♯2 ライト家のアンジェリカ
イスカ・ブルームは魔術に秀でたブルーム家の三番目の子だ。
歳は十七歳。容姿はサラサラした長い黒髪に蒼い瞳をした、ご令嬢というよりは騎士のような麗人という雰囲気だ。
婚約者のリブロは中性的な容姿をしているので、二人で並んでいるとイスカが騎士でリブロが姫と称される事もあった。バランスが良いとも言われた事がある。
――まぁ二人揃って『黙っていれば』という言葉が頭につくのだが。
イスカとリブロは基本的に真面目だが、口を開くと色々と――ちょっと癖のある二人である。
なので知り合いは揃ってそう言うのだ。
そんなイスカはノービリス王立学園に通う学生だ。
この国で一番大きく歴史のあるこの学園は、筆記と面接の試験で合格をもぎ取れば、出自問わず誰でもウェルカムというのが特徴だ。
先々代の王の時代から奨学金制度も設けられており、境遇や立場に関わらず様々な学生達が通っている。
そんな学園のカフェテリアにイスカはいた。
彼女の目の前には『本日のAランチ・丸ごとチキンセット』が置かれている。
甘辛いタレのかかった焼き立てのローストチキンがイスカの鼻腔をくすぐる。
カフェテリアでも数量限定の人気メニューで、イスカも何度かしか食べた事が無い。
授業が終わって、さあ今日の昼食は何かなとやってきたら、たまたま残っていたのである。
なので「今日は運が良いなぁ」なんてほくほくした気持ちで注文したそれを食べていると、
「イスカさん、リブロ様の事でお話がありますのよ!」
なんて元気な声で金髪の少女から声をかけられた。
まぁ声を掛けられたというのは、だいぶマイルドな表現だが。
けれどもイスカからすればその程度の印象である。
イスカはいったん手を止めて、ちらり、と丸ごとチキンセットを見てから少女を見上げる。
話をしていたら冷めそう。そう思ったので彼女に聞いてみる事にした。
「食べながらでも良いですか?」
「構いませんわ!」
構わないらしい。それならばと「では向かいの席へどうぞ」とイスカは促す。
少女は「失礼しますの!」と元気に言って席に着いた。
彼女の名前はアンジェリカ・ライト。
こちらも魔術に長けたライト家の長女でイスカの同級生である。
イスカと彼女はそれなりに付き合いが長い。
とは言え友人関係という感じでもない。どちらかと言えば真逆だ。
ただこうして何度も話しかけにくるのだから、声も聞たくないくらい嫌われているという事はなさそうだとイスカは思っている。
「イスカさんはそろそろリブロ様との婚約を解消するべきだと思いますの」
「はあ」
椅子に座ると、アンジェリカがテーブルの上で手を組んで、そう訴え始めた。
この話も何度もしたなぁと相槌を打ちながら、イスカは食事を続ける。
「ライト家ならば、リブロ様が婿入りなさった時は、ブルーム家以上に贅沢で安心な生活をお約束できますのよ」
「なるほど」
「それに私、幼少の頃からリブロ様をお慕いしておりますの。愛がありますの! 愛であれば、あなたには負けておりませんのよ」
「そうですか~」
「……相槌だけ打つのをやめていただけませんこと?」
イスカが気のない返事をしながら食事をしていると、さすがにアンジェリカが半眼になってそう言った。
そんな事を言われても……とイスカは丸ごとチキンセットを見る。
食べないと冷えてしまうし、昼食の時間だって限られているのだ。
何よりも。
「こんなにも美味しい食事が目の前にあるのに、それを無視をするのは難しいですね。どうしましょうか」
「私に聞かないで欲しいですの」
「そうですか……どうしようかな……」
「しょんぼりしないで欲しいですのよ! 食事しながらで良いですから、お話だけはちゃんと聞いて欲しいですの!」
それはまぁもっともな話である。
イスカは何度か頷くと、それではともぐもぐ食事をしながら「どうぞ」とアンジェリカに話の続きを促した。
アンジェリカは、こほん、と咳をすると、
「リブロ様はお優しいですから、ご自分から婚約を解消しようとは、きっと言えませんのよ」
と続けた。
いや、それはないなとイスカは思った。
リブロは確かに優しい。優しいが、ただ優しいだけではない。嫌な事は嫌だと言うし、言葉でも物理でも攻撃されれば綺麗に反撃をしに行く方だ。
だからリブロがもし本当にイスカと婚約を解消したいと思っているならば、すでに行動に移しているはずである。
リブロは優しいがその性格はなかなか苛烈なのだ。
(だから私みたいに無頓着で大雑把な相手だと、中和されてちょうど良いから婚約を……って言われたのだっけ)
もう少し丁寧な言い方ではあったが、打診の理由は確かそういう話だった気がする。
けれども今はお互いに好意を持っているから、こうして続いているのだ。
リブロのような王族相手だと政略結婚がどうのこうのと出て来るが、それでもお互いを尊重する気持ちがなければ破綻する。
好きな人が自分を好きでいてくれる。そう言う意味でも自分が幸運だなとイスカは思うのだ。
そしてこれは自惚れではなく事実だ。
フフ……とイスカが小さく笑っていると、
「……っ! その余裕ぶった微笑み、必ず崩して差し上げますの! 失礼いたしますの!」
アンジェリカは怒って席を立ってしまった。
あ、と止める間もなく彼女は食堂を出て行く。
その背中を見て怒らせてしまったなぁとは思ったものの。
「ま、いっか」
午後の授業のために今は昼食が最優先である。
イスカはチキンに集中する事にした。ああ、冷めてしまっている。
せっかくアツアツだったのに……でも冷めていても美味しい……とイスカは少ししょんぼりしながらチキンを食べる。
「アンジェリカさん、相変わらずでしたわね……」
「イスカさん、大丈夫かしら。元気がありませんわ……」
「どうしましょう、せめて甘いものを食べたら元気が出るかしら? プリンはまだある?」
そんなイスカを見て、食堂の生徒達はそんな話をしていた。