♯22 大人しくするつもりはないらしい
「ねぇ、あなた。ちょっといいかしら?」
アーリヤがやって来てから数日経ったある日の事。
ノービリス王立学園の廊下で、イスカはそのアーリヤに呼び止められた。
見れば彼女はノービリス学園の女生徒を数人連れている。
「アーリヤ姫? なぜこちらに?」
いるはずのない人物の姿にイスカは目を丸くする。
なぜならアーリヤは迎えが来るまで王城の客室から極力出ないようにと言われているからだ。
たまたま居合わせた他の学生達もポカンとした顔でアーリヤを見ている。
(目を離すと直ぐに部屋を抜け出して、リブロ様に接触しようとするんだってクルツが言っていたけれど……)
あまりに頻繁に抜け出すものだから、ラグナが指示を出して警備を厳重にしたらしい……のだが、こうして抜け出している辺り少々緩いのかもしれない。
(もしくは協力者がいるか)
ふむ、と思いながらイスカはアーリヤと一緒にいる学生達の顔を確認する。
その中に一人、警備と関係がありそうな人物を見つけた。
ノービリス王国騎士団の副団長を務めるガルム家の長女メリッサだ。
イスカとは同い年に当たる彼女は、おどおどとした様子でアーリヤの顔色を伺っている。
(ガルム家もリブロ様との婚約を解消させたい派だったな)
そう考えると警備に手を加えたのは彼女の父親だろうか。
もしそうだとしたら職権乱用にもほどがある。
「私がどこにいようと私の自由よ。だって私、トルトニスの王女ですもの」
「ですがここはノービリスです。我が国では我が国のルールに従っていただきませんと」
「うるさいわね。あなた、私にお説教出来る立場? ねぇ、そう思いません事?」
アーリヤは扇子を開いて上品に笑いながら、連れている女生徒達に声をかける。
「ええ、そうですわね。アーリヤ姫様の仰る通りですわ」
「リブロ様の婚約者だから勘違いなさっているのよ」
「他国の姫君に対するマナーがなっていませんわね」
するとそんな嘲笑が聞こえて来る。
これは全員が婚約を解消させたい派だなとイスカは冷静に判断する。
「アーリヤ姫はお迎えの方が来るまで王城のお部屋にいていただくと言うお約束を、ラグナ殿下やファロ様となさったと私はリブロ様から伺っておりますが」
「えっ」
淡々と事実を告げると、笑っていた彼女たちの顔が一斉に強張った。
まぁつまり、あまり下手な事を言うと王族からの心象が悪くなるよと、イスカは暗に伝えたのだ。
すると全員が青い顔をして押し黙った。
(ここにカメリアがいたら情報の精度が甘いのよって言いそうだな)
そんな事を考えていると、
「そんな事はどうでも良いのよ。それよりもあなた、いつまでリブロを独り占めしているつもり?」
アーリヤだけは何も変わらず、イスカに向かってそう文句を言った。
「どうでも良くはありませんが……独り占めとは?」
「リブロとデートがしたくても、あなたがいるからって全然相手にしてくれないのよ。はっきり言って迷惑だわ」
デートに行く以前の問題が幾つもあるのだが、アーリヤには意味がないものらしい。
王城に滞在しているため、リブロと極力接触しないようにラグナとファロが気を付けている。
そして婚約者のいる相手にデートを申し込むのは、ノービリスでは品が無いと言われる行為だ。
(そう言えば前にカルロさんが、トルトニスでは想いは心に秘めず言葉にしなさいと教わるのだと言っていたっけ)
トルトニスを守護しているのは恋の神だ。
なのでもしかしたら彼女のそれはトルトニスでは普通の事なのかもしれない。
文化の違いとはなかなかどうして、驚きを与えてくれるものだ。
「どうせあなたも王家との繋がりが欲しいから、婚約をしているのでしょう? だったら同じくらい良い条件で私のお友達を紹介してあげるわ。だからリブロと別れてちょうだい。いいわね?」
好条件でしょうとでも言わんばかりの雰囲気でアーリヤは言う。
他人に命令する事に慣れた人間の言い方だが、イスカがそんな言葉に従う道理はない。
しかしその中に、どうしても聞き流せない言葉が入っていた。
「お断りします。私はリブロ様と家族になりたいから婚約しているのであって、王家と婚約しているわけではありません」
もちろん最初は王家から来た打診を受けただけだった。
初めて会った時も「顔が良いな」と思っただけで、それ以上の感想もなかったくらいだ。
人によっては舞い上がったりもしただろう。けれどイスカとリブロはそういう事はなく、ごくごく平凡に「よろしくお願いします」と婚約者になった。
そこから交流を重ねてイスカは少しずつリブロを知った。そうしている内に自然と好きになったのだ。
確かにそれは身を焦がすほどの強い感情ではない。
イスカからリブロへの想いは春の陽だまりのような心地良い温もりだ。
もともとイスカは物事に対して無頓着で、そこまで執着心も強くない。
特に他人に対してはそうだ。
魔術に秀でたブルーム家の娘でありながら魔力を持たず生まれてきた事で、周りから色々言われた事も要因の一つにはなっている。
魔術が使えないと陰口を叩かれた事はよくあった。
しかしリブロと婚約したとたんに、その者達の一部は手のひらを返して擦り寄って来た。
他人なんてそんなものだ。
リブロだって最初は、この婚約にあまり乗り気ではなかったようにイスカは思う。
言われたから仕方なくという気持ちが笑顔の下から透けて見えた。
けれどリブロはそれでもイスカを知ろうとしてくれた。仲良くやりたいと歩み寄ってくれた。
彼は急に態度を変えたりしなかった。ゆっくり変わって行こうとしてくれたのだ。
それが幼心にとても嬉しかったのをイスカは覚えている。
イスカは他人に対して執着心が薄い。
けれどもリブロの事は誰かに譲りたくない。誰にも任せたくない。
陽だまりの中でリブロに笑っていて欲しい。一緒にいたい。
そしてそれを作る役目は自分なのだと決意している。
それを『国との繋がりのため』と言われるのは、少々我慢ならなかった。
「あ、あら……ご立派ね。でも口では何とでも言えるわ。信じられないわ。ねぇ、そうでしょう?」
「え、えっと……」
「あの……私は……」
イスカの言葉に気圧されながらも何とか自分を保とうと、アーリヤは女生徒達に呼びかける。
しかし返って来たのは歯切れの悪い言葉と逸らされた視線だ。
王太子と第二王子の名前を出したのが効いているらしい。
王家との繋がりが欲しくて行動しているのならば、ここで彼らの意向に背くのはまずいと判断したのだろう。
いくらトルトニスの王女と仲良くなれたとしても、彼女達が暮らしているのはノービリス王国なのだから。
(……とは言えそろそろ抑える必要があるか)
このままだとアーリヤの怒りの矛先が彼女達に向かいそうだ。
それならば自分の方へ向けさせて、多少痛い思いをするかもしれないが、アーリヤの行動に制限を掛けてもらった方が良いだろう。
そう思ったのでイスカは助け舟を出す事にした。
わざとらしくため息を吐いて、
「アーリヤ姫に信じていただく必要はありませんが」
と言うと、アーリヤは不快な気持ちを露骨に顔に出す。
「そうやって逃げるのね」
「いいえ。……ですが挑発のつもりでなさっているのでしたら、もう少し言葉を選んだ方がよろしいですよ」
「――――っ!」
とたんにアーリヤの目がつり上がる。
その顔が怒りで真っ赤に染まった。
「あなた、失礼ではなくて!? 私はトルトニスの王女! アーリヤ・ウル=アザリー・トルトニスよ!」
「存じております」
「この……!」
アーリヤは乱暴に扇子を閉じると、イスカに向かって振りかぶった。女生徒達から悲鳴が上がる。
(このまま殴らせた方が早いな)
避けられる速さではあったが、殴らせた方が都合が良いし、リブロの身の安全にもなるだろう。
そう思ってイスカがそのまま受けようとした時、
「イスカッ!」
焦ったようなリブロの声が聞こえて来た。
反射的に声の方へ顔を向けようとした直後、イスカとアーリヤの間にリブロが割って入って来る。
次の瞬間、アーリヤの扇子がリブロの頬を打った。
「リブロ様!?」
イスカは目を見開く。
扇子の角が当たったのか、リブロの頬に血が滲んでいた。
それを見てアーリヤは罰が悪そうな顔になる。
「えっ、あっ、り、リブロ……?」
「…………」
おずおずと呼びかけるアーリヤを鋭い目で睨むと、何も答えずにイスカの方を振り返る。
「イスカ、大丈夫? 怪我はしていない?」
「リブロ様が庇って下さったので、私はまったく」
イスカは制服からハンカチを取り出すとリブロの頬に当てた。
「……手当てをします。行きましょう」
「うん」
「あ、あの、リブロ! ごめんなさい、私、あなたを叩くつもりはなかったのよ」
さすがにまずいと思ったのか、アーリヤがそう謝る。
けれどリブロは冷たく一瞥するだけだ。
「アーリヤ姫。ここはあなたの国ではありません」
「そ、そんな事は分かっているわ」
「でしたらよくご理解なさってください。それと、この事は陛下と兄上に報告させていただきます」
「あ、あの……! リブロ様……!」
「君達は今すぐにアーリヤ姫を王城へお連れするように。それが出来れば今回の件は目を瞑ろう」
謝罪を受け入れる事もなくリブロはそう言うと、イスカの手を引いてその場を後にする。
青褪め、呆然とする女生徒達はこくこくと必死で頷いている。
その中でアーリヤだけは歯を噛みしめて、イスカのせいだと言わんばかりにその背を睨みつけていた。




