事を考えながら、イスカは苦笑しつつ雷虎に言う。
「それでも行かないわけにはいかないからねぇ」
『そうか。ならば我もまた鞄の中に入って一緒に行ってやろう。多少は魔力が戻ってきたからの』
「おや、それは助かる。ありがとう」
『ふふん、ぞんぶんに感謝するが良いぞ』
イスカがお礼を言うと、雷虎はご機嫌に喉を鳴らした。
◇ ◇ ◇
「まあ! いらっしゃい、イスカさん!」
指定された王城の庭へ到着すると、そこではお茶会の準備が整えられていた。
いるのはアーリヤとメリッサ、王城のメイド、アーリヤの侍女、それから警備の騎士が数人だ。騎士に至ってはご丁寧に副団長の隊の騎士達である。
そしてやはりその場にリブロの姿はない。
「こんにちは、アーリヤ姫。リブロ様はまだ来てらっしゃいませんか?」
「ええ。急な変更だったから、少しだけ遅れると連絡があったの」
アーリヤは申し訳なさそうな表情を浮かべてそう言った。
イスカは「そうですか」と納得したフリでそう返しつつ、これはいよいよ罠だなと確信した。
今回、彼女達が謝罪するべき相手はリブロだ。
何かしらの事情があって時間を早めたのだとしても、謝罪と言うならばリブロの都合に合わせるのが普通だ。
それが出来ていない時点で、これはリブロに確認を取っていない。
リブロは優しいが、今回の件に関してはだいぶ怒っている様子なので、アーリヤの都合に合わせたりはしないだろう。
あちらの要望で謝罪の場を設ける事を承諾したのだ、これ以上の譲歩したならば相手に舐められる。
「それでは私がリブロ様を迎えに行ってきますね」
「えっ、いえ、その必要はないわ」
イスカがくるりと踵を返すと、アーリヤから少し慌てて呼び止められた。
「なぜ? どの道、リブロ様がいなければ話ができませんよ?」
「リブロが先に始めていて良いといったの」
「…………」
さすがにそれは無い。言い訳としてもあまりに稚拙だ。
魔術セメントがどうのと言い出しはするが、リブロは責任感が強い性格だ。だからそんな事を言うはずがないのである。
アーリヤの言葉に王城のメイドたちも少々怪訝そうな顔をしている。
「それを本気で仰っていますか?」
「あら、私はいつだって本気よ?」
「…………」
頭を抱えたいとはこういう事だろうか。
アーリヤの侍女達はハラハラしているし、騎士たちは眉間にシワを寄せている。
何となくその場の心情は一致しているような気がした。
(けれど止める気はないと)
警備を担当している騎士は、さりげなくイスカが来た道を塞いでいる。
(いざとなったら倒して出て行くか)
護身杖を持ってきて正解だったなと思いながら、イスカは小さく息を吐いて体の向きを戻す。
するとアーリヤの口がニッと弧を描いた。
謝罪をするという体でいるならば、もう少し取り繕った方が良い気がする。
彼女の斜め後ろに立つメリッサくらい暗い顔をしているのが普通ではないだろうか。
「――分かりました」
「まあ、ありがとう! ……それじゃあ、リブロが来るまでお茶を飲んで待っていましょう?」
華やいだ声を上げ、アーリヤはイスカに席を勧めてくる。
イスカは表情にこそださないが警戒しつつ椅子に座った。少し遅れてアーリヤとメリッサも席につく。
すると直ぐにメイドが紅茶を淹れてくれる。目が合ったのでにこりと微笑むと、彼女もにこっと可愛らしく笑い返してくれた。
主催のアーリヤが一口飲んだ後、イスカもティーカップを持ち上げる。
ふわりと良い香りが広がる。色も綺麗だ。ティーカップの縁にも何か塗られている様子はない。
鞄の中にいる雷虎にも紅茶の匂いは届いているだろうが、彼が何も反応をしないところから考えても、おかしなものが入れられている事はなさそうだ。
大丈夫そうだと判断してイスカも一口飲む。
良い味だ。
ほう、と息を吐いていると、アーリヤがこちらへ顔を向けた。
「……先日はごめんなさいね。私、ついカッとなっちゃって」
そしてそう続ける。ちらちらと上目遣いにこちらを見て来るあたり「許します」や「気にしないでください」という返答を期待しているのだろう。
さて、どうしたものか。
このままここで返事をすれば、リブロへ『イスカが許したのだからお前も許せ』という圧が掛かる。
リブロから事前に聞いているが、彼は「今後自分たち関わらない事」という条件を付けた上で許そうと考えているようだ。
なので先にイスカが返事をするわけにはいかない。
当たり障りなく「そうですか」と、ただそれだけ返事をすると、アーリヤは少しムッとした雰囲気になった。
(やはりもう少し取り繕った方が良いのでは)
何かしらの企みがあるにせよ、彼女は顔によく出る。
「……私ね、色々考えたの。リブロの事を諦めるわ」
一言返してから黙ったままのイスカに焦れたのか、アーリヤがそんな事を言いだした。
おや、とイスカは目を軽く開く。
それ自体はありがたいのだが、本当に何を考えているのだろうか。
「私がリブロの事を好きだから……あなたがそれで私に怒っているのが分かるの」
「怒ってはおりませんが、困ってはいますね」
リブロの心労が濃くなるから。
そこまではさすがに言わなかったが、理由としてはほぼそれ一択だ。
自分にならいくら絡んで来ようとも構わないが、そこだけは本当にやめて欲しいとイスカは思っている。
「困るだなんて……やっぱり嫌われているのね、私……」
「そういうお話ではないですが」
「誤魔化さないでいいのよ。そうよね、私はこんなに美しくてリブロにふさわしいもの。嫉妬するのも分かるの」
「いえ、特に嫉妬もしておりません」
だんだん被っていた猫がいなくなってきたようだ。
アーリヤの口からはどんどん普段の彼女が現れ始める。
メリッサやアーリヤの侍女を見ると青い顔をしている。特にメリッサの顔色は先ほどよりも悪い。
(これリブロ様が来るまで続くんだろうか)
アーリヤ自身の自慢話が出始めた辺りでイスカが若干遠い目になっていると、
チリ、
と頭上から何かの気配を感じた。
『イスカ、上だ!』
ほぼ同時に鞄から雷虎の鋭い声が聞こえる。
反射的に頭上を見上げると、テーブルの真上に魔術陣が展開された。
(あれは)
あの魔術陣には見覚えがあった。先日、雷虎を焼いたものとよく似ている。
けれどこの場にカルロはいない。ならば誰がと思ったが、そんな場合はない。
咄嗟にイスカはテーブルクロスを引いた。
きゃあ、とアーリヤの短い悲鳴が聞こえる。
しかしイスカは構わず、テーブルクロスを魔術陣に向かって投げつけた。
多少でも炎の勢いを減らせば良いと思ったからだ。
そして直ぐにアーリヤとメリッサをその場から避難させる。
――しかし。
予想に反して魔術陣から炎が放たれる事は無かった。
はらり、とテーブルクロスが地面に落ちると、空中から魔術陣は消えてしまっている。
「今のは一体……」
そう呟いた時、
「熱ッ……!」
アーリヤの声が聞こえた。
声の方へ顔を向けると、アーリヤが右腕を押えて蹲っている。
イスカがテールブルクロスを引き抜いた際にティーカップが倒れ、紅茶が掛かったようだ。
「イスカ! 大丈夫!?」
その時、バタバタと足音を響かせてリブロ達が駆けつけて来る。クルツや護衛の騎士も一緒だ。
彼はその場の状況を見て困惑しながら口を開く。
「今、魔術の気配がしたんだけど、これはどういう……」
「ひどいわ、イスカさん! いくら私が許せないからって、お茶会をぐちゃぐちゃにするだなんて……!」
するとリブロの言葉を遮るようにアーリヤが悲鳴を上げた。
目に涙を浮かべ、イスカを睨みつけて来る。少し遅れてアーリヤの侍女達がハッとした顔で彼女に駆け寄った。
「ひ、姫様、お怪我はありませんか……?」
「熱いわ、痛いわ。紅茶が腕の掛ったの……!」
「まさか、やけどを……!?」
そう言って痛みを訴えるアーリヤ。
やけどするほどの熱さでなかったのは、彼女自身が飲んでいた事で証明されている。
だが。
(――ああ、これはやられた)
そう言う事かと今になってイスカは理解する。
こうするためにわざと時間をずらしたのだ。
「あ、あ……わ、私……」
ふと、震える小さな声がアーリヤの近くから聞こえた。
メリッサだ。彼女は青を通り越して白い顔でぶるぶると震えている。
様子を見るに恐らく魔術陣を展開したのは彼女だろうか。
炎を出すに至らなかったのは、単純に、そうすれば企みが直ぐにバレてしまうからだろう。
イスカは冷静に判断しながら、自分の鞄にからこちらを覗き見ている雷虎に目配せをする。
彼はするりと鞄から抜け出すと、周囲の人間に気付かれないように近くの庭木の中に身体を隠した。
(……よし)
そう判断しているとイスカの元へ怖い顔をした騎士達が集まってくる。
そしてそのままぐるりと囲まれてしまった。
「イスカ・ブルーム嬢、申し訳ありませんが、一緒に来ていただけますね」
「何をしている、イスカから離れろ」
リブロが止めようとするが騎士に阻まれる。
騎士は首を横に振ると、
「出来ません。――彼女はトルトニスの姫君を傷つけたのですから」
と言ったのだった。
 




